　俺を呼び止めた勝子は俺に質問をしてきた。

「小碓武！　お前が麗（うるは）に入りたがって見習いにして貰ったって話を聞いたけれど、どうしてなの？」

　麗衣は否定してたけれど、恐らくコイツは俺の事を快く思っていないだろう。

　下手な受け答えは出来ないが、嘘もつけないので無難な答えをした。

「それは……麗衣の力になりたいと思ったから」

「本当にそれだけなの？」

　勝子はじっと俺の顔を覗き込む。

　まるで俺の隠れた心の奥底まで見透かそうとしているその瞳を直視できず、俺は目を背けた。

「それだけだよ……麗衣は俺の恩人だし。どうして暴走族潰しなんて危険な事をしているのか分からないけれど、アイツがこれ以上続けるつもりなら俺も少しでも助けたいと思ったんだ」

「ふーん……嘘はついていないとは思うけれど、本当それだけかな？　別に麗衣ちゃんの事が好きなのが理由ならそれでも構わないんだけれどね」

「なっ……！」

　俺は驚いて背けていた視線を勝子に戻し凝視してしまった。

「何驚いた顔しているの？　誰だって見ていれば分かるよ。麗衣ちゃんは見ての通り鈍感だけれど、最近楽しそうだし、案外まんざらじゃないかもね」

「な……そんな訳は……それに勝子も麗衣の事好きだろ？」

　そこまで言って俺は口をつぐんだ。

　しまった！　殺される！

　俺は悪魔（サタンズ・）の鉄槌（ハンマー）とまで呼ばれ恐れられている勝子の鉄拳が俺に降り注がれるのかと身を縮めたが――

「そうだよ。その通りだよ。私は誰の事よりも麗衣ちゃんを愛しているよ。同性の癖に気持ち悪いと思ったでしょ？」

　意外な事に勝子は自虐的に言った。

　らしくない事を言った勝子は寂しそうに視線を下げた。

「……分かっているよ。傍から見ればおかしいって事も。幾ら好きでもこの気持ちが報われないって事ぐらい」

　勝子ってこんな子だったのか？

　勝子に対して恐ろしい気持ちしか抱いていなかったけれど、考えてみれば勝子と二人でまともに話をしたのは初めてかも知れないし、周佐勝子という人物に対して殆ど何も分かっていないのだ。

「だからね。例え想いが届かなくても麗衣ちゃんの為ならば、暴走族潰しに協力するし、麗衣ちゃんが笑っていてくれるなら私じゃなくて小碓武……お前と付き合っても構わないとも思っている。麗衣ちゃんの魅力が誰かに分かって貰えるのは私も嬉しいんだ。……だから安心して。お前が麗衣ちゃんの事を好きで一緒に居たいというなら私は決して邪魔しない。それは約束する。……でもね」

　勝子は下げた視線を再び俺に向けると、その眼光には強い意志が宿っていた。

「お前が麗衣ちゃんを好きだと言うだけで麗のメンバーになりたいというのならば、それは認めない。もし、折角助けたお前が傷つけば麗衣ちゃんが悲しむ事になる……それだけはさせられない」

　麗最強の少女の眼光に射竦められ、俺は縮みあがりそうになる。

　ここで勝子に屈してしまったら、麗入りの件は潰（つい）えてしまう。

　こうなれば俺も腹を括らざるを得ない。

「……確かに君の言うとおりだよ。麗衣の事は好きだ。多分その事に関しては君と気持ちは変わらない。でも、麗衣が暴走族潰しなんて危険な事を続けるつもりだったら本当に麗衣を守りたいと思っているんだ」

　俺は真実を伝える。

　だが、勝子は否定するように首を振った。

「小碓武。お前には無理だよ。例え今後格闘技を続けて、選手として勝てるようになったとしてもね」

「なっ！」

　俺が考えていた事が見透かされているのか？

　確かに俺は今後、麗衣と同じジムに入門し、昇級審査に合格後も昇級を進め、アマチュア大会に出場して勝利をすれば麗衣に認められるようになれば麗衣の代わりにタイマンをやらせて貰えるかも知れないと考えていた。

「お前は体格が小さいし、選手としてやるなら階級は恐らくフライ級か重くてバンタム級ってところでしょ？　単純な話、階級制で守られていないのに喧嘩をするには体が小さすぎて不利なの。それでも恐らく使わない奴には充分通用すると思うけれど、使う奴で体格が上の相手には体格差で押されて終わりだよ。格闘技に詳しいらしいけれどその位想像出来るよね？」

