第7話 ヤンキー美少女のパンチは半端じゃなかった拳

 俺と棟田の仲間達は麗衣と地に倒れた棟田の交互を見比べる。

 麗衣は殴られたにも関わらず平然と立ち、拳を握りしめながら地でビクつく棟田を冷然とした表情で見下ろしていた。


「なんだ、このクソ雑魚は? 素人トーシローが弱い癖に粋がってるんじゃねーよ」


 にわかには信じがたいことだが、10センチは体格で上回る棟田を麗衣は何らかの方法で失神させていたのだ。


「てっ……テメー……こんな事して只で済むと思うのか?」


 棟田の仲間は驚愕と動揺を隠せない様子だが、喧嘩になれば二人がかりという優位性がある。

 麗衣が何かしら格闘技か武道の経験があるとしても、男女では身長、体重、骨格も筋力も違う。

 しかも、殆どの格闘技や競技化された武道は一対一を想定されたものであり、多対一を想定したものはあまりない。

 素手の打撃による痛みというものは攻撃を食らうことを分かっていればある程度耐えられるものである。

 棟田が失神したのは恐らく麗衣の反撃が想定外だったことから来る油断だったが、麗衣の実力の片鱗を見せつけられた二人は麗衣の反撃を警戒するだろう。

 ダメージを覚悟で一人が麗衣を押さえつけ、もう一人が麗衣を痛めつければこの二人の勝ちであろう。

 状況は棟田の仲間達の方が有利である。

 だが、麗衣は思いがけぬ方法でこの状況を切り抜けようとしていた。


「そんなこと言ってて良いのか? これなーんだ?」


「なっ!」


 麗衣はポケットからスマホを取り出し、操作を始めると録音された音声が再生を始めた。


(「散々チョーシこいてくれたからな……どうせ女だから手出しできねーと思ってるんだろ?」)


(「だからよぉ。ボコったらよぉ、ヤッちまおうぜ?」)


(「ちょっと、それヤバくねーか?」)

(「もしバレたら停学じゃすまねーんじゃ……」)


(「いいか? 今は俺達しか居ねーんだ。小碓さえ黙らせりゃ、このビッチは写真でも撮って黙らせりゃいい」)


 再生された棟田等の品の無い下卑た声が棟田の仲間達を青ざめさせた。

 俺の自殺を止めた時と言い結構用意周到な性格なんだな。

 見た目からもっと単純な奴なのかと思ったが、実は結構考えているのか?


「コイツを先公に聞かせるかい? なんなら警察に持って行っても良いんだけど?」


 麗衣はニイっと唇の端を上げ、ドヤ顔を浮かべていた。


「おっ……俺たちが悪かった!」


「それだけはどうか勘弁してくれ!」


 どうやら勝負あったようだ。

 そもそもコイツ等は停学を恐れていた程度である。

 最悪通報される程のリスクを負ってまでも棟田に義理立てするつもりはないのだろう。


「じゃあそこのゴミを連れてさっさと消え失せろ! 次に下僕に手を出したら……解ってるよな?」


 蛇に睨まれた蛙状態の不良達は棟田を背負うと、そのまま屋上から去って行った。


              ◇


「麗衣……今、どうやって棟田を倒したの?」


 麗衣の細腕が見た目によらず、結構力強いのは昨日の心中未遂で知っていたが、それにしても男子を失神させるとは只者ではない。


「何だよ。それよりか、殴られた事の方を心配してくれないのか?」


「ああっ。御免!」


 確かに優先順位が違っていた。先ずは麗衣の怪我を確認しなければ。

 麗衣の顔を見ると切れている唇から血が流れ、頬が少し赤黒い痣となり痛々しかった。

 俺は慌てて自分のハンカチを取り出し、麗衣の唇に当ててやった。

 麗衣はキョトンとした顔で俺を見た。


「……あ。なんか悪い。そんなつもりで言った訳じゃねーんだけど……」


「いや、俺のせいだから……」


 麗衣は暫く俺のなすがままにしていたが、不意に俺からハンカチを奪うとニヤニヤしながら言った。


「もしかして……使い終わったらこれに間接キスでもするつもりか? ったく、童貞の考えそうなこった」


「ば……ばっか! そんなのじゃないよ……ほら!」


 誤魔化すように俺は棟田に殴られた時に落としたベースボールキャップを拾い、麗衣に渡した。

 麗衣はパンパンと二回程ベースボールキャップの埃を払うと、自分の頭に被せた。


「まっ、ありがとよ。ハンカチも洗って返してやるから」


 ここは麗衣の言う通りにしないと、また間接キスの話が繰り返されそうなので大人しく従うことにした。


「ああ、そうしてくれ」


「そーだな。下僕なんだから素直に従っとけ」


 麗衣はグイグイと俺に肩を寄せた。

 なんでコイツはこんなに距離が近いんだろうな?

