第25話 Curiosity killed the cat.

 その場に居る者全てがあまりにも壮絶な光景に静まり返っていた。

 まるでバイクにでも跳ねられたのではないかという衝撃で吹き飛ばされた鍾磨は文字通り鼻が陥没し、中切歯と側切歯が全て折れているのか? 鮮血にまみれ開かれた口から覗く前歯は綺麗に無くなっていた。


 そんな生きているかどうかも分からない惨状の鍾磨にスタスタと勝子は近づき、勝子はピクリとも動かない鍾磨の襟首を掴んだ。


「ねぇねぇ都市伝説君? 起きてよぉ~夜だけど寝るのはまだまだ早いよ~それにさぁ、まだ麗衣ちゃんがやられた分の十分の一もやり返してないよ……ねぇ~起きてぇ~……起きろって言ってんだろうがコラァ!」


 いや、麗衣の十分の一どころか、明らかにやりすぎだろ?

 完全に意識が飛んでいる鍾磨の首を振り回しながら、歯止めが利かなくなっているのか?

 その所作は口調と共にどんどん乱暴になっていった。

 自分の顔が返り血で染まるのも意に介せず、人形の様に鍾磨の首を振り回す、その狂気に満ちた光景と勝子のとんでもない強さに恐れをなしたのだろう、鮮血塗之赤道ブラッディ・レッド・ロードのメンバーは誰もが恐怖で凍り付き、自分達の親衛隊長を助けようと行動しなかった。


「ヤバイ! 首が据わっていない!」


 まるで生まれて数か月以内の自力で首を動かせない赤ん坊のような状態に鍾磨はなっていた。


「止めろ! 勝子! もう十分だ! それ以上やったら本当に死ぬぞ!」


 麗衣はフラフラしながらも勝子の元へ駆け寄り、勝子を背中から抱き止めた。


「駄目だよ麗衣ちゃん♪ 麗衣ちゃんもいつも言っているじゃん♪ こんな社会のゴミ生きていても仕方ないんだから♪」


「勝子……あたしの事考えてやってくれているんだろ? ありがとうよ」


 麗衣は勝子を抱きしめる腕の力を少し強めながら続けた。


「でもよぉ……勝子がこんなゴミのせいで人殺しになる事ねーぜ。……そんな事になったらあたしが悲しいぜ」


 麗衣の感情が込められた言葉に抗う事は出来ず、勝子は鍾磨を振り回す手を止めた。


「……そうだね。そうだよね。麗衣ちゃんを悲しませるのは嫌だもんね」


 勝子は鍾磨を壊れて興味が無くなった玩具の様に無造作に放り投げると、血にまみれたオープンフィンガーグローブに覆われた両手で麗衣の手を取り、自分の頬に寄せ愛おしそうに瞳を閉じた。


