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 今日の美原商店街も、やはり閑散としていた。

 快晴で実にのどかな平日の午前中。商店街の入り口から見れるだけで、およそ二十軒のテナントがあるというのに、開いているのはせいぜい五軒。寂れた眼鏡屋や青果店、あとはミセス向けの衣料店ぐらいだった。


 道を歩いているのは、「いつもにこにこベジタブル!」と書かれた緑のジャンパーを着ている業者の者。蝸牛ぐらいの速度でえんじ色のシルバーカーを押している老婆。それと、大あくびをかいて地面に寝そべる、黒猫。


 本当に、こんなところにあの店があるのだろうか。

 スマートフォンで調べた住所では、この商店街のちょうど真ん中あたりにあたる。自転車を商店街入口付近の置き場に停めると、半信半疑になりながら歩いた。


「ここを右……え、右?」


 スマートフォンが指し示す通路では、今智香がいる地点を右に曲がると、左方向に店が見えてくると表示されている。

 しかし、その道があまりにも細かった。商店街の道路と違い、舗装されているとは言い難い路面。通路を挟むようにして建てられた建物の陰にひっそりと存在していて、普通なら見向きもしないような細道だ。


 そして、進んでみて仰天した。本当にこの場に似つかわしくない入口が、目の前に出現したからだ。


 雨除けのひさしの下には、天幕が口を開けている。濃い紫色の布地にはところどころ銀糸が織り込まれていて、陽の光に反射していた。サーカスのテントか、はたまた占いの館の入口でも連想させるようである。

 恐る恐る中を覗くと、地下への階段に繋がっていた。


(お、思ったよりも暗い)


 眼下は仄暗く、地上と地下を隔てる見えない壁のように、ひんやりとした空気が漂っていた。

 しかし、どうやら下りきったその先には、扉があるようだった。僅かばかりの光に照らされて、取っ手のようなものが見える。智香はごくりと喉を鳴らした。

 ゆっくりと、地下への階段を下った。


(勢いで来ちゃったけれど、大丈夫かな)


 母に電話を切られた時の高揚感は、商店街に来るまでの間に少し萎んだ。本当に店の場所を突き止めて、いざ扉を目の前にして、もっと萎んだ。

 それでも、足が止まらない。


――お金があれば、何でも出来る。


 胸に突き刺さっているその願いは、揺らがなかった。

 扉を開けると、鼻孔の中に独特の香りがするりと入ってきた。

 頭の真ん中がしびれるような、甘い匂い。

 しかし決してしつこいものではなく、緊張感がほぐれて、リラックスするような香りだった。おそらく、香でも焚いているのだろう。


「いらっしゃいませ」


 真っ先に飛び込んできた声には、聞き覚えがあった。笑顔で智香を迎えるその顔を見て、あっと声をあげた。


「アダム、さん」

「私の名前をご存知ということは、ホームページをご覧になったのですね。ようこそ、おいで下さいました」


 アダムは嬉しそうだった。だが、服装は相変わらずド派手だった。

 光りそうなほど磨かれた革靴に、黒地のスーツ。ただし、いたるところに牡丹のような大輪の花があしらわれている。金髪のマッシュルームヘアは変わらないが、桃色の縁取り眼鏡は、もしかすると牡丹の色と合わせたのかもしれない。


 こちらにどうぞ、と声かけられるままに、智香は部屋中央にあるソファに座った。沈み込んでしまいそうなほど、ふかふかとしていた。


「少しお待ちくださいね、今飲み物を準備します――紅茶は飲めますか?」


 智香の頷きを確認して、アダムは隣の部屋に消えた。


(なんていうか、独特な雰囲気……)


 薄暗い部屋だった。ちらりと見上げると、蝋燭を模した電球が何個もついたシャンデリアがぶら下がっている。床も壁も真っ白で、アンティーク風のインテリア家具が壁に沿って設置されていた。

 応接間のような部屋だった。ガラス張りのテーブルを挟み、ダークブラウンの皮張りのソファが、対になっている。智香はその一つに腰掛けた。


「お待たせいたしました。どうぞ、こちら、特製の紅茶です」


 やがてアダムが持って来たのは、二つのカップとソーサーだった。オレンジのような爽やかな香りに誘われて、一口飲んでみる。ほんのりとした甘みが広がると、緊張感が少しだけほぐれたような気がした。


「それで、こちらに足をお運び頂いたということは、夢売りに興味がおありになるということでお間違いないですね?」


 優雅に紅茶を飲むアダム。探るように智香を見る目が、面白そうに揺れていた。


「えっと、あの……そういうことになるんだと思います、多分」


 咄嗟に目を逸らした。

 この部屋の匂いも、この紅茶の味も、この雰囲気も、この彼も。全てが相まって、目を合わせていたら、どうも調子が狂いそうになる。

 アダムは智香のそんな反応も、心得ているようだった。自信なさげに答えた言葉に戸惑うようなこともなく、カップを机に置く。


「お名前を聞いても?」

「須藤、智香です」


「では須藤様。おそらくあなたのその胸の中には、いくつもの疑問が渦巻いていることだと思います。

 夢売りとは何か、夢を売るとはどういう仕組みか、何か危険なことをするのか、もしくは危険なものを扱うのではないか、そもそも何故我らが夢を欲しているのか、一体我らはどういう存在でなにであるのか、高額報酬は本当に支払われるのか、その報酬は一体どれぐらいのスパンで支払われるのか――などなど」


