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「薬、追加で買うわ」


 夢売りが終わるなりそう言った智香を、アダムは困惑した瞳で見つめた。


「ですが須藤様、この間買ったばかりでは」

「いいから買うの。三瓶じゃ足りない、十瓶ぐらい頂戴」


 アダムがうるさい。苛ついた口調で言うと、物言いたげな視線を寄越しながらも、スタッフルームに引っ込んでいく。

 最初から素直に従えばいいのに。そう思いながら、智香はバッグの中にあった瓶の蓋を開けた。


 手のひらに錠剤を出すと、じゃら、と音を立てて四錠出てくる。そのまま全てを口に放り込むと、咀嚼した。蜂蜜色の錠剤は、ほんのりと甘い。

 アダムは吉夢の錠剤を、箱で持って来た。ひったくるように取り上げて、立ち上がる。


「お支払いは」

「え、何? いつも通りよ、口座から引き落としでいいじゃない」

「……一括でよろしいですか? 十瓶ですから、高額になりますが」

「いいわよ。そうしておいて」


 何かを含むような言い方のアダム。智香は夢の館を出て、都心のほうへと向かった。

 今や智香にとって、錠剤は無くてはならないものになっていた。彩香の結婚式が来月に、兄の渡米が三ヶ月後に迫る中、焦燥感に似たものが絶えず智香を不安にさせる。


 それを落ち着かせ、平常心にさせてくれるのだ。一日一錠なんて悠長なことは言ってられず、二錠、三錠と服薬量は徐々に増えていった。

 マインドゲージの値は、常に乱高下していた。夢売りを行った直後は六十を切ることが多くなり、急いで錠剤を服用する。値は一気に九十近くなり、時に百を超えることもあった。


 そうなると、不思議な高揚感に包まれた。道ゆく誰もが智香を称賛し崇拝しているような気分になり、その時だけは兄や妹のことも心の底から祝いたい気持ちになる。


 とはいえ、その効果も次第に長続きしなくなってきている気がした。常に数値をチェックして数値が下がり始めれば飲むようにしていたのだが、やがてそれも面倒になり、欲しい時に欲しいだけ飲むようになっていった


 智香は歩きながら、バッグの外側にあるポケットを触っていた。そこに、今智香が手放せないものが入っている。

 錠剤。それから、スタンガンとサバイバルナイフだ。


 智香にしか見えない怪物。警察に訴えようと、無駄なのは最初から分かっていた。

 誰にも頼れないのなら、自己防衛するしかない――そう考えるのは、自然な成り行きだった。スタンガンを所持した時に、果たしてこれがあれに効くのかと疑問に思い、思い切ってナイフも購入したのだ。


 刃渡りはおよそ十二センチ。お守りみたいなものかもしれないが、無いよりは遥かにマシだ。


「予約している須藤ですが」

「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」


 駅の高層ビルの一角にある、高級エステサロン。フロア中にアロマが焚かれた受付で、営業スマイルを小顔いっぱいに張り付けた女性が、智香を出迎えた。


「本日も、全身コースでよろしいでしょうか」

「ええ。お願いします」

「では、施術室で着替えをお願いしますね」


 彩香の結婚式に合わせ、智香も今から調整に入っているところだった。


(彩香みたいだなんて、もう言わせない)


 盆に、兄に言われた言葉が、ずっと智香の胸に突き刺さっているのだ。

 これまで以上にエステの回数を増やした上に、美容整形も行うことにした。末広型の二重を更にはっきりとした二重にし、目尻を切開し目を大きく、涙袋を目立たせるように調整した。


 眉根、頬、口角下にヒアルロン酸を注入することで、顔全体にハリが戻り、二十代のころに戻ったような見た目となった。

 鏡を見るたびに、美しさに惚れ惚れとしそうになる。顔も体も、段々理想の自分に近づいているのを実感する。


 花嫁姿の彩香は大層美しいだろう。でも、それだけでは終わらせない。父を、母を、兄を、そして妹を。


(この姿を見せて、見返してやる)


 まだだ。まだ、智香の思う完成形に近づくためには、エステも美容整形も、もっとしないといけない。

 そのためにはやっぱり、金が必要だ。

 今ある分以上に、もっと、もっともっともっと――


「須藤様、お着換えは終わりましたか」


 扉の向こうから、エステティシャンの声が聞こえる。


「少し待ってください」


 バッグの中から瓶を取り出すと、蜂蜜色の錠剤を一粒、取り出した。

 飴のように舐めて、噛み砕いた。ほんのりとした甘みが体中に溶けて、全身に広がる。

 飲むたびに感じる、高揚感と安心感。極上の吉夢の味に、自然と熱い吐息が出てしまう。


 この体は、夢に溺れきっている。

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