Operation 7 パナマ封鎖作戦

 一方、日本では指導部が混乱する中、陸海軍首脳と文民による集団指導体制に移行していった。様々な作戦の失敗責任をとらされた東条は、最後まで抵抗を試みたが自宅軟禁されることになった。頭脳はよいが感情的で突発的行動を起こしがちな東条を警戒し、彼は厳重に監視された。また、東条の取り巻きである陸軍主戦派が和睦条約締結を妨害する可能性があり、東条と同じ状態におかれた。


 日本政府指導部の混乱は、ドイツに戦争の主導権を渡すようなものではあったが、デーニッツはヒトラーと異なり、頭脳に優れ、感情的に安定した信頼できる人間である。かく乱要因となる東条のような人物を排斥して、日本指導部の集団指導体制が固まれば、安定した政権運営が可能になるだろう。かつて大衆扇動に活躍した新聞は、今や逆の立場で苛烈な規制が敷かれ、記者には特高がつきまとった。


 政治の安定化が進むと同期して、潜水艦建造がほぼ終了した。予定通り七月中旬過ぎであった。物資輸送と再建は困難を極めたが、現地部隊の強力な支援のもと米軍の妨害は最小限に抑制された。潜水艦作戦における戦闘計画立案は日本海軍中心で実施された。及川、豊田と海軍実力者ら、エースパイロットが協力して戦術を練った。最終的に海軍首脳部は次のように戦術を決めた。


 一、潜水艦隊は日本各地の軍港、民間港から分散出撃し、敵をかく乱しつつパナマ沖で集結する。


 二、集結が難しくなるため作戦中は無線封鎖しない。ドイツの改良エニグマで通信をする。


 三、通常型潜水艦はパナマ周辺艦船を一斉に九三式酸素魚雷で攻撃し、一掃する。


 四、晴嵐には航空機油の余熱設備がある。したがってイ400型は航空機離陸の準備、つまり発艦に専念し、通常型イ号に敵艦船の処分を一任する。敵の艦船が片付いたら、晴嵐をイ400型から一斉離陸させる。


 五、パナマ運河は中央部の標高が高く弱点である。その付近の水門、関係設備を片端から攻撃し、運河機能を不能とする。


 六、以上は八月中旬に実施する。攻撃命令は現地潜水艦隊司令官、森本の判断による。


 これで、パナマ運河は片付くだろう。パナマ運河東側拠点には多数の軍艦が対日戦用に移動している。対ドイツ向けに軍艦を移動しようとしても、荒れるドレーク海峡を、精密機器満載の空母を余計な時間と危険をかけて回り込む必要が生じ、事実上不可能だ。特に空母機動部隊の回航を不可能にすることは重要である。ドイツは艦船破壊作戦を実施しているが、数で圧倒する米軍の処理にいまだ手こずっており、良い知らせとなろう。


 その頃、米国ではプルトニウム原爆の実験「トリニティ作戦」が成功していた。爆発の規模も予想できず実施された最初の核実験ではあった。威力は当初予定された以上であり、都市を破壊するには十分であることが証明された。あまりの破壊力に米科学者らは騒然とした。情報はドイツ諜報機関を通じて日本にも伝えられた。日本は防空を強化し、制空権確保を徹底することにした。プルトニウム爆弾は、ウラン原爆に比べて時間のかかる遠心分離法を必要とせず、さらに時間が経過すれば量産される可能性もある。


 B29でなければ運べないほどの重量のある爆弾、それが原爆だ。B29さえ近寄らせなければ、原爆を落とすことなど不可能であるし、トリニティ作戦に使われた原爆も含めて製造中のものを除けば、まだ三発の原爆しかもっていない。実験で使われた一つを除けば、残りは二つだ。貴重な二発を防空の固まった日本上空までB29で運ぶほどの度胸はないだろう。撃墜されればマンハッタン計画の成果が帳消しになってしまう。


 米国はトリニティ作戦での成功をむしろ、宣伝に使い始める可能性の方が高い。いかに強力な兵器を持っているか、それをアピールすることで日独に圧力をかける、政治的切り札としてだ。現に、マンハッタン計画の責任者、オッペンハイマー博士はむしろその方が良いと判断して、トルーマン大統領に進言した。


 現状、制空権は日本にあり、原爆を搭載したB29が撃墜されてしまえばそれまでだ。すでに、原爆をサイパン諸島に運搬し、帰還途中の重巡洋艦「インディアナポリス」が日本の潜水艦に撃沈され、冷や汗ものだった。そもそも、このような兵器は実用的に使うことさえできないのではないか、とさえトルーマンも考え始めた。


 七月二十日、日本各所とトラック島から分散して潜水艦は出撃した。そのことは改良型エニグマでデーニッツにも伝えられた。エニグマ暗号は一部解明されていたのみで、全解明には至っていないことが英人捕虜から改めて明らかにされていた。しかし、念のため小改良を加えた改良エニグマであらかじめ決めた合言葉で通信がなされた。日本潜水艦隊がパナマ沖に集結したのは一カ月後の八月二一日の深夜であった。


 森本指令は全艦の到着を待ち、八月二十二日早朝に攻撃命令を下した。イ号は一斉に潜航をはじめた。森本指令の艦は晴嵐を搭載したイ405であり、まだ出撃はしないがいつでも航空爆撃が可能なよう、準備がなされた。イ400型には航空機エンジン・オイルの余熱設備があり、それを稼働させた。そうすることで、直ちに晴嵐を発進させることができる。


 奇襲はほぼ成功であった。通常型イ号の放つ航続距離の長い九三式酸素魚雷は、航跡もなく敵艦に向かい、輸送船、戦闘艦が次々に沈んでいく。乗員救助をすべきだろうか、と森本は思った。だが、潜水艦のスペースには申し訳ないが大きな収容室がない。人道的に救助しないのは和睦で不利になる。ゴムボートを多数用意してきたので、それを放出した。ゴムボートに日の丸と日英、スペイン語で「コノボートヲツカエ」と記載されていた。


 イ号は夜明け前から半日以上にわたり攻撃を続け、掃討作戦に移った。森本は正午前、ついに晴嵐を発進させることにした。晴嵐の乗員、かわいそうだな、と思った。米軍の戦闘機に出くわしたら速度的に不利な晴嵐は撃墜されてしまうだろう。しかし、やらねばならぬ。晴嵐の飛行隊がパナマ運河目指して向かっていく。


 パナマ運河では果たして高射砲と、P47が待ち受けていた。どうしてもパナマ中央に到達が難しい場合には、パナマ水路に爆弾を落とせばそれでいい、と森本は言いつけていた。かくして、パナマ運河中央部は一部の攻撃のみにとどまったものの、水門を多数破壊し、周辺設備も攻撃した。晴嵐による爆撃作戦は成功といってよい。晴嵐は潜水艦付近に着水し、乗員を回収してそのまま廃棄された。おびただしい油が周囲の海に漂っていた。晴嵐の生還率は五十%ほどにしかならなかった。


 森本は、持参した造花の花束を海に投げた。森本は爆撃作戦に参加したパイロットの多くが帰還できないだろうことが分かっていた。このようなことはしたくはないものだ、と思ったが成功を打電した。


 デーニッツのバトル・オブ・ブリテンも終盤に近付いており、工場、線路をときおり爆撃する程度で始末をつけるつもりであった。これからすることはソ連軍に対してどう対抗するか、だ。まともに戦って勝てる相手ではない。

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