第55話 茹ダコでも恋はするらしい
あの後、姫野先輩が特に怪我が酷かった亮磨をクロカンに乗せて病院へ連れて行く事になり、俺は帰宅せず付き添いで姫野先輩と一緒にいく事にした。
亮磨は麗衣にゼファー400を貸してくれるとの事で、勝子と二人乗りでクロカンの後をついてきた。
麗衣の腰に抱き着く勝子はこんな事態であるにも関わらず、涎を垂らさんばかりの幸せそうな表情で麗衣の背中に顔をくっつてけていたのは言うまでもないが、その事については敢えて深く触れないでおこう。
亮磨の怪我を案じた
「悪い……織戸橘……こんな事させちまって……」
腫れ上がった頬に濡れたハンカチを当てながら亮磨は姫野先輩に謝った。
「いや、こちらもまさか、天網があんな暴挙に及ぶとは夢にも思っていなかったからね……。麗衣君の友達だからと思って油断していたよ。こちらこそ済まない……」
「……お前等は悪くねーよ。これだけ御膳立てして貰ったのに、ぶち壊してくれた天網と、あまりにも弱すぎた俺達が悪いんだよ……」
自分の不甲斐なさを嘆くかのように亮磨はそう言った。
「あの……赤銅先輩。ちょっと聞きたい事があるんですけれど良いですか?」
俺は恐る恐る聞いた。
「ああ。お前は確か棟田ぶん殴ってた小僧だな。小碓だっけ?」
「ハイ。小碓武です」
「ったく、お前みたいな
「ハイ。聞きづらい事ですけど怒らないで聞いてくれますか?」
「内容にもよるけどよぉ、お前、美夜受の男だろ? アイツに聞かれているかと思って我慢してやるよ」
こんな事を言われてしまったので話は脱線した。
「いや、俺は麗衣の男じゃないですけど……」
「はぁ? 美夜受の男じゃない? じゃあ何であの時、俺達、
亮磨は姫野先輩に話を振った。
コイツ、一見硬派っぽいけど実はこういう話に興味があるキャラだったのか?
「麗衣君は否定しているねぇ。とは言え、既に友達以上の事は経験しているし、憎からず思っている節はあるよ。勝子君も二人はもう付き合っているんじゃないかと警戒……げほごほ。失礼。疑っているみたいだしねぇ」
姫野先輩はからかう様な楽し気な口調で言った。
……というか、今、警戒って言ってなかったか?
一応、勝子は俺が麗衣と付き合うようなことがあれば祝福してくれるような事は言ってくれていたけれどな……。
「ほう……友達以上の事って何をしたんだ?」
それって多分、俺を下僕にする為にやったキスの事だよな?
亮磨は興味を持って俺に尋ねてくるが、こんな事を話す訳には行かないし、話が横道にズレるどころか反対路線に乗り上げる程脱線しているので話を元に戻す事にした。
「ええっと、姫野先輩が大袈裟に言っているだけでアイツとは本当に何もないんで。それよりか、さっきの話ですが
俺をからかう様な表情をしていた亮磨の表情は一転し厳しい物になった。
怖いが天網と戦う事になったからには、少しでも多くの情報を得る為に、話を聞かざるを得なかった。
「あるいは他にも誰か待ち伏せをして居たという事は無いですか?」
「……それで負けたのなら言い訳にもなるが……残念ながら俺達はたった二人に成す術もなく全滅させられたんだよ」
まだデビュー前とは言えプロボクサーである亮磨を含めた十人のメンバーがたった二人にやられてしまったというのか?
俄かには信じがたい。
「そんな馬鹿な……十戸武や長野だけじゃなく、天網のあの二人も何か格闘技でも使うのですか?」
「ああ。一人は恐らくテコンドーを使う。あまり他競技は詳しくねーけど、殆どの奴がソイツの回転蹴りや踵落としにやられていて、多分突きの類は殆ど出していなかった。まぁ空手の可能性もあるけど、フルコンの兄貴より全然動きが早くて、誰も捉える事は出来なかった」
「その人に五人位やられたんですか?」
「いや、ソイツは一人で九人やりやがった」
漫画じゃあるまいし、幾ら格闘技を使うからって、一人で九人も倒せるものなのだろうか?
