第19話 美夜受麗衣VS赤銅亮磨(3)

「今まで特攻隊長あかがねりょうま君は女相手だという事で舐めていた事と、彼らの言うを傷つけてはいけないという理性がブレーキをかけて、本気を出し切っていなかったと思うんだよ」


 姫野先輩が言う事が信じられず、思わず強い口調で聞いた。


「本気じゃない? さっきまでは、あんなに麗衣を一方的に痛めつけていたのに?」


「君、格闘技が詳しいんだよね? プロのバンタム級(53.15キロ以下)のボクサーとアマのピン級(46キロ以下)かせいぜいミニフライ級(48キロ以下)の選手が本気で戦ったらどうなるのか考えて見たまえ?」


 勝子先輩が言いたいのはプロとアマの実力差の事ではない。

 階級の差による戦いへの影響である。


「ミニフライとバンタムなら4階級差? 多分1ラウンド持たないですよね?」


 プロかアマか、あるいは格闘技の種類によって階級の名前と体重は微妙に違うが、キックやアマチュアボクシングのミニフライ級が女子プロボクシングで言うミニフライ級(46.26~47.62キロ)相当だと考えると、4階級は違う事になる。


「しかも、今の特攻隊長さんは通常体重なら60キロはあるかも知れない。麗衣君はミニフライ級だとしても実際は下限リミット、多分46キロを少し超える程度だろう。13キロ以上差があって、なおかつ男女の性差もある。只でさえボクシングスキルに差があるのに、これで本気を出されたらどうなるか分るかい?」


 亮磨の通常体重が60キロだとしたらライト級(58.97~61.23キロ)。麗衣が女子プロボクシングで言うミニフライ級(46.26~47.62キロ)だとすると、何と8階級もの差がある。

 近年、ボクシングの世界戦で大きく体重オーバーした相手との試合で名王者と言われた選手が成す術も無く敗れた事例や、元プロボクシング世界王者と無敗のキックボクサーの試合のイベントでウェルター級(63.50~66.68キロ)の元ボクサーが通常体重でもライト級程度しかないキックボクサーを1ラウンドKOした事例や、逆にボクシングを銘打ったイベントで、同じキックボクサーがバンタム級の元ボクシング世界王者を圧倒した事もある。

 つまり、ボクシングという階級制の競技において、選手にとってどれだけ体重差という要素が大きいかという事である。


「事実上8階級差で、しかも相手は男子……無謀すぎる」


 仮に麗衣のボクシングテクニックが亮磨を上回っていたとしても到底勝ち目の無い体重差だった。

 立ち上がった亮磨は怒りを隠そうともせずに言った


をなるべく傷つけないようにと思って、手加減してりゃ付け上がりやがって……お遊びは止めだ! 兄貴! コイツは半殺しにして良いか? ならあと二匹居るだろ?」


 亮磨の提案に対し、鍾磨はヤレヤレといった様子で答えた。


「ソイツが一番上玉っぽいけどな。まぁ、既にかなり傷モンにしちまったし、良いだろ。そいつは亮磨の好きにしていい。お前の言う通り、麗の残り二人をにする」


「なっ……ふざけるな! 約束を破る気か!」


 俺は憤りを隠せず、鍾磨に抗議したが、麗衣は鍾磨ではなく、俺に対して怒鳴りつけてきた。


「余所者は黙ってろ! 何度も言わせるんじゃねぇよ!」


「麗衣……」


「幾ら格好つけていても、所詮族なんざこんなもんだ。それよりかさっさと帰れ。一般人パンピーはお呼びじゃねーんだよ」


 確かに暴走族が約束なんて守る訳ない。

 麗衣はこんな単純な事実に今更驚きはしないのかも知れない。

 俺の呆然とした表情を見て、亮磨は品の無い笑い声を上げた。


「ひゃひゃひゃひゃ! テメーもしかしてこのボコボコなツラの女に惚れてんのか? だから総長とタイマンしろなんて言っていたのかよ? 格好つけやがって! 笑わせんぜ。身の程を知れよな?」


「なっ!」


 麗衣は一瞬だけ、赤面した顔で俺の方を向いたが、すぐに亮磨の方に視線を戻した。


「んなわけねーだろ? コイツは昨日初めて話をしたばかりの他人だからよぉ!」


 麗衣は状況が状況だけに、少なくても上辺だけは努めて冷静に振舞ってみせた。


「じゃあそういう事にしておいてやるよ。……オイ。小僧! よく見とけよ? テメーがにしているアマの顔が今から親が見ても分からないような顔にぐしゃぐしゃに変形するところをよぉ……ひゃははははっ!」


