Operation 8 空母信濃、戦艦大和:ウラジオストク襲撃

 日本の周辺海域はほぼ制海、制空権が取り戻されている。日本海側は米軍の手が及ばぬ海域となっていた。数には劣るが圧倒的に高性能な九州航空隊のMe262Zが存在する限り、米軍は進出しようもない。さらに台湾にもMe262Zが配備され、フィリピン近海までの制空権が確保されつつある。アジア沿岸のシーレーンは点在する航空隊拠点によって支えられている。しかし、太平洋沖に出れば強力な米艦隊が待ち受けており、もはや潜水艦による迎撃以外は不可能である。

 

 日本海軍の残存艦は駆逐艦、潜水艦、大型艦では戦艦大和、そして回航中に受けた魚雷攻撃からかろうじて生還した空母信濃とあとは旧式艦だけである。信濃は大和型として建造された巨大艦だが、内部の電装など急作りの弊害もあって早急な対策を打たなければ使い物にならない。もし、信濃をきちんと整備できれば、ソ連沿岸、特にウラジオストクに一撃を加えることができるかもしれない、そう日本海軍は考えた。


 満州から陸軍単独での攻撃ではウラジオストクへの打撃が難しい。強力な陸上防衛戦が張られているからだ。しかし、ウラジオストクは東方の大拠点であり、放置するわけにはいかない。すでに、ソ連はクリミア地域のセヴァストポリ造船設備が開戦時のドイツの攻撃により壊滅状態である。迎え撃つ大艦隊は持っていない。だが、残存海洋兵力、港湾機能と航空部隊をせん滅するには海軍の出動が必須に思われた。


 さらに、日本にとってドイツを助けるためにはソ連東海岸への脅威を与える必要があった。ウラジオストクを占領する必要はなく、攻略されるかもしれないという恐怖をソ連に植え付ければそれでよい。作戦は天候が悪化する九月を避け、十月を目指して進められた。信濃の内部は雑に作られてはいるが、内部設備さえ整備すれば出撃は可能だ。艦載機として安定して使用できるゼロ戦もある。信濃の出撃はソ連戦闘機および攻撃機を封じ、かつ執拗な波状攻撃で敵航空隊を無力化するのが目的である。ソ連のイリューシン、ヤコブレフが相手ならゼロ戦で十分だ。爆撃用には彗星がある。


 作戦の遂行は御前会議で最終決定され、豊田副武が作戦総指揮を執ることになり、宇垣纏が司令官として着任することになった。豊田は考えた。信濃の改装に時間はかからないだろうと踏んだ。しかし、空母への離着陸が可能なパイロットは数が限られている。多くが戦死してしまったからだ。ここはベテランの力が必要だ。岩本徹三らエースに若手の特訓を依頼することにした。岩本らは喜んで応じた。期間は一か月しかない、しかしエースパイロットたちの情熱もあって離着陸訓練は順調に進んだ。


 豊田は作戦に使える艦艇をかき集める一方、信濃をまともに機能させるべく呉軍港に停泊させた。視察した宇垣は信濃の内部を見てあきれ果てた。


「いったいどうなってるんだ、この艦は。これでは指揮なんぞできるわけなかろう」


 宇垣は途中で途切れた伝声管を、指揮棒でたたきつけながら唸った。伝声管だけでなく電線一つさえ、きちんと配線されていないのだ。誰を責めるともなく、絶望的に駄目な内装を見てため息をついた。内装はすべて取っ払って一から始めたほうがまだ早くなる、そう考えた。しかし、もとが大和級の艦船だけあって艦体そのものや主要装備は実に立派である。あきらめている場合ではなかろう。


 すぐ着手にかかり、また操船を担う主要乗員は大和から三分の一ほどを引き抜いて、信濃に移した。戦艦武蔵が集中攻撃を受けたシブヤン海海戦での教訓をよく知る武蔵の生存者らも組み込んだ。武蔵からの生還者は比較的多く、千名を超える。この中から適格者を選べばよい。武蔵は沈没するまで驚異的なまでの耐久性を見せた。二十本以上の魚雷を両舷に受けたが、大和級戦艦の誇る船体傾斜システムを機能させて耐えた。万が一、敵航空隊の雷撃を受けた際には教訓になろう。


 一方で宇垣は艦隊をどのように編成するかを考え始めた。艦砲射撃のためには巨大戦艦大和が必要だ。爆撃機では不可能なほどの破壊力があるからこそ大和の主砲が必要なのだ。この艦は艦隊戦では役に立たなかったが、今度ばかりは活用させてもらう。四十六センチ砲はこのためにあるようなものだ。計九門の強力な主砲が順次、艦砲射撃すれば敵は戦意喪失に陥るだろう。


