第64話 小碓武(キックボクシング)VS岡本忠男(ボクシング)(2) あの人が使っていた最強のワンツー

 チャンスだ!


 忠男は俺のパンチを喰らい尻もちを着いている。

 ボクシングの試合であれば相手が倒れれば審判レフェリーに引き離され、倒れた相手への攻撃は認められないが、これは喧嘩であるから倒れた相手に攻撃をしてはいけないというルールは無い。


 だから俺は距離を詰めて忠男に止めを刺そうとする。

 ボクサーであるのだから寝技に引き込まれる事は無いし、立っている俺の方が有利である。


 だが、忠男は左膝を立て、右膝を寝かせた状態から腕は脇を閉め、膝が立っている側の左手をしっかり伸ばし俺との距離を作った。


 そして、打撃が来てもディフェンスができるように逆手は斜め後ろに着き、着いている手と足で尻を浮かせると、残っている足を後ろに引き、最後は前足でバックステップして、立ってファイティングスタンスに戻し、すぐに打撃ができる構えを取った。


 所謂いわゆる柔術立ちを鮮やかに実践され、俺は追撃の機会を失った。


「オイオイ。ボクサーじゃないのかよ? まるでMMAのファイターじゃないか?」


 当たり前の事だけれど、ボクシングの試合で柔術立ちする選手なんて見た事が無い。

 俺は呆れて忠男に聞いてしまった。


「今やっているのはストリートファイトだからな。倒れたからと言って審判が守ってくれるわけではない。だから長野に倒された時や寝技グランド対策を一通り教わっているのだ」


「へぇ。それは驚いたね」


「貴様も中々やるな。フラッシュダウンとは言え、この俺を地に着かせるとは大したものだ」


 何かイチイチ言い方が厨二病っぽい大袈裟な奴だな。


「そりゃどうも。最強の素人目指しているんでね」


「だが、まぐれは二度は無い。格闘技を使う者と素人の徹底的な差を教えてやろう」


 ヤバいな。油断している内に叩くつもりだったけれど、本気にさせちまったかな?


 こうなると俺に勝ち目は無さそうだけれど、ちらっと周りを見渡すと長野という化け物と相対している姫野先輩はとにかく、あの勝子でさえ苦戦しているみたいだし、麗衣は鼻血を出している。


 これでは援軍は期待できないな。

 せめて皆が勝つまでは、俺がコイツの的であり続けられるぐらいには頑張らないとな。


「じゃあ、今度はこっちから行くぜ!」


 俺はサウスポー対策のセオリー通り、いきなりの右ストレートで忠男に襲い掛かった。

 だが、それがあまりにも迂闊な行為だった。

 セオリーなので対戦するオーソドックススタイルの相手から毎回いきなりの右ストレートが飛んでくるから慣れていたのかも知れない。

 忠男はあっさりとヘッドスリップして躱すと、俺に返しで左のボディアッパーを打ち込んだ。

 小さなパンチグローブ越しの拳は俺の鳩尾に突き刺さり、視界に白い点が浮かび上がった。


「ぐわあーーーっ!」


 内臓を握りつぶされる様な痛みで俺は苦痛に耐えきれずうずくまり、意味をなさぬ叫び声を上げた。

 額からダラダラと脂汗が流れ、口元から垂れた涎とともにポタポタとコンクリートの地面を濡らす。

 空気を吸おうとしても息も出来ない。

 視界が白くなってゆき、意識が無くなりかけているのだろうか?


「やはりな。幾ら格闘技の才能があって技術的な成長が早いとしても、ボディだけはどうしても短期間には鍛えられないからな」


 苦しい!

 苦しい!

 誰か助けて!


 俺は声を上げようとしたが、声にならなかった。


 こんな苦しい想いをするぐらいなら死んだ方がマシだと本気で思った。


「オイ! 降参してこの喧嘩からリタイアするなら、これ以上は勘弁してやるぞ?」


 マジで降参したい。

 基本的にマススパーしかした事が無いから、こんな強力なボディを喰らったのは初めての経験だ。

 数週間前まで自殺を考えていて、苛められていた俺がこんな化け物に勝てる訳が無い。


「まっ……まいっ……参った……」


 俺がそう口にすると、忠男は口元に笑みを浮かべたが


「参った……何て言うかと思ったかよ! このクソ野郎!」


 心が折れかけた時、麗衣の顔が頭を掠めた。

 こんなに弱いんじゃアイツを振り向かせる事も認めさせる事も出来ないじゃないか!

 それに腹パンなら苛められていた時に棟田等に「顔は駄目だよボディボディ」とかふざけながら何回も殴られてきただろ?