「ふぅ……」


 俺は少しだけ安堵して息を吐いた。

 麗衣が勝子に戦わせたくない理由がよく分かった気がする。

 麗衣が核弾頭なのかと思っていたが、一見普通の女の子にしか見えない勝子の方が真の核弾頭だったのか。


「ああなると僕も止められないからね……麗衣君が勝子君の手綱を握ってなかったら過去に何人か死んでいたか分からないよ」


「……というか全日本アンダージュニア優勝者がどうしてこんな事をしているんですか?」


「"Curiosity killed the cat."……『好奇心は猫を殺す』。というイギリスのことわざがあるけれど、その事には触れない方が良いだろう」


「はい……」


 何か触れてはいけない途轍もない闇を抱えているような気がするので聞かない事にした。


「さてと、特攻隊長も親衛隊長もやった訳だけど、あたし達の勝ちって事で良いか?」


 勝子を落ち着かせ、そっと抱いていた手を離すと麗衣はギャラリーに問った。


「ま……待ってくれ。こんな事じゃ俺達が兄貴に殺される……せめて兄貴が来るまで待ってくれないか?」


 赤銅亮磨あかがねりょうまは兄とまだ来ぬ総長の代わりに鮮血塗之赤道ブラッディ・レッド・ロードの代表として答えた。

 ガードの上から麗衣のハイキックを喰らい、意識を飛ばしていた亮磨は一応、応急処置は受けたようで、途中から勝子と鍾磨のタイマンを見ていた様だ。


「え? あのさぁ? DV野郎君。君のお兄さんは貴方達二人が負けたら鮮血塗之赤道ブラッディ・レッド・ロードは解散する。総長は説得するって言っていたよね?」


 勝子は冷然とした笑みを向けながら亮磨に言った。


「ひいっ! す……済まない。でも鍾磨兄貴もこれじゃあ暫く意識は戻らないだろうし、俺には何も決められないんだよ! ……頼む。……頼むよぉ!」


 勝子の戦いぶりを見ていたからであろう。

 自身もボクサーの端くれであるから自分が勝子の足元にも及ばない事を誰よりも理解しているのか、顔面を蒼白にして懇願していた。


 その時だった。

 つんざくような爆音が小刻みに刻まれ、空気を不快に振動させるその音はゆっくりと公園に近づいてくる。

 近所迷惑など一切考えぬ、挑発的な空ぶかしを行う主の正体は語らずとも明らかであった。

 耳障りな爆音を鳴らすバイクはやがて公園内に入り、鮮血塗之赤道ブラッディ・レッド・ロードのメンバーの前に止まった。


「オイ! もう終わったか! うるはのアマをまさかもう犯したりしてねーだろうな? 俺よりも前にヤッてる奴が居たらぶっ殺すからな!」


 まるで昭和の漫画の世界から飛び出してきたような、センスを感じさせない巨大な海老の尻尾のようなテールを付けた単車から降りた長身の男が開口一番に言った。

 身長は最低180センチはあるだろう。細身であるが首は太く、耳は潰れている。

 センスはとにかく、やはり何かを使う気配を感じさせるし、亮磨や鍾磨と比べて体格が上回っている。

 その佇まいから、この男が鮮血塗之赤道ブラッディ・レッド・ロードの総長である事は間違えなさそうだ。


「あ……葛磨かずま兄貴……それがよぉ」


 亮磨は怯えながら、おずおずと言った。


「俺達の負けだ……コイツ等とんでもない化け物だ。特にあのちっこい方は人間じゃねぇよ……」


 亮磨と顔面を潰され、地に転がっている鍾磨の姿を確認し、総長はあまりにも予想とかけ離れた現状を認識したようだ。


「あ、亮磨テメーもしかして負けたのか?」


 総長は亮磨に近づきながら尋ねた。

 亮磨は震えながら総長と目を合わせる事も出来ず、頭を下げて地面に視線を向けたままだった。


「あっ……ああ。悪い……ぐうっ!」


 総長は下を向いたままの亮磨の首を腋から抱えるようにして前方から締め上げた。


「誰が負けて良いって許可した? ああ?」


 締め上げられている亮磨は喉を詰まら、総長の腕をタップしながら謝罪を続けた。


「あっごっ……ごめ……ゆるして……」


「駄目だ。何があろうと、どんな相手でも鮮血塗之赤道ブラッディ・レッド・ロードに負けは許されねぇ。一度死んで来い」


 亮磨は総長が決して腕の力を弱めぬ事を悟り、タップを止め腕を振りほどこうとする。


「あっ……ぐっ……」


 両手で総長の腕を握り、必死に振りほどこうとしていた亮磨の手が力無くぶら下がった。


「もう落ちやがった。情けねぇ弟だな」


 総長は腕の中で失神した弟を物の様に放り投げた。

 亮磨は首を絞められた事により酸欠により唇が青ざめ、チアノーゼ状態になっていた。

 大分予定が狂ったが、総長が来た事で奴とタイマンを張ればを実行出来る。

 ……でも、締め落とされた亮磨の姿を見て、あんな化け物相手にタイマンを挑むと思うと、身が震え言い出せない。


「……武。余計な事考えるんじゃねーぞ」


 麗衣は俺の肩に手を乗せた。

 俺の様子を見て、麗衣は俺が麗の代理として総長にタイマンを挑もうとしていたという事を思い出したのか? 肩に乗せる手の力を強めた。


「これはあたし達の問題だ。……何とかしてくれようとした、お前の気持ちだけで嬉しいからよ。でも、心配するな。あたし達が何とかする。だから、あたし達の事を信じて見ていてくれ」


「でも……麗衣」


「あたし一人なら如何にもならねーかも知れないけど、あたしは一人じゃない。ホラ、頼りになる先輩もいるからよ」


 麗衣は軽く姫野先輩の方に顎をしゃくった。

 姫野先輩は総長の前に出て侮蔑するように言った。


「MMA(総合格闘技)か? フロントチョークだね。傷ついている弟さんに対して随分えげつの無い事をやるものだ」


「女に負けるような弱い弟なんか俺には要らねーよ。それよりか、お前らが麗か?」


「そうだ。僕は麗のメンバー織戸橘姫野おとたちばなひめのという。君が鮮血塗之赤道ブラッディ・レッド・ロードの総長君という認識で宜しいのかね?」


「ああ。俺が鮮血塗之赤道ブラッディ・レッド・ロード三代目総長の赤銅葛磨あかがねかずまだ。で、麗のリーダーはお前なのか?」


 そこに麗衣が割って入る。


「姫野は違うぜ。あたしが麗のリーダー美夜受麗衣みやずれいいだ。テメーは来るのがオセーんだよ。事前に決めた親衛隊長の都市伝説野郎との約束であたし達の勝ちで、テメーラの解散が決まったんだよ!」