 俺に対してこんなに近いぐらいなのだから、誰に対してもそうなのか?

 もしかして本当にビッチなのだろうか?


「ところでさっきの話だけどよぉ」


 バレたら殺されそうな俺の思考は麗衣が俺の顔を覗き込み、話しかけられた事でぶった切られた。


「さっきの話って……何だっけ?」


「はぁ? 棟田をどうやって倒したかって話だよ」


「ああ。そう言えば」


「もしもーし。大丈夫かー。それとも、あたしが来る前に棟田に頭殴られたか?」


 麗衣はノックするように俺の頭を軽く叩いた。


「いや。殴られてない。ごめん。話を続けてくれ」


「はぁ……まぁ、アンタには関心ないだろうけどね、一応話とくよ」


 麗衣は俺に向き合うように立ち位置を変えた。


「ちょっと再現するからな。まず、あいつに殴られた後、こうやって髪を掴んで下に押さえつけていたよな」


 麗衣は俺の手を取り自分の頭に乗せ、腰を落とし前傾姿勢をとった。


「で、あたしに膝蹴りを加えていた……これ、少し喧嘩の経験がある奴がよく使う方法なんだよな」


 なんで麗衣がそんな事を知っているのか? 尋ねる前に麗衣は話を続けた。


「これだと、やる側は反撃され難くて、一方的に攻撃できる攻防一体の利点があるんだけど」


 すると麗衣は顔の前に両腕を上げガードを固め、顔を守るような仕草を行った。


「例えば、こうやってガードすれば簡単に防げる。まぁ後頭部や頸椎を拳か肘で殴ってきたら防げないけどな、棟田はそこまで考えてなかったみたいだな」


 いや……、だから一体何処で得た知識なんだよそれ?


「あたしから言わせればせいぜい小学の高学年レベルの喧嘩だな。使かどうか確認するために今回はわざと喰らってみたけど、期待外れだったな。攻撃が来るという意識さえしてれば素人トーシローの膝なんて防ぐまでも無いぜ。むしろ最初の不意打ちだけ警戒してなかったから少し効いたぐらいだな。で、あたしがどうやって棟田をぶっ倒したかというと」


 麗衣は左ひざを前に出し、しゃがんだ姿勢から大きく右側に体を捻り、右の拳に力を入れて握った。


「姿勢はゴム巻き飛行機の巻いたゴムをイメージすれば解りやすいと思うけど、巻いたゴムが解放された時にプロペラが回転して飛行機が飛ぶだろ? この姿勢が巻かれたゴムだとして、巻いたゴムを解放したイメージで体を伸びあげて、傾斜をつけて思いっきり拳を突き上げると――」


 俺の前髪が風で舞う。

 麗衣の高速の拳が、『紙一重』というよりは『髪一重』の距離で振りぬかれたのだ。


「コイツで顎をぶち抜いたって訳よ。まぁ失神したのはパンチじゃなくて、倒れた弾みで地面に頭ぶつけたからだろうけどな」


「これってまさか……ジョルト、いや、ガゼルパンチってやつ?」


 ガゼルパンチとは先程見せた麗衣のような姿勢からアッパーとフックの間の軌道で放たれる強力なパンチの事だった。


「そうそう。ガゼルパンチ。ダッセー名前であんまり好きな呼び方じゃないけど、……って、よく知ってるな!」


 麗衣は嬉しそうに言った。


「試合じゃ殆どお目にかかれない技だけど、当たれば凄い威力らしいね」


「所謂テレフォンパンチだからな、使にはまず当たらないし、格好のカウンターの餌食だけど、さっきの棟田みたいな喧嘩の仕方なら動かない良い的だぜ」


 ああ、成程。麗衣が棟田を倒した理由をようやく理解した。


「もしかしなくても、麗衣って格闘技やってるの? ボクシングとか?」


「まぁボクシングと似たようなモンかな? 確かにやってるぜ。武も使のか?」


 どうやら麗衣が言う『使う』とは格闘技を『使う』という意味のようだ。


「いや、空手やってたけど小学の時すぐやめた」


「あーあたしも小学から中一までは空手やってたけどね」


 ふと麗衣の瞳に暗い影がよぎった様に見えたのは気のせいだろうか?

 何となくだが、過去について触れないほうが良さそうな気がしたので、現在の話をすることにした。


「空手はすぐ止めたけど、今でも格闘技はよく見に後楽園ホールに行ったりしてるね。試合はテレビでもよく観るけど」


「ああ。後楽園ホールならあたしもたまに行くぜ。以前は水道橋駅近くの橋でダフ屋がプロレスのチケットしつこく売りつけようとしてきたりよぉ……」


 昼休み終了のチャイムが鳴るが。思わぬきっかけで得た同好の士との会話は時間の流れを忘却の彼方へ追いやった。

 こうして俺は入学してから初めて授業をエスケープすることになった。


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