第26話 織戸橘姫野VS赤銅葛磨(1)路上のMMA

「総長君。話がまとまったよ。うちのリーダーは負けたら事前に親衛隊長君と取り付けた約束を録音したスマホを君に渡す事に賛成した。僕とのタイマンを受けてくれるかね?」


「あ? 何言ってるんだ? 何でおめぇらの話を聞く必要なんかあるんだ? 袋(叩き)に決まってるだろ?」


「それなら今すぐ動画投稿サイトへ流すまでだ。実はうるはには僕達三人以外に別動隊が居てね。音声ファイルを彼らに送信してすぐに投稿サイトへ上げて貰っても良いんだよ」


(ハッタリだ)


 麗衣は小声で俺に囁いた。

 最初麗衣が言っていたように麗のメンバーは三人しか居ないというのは本当なのだろう。


「それにね、君の弟君達は二人とも敗れはしたが実に堂々とタイマンを受けてくれたよ。それなのに鮮血塗之赤道ブラッディ・レッド・ロードのトップたる総長は女に恐れをなし、タイマンを逃れた。弟が負けたからタイマンから逃げた。そう言われても良いのかね?」


「あ? ふざけんなよおめぇ! 良いじゃねぇか……。安い挑発に乗ってやるよ!」


 安いのは葛磨の頭の方であった。

 暴走族という生物はケチな自尊心の塊なので、少しばかり自尊心を刺激してやれば制御も容易いと、麗のメンバーは知り尽くしているようだ。


「流石だね。それでこそ鮮血塗之赤道ブラッディ・レッド・ロードの総長だ。じゃあ、始める前に僕のオープンフィンガーグローブを調べたまえ。これは君の弟君達との間で決めた事だからね」


「あいつらが決めた事なんて関係ねーし、必要ねーよ。さっさと始めようぜ?」


「全く……こんな協調性の無い人が総長だなんて。少しはメンバーの珍走君達の事を同情するね」


 そう言って、姫野先輩はオープンフィンガーグローブの主にナックル部に仕込みがない事を証明するように折り曲げて見せた後、自分の手に嵌めた。


「一応見てくれたよね? じゃあ、始めようか」


「リンチのがまだマシだったと思える程の後悔をさせてやるぜ」


 そう言って葛磨は右足を半歩下げ半身になり、腋を締め右手を顎の辺りを守る様に拳を軽く固め、左手を目の高さに前方に掲げた。

 対して、姫野先輩は左手と左足を前にして半身に構え、左足先はやや内側に向け、後ろ足は右斜めに開き、右手を水月(鳩尾)部に構え、左手と右手を同一線上の高さで両手指先を伸ばして構えた。


「総長はボクシングともキックとも微妙に違う構えだね。姫野先輩が言っていたけどMMA……総合かな?」


「総合の構えって言っても打撃を得意にするか寝技グラップリングを得意にするかで人によって違うからな。若干重心が低いけどどちらかと言えばキックに似ているか? まぁ、姫野が言うんならアイツは総合なんだろうな」


「そうなのかな? あと、こんな事聞くの今更だけど姫野先輩も使うの? ちょっと違うかもしれないけれど、何となく伝統空手に近い構えっぽいけど?」


「まぁ、それは見てりゃすぐに分かると思うぜ」


 麗衣はお楽しみとばかりに言った。


「じゃあ、行くぜ!」


 葛磨はセオリーどおり、あと半歩でパンチが届く距離まで接近すると、ステップインしながら左ジャブを放つ。

 対する姫野先輩は半歩後退し、前構えの刀拳で手首付近を内側から外側に払うように受ける。

 更に葛磨は踏み込み、姫野先輩のボディーへ右ストレートを放つ。

 姫野先輩は左ジャブを受けた刀拳を振り下ろし、葛磨の前腕部付近を下に払い落とした。

 ボクシングのパリングと違い、手の甲ではなく刀拳、つまり手刀で払い落とすのは姫野先輩がボクシングやムエタイとは異なる格闘技、恐らく日本発祥の格闘技を使う事を想像させた。

