第21話 美夜受麗衣VS赤銅亮磨(4)決着
「このクソアマぁ……もうこうなったら顔潰すだけじゃすまさねーぞ……殺してやるよ!」
睾丸を蹴られた影響で、まだ顔が青ざめている亮磨は麗衣に対して本気の殺意を向けてきた。
しかし、亮磨の本気の殺意ですらも麗衣は軽く受け流した。
「それよっか、テメーまだ顔色悪いぞ? 回復してねーならもう少し待ってやるよ? 負けた時の言い訳にされたくねーしな」
麗衣の余裕ぶった態度で亮磨は更に怒りを増した。
「うるせぇ! もうとっくに回復してらぁ!」
「もしかして一個潰れたかぁ? 安心しろよ。一個でもガキつくれるらしいしな。あ、でもテメーみたいなDV野郎は一生童貞間違いなしだよなぁ? 立たなくても関係ねーか!」
「……このクソアバズレ! 殺す!」
口論では麗衣に勝てるはずも無く、最早腕力で黙らせるしかないと亮磨は距離を詰めた。
あと、半歩。
格闘技において理想の間合い。
半歩でパンチが届く距離からジャブを打つとともに接近しようとした。
その刹那であった。
麗衣はオーソドックススタイルから左足を後ろに引き、右足を前にする
「何!」
右足による前蹴りは亮磨の胸に当たり、初めての衝撃に大きく体を後退させた。
今までの麗衣の戦い方から、パンチにばかり警戒していたのか?
金的蹴り以外は一度も蹴りを受けていない為、勝手に相手はアップライトスタイルの未熟なボクサー程度に思い込み、油断をしていたのかも知れない。
「サウスポー! しかも、あれってキックやムエタイのストッピング! あれが本来の麗衣なのか?」
今更気付いたのだが、麗衣はキックボクサーだったのか。
考えてみれば麗衣からパンチを教わった時の構えはキックボクシングの構えだったし、さっきのカウンターもムエタイの防御だったよな。
「やっと麗衣君が本気でやる気になったか。勝負ありだね。ところで小碓君。キックボクサーがボクサーと対決する時、効率的な倒し方ってどうしたらいいか分るかい?」
「え? ローキックで下半身をひたすら攻撃するのが一番では?」
俺は自分が今まで見てきた過去の異種格闘技戦の結果、元ボクサーとキックボクサーの試合結果を思い出し、極めて常識的な答えを導き出した。
「そうだね。ボクシングだとベルトラインから上。腰の上しか注意しないから、そもそもローキックのカットが難しいからね。でも、もっと効率的な方法もあるとは思わないかね?」
「それは……」
ローキック以上に有効なボクサー対策があるというのだろうか?
答えに窮すると姫野先輩は言った。
「論よりも証拠。君は麗衣君から格闘技を教わったらしいけれど、師匠の事をよく見ていると良いよ。これから麗衣君が毎日毎日休む事も無く磨き続けてきた最強の武器をお披露目するよ」
亮磨は蹴りに警戒しながらも、自分の武器は拳しかない為接近せざるを得ず、再び半歩踏み込めばジャブが届く位置まで接近する。
すると、麗衣はスキップするように左足で地面を蹴る。
その反動でそのまま前足も強く踏んで蹴り足にパワーを乗せ、大きく左手を振り上げ弓のようなカラダのしなりを作り、まるで矢が放たれるような超高速の左ミドルキックを亮磨の腕に叩き込む!
