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 式は滞りなく進んだ。新婦の入場で両親と彩香は泣き、誓いのキスで新郎新婦は幸せそうに笑い合い、二人の退場で会場はお祝いムードに包まれる。

 智香は始終、端っこで息を潜めていた。怒りも悲しみも感じることなく、無表情に「風景」を見つめる。亮平は雄太にべったりとくっつき、雄太は智香のほうを一度も見ることなく、話しかけることもなかった。


「あ、ねえほら、あれ」


 披露宴会場にノロノロと足を進めていたとき、会話が耳に飛び込んでくる。何気なしに視線を向けると、複数の目が智香に向けられていた。

 彩香の招待客だ。若い男女のグループが、慌てたように智香から視線を逸らした。だが、我慢出来ないという具合でちらちらと智香を見ては、ひそひそと仲間内で会話をしている。


 よく見ると、受付にいた女の子たちがその中に混じっていた。何度も智香を見ては、肩を震わせている。

 少し前の自分なら、それを見てどう思っただろう。


 美しい自分を見て称賛しているはずだと思い込んでいたかもしれない。私はあなたたちとは違う、お金を稼いで、努力して美を手に入れたのだから、当然だと。


 すっごい、綺麗な人。


 式が始まる前に自分に投げかけられた言葉。あれは本当に、素直な誉め言葉だったのだろうか。

 今の態度を見てもなおそう思えるほど、智香の頭はおめでたくはない。


(私、馬鹿にされてたんだ)


 結婚式場に入った時から感じていた視線。嫉妬でも羨望でも何でもない。

 ただの嘲笑と、侮蔑の目だったのだ。

 指定された席についた智香は、一人ぼうっとしていた。誰に話しかけられることもなく、ただ時間が過ぎていく。


 披露宴のオープニング動画が流れ、花田院長の挨拶となり、父が乾杯の音頭を取り、招待客に酒が回り始めるころになっても、智香は抜け殻だった。

 運ばれる料理を淡々と口に入れても、味がしない。綺麗に彩られた蕪のムースも、サーモンと旬野菜のカルパッチョも、フォアグラのフランも、その全てがただの「食べ物」に過ぎなかった。


「まっずい」


 ぼそっと呟いても、反応してくれる人は誰もいない。高砂はファーストバイトで大盛り上がりで、招待客がテーブルを立ってスマートフォンを構えていた。新郎が大口を開けてケーキを頬張ったところで、笑い声と大量のシャッター音が聞こえてくる。


 半ば無意識だった。ゆっくりとした動作でバッグの口を開けて、見慣れた瓶を取り出した。錠剤を二つ、口に投げ込む。

 とろみのある甘さが、舌の上に広がった。ほっとする甘さがたまらずに、続けて二つ、三つと飲み込む。


 ガリッ


「ふ、ふふ」


 ガリッ ガリッ


 夢は智香を裏切らない。お金も手に入るし、不思議な幸福感も得られる。

 智香は会場を見渡した。笑顔、笑顔、笑顔。


(馬鹿らしい)


 そう思うと、顔の一つ一つがぐにゃりと歪んだ。

 赤ら顔の茶髪は、両目があらぬ方向を向いた猿の顔になった。

 綺麗な巻き髪の女は、舌を出して飼い主に媚びる犬の顔になった。

 恰幅のいい老いぼれは、ふてぶてしく会場を睥睨へいげいする蛙の顔になった。


「変なの。ふふ、あはは」


 皆、馬鹿みたいな顔をしている。確かにこれじゃあ、私の美しさが分からないはずだ。


(皆がおかしいんだ)


 父や兄のような頭脳は持たず、母や妹のような美貌を持たなかった智香は、幼い頃からまさに“中途半端”だった。どんなに頑張っても見放され、頑張りようのないことで更に見放され。


 夢を売るのは楽じゃない。辛い思いをして、肉体的にも精神的にもダメージを負って、やっと対価を得られるのだ。それを何度も何度も繰り返して、やっとこの完璧な姿を手に入れた。


(私は、自分の力で、綺麗になった)


 夢売りを始めて約半年。全収入は八桁を超えた。さすがの兄も、ここまで稼ぐ能力はないはずだ。兄どころか、父だって。

 両親の老いた頭や、平凡な群衆では理解しきれなかったようだが、智香は絶対的な美しさを手にした。もう智香は、“彩香の〇〇”では無くなったはずだ。


(理解出来ない皆が馬鹿なのよ)


 招待客の全てが、智香の目には人外のものに見えていた。鳥、猪、蛇、牛、その他諸々。目や鼻の位置がバラバラで、失敗したふくわらいの顔のようだ。おかしくておかしくて、抑えても笑いが込み上げてくる。