 智香が思っていたことを、彼は全て言いのけた。智香の不安そうな表情にも慣れっこなのだろう、流れるように紡がれる言葉に、智香は何度も頷いた。


「お客様は皆、最初はそうなのです。慎重に慎重を重ねた挙句に、やって来られます。当然です――夢を売るだなんて突拍子もないこと、想像出来ないでしょうから」


 アダムは余裕だ。黙って見ている智香の目の前で、彼はおもむろにスーツの内側に手を入れた。


「こちら――お納めください」

「?」


 ガラスのテーブルに差し出されたそれは、真っ白な封筒だった。表には何も書かれておらず、ひっくり返してみても、何も書かれていなかった。

 そこで気が付いた。軽いが、僅かな厚みを感じる。中には何かの紙が入っているようだ。


「どうぞ、中身を」


 封はされていない。中身を取り出してみると、見慣れたものが五枚、出てきた。全て、一万円札だった。

 智香は目を見開いた。


「まずはここまで来ていただいたお礼に、少しばかりですが謝礼金をお支払いします」

「え? そんな……まだ、何もしていないのに」


 さすがの智香も狼狽うろたえた。その様子が可笑しいのか、アダムは上品に笑った。


「ここに辿り着いた、それだけで我らにはありがたいことなのです。ホームページは見ても、実際に店舗まで足を運んでくださる方は早々いませんから。初めての方には、まずはその勇気の対価として、五万円お支払いしております」


 本当にそんなことが、あるのだろうか。

 目の前の一万円札が震えている。アダムの言葉を聞いて、本物の紙幣を見てもなお、信じられない。


「急展開すぎて、私のことを怪しいと思うかもしれませんね」

「……はい。正直、そう思います」


 手に糊でもついているみたいだ。封筒を持つ手はしっかりとしていながら、智香はアダムのことをいよいよ怪しく思っていた。


――本当に、この人は、この店は、一体何なんだろう?


「そう思われるのも、ごもっともだと思います。

 ですがご安心ください。我らは決して押し売りのような行為は行いません。全てを説明し、ご納得頂いた上で、夢の売買を行っております。もしも今の時点で怪しいという思いが拭えないのなら、どうぞその五万円を手に、お引き取りください。しつこく引き留めるようなことは、一切しませんから」


 アダムの口調はゆっくりとしていた。わざとなのか、余裕感たっぷりに見える。


「ただし、もしも私の説明に賛同し、夢を売ってくださるのであれば――」


 アダムは声を潜めた。とっておきの内緒話でも明かすように顔を近づけるアダムに、智香も思わず身を乗り出す。


「高額報酬を確約しましょう。その五万円など、はした金に思えてきますでしょう。お金は今のように即日払い――いえ、即時払い致します」

「……」


 思わず喉が鳴った。何度見返しても、手元の五万円は消えない。


「広告を見ていただいたかと思いますが、お支払いは最低額が十万円です。内容によってその額は大きくなっていきますから、あっという間にお金が貯まりますよ」


 アダムの甘言が続き、智香の心に染み込んでいく。

 欲しいものが次々に浮かんだ。バッグ、財布、衣類、宝石。それらを身に着けた自分の姿。


 亮平にもいいものを着せてあげられる。塾代にもあてて、私立学校へ行くための準備金にするのもいいかもしれない。

 雄太はどうだろう? 自分達に余裕が出来れば、スーツの一着やゴルフ用品くらい買ってあげていいかもしれない。


 着飾った須藤家を思い浮かべて、次に兄や妹、両親が思い浮かんだ。智香が思い浮かべる彼らは、自然と平凡な服を身に着けて、智香や雄太のことを羨望の眼差しで見つめていた。


 無意識のうちに、智香は薄っすらと笑みを浮かべていた。

 お金はあればあるだけいい。あって困るものじゃない。

 智香の妄想が更に膨らみかけたところで、冷静な自分が頭を冷やせとブレーキをかける。


 しかし、いくら何でも怪しすぎやしないだろうか。具体的なことを何も聞いていないのに、やると決めてしまうのは、さすがに早計だ。頭の片隅で訴えるそれは、この店に入ってきたときから依然声高だ。


(でも、お金はすぐに払ってくれた)


 自分の中で、自分同士がせめぎ合う。目の前の事実と猜疑心の間で揺れ動く。


「一日に二時間から三時間のお時間を頂ければ、それに見合う報酬を必ずお支払いします。お客様の思いのままに、稼ぐ事が出来るのですよ。お話だけでも、聞いてみませんか?」


 アダムの営業トークが続く。言葉では勧誘していても、彼の言う通り、智香に対して無理に引き留めようとする態度は見受けられない。今すぐ帰りますと言えば、笑顔で見送ってくれそうだ。


 あくまでも、智香の意思に合わせようとしてくれている。 


「あの……夢を売るって、具体的にどういうことなんですか」


 話を聞くだけならいいんじゃないか、嫌なら断ればいいんだし――しばらくの押し問答の末に出した結論は、僅差で欲望が勝った。


「では、夢売りについてご説明致しましょう」


 アダムの笑顔が、一層深まった。

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