6
瓶に入った錠剤を一粒、手のひらの上に出す。
雄太と亮平に見えないところでそれを嚥下すると、瓶をポケットに仕舞った。
「こら亮平、早く歯磨きしろ。出発の時間に遅れちゃうだろ」
既に黒いポロシャツに着替えた雄太が、おもちゃで遊ぼうとしている亮平を抱える。ぶーぶーと文句を垂れている亮平を見送ると、智香も寝室に上がって化粧台の前に座った。
白を通り越して、青に近い素肌。エステのおかげできめ細かいが、どうしても血色は悪いままだ。
どれにしようか悩んで、“明るい肌色”の下地を選ぶ。血色の悪さくらいなら、化粧でどうとでもなる。
『良い夢って、ここで見るだけじゃなくて、本当に買うことは出来ないんですか』
化け物に追いかけられた次の日。智香は夢の館で、アダムにそう話を切り出した。
正体不明の人外のものに、追われる。これだけでどれだけ寿命が縮まる思いをしたことか。
その恐怖をありのままに語り、そして智香の疑問をぶつける。
『悪夢をああやって実体化出来るのなら、吉夢だって実体化出来るんじゃないですか。私、それを買いたいんです』
アダムは黙っていた。目を伏せて軽いため息をついたところで、確信した。
これは、買える。
『もうあの化け物に追われたくないの。あの日みたいに、ここで夢を買えない日は絶対にこれからもある。だから、お願い。買わせてください』
アダムは席を立った。アダムだけが行けるスタッフルームに引っ込んだかと思うと、すぐに戻ってくる。その手には、小さな瓶が握られていた。
『こちらです。悪夢のような大瓶に詰めるわけにはいきませんから、凝縮して結晶化したものになります』
アダムは蓋をあけ、試しに一粒取り出した。智香はそれを見て、声をあげた。
『綺麗――宝石みたい』
紫に輝く悪夢は妖艶な輝きを放っていたが、こちらはまた違った魅力を持っていた。
透明感のある蜂蜜を固めたような色だ。光に透かすと、茜や黄金のような色に変化する。錠剤ぐらいの大きさのそれが、瓶の中にぎっしりと詰まっていた。
『この瓶の中に、三十錠入っています。一日一回、一錠限りです。これを飲むと、こちらで吉夢を見た時と同じ効果が得られます。いいですか、一日一錠ですからね』
怖い顔をして念を押してくるアダムを尻目に、一も二もなく、即座に購入した。
それ以来、智香の日常に再びあの化け物が出てくることは無くなった。
鏡の中に映る自分をチェックする。購入したばかりのサックスブルーのワンピースに合わせて、今日はブルーのアイシャドウをつけている。
(うん、ばっちり)
肌にくすみは一点も無く、健康的な肌に見える。我ながら、綺麗だ。
リビングに戻ると、雄太も亮平ものんびりと過ごしていた。どうやら、智香待ちだったようだ。
「お待たせ。行きましょうか」
智香が声をかけると、雄太が顔をあげた。そして、そのまままじまじと見つめてきた。驚いたように眉をあげている。
「……なに?」
「え、あ、いや――別に、なにも」
慌てたように目を伏せる。やたら変な反応だが、気にせず玄関に向かった。
おおかた、見惚れていたのだろう。なにせ、自分でも変わったと思うくらいに、智香は綺麗になったのだ。
玄関の全身鏡で、改めて全身をチェックする。
長い髪は光を受けて、艶がある。ダイヤのピアスに、ネックレス。縁に花模様があしらわれた、ティエルガのワンピース。足元は、ミサ・アイヴィのパンプスだ。
思い描いていた通りの自分が、優艶と微笑む。
(これで行き先が実家じゃなければ、もっと楽しい気分だったけど)
一年に二回、どうしても実家に赴かなければいけない時期がある。盆と正月は、智香にとっては一番嫌いなシーズンだ。
でも、今年は少しだけ違う。この装いに、この見た目。智香のプライドを保つ武装は、完璧だった。
颯爽と助手席に乗り込む智香を、雄太はじっと見つめた。結局妻に何も声をかけることなく、三人は智香の実家まで車を走らせたのだった。
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