第38話 えげつない無防備さ

 キックボクシングジムの入門クラスの練習を終えた次の日、朝のホームルーム開始時間まで残り十分と言うところで麗衣が登校してきた。


「うーっす! 武!」


 麗衣は鞄を自分の座席の机の横に掛けると、何時もの様に俺の座席にやって来て、机の上に腰を掛けた。


「おはよう麗衣。そこ座るのは良いけれど脚は開かないでくれよ?」


 窓際の真ん中の方にある俺の席は、教室のどの場所からでも見られやすい。

 麗衣は教室の出入り口に足を向けて座っているので、下手をすればクラスの多くの連中から下着を見られかねない際どい姿勢をしているのだ。


「大丈夫だって。パンツ覗くような男が居たらぶっ飛ばすから気にするな」


 そう言って麗衣は気にもめない。

 まぁクラスの連中も命をかけてまでパンツを覗こうとはするまい。

 それはとにかく、以前は俺の机の上は俺が居ようが居まいが構わず俺を苛めていた棟田達が座っていたのだが、今は麗衣の指定席となり、誰一人この場を脅かす奴は居なくなった。

 棟田達に座られるのは当然良い気分はしないけれど、麗衣ならまぁ良いか。

 女子に机の上に乗られるって凄く恥ずかしいけれど、麗衣としては苛めから俺を守ってくれているつもりなのかも知れない。


「朝食は食えたか? 昨日の疲労とか大丈夫か?」


 俺の机の上で、ソックスを履いていない艶めかしく黒光りする美脚をぶらぶらさせながら、麗衣はお母さんの様な事を言ってきた。


「朝ご飯は食欲が戻っていたよ。疲れも取れているかな」


「そいつは良かったぜ。まだオッサンじゃねーから回復も早いよな。ところで入会の費用の件についてだけれど、昨日妃美さんに連絡して相談したらオーナーに頼んで入会費無料にしてグローブも無料で贈呈。月謝もあたしの紹介って事で五百円負けてくれるって」


「え! 本当?」


 過去に何回かキャンペーンをやっていたらしいので、運が良ければ入会費が無料になるかもとは考えていたが、まさかグローブ無料のおまけ付きの上、五百円とは言え月謝まで安くなるとは想定していなかった。


「実は何らかの入会費無料のキャンペーンをやる予定だったらしいぜ。まぁ月謝まで安くするのは特別らしいけれどな。昨日慌てて入会しなくて良かったな」


「そうだね! ありがとう麗衣! 助かったよ!」


「それでも高いとは思うけれど、定額よりは全然マシだろ? あと使い古しで嫌じゃなきゃレガースは貸してやるよ」


「助かるけど本当に良いの? 汗とかで結構汚れちゃうんじゃ?」


「どうせ使ってねーし、構わねーよ。洗えないタイプだからバブリーズでも使って手入れする必要あるけどな」


 バブリーズとはCMでも放送されており、よく知られている除菌・消臭剤である。


「じゃあ借りさせてもらうよ。ありがとう。でも、何から何まで悪いね……」


 ここまでして貰ったのだから、俺は何としてでも強くならなきゃいけない。

『麗』にはジムの最初の昇級審査に受かれば入れてくれるとの約束だけれど、俺の目標はそこではない。

 最初の級を取得後も昇級を重ね、麗衣と同じ級まで昇級し、アマチュア大会に出場するのが目標だ。

 試合で勝利でもして実力が認められれば俺にもタイマンをさせてくれるかも知れない。

 そう、麗衣がやっていたタイマンを俺が代わりにやるのが最終的な目標なんだ。

 そうすれば麗衣を傷つけなくて済むのだから。

 だが、この意志を麗衣に明かすのはまだ早い。


「いや……そもそも、あたしが『麗』のメンバー入りで変な条件着けちまったから、しなくても良い出費させる事になっちまったから悪いしよぉ……」


「俺が元々格闘技好きって事は知っていただろ? それに強くなれば苛められなくなるかも知れないし、俺にとっても良いキッカケだったよ」


 これは嘘ではないが、麗衣を安心させる為の上辺の理由だ。

 今の時点では麗衣の代わりをやるつもりだなんて本心を言うのもおこがましいし、何の説得力も無い。


「そ……そうか。なら良いんだけれどよぉ。……ところで、何時もにもまして視線が痛い気がするけれど、気のせいか?」


 苛められっ子の俺とヤンキーの麗衣の組み合わせは周りから見ると不自然極まりなく、奇異な目で見られていたが、それもそろそろ慣れてきたので何時もの事ではないのか?

 それとも――


「麗衣が脚開いているんじゃないの?」


「この童貞変態野郎! 武みたいな変態対策に、ちゃんと膝閉じているし! あたしみてーなのでも一応女だからな。そういう好奇の視線には敏感なんだよ!」


 本当にそうなのか?