「上等だ、やれるもんならやってみろ!」


 麗衣は再び右肘のガードを顎まで上げ、左腕を伸ばし、顔半分を隠す先程の防御の構えを取った。

 その姿を見て、姫野先輩は焦ったように言った。


「アレはもう通用しないだろうね。奇策みたいなものだし、ネタがバレてしまえば攻略は容易いだろう」


 姫野先輩の言う事が正しい事はすぐに証明されてしまった。

 亮磨は強引に接近し、前に突き出した麗衣の左腕を掻い潜ると亮磨の左手で弾きのけた。

 そして、亮磨は地面を見るように頭から麗衣に突っ込んでいった。

 下手にパンチを頭部に打てば拳の方が骨折する可能性がある為、右拳を振り下ろす事も出来ない。


「ぶっ!」


 麗衣の目の下辺りに勢いよく頭突きが入り、細い体がよろめく。

 そして、麗衣の髪を掴み、手を捻り、無理やり亮磨の方に顔を向けさせた。


「棟田のクソ雑魚は小学生ショーボーみてーな喧嘩してたがよぉ。髪掴んだ時の正しい顔の壊し方を実践してやるよ」


「くっ!」


 麗衣は抵抗して、亮磨にボディアッパーを打つ。

 しかし、不自然な格好に固定され腰の入らぬ手打ちパンチなどボクサーに効くはずも無い。


「効かねぇなぁ……コイツはお返しだぜ!」


 横に向けた麗衣の鼻筋にコンパクトなライトアッパーを打ち込む。

 ぐしゃり。

 拳が減り込んだ麗衣の鼻筋は潰され、どす黒く変色する。


「こーやると100パー鼻潰せるんだよなぁ。呼吸はちゃんと出来てるかぁ? 次は唇いくぜ?」


「やめろぉーーーー!」


 俺は必死に叫ぶが亮磨が攻撃を止める気配はない。

 今度は麗衣の顔を立てるように髪を引っ張り上げると、激しく口元を殴る。

 麗衣の裂けた上唇から鮮血が噴出し、地面をボタボタと濡らした。


「歯っていうのは結構頑丈でよぉ。犬歯の辺り狙って顔殴ると歯は折れなくてもよぉ、犬歯が突き破って唇が裂けるんだよな。……ひゃははははっ!」


 亮磨が今行っている事は麗衣を倒すのではなく、宣言通り、麗衣の顔を壊す事にあった。

 ただ勝つのが目的ではなく、陰惨な制裁を加えなければ亮磨の気が済まなかったのだろうか。

 これ以上は我慢の限界だった。


「そ……それ以上は止めろ! 代わりに俺が相手だ!」


 俺は、とうとう理性が消し飛び、亮磨に飛び掛かろうとした。


「や……止めたまえ! 君が行ってどうにかなる訳じゃない」


 姫野先輩は慌てて俺を押さえつけた。


「そうだとしても! これ以上黙って見ていられません!」


 俺が姫野先輩を押しのけようとすると――


「来るんじゃねー武! あたしはまだ平気だ!」


 髪を掴まれ、唇から血を流しながらも怒鳴る麗衣の気迫に押され、俺は足を止めた。


「心配するな! あたしはまだ本気出してねーんだよ!」


 ハッタリだろ?

 俺と同じ疑問を抱いた亮磨は嘲笑するように言った。


「あ? あまりもの恐怖で壊れちまったか? そのザマでまだ本気出してないって言うのか? ハッタリも程々にしておけ」


「ハッタリじゃねーよ。何なら今すぐテメーを悶絶させてやろうか?」


「ひゃはははっ……出来るもんなら――ぐあっ!」


 返答が終わる前に亮磨は股間を抑え込み地面に屈み、悶絶した。

 顔を殴るために正面から麗衣の髪を掴んでいた為、無防備だった亮磨の睾丸を爪先で蹴り上げたのであった。

 股間をおさえ、醜く涎を垂れ流しながら地面を這いずり廻る。


「格闘技の基本。半身じゃねーからキンタマ隙だらけだぞ。てか、どいつもこいつも女の髪引っ張りやがって……テメーら一生女出来ねーぞ!」


 麗衣は地でのたうつ亮磨を見下ろし、冷然と言い放った。


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