 あの負の経験が腹を鍛える為だったと見方を変えて、良い経験だったじゃないかと思えば良い。


 そう考えると、たった一発のボディも耐えられない何て情けないと思うし、あれ程最悪だった気分が少しだけ良くなってきたような気がした。


「俺の苛められっぷりを舐めなるなよ……日課の腹パンで鍛えられたこの俺を格闘技初心者の耐久力と一緒にしないでくれよ?」


 俺が立ち上がり、ファイティングスタイルに構えると忠男は驚いた表情を浮かべていた。


「成程。お嬢様が気に掛けるだけある。少しは見直したぞ。だが、一発で心が折れないのであれば、何発でも打ち込めば良いだけの話だ」


 今度は忠男から距離を詰めて俺に攻撃を仕掛けてくる。

 俺は足払いで忠男の前足を軽く払うと、忠男の右フックは宙を掻いた。

 俺はヘッドスリップしながら懐に飛び込み、右ストレートをボディに打ち込む。


 俺としては会心の攻撃だけど、ボクサーである忠男には恐らく効きはしないだろう。

 忠男は返しで突き上げるように左アッパーを打ってくる。

 攻撃を予測していた俺はアッパーが放たれる前に大きく上体を反らし、パンチを躱すとともに体勢を戻す勢いを利用し、右のボディストレートをもう一撃振り下ろす。


 これは浅い。


 だが、丁度良い餌になったはずだ。


 俺は前足にかかった体重を利用し、前足を軸足にして相手の外側を回った。


 勝子から教わった格闘技以外にバスケットボールでも使われているピボットターンだが、こうする事で相手の視界から一瞬消えて、相手の攻撃圏から退避出来るのである。


「素人だと大体前後移動しか出来ないのだがな、中々のディフェンス力だな」


 忠男はそう言いながら、こちらに突っ込もうとするが、俺が膝を軽く上げるとピクリと反応し、動きを止める。


 どうやらかなり足払いを警戒しているようだ。


 餌はばらまいた。


 今ならを試せるだろうか?


 俺は奥手である右拳を少し前に構えた。

 大分前拳である左拳と右拳が近くなっている。


 足払いを警戒してなのか?


 忠男との距離は目測では半歩踏み出せばパンチが届く距離では無く、一歩は離れている。


 これは俺の距離だ。


 かつてキックボクシングのが使っていたというパンチを勝子から伝授されている。

 背が高い相手を倒す為のとっておきだ。


 俺は軽くステップしながらジャブを打つが当然届く距離では無いが。


 ダン!


 ツーのパンチをほぼノーモーションで放つ。


 リーチからして届くはずの無い距離である。


 忠男はこれまでの戦いで俺がどの位の距離でパンチが届くのか既に把握していたはずだ。


 だから届くはずが無い、只の牽制かと思い込む。


 だが、それは誤りだ。


「な……に?」


 この喧嘩で一番のクリーンヒットが決まった。


 届くはずの無いパンチが忠男の右頬を大きく歪ませ、刹那の間、激しく波打っていた。


 俺がやったのは実にシンプルな方法だ。


 ワンツーを打つ時、右ストレートのツーを放った直後に右足を追うように出すとパンチの距離が延びるのだ。


 だからと言ってボクサーである忠男相手に素人同然の俺のパンチが顔面に当たるのだろうかと疑問に思われそうだが、ここに至るまでの仕掛けがある。


 先ずは身長差がある為ボディストレートは結構入れやいので、予めそれを餌に撒き、俺が飛び込む時はボディを攻撃すると意識をさせておいた。


 更に、このパンチは右拳が前気味な上、ノーモーションでパンチを放つ為、例えボクサーの忠男であろうと躱すのは難しかっただろう。


 後は毎日勝子から借りた小型のダンベルを持ちながらこのパンチも練習していたのでパンチのスピードも上がっていたのだろう。


 そして、右足を移動する推進力を利用する為、威力は普通にワンツーを打つよりも凄まじい。


 まぁ、なんせあの魔娑斗が使っていたワンツーだ。

 せいぜいウェルター級程度の体格で70キロ級の体格が上の相手とやり合う為に使っていたワンツーだ。弱い訳がない。


 そして、このパンチは伝統空手の基本である追い突きとも似ているのだが、元々は琉球空手の使い手である元WBC世界スーパーフライ級王者・徳山昌守も似たパンチを使っていた。


 シンプルで強力なパンチなのにも関わらず、意外と使われていないみたいなので、忠男も面食らった様だ。


 忠男は後ろ足で踏ん張り、辛うじて倒れるのを耐えたが、俺は前のめりになった体勢を戻す反動を利用し、忠男の喉元にめがけて左アッパーを突き上げた。


 ゴスッ!


 外さぬよう喉を滑らすように放ったアッパーは忠男の顎を大きく跳ね上げた!


 止めだ!


 俺は右足を横に踏み込み、ダッキングの動作を交えながらフックとストレートの軌道で野球のボールを投げる様なモーションでパンチを放った。


 オーバーハンドライト


 勝子ししょうの必殺パンチで決めようと思ったが、パンチは思いっきり空を切り、前のめりにつんのめった。


 ヤバイ! 忠男に躱されたのか?


 一転して危機に陥る危険性がある。


 特にまたあのボディを喰らったら一溜りも無いので、俺は慌ててステップバックした。


 だが、それは杞憂に過ぎなかった。


 忠男はアッパーで既に意識を飛ばしていたのか?

 仰向けに地面に突っ伏していた。



 魔裟斗選手が格上と言われたムラッド・サリをKOしたのはこのワンツーから左フックのコンビネーションでした。

 ワンツーこそ外していますが、至近距離からの左フックでKO勝ちし、この瞬間から魔裟斗選手がトップ選手の一人に躍り出るきっかっけとなりました。

 また、K-1 WORLD MAX 2006では身長で上回る小比類巻選手にこのワンツーをクリーンヒットさせています。

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