麗衣の蹴りが亮磨の腕を穿つ音は、圧倒的な暴力の咆哮となり公園中に響き渡る。
一瞬にして熱に帯びていた場の空気が冷え切ったものに変わった。
使うものであろうが使わないものであろうが関係ない。
その力はどんな人間が観ても明らかであった。
「ぐっ……うっ……何だこの蹴りっ!」
奇策は度々食らったとは言え、純粋な実力では亮磨が麗衣を圧倒していると
特に直接相手をしている亮磨にとって一瞬にして絶望の淵に追い落とされた気分にならざるを得なかった。
「やはり腕で受けてしまったね。空手の回し蹴りならとにかく、ムエタイのミドルキックは膝でカットしないと下手したら腕が折れるからね」
一般的に空手の回し蹴りは膝を曲げ、対象を蹴る時に膝を伸ばし足先を当てるが、ムエタイは全体重を乗せ脛で打つ。
シャドーではミドルキックを放つとき体を一回転させるが、それ程全力で攻撃を振りぬく事を意識して打つ。
その為、空手とムエタイでは蹴りの威力に差があり、ムエタイの蹴りは空手の蹴りの様に腕で止めるのではなく膝でカットするのが基本である。
ムエタイの蹴りはあまりにも威力が高く、腕で防ぐと骨折する可能性があるのだ。
「じゃあキックボクサーがボクサーを倒す方法って……」
「そう。ガードの上だろうがお構いなくミドルキックを叩き込んで破壊してしまう事だよ。単純にして明快な方法だろ?」
ガードである腕を破壊する事によりガードが出来なくなるのみならず、パンチも打てなくなる。実に単純だ。
そして、その効果は姫野先輩が説明するまでも無く明快であった。
亮磨はたった一撃のミドルキックを食らっただけで、脂汗をダラダラと流していた。
「何だよこれ……何だよこれは! 野球部の奴と揉めて、木製バッドをフルスイングしてくるイカレ野郎と喧嘩した時、この位痛かったけな?」
亮磨の悲鳴に近い呟きの言葉に思い当たる節がある。
麗衣の蹴りは木製バッドなみなのか……それって何かで聞いた事があるぞ? まさか……。
「小碓君なら知っているだろう。彼女の蹴りはかつて元ムエタイ王者で日本のリングも席巻した、サムゴー・ギャットモンテープを参考にしているんだよ」
「サムゴーだって! まさか、あのサムゴー?」
一般人では聞き慣れぬであろう、その奇妙な響きの名前はキックボクシングファンで彼の名を知らぬ者はモグリと言っていい。
それはバットマンの異名を持ち、左ミドルの威力が対戦相手から、木のバッドで殴られた様だとか、鉄パイプで殴られたみたいだ。獣の檻に閉じ込められたようだ等と語られていた伝説のムエタイ戦士の名前だった。
恐らく俺が観た格闘家の中で間違いなく最強の一人の名をこんな所で聞くとは思わなかった。
「そう。かつて強すぎて対戦相手が見つからないと言われた、あのサムゴーだよ」
俺達が話している間にも、麗衣はダ、ダン! と力強く地面を蹴り、鞭のようにしなり矢のように放たれるミドルを二発、三発と亮磨の腕に叩き込んでいる。その様は確かに以前映像で見たサムゴーの蹴りによく似ている。
「経験のあるキックボクサーならあるいはキックに合わせてパンチでカウンターを食らわせるなんて事も出来るかもしれない。でも、グリーンボーイのボクサーで、しかも初めてのムエタイの恐怖を味わいながら相手に合わせてパンチのカウンターなんて、とても出来ないだろうね」
「ぐ……あっ!」
無論、サムゴーの蹴りの威力に及ぶべくも無いが、それでもボクサーである亮磨が過去に受けた事の無い未知の衝撃と恐怖で完全に足止めされ、ブロックで手一杯でパンチを打つ事もままならない。
「亮磨落ち着け! このままじゃ腕をぶっ壊されるぞ! とにかく捕まえて蹴りを打たせるな! どんな形でも良いから捕まえて押し倒してマウントポジションからブン殴れ! 総合じゃねーお前の専門じゃねーだろうけど所詮は女だから押さえつけちまえば力づくでいい!」
「流石鍾磨兄貴! 分かったぜ!」
