第62話 織戸橘姫野(日本拳法)VS長野賢二(空手+柔道) (1)無謀な選択
全く……我ながら無謀な選択をしたものだ。
時間を巻き戻せるものであれば、きっと別の選択をしていただろう。
だが、こう思考を巡らせている間にも目の前で進行している現実は変えようもない。
マイク・タイソンの言葉を少し借りると「殺伐として悪質で無慈悲な」未来が僕に待ち受けているだろう。
僕は……織戸橘姫野として生を受けてから間違いなく最強の敵と相まみえていた。
相手は「殺し屋」の異名を持つ同世代ではレジェンドと言ってもいい空手家だ。
同じ年齢で格闘技を志していた者で彼の名を知らぬものが居るだろうか?
それぐらいの有名人だ。
勝子君と同じで突如表舞台から姿を消していたので気にはなっていたけれど、こんな所で、こんな形で出逢うとは思わなかった。
「まさかね……伝説の男と会えるとは思っていなかったからビックリしたよ」
一度は手合わせしてみたかったからね。
という言葉を飲み込んだ。
例え強がりでも僕如きがそんな事を軽々しく口にしてはいけない。
彼は勝子君と同じで雲の上の存在というカテゴリーなのだから。
だが、可愛い後輩と新しく増えた仲間である小碓君の為にも少しは先輩らしいところを見せないとね。
僕は伝統空手で使われている拳サポーターを嵌めた左手と、左足を前にして半身に構え、左足先はやや内側に向け、後ろ足は右斜めに開き、右手を水月(鳩尾)部に構え、左手と右手を同一線上の高さで両手指先を伸ばして構えた。
余談かも知れないが、前はオープンフィンガーグローブを使っていたけれど、武道家である僕には拳サポーターの方が何となくしっくりきたので、今日は拳サポーターに変えたのだ。
対して長野君は足を肩幅に開くと、彼らの流派の試合で使われている拳サポーターを嵌めた左手を前に、右手を奥に手の位置は目線の少し下に構えると、大きく左足を一歩踏み出した。
キックボクシングの場合、蹴りがすぐに出せるように前後の足幅が狭いけれど、タックルで掴まれやすいという欠点がある。
それに対して前足を大きく前に出す事によりMMAのような競技ではタックルを防ぎやすいという利点がある。
長野君の構えは空手家というよりもMMAファイターに近い物であった。
「日本拳法の使い手か。確かに似た武術を志す者として、一度は手合わせをしてみたとは思っていたが……貴様が男子であればどれだけ良かっただろうか」
彼は僕が女だから相手にもならないとでも言いたいのか?
言われずとも、それは僕自身が一番知っている事なんだけれど、せめて口ぐらい対抗したかった。
「それは差別というものだよ。それに、そんな事を言ったら君のお姫様にだって叱られるかも知れないよ?」
「そうかも知れんな。だが、お嬢様も岡本兄弟クラスならばいざ知らず、一流の男には勝てない事は理解されている。その為に俺がお供しているのだ」
確かに岡本ツインズも強いけれど、決して全国トップレベルという訳では無かった。
それに比べ、長野君は総合ルール・フルコンタクト・キックボクシングとあらゆるルールの大会で上位入賞し、全国トップレベルの実績を残している。
次元が違うのだ。
僕は女子だけのカテゴリーでみても、せいぜい二流レベルだろう。
対する男子の一流の中の一流。超一流。
つまり。
勝ち目はゼロだ。
でも―
「確かに僕じゃあ君には勝てない事ぐらい分かっているさ。それでも、これはタイマンじゃないし試合じゃない!」
僕は沸き起こる恐怖を押し殺し、腰は水平に押し出すように、ジャンプせず、寄り足と呼ばれる歩法のスリ足で軽く前進し、長野君との距離を詰めた。
「俺に少しでもダメージを与える為の人柱にでもなるつもりか? 誰が何人来ても無駄だがな!」
こう言って、長野君は膝頭を高くかい込み、踵を引きよせると、右膝関節のバネを利用し、スナップを効かせて槍の如く長い前蹴りを放ってきた。
この間合いで届くのか!
麗衣君に長野君の真似をさせて前蹴り対策をしていたけれど、長さも勢いも比較にならない。
だが、蹴り対策は無駄ではなかった。
長身の選手が身長差を活かし前蹴りを打つのはセオリー通りだ。
僕は体を後方へ退き落とし、後ろ足に重心を乗せ、腹部を屈めながら、後掌で内手首の付近で
そして長野君の足を前側に流すようにして、腰を捻り、肩を回して首をもぎ取らんばかりの勢いで横打を長野君の顔面に向けて振るった!
