7

「じーちゃぁぁぁん、ばーちゃぁぁぁん」


 実家につくなり、亮平の元気な声が響き渡る。智香の両親は孫煩悩で、亮平にも目がない。

 いそいそと出迎えたのは母だった。笑い皺を深く刻んで、亮平の目線に合わせてしゃがみこむ。


「よう来たねえ、亮平。ゆっくりしていきなさい」

「こんにちは、お義母さん。ご無沙汰してます。これ、つまらないものですが」


 雄太は、予め用意していた茶菓子を母に手渡す。母は亮平の頭を撫でると、立ち上がって雄太に視線を向けた。


「まあまあ、いつも気を遣ってくださって、ありがとう。雄太君も、ゆっくりしていってね」


 智香は、最後に玄関の戸をくぐった。母はそこで、やっと智香に目を滑らせる。


「……智香?」


 亮平や雄太に向けていた笑顔が飛んだ。ぽかん、と口をあけて実の娘をまじまじと見ている。なんだろう、この反応。


「なに? 私の顔に何かついてる?」

「ああ、いや――別にそういうことじゃないのよ。ただ、その、少し痩せたかしら」

「うん、まあ。ねえ、あがっていい? ここ、暑いから」


 母の視線に苛々する。嘆息して、居間にあがった。

 居間は賑わっていた。既に兄一家は到着しており、亮平と菜々子が遊んでいる。例年通りテレビは甲子園の試合を映していて、その前で父、勝太郎、雄太の三人が談笑していた。


「おう、智香」


 智香に気づいた勝太郎が、手を挙げる。自然と、智香に各々の目が集中した。


「智香――だよな?」


 その声をあげたのは父だった。眉を寄せて、不思議そうに智香をじろじろと見ている。 

 さすがの智香も、何かがおかしいと思い始めた。雄太に続いて、母、父。勝太郎や、台所から居間に移動してきた義姉の玲子まで、目を瞠っている。


「皆、何なの?」

「お前、彩香みたいな見た目になったな。そこまで似てたっけ?」


 兄の勝太郎が、何気なく発した言葉。それが、深々と智香の胸に突き刺さった。


(――彩香みたいな見た目、ですって)

「俺も間違えそうになったよ。なんだ、ちょっと見ないうちにべっぴんさんになったじゃないか、智香」


 父が満足そうに微笑む。その傍にいた雄太が、何故だか嬉しそうに笑った。否定もせず、惚気るように「ね、何だか綺麗になったでしょ」とほざいている。

 誰も、智香の心境には気づいていない。

 テレビから、鋭い音が聞こえる。わっと歓声が沸いた。


「お、ホームラン」


 勝太郎の声をきっかけに、再び居間には、和やかな空気が戻った。ちょうど同じタイミングで、母が台所から声をかける。


「簡単なものだけど、お昼にしましょう」


 居間の机には、様々な料理が並んだ。大きな器に盛られた素麺、大量に握られたおにぎり、卵焼き、ウインナー。缶ビールと、ぶどうジュース。

 まるで運動会のお弁当だ。だが子供たちは喜んでいるし、大人だって昼からビールを飲めるということで上機嫌だ。


 無表情なまま、淡々と箸を進めているのは智香だけだった。

 子供も大人も美味しい美味しいと言う一方で、まるで味が感じられない。蜂蜜色の錠剤を飲んできたにもかかわらず、素麺もおにぎりも、炭水化物の塊にしか見えなかった。


 幸いというべきか、今日彩香は実家に来ないらしい。今日は婚約者の実家に行き、明日来るそうだ。つまり、今年の盆は彩香と顔を合わせる必要はない。

 話題は、菜々子と亮平の学校の話であったり、玲子の職場の話で盛り上がった。


「そうそう、彩香の結婚式ね、十一月にあげるって話よ。智香たちも空けておいてね」

「あ、そういえば」


 何故かこのタイミングで、勝太郎が思い出したように声をあげる。既に赤ら顔になっている彼は、わざとらしくこほんと咳をすると、居住まいを正した。


「こんな時で悪いんだが、俺から、ニュースがあります」

「どうした勝太郎。そんなに改まって」

「俺、年が明けたら、転職します。それから、アメリカに行きます」


 全ての視線が勝太郎に集まった。驚いた顔の親族を見渡して、勝太郎はにやりと笑う。


「予想通りの反応。ふふ、驚いただろ、皆」

(――転職? アメリカ?)


 智香の胸が鳴った。ばくばくと、大きく鳴り始める鼓動。嫌な予感が、頭をよぎった。


「どういうことだ勝太郎。説明しなさい」

「俺ね、前から引き抜きの話があってたんだ。……浜紅商事から」

「え、俺の会社から、ですか」


 雄太の声に、勝太郎が大きく頷いた。反応から、この話は雄太も知らなかったようだ。

 浜紅商事と浜紅テクニカルは、親子関係の企業でありながら、密接な商取引を行っている。勝太郎が親会社に頻繁に出入りしている中で、白羽の矢が立ったらしい。


「そ。前から俺に懇意にしてくれてる、篠原しのはら部長からの話でな。テクニカルじゃなくて、こっち――浜紅商事に来て、もっと経験を積んでみないかって誘われて」

「それで、ニューヨーク支社に配属ってことですか」

「そうそう。っていっても、最初は平社員からだけどね」

「凄いじゃないですか! 大出世ですよ、お義兄さん!」


 つまりは、ヘッドハンティングだ。

 へへ、と恥ずかしそうに笑う勝太郎に、興奮している雄太。社内のことが分からない他の者のためなのか、雄太は同じ調子で説明を付け加えた。


「俺らの会社は、中国、アメリカ、フィリピンに支社があります。そこに配属されるってことは、出世コースに入ったってこと同じ意味なんです。母体だけはデカい会社なので、その道に入れる人は、社内でも本当に一握りで。

 僕が言うのもなんですけど、いくら子会社であっても、テクニカルは社外の会社ですから、そこから引き抜きの話があったってこと、本当に凄い話なんですよ。

 確かに最初は平社員からでしょうけど――でも、数年後に日本に戻ってきたら、確実に昇格ですよ。やりましたね!」


 雄太は自分のことのように嬉しそうだった。アメリカ、と聞いて不安そうだった父と母の顔も、その説明を聞いて嬉しそうにほころんでいく。


「玲子ちゃんと菜々子はどうするの?」

「私達もついていきます。菜々子にとって、貴重な経験になるでしょうから」

「私ね、お母さんと英語の勉強してるんだよ。早くお友達作るの!」


 玲子も誇らしげに笑った。菜々子の熱意に、母は目を潤ませている。


「どうしよう。俺、英語話せないよ」

「お父さんも一緒に勉強しよ? ハロー、ハゥアーユー?」


 たどたどしい英語に、一同は笑いに包まれた。智香の指先は、氷水に浸したように、冷たくなっていた。

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