亮磨はガードを下げ両手を広げ詰め寄り、強引に麗衣の肩に組み付いた。
「はははっ……捕まえちまえば女なんざ……どうとでも料理できるぜ」
「あ? テメー本当にボクシング以外の事何も知らねーんだな?」
麗衣が嘲笑すると亮磨は反論した。
「舐めんなよ。流石の俺でもキックに首相撲がある事ぐらい知っているぜ。でもよぉ、アマチュアの場合、特に女子だと膝と肘が禁止されているんだろ?」
亮磨が言う事は事実である。
K-1の隆盛以来、キックボクシングでも肘使用の禁止、膝の使用を制限する試合が増え、蹴りよりもボクシングのテクニックが重視され、今やキックボクシングはボクシングキックであるとも一部には揶揄の声もある。
特にアマチュアキックボクシングの試合では安全性を考慮しての事であるが、肘と膝を禁止する場合が多い。男子のアマチュア上級者は膝の使用が可能な場合もあるが、女子の場合はアマチュア上級者の試合でも膝の使用すら完全に禁止されているルールが一般的だ。
「大事な事忘れてねーか? 確かに試合じゃ膝も肘も出せねーけどさ、今は試合じゃねーんだぜ?」
そう言うと麗衣は自分から亮磨の首の組み付き、軸足を体重に乗せて踏む込み、踏み込んだ足を上に伸ばす力を利用し膝を前に出し、太股と
「あ……が……」
亮磨の両手が麗衣から離れ、腹を抱え込む。
「首相撲の練習ならジムで階級上のプロの先輩に付き合わされて死ぬ程やっているんだよな……あと、肘が禁止されているって?」
麗衣は高めに腕を上げた構えから、肘を巻き込むように回転させ、腹を抱えて前傾姿勢になっている亮磨のこめかみに肘を叩き込む。
「ぐっ!」
こめかみを打ち抜かれた衝撃で、亮磨の足元は大きくふらついた。
「残念だな。あたしは空手もやってたから肘も得意なんだよ。あとは止めのボクサー殺しのセオリーっと!」
麗衣は斜め前に軸足を踏み出すと同時に身体も斜め前に傾け、重心を移動した勢いを使い、亮磨の太腿に鋭いローキックを思い切りよく放つ。
「ぐわああああああっ!!!」
麗衣の足首が亮磨の内股に絡みつくように打たれ、恐らく鞭で叩かれたような衝撃に襲われたのであろう。
亮磨は太腿を抑え、たまらず地面に倒れてのたうち回った。
最早この喧嘩の勝敗は決したようなものだった。
ボクシングスキルでは圧倒した亮磨だが、麗衣本来の戦い方であるムエタイスタイルの前には成す術も無かった。
「どーすんだ? グリーンボーイ? まだやるかい?」
麗衣は唇の端を上げて笑い、まだまだ物足りなさそうな表情で亮磨を見下ろしながら言った。
それは勝利を確信した者が格下をいたぶる事を目的とした残酷な笑みであった。
「ひいっ! まっまいっ……」
傍から見ても亮磨は明らかに戦意を喪失し、降参の意志を示そうとしたが――
「亮磨! まさか女相手に負けを認めるのか? まだ出来るよなぁ?」
鍾磨の強い静止の声で亮磨は身を震わせながら口を閉ざした。
亮磨は震えながら何とか立ち上がり、ファイティングポーズを取った。
「そうこなくちゃな。まだ殴られた分の十分の一も返してねーからな」
麗衣が亮磨を手招きして挑発する。
「来いよ……。百倍返しの時間だぜ!」
「うっ……うわああああっ!」
最早打つ手の無い亮磨は自暴自棄気味に真っすぐ突っ込んできた。
麗衣はサイドへ軽く踏み込み、身体を斜め前に倒し、左手を振りながら亮磨の顔面をめがけて左のハイキックを放つ。
亮磨は両拳で顎を守りガードを固めるが――
ゴスッ!
ガードの上から伝わったハイキックの衝撃を殺しきれず、両拳が勢いよく亮磨の顎にぶつかった。
言わば顎を両拳で殴られたのと同様である。
亮磨は立ちながら白目を向き、金縛りにあったように硬直したまま、仰向けにどうと音を立てて倒れた。
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