「あ? 俺が居ない間に決まった約束なんて、俺には知った事じゃねーな。遅れた理由があるんだしよぉ」


「遅れた理由?」


「この間、少年院ネンショー出たばかりで覚醒剤アイス切らしていてよぉ。仕方ねぇから少年院ネンショーに居た時、いつも飲んでいたバッファルリンを飲んでいたんだぜ」


 バッファルリンとは主にイブプロフェンを配合した市販の解熱・鎮痛剤で頭痛鎮痛剤である。

 というか、葛磨の覚醒剤が切れているからバッファルリンを飲むという理由が理解できず、麗衣は聞き返した。


「あ? 何が言いたいんだよ? どうしてバッファルリンなんだよ?」


「はぁ? 分かんねーか? 覚醒剤アイス止めさせられちまったせいでよぉ、バッファルリン飲んでねーと頭が痛くなるんだよ?」


「知るかよ! 日本語で会話しろ!」


「あ? おめぇ馬鹿だろ。俺の話聞けや? パクられた後、注射をケツに挟んで隠していたら服全部脱がされてバレてよぉ~服無理矢理脱がすなんて人権問題だと思わねぇか? あ、女を無理矢理脱がすのは良いんだけどよぉ~ひゃははははっ! でよぉ、少年院ネンショーじゃ覚醒剤アイス使えねぇじゃん? そのせいか、頭がいつもイテ―からよぉ、バッファルリンをいつも看守にせがんでいたら、『絶対にお前またここに戻ってくるよな』だとよぉ。ヒデーと思わねぇか?」


「……そりゃ、恐らく薬物乱用頭痛だろ? イブプロフェンとか鎮痛剤を慢性的に使っていると依存症になって、かえって頭痛になりやすくなるんだよ。覚醒剤は良く知らねーけど多分関係ねーだろ?」


 麗衣は何とか葛磨の言葉で理解できる部分を拾い上げ、まともな返事を返してしまったが、会話を成り立たせるのは困難であった。


「あとよぉ、パクられた後、留置所で、かつ丼食ってけってな、よくドラマである奴、アレ嘘だぜ。注文する必要あるし金取られるんだぜ? 信じられるかよぉ?」


 葛磨は麗衣の返答を聞かず、一方的に自分の話したい事だけ話している。

 更に何かを言おうと葛磨をまともに相手にしてしまう麗衣を手で制し、姫野先輩は言った。


「……つまりアレか、逮捕された事がある方が箔が付くって不良の特殊な価値観かね? 悪さ自慢したいお年頃かい? 僕達は君の恥ずべき過去なんか一切興味ないんだよ。グダグダ言わずにさっさと暴走族を解散したまえ。都市伝説君……じゃなくて親衛隊長君とのやりとりは麗衣君が録音している。約束を破ればこれを君達の実名と共に動画サイトで世界中に流すが、良いのかね?」


「うむ。それは困るな」


 姫野先輩の台詞で少しは葛磨も話を聞くようになった様だが


「だがよぉ、ここでお前等潰してスマホを頂いちまえば良いだけだろ? まさかこの人数相手に逃げられると思うか?」


「んだとこの野郎……」


 葛磨に突っかかろうとする麗衣を再び制して、姫野先輩は葛磨に言った。


「ヤレヤレ……仕方ないね。確かに総長だけ無事というのは、こちらとしてもすっきりしないから、タイマンで僕に勝てたら麗衣君のスマホを差し上げよう」


「なっ……姫野テメー! 人の物で勝手に話を進めるな!」


「まぁ麗衣君落ち着いて……総長君。少し説得するから待ちたまえ」


 当然の事ながら麗衣は怒り出したが、麗衣は葛磨にそう言って麗衣を連れ出すと、頭を寄せた。

 不意打ちを警戒し、ギャラリーを牽制している勝子からは死角になっているが、正面に俺が居るが特に俺には聞こえても構わないのか、俺にも聞こえる程度の小声で話し出した。


「姫野テメーどういうつもりだ!」


「麗衣君。落ち着き給え。今僕達に鮮血塗之赤道ブラッディ・レッド・ロード全員を相手にする力は残っていない事は分かっているよね?」


「……んなのやってみなきゃわかんねーだろ!」


「確かにやってみなきゃ分からないけれど、君はこれ以上戦える状態じゃないし、勝子君も拳が駄目だろう」


 えっ。もしかして勝子は拳に怪我でもしているのか?

 そんな事は全然気が付かなかった。


「……さっき勝子の手を見たらオープンフィンガーグローブに、何本か相手の折った歯が突き刺さっていたな。もしかすると拳を痛めているかもな」


「怪我していないとしてもオープンフィンガーグローブであんなハードパンチを何発も打っていたら拳の方が壊れてしまうだろうし、無理はさせられない。それに勝子君は体力がそんなに無いから、大人数を相手にするのは向いていないんだよね。さっきの戦いで体力を相当消耗しているだろうし」


 ハードパンチャー故のガラスの拳。そして、まだ高校1年生の勝子の体力は左程でもない。

 一見弱点など見当たらなそうな勝子も完全無欠ではないという事か。

 となると、現状、姫野先輩一人しか戦力が居ないという事になる。

 麗衣は向こう見ずなところがあるが、仲間を危機に陥れてまで自分を押し通そうとするなんて事は絶対にない。

 麗衣は一つ息を吐き、決断した。


「……しょうがねーな。姫野に任せて良いか?」


 麗衣は瞳に強い力を込めて真っすぐ姫野先輩を見つめた。


「ああ。任せたまえ。一応、麗では僕が最年長だしね」


 麗衣を見つめ返したその瞳の光は心なしか、麗衣と通じるものがあった。

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