第18話 美夜受麗衣VS赤銅亮磨(2)

「馬鹿! 麗衣! もう立つな! ……頼む……立たないでくれ!!!」


 これ以上見ていられない。

 俺は懇願するように麗衣に言ったが、麗衣は一切聞く耳を持たなかった。


「るせーな! 余所者は黙っていろ!」


 口元の血を拭いながら麗衣は野獣の様な形相をしていた。

 これが格闘技の試合であれば既に二回もKO宣告されていたであろう。

 それ程のダメージを受けているにも関わらず、麗衣の心は折れているようには見えない。


「タフな女だな。根性だけは認めてやるぜ。でもよぉ、これ以上ボコボコにするとにならなくなりそうだな。後遺症が残る前にさっさと参ったしろよ」


 亮磨はあきれ返った様に言った。


「あ? あたしはまだ本気出してないぜ? 勝負はこれからって時に何で降参するんだよ?」


「ボクサーの俺相手に本気出してないだと? ハッタリも程々にしておけ」


「ボクサーねぇ……参考までに聞くけどよ、テメーどの位ボクシングやっているんだ? あと階級は?」


「まだ1年位だけどよぉ。プロのライセンスは先月とったぜ。階級はバンタム(53.52キロ)だ」


 まさかプロボクサーだったとは。

 これでは敵うはずがないと、流石の麗衣も諦めるかと思ったが、表情も変えず質問を続けた。


「バンタムか……通常体重は60キロってところか。アマの実績は?」


「チマチマとアマチュアの試合なんてやってられっかよ。18になったらソッコーでプロのライセンスを取ったぜ」


「何だよ。グリーンボーイってならまだ知らず、試合の経験も無いのかよ」


 プロであることを自慢げに話す亮磨の事を麗衣は嘲笑した。


「んだとぉ?」


「C級ライセンスなんて半年もやっていりゃ取れるだろ? C級ライセンスのプロボクサーなんぞより、アマチュアで実績のある選手の方がずっと強いって事ぐらい知らないのか?」


 通常、アマチュアの実績が無い者は四回戦からデビューするが、この四回戦の試合に出場できる資格をC級ライセンスと言い、B級ライセンスに昇格するには四回戦で四勝以上しなければいけない。

 アマチュアの実績がある者は六回戦からデビュー可能で、六回戦出場に必要なライセンスがB級ライセンスと言う。なお、通常八回戦以上に出場するためには六回戦で二勝以上を上げ、A級ライセンスが必要となる。

 日本では金メダリストがデビュー戦でいきなり東洋太平洋王者と戦った例があるが、これは例外中の例外だ。


 因みに選手にもよるが、麗衣の指摘はある程度事実だ。

 全日本選手権優勝クラスになると三ラウンド以内という前提ならば、プロの日本、東洋王者よりも強い選手はザラであり、オリンピアンともなるとプロの世界王者よりも強い選手は珍しくない。

 もっとも現在麗衣が語っているのはそのような高次元の話ではなく、アマチュアの試合経験のないC級ライセンス取り立ての選手とアマチュアで何試合か経験があるものとどちらの方が強いかという次元の話でしかない。


「そのグリーンボーイ以下のボクサーにボコボコにされているお前は如何なんだ?」


「まぁ、少なくてもなら、あたしよりも強い。それは認めてやるよ。でも、折角の実験台だ。もう少し付き合って貰うぜ。来いよ」


 正気じゃない。

 麗衣は亮磨が四回戦とは言え、プロボクサーと聞いて、委縮するどころか、ますます戦意を向上させているようだ。

 しかもプロボクサーが実験台?

 もそうだったが、怖いという感情が麗衣には欠落しているのだろうか?


