出会いと夢

 ある初夏の日のこと。


 街を歩くセーラー着の少女。スラっと背筋を伸ばして歩む様は品があり、両親のしつけのよさ、そして厳しさが窺える。いつか来るだろうと乙女の誰しもが夢見る“その瞬間”は、四条湖都の予想を超えた形で、不意打ちのように訪れた。


 通りの角を曲がったら、


「キャッ!」

「あっ」


 ばふんっ。前方から歩んできた人と衝突する。顔が当たったのは相手の胸元。硬い感触から察するに相手は男。


「わっ、わっ!」


 足元を悪くした湖都はふらっと足を踏み、それでも前に倒れそうなところを、


「危ない!」


 目の前の男が湖都を支えようと手を伸ばす。しかし彼もまた足元が危なっかしく、


「やっ」

「う、うわああっ!」


 二人して地面に倒れてしまった。

 青年に覆い被さる湖都、気づいたときにはもう――、


「――ッ!?」

「……」


 重なる、――唇と唇。初めての、生温かかく柔らかい感触。


 まさか……口づけ!?


 ぱちくりと目を開閉させた湖都は、


「いやあああぁ!! お嫁に行けない!!」


 地面に手を付き、ばねのように起き上がった。リンゴのように顔を染め、目をぐるぐる回しながら口に触れ、


「そんな……、初めてが……っ」


 青年は反射的に立ち上がり、慌てて湖都に頭を下げる。坊主頭の細身で、年齢は湖都よりも少し上のようだ。


「ごめんなさい! ごめんなさい!」


 もやしのような体型で深々と頭を下げる様が弱弱しさと、異性への不慣れさを演出させる。


「う~~っ」


 心の底から申し訳なさそうに謝罪するもので、怒りのはけ口を失った湖都は、こぶしを握って唸ることしかできない。


「もう!! 知りません!!」


 ぷんぷん頬を膨らませた湖都は、周囲の注目を振り切るようにその場を去っていくのであった。

 

 就寝前。


「最悪だよ、もう……。よりによってあんなひ弱そうな人と口づけなんて」


 背もたれにぐったり身体を預け、天井を仰ぎながら嘆いた湖都。

 嘆いてから身体を起こし、姿勢正しく日記を執筆する。いつしかそれが毎晩の日課になっていた。


(綴ることで意味があるのかは……わからない。けど、少しでも残したい。きっと一つひとつに意味があって、失っていいものなんてないから)


 そう思うのと同時に、はからずも父を思い出した。父の職業柄、日記を書くたびに嫌でも連想する。


 湖都が嫌いな人。


 人々の気持ちを踏みにじるように、お上様の立場から命令する。自分は安全な所で構えているのがみっともない。自分の指示で他者が不幸になることに胸が痛くならないのだろうか。

 湖都たち家族を蔑ろにし、ここ数年は家を空けることがほとんど。ただ、そんな父のおかげで、自分が優遇された生活を送れていたのは事実。


 日記を書き終えると、湖都は床に就く。またしても瞼裏に思い返すのは、口づけの場面。


「はぁ、忘れよう。今はそんなご時世でもないし」


 普段だったら数分で眠りに就くところだが、今日はなかなか寝つけない。それでも数十分目をつむっていたら意識は遠のいていき、そうして完全な眠りへと就いた。


 はずだったのだが。


「ん……ん?」


 目が覚めてしまったのだ。あれ……? 眠ったばかり、だよね?

 湖都は目を擦った。そしたら、


「……、ええッ!?」


 なぜか目の前に男。それも、――今日口づけをしたあの青年。驚愕の湖都はキョロキョロと周囲を見て、


「ここは、校舎?」


 ミーン、ミーンと蝉が鳴く。大きな木が一本伸びた校舎裏にて、白い夏の制服を着る男。今日見た顔に比べやや幼く、湖都と同じくらいの年齢だ。そしてなぜか、表情に緊張を帯びている。頬に一筋の汗が伝い、ごくりと喉を鳴らした仕草はまるで告白五秒前。


「――――あなたのことが好きです!」

「ちょっと、本当に告白しないでください! ええッ、どういうこと!?」


 眠ったはずなのにすぐ目が覚めて、真正面にはあの男。そして突然の告白。


「夢にしては現実的すぎるし……、わけわかんないよ」


 目まぐるしい展開に湖都が頭を抱えたら、手のひらの違和感に気づいた。

 あれ、こんな感触だっけ?

 特に髪質。柔らかくてさらさら。湖都は首を捻ってから、ひょっこり背伸びして、前方のガラス窓の反照で自らの容姿を確認した。すると、


「だ、誰? 私じゃ……ない!?」


 黒髪に変わりはないが、長さが普段とは違い、背中の半ばまで伸びているのだ。服装は黒いセーラー服。中背だがバストは大きめ。そして特筆すべきはその顔立ち。


「かわいい……」


 湖都も美人娘として近所で評判だが、窓に映る顔は別次元の美しさがあった。凛とした切れ長な瞳は、心が吸い込まれてしまいそうな魔力めいたものが秘められている。

 このはっきりとした現実感はとても夢とは思えないけど、窓に映る女神のような顔立ちを見て、


「これ、夢なんだ」


 湖都はそう確証を得た。その証拠に、目の前の彼は、


「そ、そうですか……。ありがとうございます、理由を教えてくれて」


 湖都が返事をしていないのにもかかわらず、紙くずのようなくしゃくしゃの顔で、勝手に観念していたのだ。劇の舞台に立つだけで、周囲の登場人物がストーリーを進めていくようなもの。


「なんで、この人の夢を? どうして、告白されて?」


 混乱という混乱が頭の中を駆け巡り、


「この身体の人は、だれ? え~、どうなってるの~~っ!?」


 真っ白な入道雲が映える夏空の下で、湖都の叫びがこだました。

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