 重量千五百キロもある弾頭はその着弾エネルギーだけでも十分な破壊力を持つ。複雑な入り江を持つウラジオストク港を攻撃するには飛距離のある弾頭が必要だ。しかし、この点では四十キロ以上もの飛程を持つ大和の弾頭は適格な選択である。貫通力もあり、コンクリート製の港湾および港湾周辺設備を攻撃するにはこれ以上ない手段である。


 あとは旧式の長門、鳳翔、護衛として駆逐艦六隻、水雷艇、掃海艇を動員しよう、そのように考えた。すべての残存戦闘艦を動員するわけにはいかないのだ。艦載機はゼロ戦五二型四十機、彗星三十機、鳳翔には零式水偵などの補助航空機を搭載する。駆逐艦は資源輸送回廊防衛のために多くとも六隻の動員がいいところだ。


 岩本らの特訓は来る日も来る日も続いた。若手は音を上げるほどであったが、彼は強靭な体力を見せつけて訓練を続けた。よほど特攻でもしたほうが良い、とまで言うものまでおり、岩本はそのような者たちには寛大に帰省を促した。

 

 信濃の改装は電気系統、無線、そのほか雑多な内容が多いが甲板は使える状態であったので時折、瀬戸内海に出て離着陸の訓練も実施された。信濃を使えるようにしなければ、このような訓練も無駄になってしまう。技術屋たちは日夜、各種の系統を調べ上げて改装を指揮した。


 出航は十月一日と決定され、早朝に艦隊は出航した。呉軍港を出た艦隊は掃海艇を先導させてB29と日本海軍がばらまいた稠密な機雷群に注意しつつ、関門海峡を抜けて一路航海をはじめた。すでに掃海はやってはいたが、不測の事態は起きかねないのだ。そのような緊張感の一方で、士官以下の兵卒にまで夜には酒保が開放され、夕食時にも各人一本のビールが提供され、士気を一層高めた。


 幸いにも紫電改部隊で名をはせた三四三航空隊をはじめとする優秀な九州航空隊により、周辺海域は徹底的に制空力が高められていた。おかげで米軍による偵察行為すら見かけず、宇垣は一安心した。制空権もレーダーもないソ連の防空システムは作動していないに等しく、これもまた宇垣を安心させた。総攻撃は十月三日と決められている。のそのそとしているようではあるが、この攻撃は慎重かつ隠密裏に行わねばならない。


 十月三日、日本本土から暇を持て余すゼロ戦支援隊と一式陸攻爆撃隊が最初の一撃をウラジオストク港に与えた。ゼロ戦パイロットとして残存している連中は、かたくなにMe262Zの一撃離脱戦法を拒む歴戦の猛者である。いまだゼロ戦、一式陸攻の航続距離は長く、しかし対空砲もあるために一撃に過ぎないが現地を混乱に陥れた。


 そこに艦載機爆撃隊、艦載ゼロ戦隊が四次に及ぶ波状攻撃を実施した。二時間おきに波状攻撃されるにいたると、ウラジオストク防衛軍の士気は沈滞し、高射砲も破壊されるに任された。また、迎撃に上がろうとする鈍重なイリューシン・シュトルモビーク襲撃機、ヤコブレフの戦闘機は離陸する間もなく機銃掃射で無力化された。


 わずかに離陸できた低空の戦闘機はゼロ戦が得意とする格闘戦に巻き込まれ、次々に撃墜された。並みはずれた旋回能力を持つゼロ戦に格闘戦で勝てる戦闘機はいまだないのだ。背後をとったつもりが、ゼロ戦が上昇左旋回したらもう自機が背後になる。そして機銃を浴びてお終いなのだ。急降下すれば難を逃れられるが低空では急降下なんぞできはしない。米軍は徹底してゼロ戦との格闘戦を禁止したが、ソ連にその知識はないのだ。


 艦船にとって脅威となりえる航空機軍が沈黙したのを見計らい、偵察機で目標を確認したのちに戦艦大和の四十六センチ主砲が火を噴いた。巨大な四十六センチ砲弾は大和の弾倉が尽きるまで撃ち続けられ、ウラジオストクは廃港と化した。総機数、千五百機にもおよぶソ連空軍はほぼ活躍する機会もなく無力化された。


 ウラジオストク沿岸は廃油が漂い、うらぶれた極東の一拠点と化した。


―――――


 注:本小説では、小説開始時点の一九四四年八月以降の歴史を一部改変しています。実際の空母信濃は四四年十一月に、未完成のまま横須賀から呉に回航中、潜水艦アーチャーフィッシュのたった三発(所説あり)の魚雷によって沈没しています。防水ハッチも閉まらない、無防備な状態で米軍潜水艦の跋扈する静岡県沖を航海したためと言われています。

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