横打とはボクシングで言うフックの事で、伏拳で放たれた拳は長野君の顔面に命中したが、身長差があり過ぎる為か、長野君が少し顔を引くと浅くしか決まらなかった。
「ちっ!」
離れてはならない。
離れれば長野君の距離になる。
僕は前足を外側に移し重心を下げると長野君が反り身から体勢を元に戻した反動を利用した左ストレートを沈身という体を沈めて躱す技を使い、躱しながら、水月に向かって拳を強く握り込んだ伏拳で直突きを放った。
日本拳法の代名詞とも言える側拳と呼ばれるは縦拳は太鼓のバチを叩くように打ちボクシングで言う「キレのあるパンチ」であり、打たれた者に頭の脳を鋭利な物で突かれたような衝撃を与えるが、伏拳による直突きは腕を押し伸ばす様な意識を持って突く「重いパンチ」である。
面突きにおいてどちらが威力を発揮するかは状況にもよると思うけれど、胴突きにおいては伏拳の方が加撃力において有効と言われている。
理由は壁に棒を立てる時、真っすぐ垂直に突き立てる方が威力が強いように、側拳では胴突きが斜めになりやすく、無理に真っすぐ打とうと重心を下げ過ぎると体勢が崩れやすくなるからだ。
まぁ伏拳でも体勢が保つ事が出来るけれど、上体が沈み過ぎて前拳による連撃を面部に出来なくなるデメリットもあるが、それでも日本拳法において重要な技の一つである。
キックボクシングなどでは蹴りによるカウンターを恐れ、あまり使われないボディーストレートだけれど、無差別級が基本である日本拳法においては身長差がある相手に有効な武器であり、多用されている。
無論、防具無しで蹴りによるカウンターを喰らう可能性があるのは怖いけれど、付け焼刃で日本拳法のスタイルを変えてまで長野対策をしても敵うまい。
ならば日本拳法のスタイルの長所を活かした長野対策をするしかないと思い、麗衣君とのスパーリングでは長野君の前蹴りを真似させ、
拳サポーター越しの拳に長野君の水月に減り込んだ重く鍛えこまれた分厚い肉の感覚が伝わる。
伝統派空手や日本拳法の試合ならば一本だろうが、これは試合では無い。
間髪入れず長野君の丸太のような膝が僕の顔面に迫っていた。
僕は左手で顔を守りながら顎を引き、顔を後ろに引くと共に後ろ足に上体を移動する反身で凌ごうとしたが、膝は麗衣君や道場の男子では有り得ない程伸びてきて、僕の左手と顎を同時に跳ね上げた。
「なっ!」
僕の身体は軽々と浮き上がり、背後へ3歩、4歩と踏鞴を踏むが、辛うじて立ち止まった。
今のは危なかったけれど、クリーンヒットを与えたのは僕の方であるはずだ。
でも胴を鍛え上げているであろう長野君の方は憎たらしい程ケロッとしている。
「ははははっ……流石にビクともしないね」
僕は背中まで貫くつもりで全力で水月をついたのに通用せず、長野君の攻撃はガードと躱し技の両方を同時に使ってもダメージを受ける。
どんなに努力をしても覆しがたい耐久力と攻撃力の圧倒的な差に笑うしかなかった。
大東塾では確か級が低いうちは顔面パンチ無しの中段パンチ及び蹴りがルールのフルコンタクト空手と同じルールで昇級審査が行われるらしいし、そもそも彼はフルコンタクト空手の試合でも上位入賞したぐらいだ。
生半可な胴突きでは彼にはダメージを与えられないという事だ。
でも、彼とて完璧ではない事は濃密なファーストコンタクトで理解した。
胴が効かないのはある意味想定通りだ。
ならば日本拳法と共通する致命的とも言えるある弱点を突けばいい。
なんせ似た競技だから弱点は痛い程理解している。
まぁ向こうから見ても気付いていて当然だし、恐らくこちらがやられてしまう可能性の方が圧倒的に高いんだけれどね。
そんな事を考えていると、長野君の背後の方で戦っている小碓君が相手からダウンを奪っている姿が目の隅に入った。
へぇ……やるじゃないか。
まだ格闘技をはじめて一ヶ月も経っていないが、彼が麗衣君を強く想い、どれだけ努力をしていたか傍から見てもよく分かっていたつもりだけれど、まさかこれ程短期間で成長するとは思わなかったよ。
……小碓君になら麗衣君を任せても良いのかな?
「貴様……俺との戦いの間に他を気にするとはずいぶん余裕だな」
視界の隅に捉えた程度だけれど、それ程露骨に長野君に伝わってしまったのか?
長野君は振り返りもせず、僕に言った。
「いや。余裕なんかないけれど後輩があまりにも頼もし過ぎて嬉しくてね」
さて、僕も負けてられないな。
残念ながら他の子の加勢何てとても出来ないけれど、誰よりも大切な麗衣君の為にも、せめて長野君を道連れに華々しく散る事にしよう。
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