 そして、それが何であるのかすぐに明確になった。

 葛磨がボディストレートを払われ、若干前傾気味になったところ、前足を内側に固定し、腰を捻り、肩を勢いよく廻し、側拳、つまり縦拳で太鼓を叩くような腕の振りで、葛磨の顔面を叩き、葛磨はよろめいた。


「縦拳! 日本拳法か!」


「正解。姫野は日本拳法の使い手だぜ」


 葛磨が何か総合格闘技の使い手ならば、姫野先輩も総合格闘技である日本拳法の使い手なのか。

 葛磨の技量は分からないけれど、一般的な考え方では組技が使えない麗衣や勝子には不利な相手であるといえる。

 でも、姫野先輩も組技、投げ技が使えるのであれば互角と言えよう。


「只、グランド(寝技)の攻防で日本拳法は不利だよね? 柔術やレスリングが得意な相手だと苦しいんじゃないのか?」


 試合でボクシングと同じようなグローブを使用する日本拳法では相手がつかみにくい為、必然的に寝技などの技術が他の総合格闘技に後れを取っていると言わざるを得ない。

 でも、俺のそんな意見を麗衣は一笑に付した。


「コンクリの地面でゴロゴロ寝技の攻防なんかすると思うか? 使うとしたら立関節技、投げ技とか限られるだろ? その辺の技術ならば姫野が後れを取ると思えねーよ」


 確かに戦うのはリングの上でも畳の上でもない。

 コンクリート上なのだ。

 路上で使える技術でなければ高度なスキルも宝の持ち腐れなのだ。


 俺と麗衣が会話をしている間にも攻防は続いている。


 葛磨のいきなりのハイキックを姫野先輩が後方への退身ひきみかわすと元の体制に戻る反動を利用し勢いをつけ、前拳と後拳の連打、ボクシングでいうワンツーを葛磨の顔面を打ち抜く。

 更に、前足を支点にし、右膝頭を水平に上げ、膝を中心に折り曲げ、膝頭を高く上げ、折り曲げる。

 これは弾力性のある竹の両側を持って内側に折り曲げるイメージに近い。

 この竹の片方を離した時に元に戻ろうとして勢いよく戻る。

 同様のイメージで折り曲げた膝を伸ばし、足の爪先で蹴り上げ、葛磨の顔は大きく跳ね上がった。


 連撃での面突きから面への揚げ蹴り。

 キックボクシングで言えばワンツーから顎への前蹴りである。

 コンビネーションとしてはごく単純な組み合わせだが、ワンツーで完全に注意が上部に反れるので、アッパーと同じく視界の外から放たれる蹴りは強力で、想像以上に有効な攻撃らしい。


「よし! あれは効いたぞ!」


 俺はガッツポーズをとるが、麗衣は葛磨から目を放さずに言った。


「いや、効いてねーな」


 麗衣の見立ては正しかった。

 葛磨は跳ね上がった顎をすぐに引いた。


「やるじゃねぇか。『後の先』って奴か? 技術の高さは認めてやんよ」


 葛磨は姫野先輩の実力を認めたが、ニィと余裕の笑みを浮かべた。


「でもよぉ、所詮は女だな。イチイチ攻撃が軽いよな」


 二歳年上で、麗では一番体格が良い姫野先輩の攻撃でも流石に巨漢の男子相手には厳しいのだろうか。

 麗衣は葛磨の姿をじっと見つめ、疑問を呈した。


「あの太い首が打たれ強いのは分かるけどよぉ……もしかするとイブプロフェンも効いているんじゃねーか?」


「そうか……鎮痛剤の効果もあるかも知れないね」


 葛磨はここに来る前にバッファルリンを飲んでいたという。

 鎮痛剤のおかげで通常よりは痛みを感じない可能性はある。


「ああ、でも、あいつが言う事も確かなんだよな。姫野の突きは勝子のパンチに劣るし、蹴りではあたしに劣る。弱点の少ないオールラウンダーだけど、突き抜けた武器が無いのは確か何だよな」