「はっ! イカレた女だぜ。何をやっているか知らねーが、ボディも顎もガラ空きのなんちゃってボクシングの構えで俺に勝てるとでも思うか?」


「ご丁寧に指摘どーも。じゃあこんなのは如何だ?」


 麗衣は右肘のガードを顎まで上げ、左腕を伸ばし、顔半分を隠した。

 パンチを受けても脳が揺れないように右拳で頭部をロックしている。

 ボクシングではまずお目にかかる事のない、妙な構えに亮磨は戸惑いを見せた。


「何だそりゃ?」


 顔を守る鉄壁のディフェンス。

 観たことも無いディフェンスに亮磨はどう攻略すればよいのか、すぐには思い付かない様だ。


「これって……もしかしてムエタイの攻防中に使うディフェンス?」


 俺の呟きを姫野先輩は肯定した。


「ああ。よく知っているね。あの構えだとパンチの攻撃が届きずらいし、そもそもフックやストレートで顎にパンチが出来ない。つまり正面と横からの攻撃が制限されるんだよね」


「でも、下からの攻撃はガードできないんじゃ?」


 正面や横からの攻撃には鉄壁のガードも、あの構えでは下からアッパーを突き上げられたら防げない。


「そうだろうね。でも、、例えボクサーのパンチでも容易く当てられると思うかい?」


 成程。俺は姫野先輩の言わんとする事を理解した。


「舐めた構えしやがって……」


「来いよ! グリーンボーイ!」


「後悔すんなよ?」


 麗衣の挑発に乗ったという訳ではないだろうが、亮磨は麗衣を攻撃すべく、距離を詰めた。

 慣れぬ構えに相対し、間合いを測りかねた事と、何よりも得体のしれない気味の悪さを感じた亮磨だが、すぐに構えの弱点を見抜いたのか?

 亮磨は麗衣に接近すると前に伸ばされた麗衣の左腕を掻い潜り、拳を胸の高さに置き、身体を振ってタメをつくり、前に出た肩の力を利用して身体を回し、腰のあたりまで下げた右拳を下から上に振り上げた。


 恐らくボクシング以外の格闘技の知識に疎い亮磨は知らないだろうが、今の麗衣が行っている防御のみならず、ロングアッパーは顎の空いた構えのムエタイ相手に有効な手段の一つだ。

 でも、これは麗衣が撒いた餌だった。

 亮磨がボクシング以外の格闘技にも精通していれば麗衣の狙いが分かったかもしれないが、亮磨には麗衣が誘っている事に気付かなかった。

 この構えは防御を目的とするのではなく、亮磨にアッパーを打たせる為の罠であった。

 姫野先輩が言うように、躱すのは容易い。

 麗衣は構えを解き、上体を背に逸らすスウェーで亮磨のアッパーをかわす。


「なっ!」


 亮磨のパンチを初めてまともにかわした麗衣はスウェーで反らした状態が元に戻る反動を利用し、右ストレートを亮磨の顔面に打ち降ろした。


「ぐっ!」


 ロングアッパーで体勢が崩れた亮磨にカウンターが決まり、亮磨は数歩後ろに踏鞴たたらを踏み、崩れたバランスは体重を支えきれず、尻もちを着いた。


「よし! 初めての有効打だ!」


 格闘技の試合では立派なダウンだ。

 先程までは決着間近という空気で沸いていたギャラリーが、思わぬ麗衣の反撃で静まり返る中、俺は一人歓喜の声を上げた。


「だから、君は他人のフリをしていないと駄目だって言っているのに……」


 何時の間にか姫野先輩の隣で麗衣に声援を送っている俺に対し、呆れ気味に言ってきた。


「それに、場合によってはマズイ事になるかもね」


「どういう事ですか?」


「まぁ今のはフラッシュダウンというか……効いていないダウンっぽいんだよね。ほら、特攻隊長あかがねりょうま君を見てごらん」


 俺は亮磨の姿を見ると、既に立ち上がっていた。


「テンメー……やってくれるじゃねぇか……」


 亮磨は顔だけではなく坊主頭まで赤くなるほど激怒していた。

 その表情をみて、俺は自分に向けられた表情ではないのにも関わらず恐怖で背筋が震えた。

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