僕は短編小説が嫌いだ。

伊坂 枕(いざか まくら)

これは、ごく普通な僕の正直な思考回路である。

 

 僕は小説家を目指している。

 だが、僕は短編小説が嫌いだ。

 特に、読むのが大嫌いだ、と言って良い。


 何故か?

 その理由は大きく分けて3つある。


 一つ、【短編小説には僕の求める物が無い】


 僕は小説という娯楽に対して求めているのモノは「陶酔感」「スッキリ感」「完全型ハッピーエンド」である。

 つまり、その世界観やらエピソードに、どっぷりもどっぷり、頭の先から足の先までひったひたに浸って、主人公と共に冒険し、苦楽を共にし、活躍し、最後はみんな揃って大円団!!

 そういうモノを求めている。


 短編小説にはそれがない。


 僕にとって小説とは、あくまでも娯楽の一つであり、楽しいものでないと嫌なのだ。

 バッドエンドや、ほろにがビターエンドなど求めていない。

 創る気も一切無い。


 念のため、「ハッピーエンド厨」レベルの僕からすると、「完全型ハッピーエンド」の定義は以下の通りだ。


 ・主人公が成長し、幸せであることはもちろん、周りの主人公側に味方した全員が幸せである。(主人公たちだけが幸せな演出で世界崩壊など論外である)

 ・倒されるべき敵は倒れているが、情状酌量の余地がある敵は更生の機会が与えられており、良い方向へ変化の兆しが有る。

 ・世界の葛藤や問題は読者側からすると完全に解決しており、向こう数百年程度は平和が約束されている。

 ・エンディングでは、各キャラに対し「よかったね」「幸せにおなり」と素直に祝える。

 ・メインキャラクターが死亡するエンディングは、いかなるものであっても(例え、当人が完全に仕事をやり遂げ、満足し、微笑みながら死んだとしても)完全なハッピーエンドとは認めない。


 仮に、僕が求める理想の短編小説に出会っていないだけであれば、むしろ教えて欲しいくらいだ。

 おまえの求める短編小説はコレだ!! ここにあるよ!! と。


 大概、短編小説を読み終えた感想は「だから何だ?」「長編で読みたい」に二極化する。

 「長編で読みたい」系は読み終わった後「え? これだけで終わり??」となってイラっとするし、「だから何だ?」系は論外だ。


 日常の些細な変化? 些細すぎてどうでも良いわ!!! 

 妄想だけで憧れの君の視神経を舐める男に興味は無い!!

 残り香などという、たった一発の屁で霧散するモノを、そんなに大層に語るな!!

 余韻? 余白の美? それが許されるのは書道か日本画だけだろ?

 似顔絵に対して「余白が奇麗ですね」は宣戦布告と同義語だ。


 そんな、何処を味わって良いのか分からない短編小説など、楽しめというのが酷。


 梶井基次郎や芥川龍之介や太宰治が好きだと感じた事は一切無いし、むしろ、面白いと思った事すら無い。

 『檸檬』は書店を散らかした挙句、レモンを置いて出て行く男の行動に「だから何だ?」だし、『羅生門』も『鼻』も原作の古典の方が淡々としていて人間のドロドロ感が無いのが良いし、『人間失格』は主人公の尻を蹴り上げたい以外の感情を一切呼び起こさなかった。

 

 時代か? 時代が悪いのか?? それとも僕の感性がオカシイのか??


 その位、短編小説は、僕に響かない。


 むろん、地の文の面白さや語りの軽妙さは有るだろう。

 中には「面白い」のカテゴリーに分類しても良い作品は、存在する。


 だが!!!! 

「おもしろさを認識する事ができる」と「好き」は全く違うのだ!!!!



 次に、【小説家、また、それに属する者、それを目指す者は「短編小説」が分からないとダメだという空気感】が嫌だ。


 とある創作論にて


 創作業界に「長編を書ける作家はすごい」という概念はない。

 でも「短編がうまい作家はすごい」はある。


 との主張を見かけた。


 

 何故だッ!?