少し信じがたいが気になる事がある。
「じゃあ、その人だけ強くて、もう一人は一人を倒しただけですか?」
「……そのもう一人が相手にしていたのが俺なんだよ」
亮磨は唇を噛みしめ悔しそうな表情を浮かべていた。
「成程……そう言う事ですか。赤銅先輩が戦った相手は何を使うんですか?」
「……」
亮磨は答えようとしないので、姫野先輩が助け舟を寄越した。
「赤銅君。僕達は天網と戦うからという理由だけではなく、過去の経緯はともあれ、今は手を結んでくれた君達の仇も打ちたいとも思っているんだ。敵が何を使うか知るだけでも助かるんだ。だから、教えてくれないだろうか?」
姫野先輩に言われ、亮磨は自分を落ち着かせるように深呼吸すると答えた。
「……アイツはボクサーだよ。しかも、俺より強い」
「えっ? ボクサーだったんですか?」
亮磨がボクサー相手に敗れるとは信じがたかったが、亮磨はそれを当たり前の結果と受け入れていた。
「俺は暴走族としてはボクシングを使うから喧嘩が強くても、純粋なボクサーとしちゃあー大した事はねぇよ。プロライセンス持っていてもアマチュアの試合すらした事ねーんだからよ。前に美夜受が言っていたとおりだよ」
亮磨は自嘲気味に笑った。
「今日やり合ったアイツは俺なんかと違った。俺みたいにライセンス持っているだけのペーパープロボクサーと違って、多分何試合も経験がある本物のボクサーだろうよ。お宅の周佐を見た時も思ったけど、所詮似非ボクサーの俺じゃあ本物には勝てっこねーって事だよ」
そんな亮磨を見て、姫野先輩は尋ねた。
「赤銅君は
「さぁな……昨日まではボクシング一筋で頑張ろうと思っていたけれどよぉ……身の程を知ったぜ。俺なんかじゃ通用しないだろ?」
「赤銅君は強いと麗衣君は認めていた。僕も同じ気持ちだ。特に麗衣君のパンチを殆ど避けていたディフェンステクニックはあれこそ本物のプロなのだなと感心させられたものだよ」
「ディフェンスに関して評価してくれるのはありがたいが、あれだけパンチを打っても女子の美夜受すらKO出来なかった非力な俺がプロで通用すると思うか?」
「麗衣君は中学の頃から男子と喧嘩をしているし、ジムでは男子や階級が上の女子のプロキックボクサーとスパーリングをしているからね。女子としては別格に打たれ強いんだよ。あの子を基準にすれば大抵の男子を上回るから安心して良い」
「そうだろうか?」
「そうだとも。それに、ボクシングは何もKOばかりが勝利ではないだろう? KOに拘りを捨ててポイントアウトを狙えば君はボクサーとして必ず強くなるさ。非力なら非力なりに工夫すれば勝てる戦い方もあるというものだよ」
「そうなのか……」
「僕は暴走族としての君より、ボクサーとしてリングに立つ君の姿が見たい。リングの上で活躍するのが君にとってリベンジになるんだよ。その時は、僕は全力で君を応援させてもらうよ」
「……」
亮磨はそれから何も言わず、窓の外の光景に目を背けた。
だが、頭髪の無い頭が茹蛸の様に赤くなっているのは隠す事は不可能であり、その耳朶まで赤くなっていた。
そりゃ惚れるわな。
麗衣が痛めつけられた時は亮磨に対して殺意も覚えたが、今後、麗と敵対する事が無い限り、色んな意味で亮磨の事は応援しても良いと思った。
この後、病院の夜間外来に亮磨を診察して貰い、CTスキャンの結果、幸い異状が無かった為、入院は必要が無く帰宅可能であった。
姫野先輩が大事を取って自分がクロカンで送ると言ったが頑なに断わり、麗衣が返したゼファー400に乗って帰り、麗のメンバーもそれぞれの家まで姫野先輩の車で送られ解散となった。
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