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「この度は、白石しらいし家の二女である彩香様と、私どもの長男である昌彦まさひこに良いご縁を頂きまして、誠にありがとうございます」


 花田病院の院長、花田康彦はなだやすひこによるお決まりの文句によって、結納の儀は始まった。

 堂々とした物言いに、緊張している様子はない。何度か見覚えのある顔だ。

 白衣ではなくスーツを着て、診察椅子ではなく座敷椅子に座っているのが、何だか奇妙に見えた。


 およそ二十人が入るくらいの広間には、総勢十四人の人間が集まっていた。

 ガラス張りの大きな窓の向こうは、枯山水。苔むした岩が点在し、白い敷石が螺旋とさざ波の紋を描く。


 蓮乃井の玄関付近にあった見事な紫陽花が、ここでも美しく咲いていた。全体が一枚の大きな絵のようになっていて、さすがに見事な景観となっている。

 緊張しているのは本日の主役である彩香と昌彦、そして智香の両親くらいだろうか。その他は、厳粛な雰囲気の中だがリラックスしているように見えた。


「こちら、花田家からの結納品でございます。幾久いやひさしく、めでたくお納め下さい」


 女性陣は、子供を除いて皆が着物を着ていた。智香は今日のために、デパートで訪問着を購入していた。全体的に淡い水色で、腰から足元にかけて、藤の花をあしらった模様だ。


 総額二百万円以上はかかったが、智香の貯金は先日の夢売りで目標としていた五百万円を優に上回っていたため、難なく一括購入することが出来た。

 堅苦しい挨拶が続く中、智香はこっそりとそれぞれの着物を観察した。

 両家の母は、よくありがちな黒留袖。彩香は、白地に細かい赤い花があしらわれた振袖だ。きっと両親が、溺愛する彩香のために買い与えたものなのだろう。


 今となっては箪笥の肥やしにしかなっていないが、智香のときですら、両親は振袖を用意したからだ。とはいえ、明らかに智香のものよりも華やかで気品のある仕様だったのだが。


 一方、義姉の玲子れいこは、薄い黄色だ。梅かなにかの、よく分からない花がプリントされたそれは明らかに安物だった。


(レンタルかな。あの家庭じゃ、着物を買うなんて無理か)


 薄い化粧を施して清楚にしているが、老化によるシミや小じわが、誤魔化せていない。

 兄と同い年である玲子は、今年で三十四歳。実年齢は智香と二つしか違わないのに、五歳ぐらい離れているように見える。


 悪い人ではなく、むしろお人好しと呼ぶに相応しいくらい善人。自分のことはいつも後回しで、兄の勝太郎や娘の菜々子ななこを優先に行動しているらしい。玲子はよく働くしっかりもの、家庭の中では縁の下の力持ちだと、勝太郎は常々誇らしそうに語っている。


 だから、彼女は自分のケアが出来ないのだ。

 夫婦仲は良好だし、菜々子も大人しくていい子だ。義理の妹である智香にも、馬鹿みたいに優しくしてくれる。


(お兄ちゃんと結婚して身を粉にして働いて、家族のために犠牲になって、一体何が楽しくて生きてるのかしら)


 雄太が勤める浜紅商事の子会社、浜紅テクニカルで働く勝太郎。兄の年収がどれぐらいなのかは知らないが、結局は兄の稼ぎだけでは足りないから、玲子も仕事を辞められずに、働いているのだろう。


 そしてその結果が、あれだ。年齢による老化を防ぐことも出来ず、会えばいつも疲労を滲ませている女、玲子。

 可哀そう。そう思うと、玲子の着ている着物が妙に映えて見えてくるから不思議だ。


(まあ、義姉さんには、お似合いね)


 結納は滞りなく進んだ。運ばれてくる料理がこれまた高級なもの揃いで、いっそ笑いそうになる。

 いちいち両親は、智香と彩香の待遇に差をつける。もう、これしきのことで傷つく年では無くなったものの、時折、心の中に埋めようのない穴が開いているような気分に苛まれる。


「――いやあ、これで勝太郎には、頭があがらなくなりました」


 ぼうっとしていたところで、昌彦のそんな言葉がふと耳に入った。

 え、と思って智香が顔をあげると、勝太郎と昌彦が意味ありげな視線を交わして、にやりと笑い合ったところだった。


「俺も、まさか二人がここまで続いてくれるとは思ってなかったよ」

「ほんと、お兄ちゃんのお陰で、こんな綺麗な着物が着れたよ。ありがとうね」


 互いの両親が微笑ましく様子を見ている。兄妹の中で状況がいまいち把握出来ていないのは智香だけだったが、すぐに会話の意味に気が付いた。

 まさか、と思っていたところで、勝太郎が智香のほうを向く。


「そっか、お前には言ってなかったっけ。最初に、昌彦に彩香を紹介したのは、俺なんだよ」

「……何で? 花田さんとはどういう関係なの?」

「昌彦、俺の高校の時の同級生だからさ。ついでに言うなら、大学も一緒」


 初耳だった。なるほどどうりで、親しげなわけだ。


「僕は学生のころからずっと勉強漬け、卒業しても研修ばかりで、こういった浮いた話はなかなか……気づけば三十歳をとうに過ぎてしまいましたから、良い話はないかって、勝太郎に話を持ち掛けたんです。そしたら、彩香を紹介してもらって、今日を迎えることが出来たんですよ」


 えへへ、と彩香が恥ずかしそうに笑う。頬が桃色なのは、チークのせいではないだろう。付き合って一年以上経つと聞くのに、憎たらしいほど愛らしい感情表現だ。


「しかし、勝太郎がお兄さんになるのか……何だか、変な気分だ」

「お兄様って呼んでくれてもいいんだぜ、昌彦君」

「絶対呼ばねえ」


 会場がどっと沸く。赤ら顔の父から、いつもの厳格な雰囲気が消えている。父も母も、上機嫌だった。

 智香は白けた表情で見回した。アルコールが入った大人たちはみな、智香を除いて幸せそうだ。子供たちですら、大人の雰囲気にのまれて笑っている。


 智香は、まだ手が付けられていない食事をじっと見つめた。気づけば、ぐっと下唇を噛んでいた。


 ――また蚊帳の外か。


 厳選された素材が入っているという茶碗蒸しは、すっかり冷めてしまっていた。

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