 この前は屋上でヤンキー座りをしていて堂々とパンチラを見てしまったが。


「とにかく、そういう視線じゃねーんだよ……何つーか、怖い獣を遠目で見るような視線みたいな……」


 怖い獣といえば、最近は人の住む場所との境界線であった里山を無くし、人里に現れるようになった猪や熊が現れる地方の街もあるが、この辺りでは、せいぜい目にするのは人に吠え掛かる犬ぐらいしか居無いので、イマイチ現実感に欠ける比喩だが、何となくニュアンスが伝わって来た。


 遠目でこちらとスマホを交互に見比べ、何かヒソヒソと話しているようだが、何を話しているのか、内容が全く分からない。明らかにこちらには知られたくない様子だ。


「チッ! ……気に入らねーな。誰かシメて聞き出してやろうか?」


「お……落ち着いて麗衣」


 最近は十戸武恵とのたけめぐみの様に、特に女子の中で麗衣の事を好意的にみてくれるクラスメートも出てきたのに、わざわざ評判を落とすような事をしなくても良いのに。

 そう考えていたところ、くだんの十戸武が俺達の近くにやってきた。


「美夜受さん! 小碓君。おはよー」


 屈託のない笑顔で十戸武は挨拶をしてきた。


「おはよう。十戸武さん」


「うーっす。十戸武」


 俺と麗衣がそれぞれ挨拶を返すと、十戸武は麗衣に耳を寄せ、小声で、だが俺に聞こえるような声で囁いた。


「美夜受さん。そのぉ……言いにくいけれどさぁ、赤と白のボーダーの下着が見えているよ?」


 オイ。十戸武。

 言いにくいと言いつつ、わざと俺に聞こえるように言ってないか?

 何でわざわざ下着の柄まで説明しているんだよ!

 我慢しているのに想像しちゃうだろ!


「え? マジ?」


 麗衣は自覚なさげに驚いていた。

 マジで視線の元凶はこれか?

 というか、さっき自分で膝閉じているって言ってなかったか?

 どれだけ無防備なんだよ……。

 俺は大きく溜息をついた。


 だが、事はそんなに単純じゃなかったのは後になってから知る事になる。

 クラスメート達が、いやこの学校にいる生徒達の多くが知る事になった出来事は、後に大きな抗争へと繋がっていく事になるのを、俺達はまだ知らなかった。



              ◇



「麗衣ちゃん! 麗衣ちゃん大変だよぉ!」


 昼休み。屋上のドアを開けて勝子が屋上に出てきた。

 俺は購買で購入した焼きそばパンを齧り、麗衣は唇の傷の為に、あまり口を開いて食べられないのでヨーグルトを口にしていた。

 恋人でもないのに二人で昼食をとる機会が多いが、何となく教室は居心地が悪いので屋上で昼飯を食べるのが俺達の日課となっている。

 少し前、興味本位でついてきたクラスの男子が麗衣に軽く(?)脅されて以来、誰もここにはやって来なくなったのだが、思わぬ訪問者に俺の体は本能的にビクついていた。


「どうしたんだ! 勝子!」


「大変だよ大変だよぉ! って、麗衣ちゃん……赤と白のしましまパンツが見えているよ! はぁはぁ……」


 大変な事ってそれか? というか、またかよ!

 いい加減にそのエゲツないまでの無防備さを何とかしろ!


「別に武と勝子しかいねーし、コイツに堂々とあたしのパンツ見る勇気はねーし構わねーよ。それよりか、どうした勝子? 息切れしているぞ?」


 いや。多分そいつが俺とは比較にならないHENTAIさんだから息切れしているんです。

 これが漫画だったら今頃勝子は盛大に鼻血を吹いて大量の血溜まりの中でぶっ倒れているぞ?


「そ……そうだね……殺虫剤をかけられた後の害虫か、除草剤を撒かれた後の雑草みたいな下僕君はとにかく、私と麗衣ちゃんの仲だったら、赤いしましまパンツの縫い目が分かるぐらいもっと間近で見て、直接触って布地の感触と温もりを確かめて、鼻押し付けてくんかくんかと臭い嗅いでもいいよね……って、そんな事言いたいんじゃなくて! 本当に大変なんだよ!」


 何か途轍もなくキモイ事を言われているけれど、麗衣は慣れているのか、意に介した様子も無く答えた。


「ははははっ! いつも勝子は冗談オモシレ―な。で、大変って何だよ?」


 いや、あの欲望に満ちた目のギラつきは絶対冗談じゃないぞ……。

 それに、いつもこんなセクハラ発言されているんかい!

 俺が言ったら一秒で殺されそうだが、勝子に関しては純粋無垢で一切の下心が無いとでも思っているのだろうか?


「その……学校の裏サイトの掲示板見た?」


 それは俺が数日前、匿名で自殺宣言をした掲示板の事だった。

 麗衣達に救われて以降、俺はあの掲示板を見ていない。


「裏サイト? 姫野が苛めとか無いか定期的にチェックしているけれど、武の件以来何も聞かされていないから、最近見てねーな……」


 それで俺の自殺を止めてくれたのか……あの日麗衣が珍しく学校に来ていたのは偶然では無かったという事か。


「今朝様子が学校の皆の様子がおかしかったからって姫野先輩がチェックしたら見つけたみたいだけれど……このコメント読んでくれる?」


 そう言って勝子はスマホを麗衣に差し出した。

 俺は麗衣に渡された勝子のスマホを覗くと、裏掲示板に載っている匿名のコメントを見て目を疑った。

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