『それではここで、新婦はお色直しのため一時中座いたします』


 ガリッ ガリッ

 司会の声が騒がしい。もっと静かに出来ないものだろうか。この光景を堪能していたいのに。


『なお、新婦は中座の際、エスコートをお願いしたい方がいらっしゃるそうです』


 背の高い馬顔の司会が、彩香の元に歩いていく。マイクを手渡された彩香が立ち上がり、きょろきょろと視線を巡らせた。


『お姉ちゃん!』

「……え?」


 お姉ちゃん。それは智香の耳にもしっかりと届いた。

 瞬時に、全員の顔が人間に戻った。ぎょっとしたのは智香だけではない。両親も兄も雄太も、険しい顔をして智香のほうを向いている。

 彩香からマイクを受け取った司会が、口を開いた。


『はい、新婦のお姉さま、どうぞこちらへお出ましいただきまして、新婦のエスコートをお願いいたします!』


 会場入り口付近にいた従業員が、智香を立たせる。張り付いた笑顔が、あちらですよ、と高砂のほうへ誘導した。


『いやあ、これぞ美人姉妹ですね!』


 テンションの高い司会が、向かい合った二人を誉める。奇異の目が智香に向けられる中、会場は一層ざわついた。


『では、新婦の姉、智香様と共に、お色直しへと進まれます。どうぞ拍手をお寄せください!』


 呆然としている智香に、彩香は自然と腕を組んでくる。割れんばかりの拍手の中、丸いテーブルの間を縫うようにして、二人はゆっくりと歩いていった。

 一体どういうつもりなのだろう。彩香のエスコート役なら、兄でも母でも、他にいくらでも適任がいたのに。この期に及んで、お姉ちゃんっ子にでもなった気分なのだとしたら、頭がどうかしている。片腹痛いと言わざるを得ないのだが。


「お姉ちゃん、もうやめなよ」


 智香は横にいる彩香を振り向いた。招待客一人一人に笑顔を振りまきながら、彼女は智香にしか聞こえない声で話しかけてくる。


「目を覚ましなよ。前のお姉ちゃんのほうがいいって」

「彩香」

「私と張り合わなくたって、お姉ちゃんだって綺麗だよ」


 智香は歩みを止めた。隣に佇む妹を、見下ろす。

 今日の彩香は薄化粧だ。元から整った顔立ちを、ほんの少し引き立たせる程度しか施していない。

 だというのに、その可愛さに、男女問わず惹きつけられてしまう。


 生まれ持った、母譲りの美貌。智香には受け継がれなかった、天性の才だ。


“お前は、もうダメだ”


 淡々とした父の声。秀才の兄の背中を追い続けて、ついに手が届かなかった智香を失墜させた。


“中途半端なのよねえ、あの子”


 ため息まじりの母の声。何が、なんて聞かなくても分かっていた。幼いながらに将来を約束された彩香の顔を、母は可愛い可愛いと誉めていた。母のその顔と視線を、智香は一度として向けられたことがなかった。


 嫉妬と、憎悪と、憤怒と、寂寥と。


「ねえ、変だよ、その顔」


 走馬燈のように、蘇る。


「あんたに――」


 健康的な肌、痩せすぎず太り過ぎていない肢体。レースとビーズをふんだんに使ったウエディングドレスは、実によく映えていた。


「あんたに、あたしの一体何が分かるっていうのよ⁉」


 叫んだその時だ。脳裏に、あの声が聞こえたのは。


――やっとだねぇ


「え……」


 瞬きを繰り返す。智香に絡ませていた細い腕が、真っ黒になった。

 ウエディングドレスも、丸みを帯びた体も、全てが黒に。頭上で光り輝いていたティアラは消え、黒々とした眼孔が、智香を見下ろしていた。


「ひ――ぁ、ああ!」


――つかまぇたぁ


 長い鼻。汚らしい唾液を垂れ流す大きな口。黄ばんだ歯が、幾重にも並んでいる。


「あああああぁ!」


 肌身離さず持っていたバッグから、ナイフを取り出した。にたにたと面白がるように笑う化け物に向かって、鋭い刃先を、勢いよく突き刺した。


「お……ねえ、ちゃ」


 再度瞬き。驚愕に目を見開く彩香は、ゆっくりと後方に倒れて行った。

 彩香の肌と、シルクの白が、真っ赤に染まる。胸元に花が咲いたようで、とても綺麗だった。

 怒声と、悲鳴が響く。智香は近くにいた男性に即座に取り押さえられ、血相を変えた昌彦が彩香の元に駆けよった。


「ふ、ふふ、あははははははは……」


 おかしくておかしくて、笑いが止まらなかった。甲高い哄笑が、智香の口ら漏れ続けた。

 そういえば、今日の智香のドレスも真紅だ。ああ、姉妹お揃い。なんて美しい結婚式なんでしょう。


 天井が回る。大地がうねる。声が歪む。視界が、暗くなっていく。

 まるで夢売りをする時のように。智香の意識は、急速に沈んでいった。

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