　勝子はそう断言した。

　確かに近年、大きな体重超過にも関わらず強行されたボクシングの試合やボクシングを銘打つイベントの体重が軽い選手の無残な結果等を鑑みると、勝子の言わんとすることは分からないでもないけれど、勝子が言うのは説得力が欠けた。

「でも、君も麗衣も、姫野先輩だって自分よりもずっと大きい相手と戦って勝っているじゃないか？」

「麗衣ちゃんや私は同じ階級で敵が居ないから男子や階級や体格が上の人とスパーリングである程度慣れているの。まぁ私はボクシングを半ば引退状態で最近スパーリングがあまり出来ていないから過去の貯金でなんとかしているけれど、麗衣ちゃんの場合、例えば大和妃美さんみたいな男子並みの長身で階級も上のプロキックボクサーを相手にスパーリングしているからね。姫野先輩は日本拳法で空乱（寸止めの組手）、防具稽古、試合稽古で周り稽古って言うんだけれど、色々な体格の人とスパーリングしているから、ある程度慣れているみたい」

　勝子が何故あれ程の実力を持ちながら選手としてボクシングを止めてしまったのか気になるところだが、とにかく三人とも女子としては強すぎるから同じ女子でも体格が上の人や、男子と混じってスパーリングまでしているという事か。ならば体格が上の使う男子との対戦も仮定できるという事だろう。

「ならば俺も少し使うぐらいの相手なら体格の差を物ともしないぐらい、もっと上のレベルを目指せばいいの？　例えばプロキックボクサーになれるぐらいになるとか？」

「それも手だけれど、言うほど容易くないし、さっきの動画で私達の顔は割れてしまった。だから悠長にお前の成長を待つ時間は無いし、本当は私達に関わらないのが一番良いの」

　もしかして勝子なりに俺の事を気遣っていてくれたという事なのだろうか？

　麗衣に対する態度や見た目からは想像できないような余りもの強さの為に色々と勘違いしていたが、本当は麗衣に似た優しい子なのかも知れない。

　でも、俺は意志を変える訳には行かなかった。

「それでも……俺は麗衣を守りたい。麗のメンバー入りを諦めたりはしない」

「馬鹿！　ここまで言って分からないの？　もしかして今日にも襲われるかもしれないのに、はっきり言って足手纏いなの！　お前の事なんか如何でも良いけれど、麗衣ちゃんを悲しませるような事だけはさせたくないって分からないの？」

　今まで比較的穏やかに話していた勝子は初めて怒りを露わにしたが、ここで屈するわけには行かない。

「じゃあ聞くけれど、もし、君が麗衣から同じ事を言われたら麗を止めるかい？」

　無論俺と勝子では象と蟻ぐらい力に差があり、立場が全く違うが問題はそこじゃない。

　麗衣から心配されたからと言って、麗を止めろと言われてハイそうですかと止められるかという事だ。

「確かに……麗衣ちゃんの言う事なら何でも聞くつもりだけれど……それだけは従えないよね……」

　勝子も自分の身に置き換えて言われた俺の立場になって考えてくれたのか、小さく呟いた。

「そうか……そうだよね……小碓武も同じだよね」

　勝子は納得してくれたのか？　俺に対して初めて微笑んでみせた。

「分かったよ。小碓武。お前が麗に入りたいのならこれ以上止めはしない。でもね」

　僅かばかりに微笑んでいた表情をすぐに引き締めて勝子は続けた。

「お前がこのままでは只格闘技をしていても通用しないという事実は変わらない。だから、私がお前を鍛えてあげる」

　あまりにも予想外の話に俺は驚愕した

「え？　良いの？」

「本当はお前がキックを始めるなら昇級審査に合格して基礎を身に着けてからにしようと思っていたの。私の技術はボクシングや空手寄りだし、その中でも喧嘩向けのスタイルを教えようと思っているの。だから、下手すると一般的なキックボクシングのフォームとしては崩れてしまうかもしれない。だから癖がつくと昇級審査で不利になるかも知れない。それでも良い？」

　確かにフォームが崩れる危険はあるけれど……鮮血塗之赤道（ブラッディ・レッド・ロード）の親衛隊長で空手の使い手、赤銅鍾磨（あかがねしょうま）を圧倒し、鮮やかに倒して見せた勝子の姿を思い出した。

　麗最強の勝子から教われるなんて願ってもない事だ。

「それでも構わない。是非俺に技術を教えてくれ」

　こうして俺は魔王（サタンズ・）の鉄槌（ハンマー）の異名を持つ麗最強の女・周佐勝子の弟子になった。