 姫野先輩が放った日本拳法の代名詞とも言える側拳と呼ばれる縦拳の奥突きも、死角から放たれた揚げ蹴りも破壊力がありそうだ。

 だが、確かに勝子のハンマーの如きオーバーハンドライトや麗衣のガードの上からも意識を刈り取るようなハイキックに比べれば見劣りするのは仕方がないと思う。

 むしろ、この二人が異常であり、幾ら格闘技をやっているとはいえ女子の力では同じく格闘技を使う男子に通用しないのは当然の事だろう。


「じゃあ、姫野先輩は勝てないの?」


 俺は不安になって麗衣に聞いた。


「いや、姫野はどんな状況でも絶対に負けない」


 姫野先輩とは口論ばかりしているように見えるけれど、そんな普段の様子とは裏腹に、先輩の戦いを見守る麗衣の口調からは厚い信頼が伝わってくる。

 俺達がこんな話をしていると、姫野先輩は葛磨に対して呆れたように言った。


「成程ね。わざわざ遅れてきたのは鎮痛剤が効いてくるタイミングを待っていたのか。暴走族の総長なんてものは喧嘩が強いと思われがちだけど、実際はセコイだけなんだね」


「あん? 話聞いてねーのかよ? 覚醒剤アイスがねーと頭がイテ―からバッファルリンを飲んでいるんだって言っただろ? 何で女とのタイマンでそんな準備する必要があるんだ?」


「話を聞いていないのは総長君の方だよ。麗衣君も話していたが、少々補足するとイブプロフェン等鎮痛剤を一ヶ月間に十日以上使用していると薬物乱用型頭痛の可能性があるんだよ。本気で治したければ一ヶ月間イブプロフェン等鎮痛剤の接種を控え給え」


「関係ねーよ。鍾磨に言って半グレの兄ちゃんたちから覚醒剤アイス買わせるからよぉ。そうすりゃ良くなるだろ? 鍾磨が来る前に言ってたが、てめぇ等に売春うりさせてその資金にするって約束だからよぉ……ひゃははははっ!」


「その提案をした親衛隊長君は先程半殺しの目に遭ったけどね。まぁ良い。人の折角のアドバイスも聞けないようならば、これまでだね」


「これまでだからなんだって? 女の攻撃なんか効かねぇって言ってるだろ!」


 そう言い終わらぬ前に、葛磨は奥足の前蹴りを姫野先輩に放った。

 姫野先輩はすかさず半歩後退し、前手の掌拳の内手首付近で葛磨のすくい受ける。


「何?」


 日本拳法ではローキックが禁止されている為、下段への攻撃も禁止されていると思われがちだが、それは勘違いである。

 日本拳法には足払いという、それ自体は一本に繋がらぬとはいえ、ローキックにも劣らぬ武器が存在する。

 足を掬い受けられた事でバランスが崩れかけたところ、素早く姫野先輩は踏み込み、左足裏を葛磨の左足にかける。

 右足を戻そうと後ろに重心を掛けていた葛磨の力を利用し、姫野先輩は軸足を払い、葛磨は転倒した。


 キックボクシングでも相手のキックをキャッチし軸足を払い転倒させるテクニックはあるが、総合格闘技である日本拳法においては更に追い打ちが可能である。


 姫野先輩は倒れた葛磨の頭部に手を置き、起き上がれぬように押さえつけ、四股立ちの姿勢を取り、手首を起こす。

 ――そして


「セイッ!」


 姫野先輩の丹田から発生された気合が空気を切り裂き公園に響き渡る。

 日本拳法の試合においては面への押さえ突きは空撃(寸止め)が決まりであるが、これは試合ではない。

 姫野先輩は気合と共に一切の躊躇も容赦もなく垂直に面を突いた。

 コンクリートの地面と姫野先輩の側拳。

 サンドウィッチになった葛磨の顔面は固く握りしめられたオープンフィンガーグローブ越しの拳で陥没した。

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