 僕は、その風潮が心底分からない。

 だって、短編小説には、僕の求める好きなモノが無い。


「短い起承転結が短編小説ならば、それがひたすら続くものが長編小説だ。それ故、長編を書くには短編が書けなければ、書くことが出来ない」


 うむ。その理屈は分かる。

 言い換えるならば、基礎ができなければ発展はあり得ない、ということだろう。

 「足し算」が理解できないのに「掛け算」だけが理解出来るのは不可解。


 なるほど、なるほど、それに大いに同意できる。

 だが、同様の創作論には、こうもある。


「創作の原動力は好き! という気持ちだ」

「嫌いなものに費やすほど、人生にはムダな時間なんて無い」


 となると、短編小説が大嫌いな僕は、それに対して時間を割く必要もないし、触れなくても良くなる。

 

 小説家を目指している僕、からすると……実に矛盾を孕んだ存在、それが短編小説なのである。


 最後の一つがコレである。

【嫌いなものに裂く時間がもったいない】


 短編小説を読んだ後、長編小説を読んだ後のような「どっぷり感」「スッキリ感」「大円団」が得られない事が多すぎて、食わず嫌いをしているのかもしれないが、「ハズレ」を引いた時の「やっぱり感」が嫌いだ。


 しかも、このハズレ……あくまでもハズレと感じるのは僕だけで、一般の評価はとても高かったりする。


 その疎外感も寂しいものである。


 

 その時だった。


 ……ぽこん。


 頭にクッキーの箱が落下してきたのと、同時。

 それが聞こえたのは。


 僕その2「ははははは!!! 煮詰まっているな! 僕!」


 お前は……僕じゃないか? 何だ!? 突然に?

 今は執筆中だから脳内会議をしている余裕は無いぞ。


 僕その2「気づいていないようだから、教えに来てやったのさ! お前、短編小説を『嫌いだ、嫌いだ』と言っているが、短くてもどっぷり世界観に浸れて楽しいものが有るだろう?」


 唐突な、僕その2の声に戸惑う。

 短くても、どっぷり世界観に浸れて楽しいモノ?

 

 僕その2「ズバリ! ショート・コントだよ!! お前、M1グランプリとか、キング・オブ・コントとか、好きだろう?」


 う、うむ。確かに……

 今年も年末には笑わせて貰った。


 僕その2「好きこそものの上手なれ! お前の好きな短編小説は短編小説の皮を被ったショート・コントって訳さ! ショート・コントなら多少突飛な設定でも許される! 葬儀屋はご遺体の焼き加減を聞いて来ても良いし、目の検査にサンスクリット語を使っても良い! そんな荒唐無稽さを楽しめば良いのだよ!」


 いや、だったら映像情報も含まれているコント番組や漫画の方が良いな。映像が文字列で表現される短編小説のショート・コントとなると、少し弱い気がする。

 コンテンツには表現方法の向き・不向きが有る。


 僕その2「ははは! 向き? 不向き? お前は短編小説というモノを難しく考えすぎだ!!! 『だから何?』とお前が感じたという事は、逆に考えればオチは『だから何?』で許されるのが短編小説なんだよ!!!」


 おおぉぉ!?


 僕その2「発想の逆転だーッ!!!!」


 な、なるほど!! お前、天才だな!!!


 僕その2「当然! 僕はお前だからな!!!」


 そうか!! お前は僕だもんな!!


 僕その2「ははははは!! 僕の自己肯定感はエベレストよりも高いぞ!! すでに成層圏を突破しているぜ!!!」


 ははははは!!! 知っているさ!! 僕の事だからな!!!


「ハラショー!」「それを自分で思いつけるなんて天才だー!」「素晴らしい!!」「みんな、僕をたたえるんだ!」「「「おーーー!!」」」


 わーっしょい! わーっしょい!

 

 こうして、僕は、多くの僕達により、脳内で万歳三唱の上、胴上げを喰らってしまった。

 



 何だか、少しだけ、短編小説が好きになれそうな気がした。


 【完!!!】

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