第5話 そして生まれ変わる
「なっ……」
あたたかく柔らかい、その感触は『彼女居ない歴=年齢』の俺が知る由もない、初めての感覚であった。
多分数秒程度であったと思うが、ファーストキスはやたらと長く感じた。
やがて湿りを増したようにも見える、艶やかな唇はゆっくりと俺の唇から引き離され、光に反射された金糸が糸を引く。
美夜受は頬を赤らめ、あたかも嫌なものでも取り除くかのように、ゴシゴシと唇を拭いながら言った。
「これで今日からテメーはあたしの下僕だ。だから勝手に死ぬんじゃねーぞ!」
「ど……どうして?」
「キスしただろーが! テメーもキンタマついてるなら責任取れや! 責任を!」
このヤンキー女は俺の襟首を捕まえてブンブン振り回しながら理不尽な要求を突き付けてきた。
……いや、無理やりキスされたのはこっちなのですが。
それにキスをされたから下僕って、どういう理屈だ?
助けを求めるように勝子と姫野の二人に視線を向けると、勝子はヒットマンのような目でこちらを睨み、姫野は混乱している俺の事を楽しそうに眺め、ニヤニヤしている。
……拒否したら多分飛び降りよりもっと苦痛に満ちた酷い方法で殺されるだろう。
今後自殺を考えるとしてもそれだけは御免だ。
「分かった! ……分かったから離してくれ!」
半ば首を締め付けられ状態で息が詰まり、ファーストキスの甘美な余韻などとっくに吹き飛んでいた。
「よぉし。じゃあ、えっーとぉ~……下僕君? 宜しくな♪」
襟首から手を離した美夜受は俺に手を差し伸べた。
オイ。マテ。
今、『下僕君』という前の沈黙中に首を傾げていただろう?
「もしかして……俺の名前知らないのか?」
「え~えっとぉ……下僕だから名前なんか下僕君で良いだろ?」
言いわけないだろ!?
そんな表情が俺の顔に出ていたのだろうか?
俺の追求するような視線を避けるように、美夜受は横を向いて頬を掻いた。
コイツ同じクラスなのに俺の名前も知らなかったのか?
殆ど学校に来ていなかったせいなのか、俺の存在感が余りにも希薄だったせいか……。
とにかく、このままでは『下僕君』なんて不名誉極まりない名前を賜りかねないので、俺の名を名乗る事にした。
「俺の名前は
こうして俺は褐色の悪魔との契約をしてしまった。
よく創作にある場合とは逆で、使役されるのは悪魔じゃなくて俺の方だが……。
「最初からそうやって素直にしてりゃ良いんだよ。あたしの名前は……」
「
「なんだよ。知ってるんじゃん。もしかして、あたしのファンか?」
いや。断じてそれは無い。
と、断言したら殺されそうなので止めた。
殆ど学校に来ないとはいえ、クラスメートだし、容姿も言動も目立つ彼女の名前を知らない方がおかしいのだが。
「じゃあ、この娘らも紹介してやるよ。こっちの小さいおさげはおな中(同じ中学出身)で、同じ学年の
「酷いよ麗衣ちゃん。あたしは麗衣ちゃんに寄り付く虫を排除しているだけじゃないの?」
となると、俺も美夜受に寄り付く虫という事になるのだろうか……。
「で、こっちのノッポは
「ノッポって……165センチだから君より少し高いだけなんだけれどね。それに随分な物言いだが、少しは先輩に敬意を持って接して欲しいよね。ねぇ? 小碓君」
「はっ……はい。織戸橘先輩」
「ふふふ……君は誰かさんと違ってちゃんと礼儀をわきまえている様だ。でも、姫野先輩で良いよ」
「はい。分かりました……姫野先輩」
「あたしは麗衣で良いよ。呼び捨てが嫌なら麗衣様でも許す」
「……じゃあ麗衣で良いですか……」
すると、麗衣とやりとりを遮るように、勝子が体を割り込ませて俺をおぞましい者でも見るかのように言った。
「私の前では口を開くな。息を吸うな。息を吐くな」
「いや。死んじゃいますけど……」
「だったら私と麗衣ちゃんの半径3メートル以内に近づいたら殺す」
いや、麗衣から近寄ってきたらそれ無理なのですけど。
「まぁまぁ、下僕だから近づく事ぐらい許してやれよ。じゃなきゃ色々コキ使えねぇだろ?」
「まぁ……麗衣ちゃんがそういうなら仕方ないけど……小碓武! 麗衣ちゃんにHな事しようとしたらぶっ殺すからね!」
人を指でさしてはいけません。
この娘はそんな常識も教わっていないらしく、敵愾心も露わにまっすぐ俺を指さした。
「ああ。今度犯されそうになったらマジで頼むわ」
何で悪乗りしたがるのかね? このヤンキー女は?
「いや、何度も言っているけど全部不可抗力で……」
「あ~あ。怖い子を敵に廻しちゃったね。麗衣君の隣のポジションっていう虎の尾さえ踏まなきゃ親切にしてくれる良い子なんだけれどね」
こう言いながら、人をおちょくる様な態度をとっていた姫野先輩だったが、次の言葉で不意に空気が変わった。
「でもね……今回の件で誰かさんの為に麗衣君の無茶に対して色々と手伝ってくれたんだよ?」
姫野先輩は射るような瞳で俺を見ながら話を続けた。
「どうして麗衣君、勝子君、それに僕までこんな大掛かりな茶番劇をやらざるを得なかったのか、理由を考えてみたまえ?」
「それは……」
やり方は危険極まりなかったが、真意はどうあれ、俺の事を救いたかったのだろう。
だが、麗衣の友人として俺に対する姫野先輩の怒りは当然のものだろう。
そもそも俺が自殺するなど裏サイトに書かなければ美夜受が命を張ってまで危険を冒したり、勝子や姫野先輩の手を煩わせる事もなかった。
「姫野。手伝って貰って悪いけれど、その事はもうその位で良いよ。今更、死んだ武の事を責めたって仕方がない」
俺を責めるような空気を麗衣の一言が断ち切った。
「あたしと心中して、小碓武は一度死んだ。そして、今あたしの目の前に居るのは生まれ変わった小碓武だ」
麗衣は俺に手を差し出した。
「あたしも武と死んだ身だ。だから、生まれ変わった者同士、これからは一緒に生きていこうぜ」
不意に視界がゆがむ。
俺は……一度死ぬ前の俺は一体世界の何を見てきたのだ?
世界は敵ばかりしかいないのかと思っていた。
人の痛みなど分からない奴ばかりかと思っていた。
でも、……この人は違う。
初めて会話するような俺と一緒に死を分かち合ってくれた。
「死にたくなったら今日の事を思い出せ。それでも、どうしてもまた死にたいと思うなら……」
麗衣は俺の手を握り、微笑みかけた。
「その時は何時でもあたしに言え。何回でも一緒に死んでやるよ」
俺は黙ってうなずき、美夜受の手を握り返した。
こうやって俺――小碓武は美夜受麗衣と心中し、生まれ変わった。
そして……人生初の恋に落ちた。
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