94th Chart:不良不屈



 ビーティーの取った策は、『インヴィンシブル』と『インフレキシブル』の2隻が1番艦を、『インドミタブル』と『インディファティガブル』が2番艦を集中的に叩き、敵の先頭部隊を速やかに沈黙させる。明確に足りていない数と、設計の段階では想定されていない性能の差を練度で埋めるのが狙いだった。

 とはいえ、個艦単位の純粋な戦闘力の差を戦力の集中を以て埋めるのは定石ではあるが、どこかに必ずしわ寄せがくる。今回、そのしわ寄せがされたのが『インディファティガブル』だった。

 艦隊の前方に戦力を集中させる選択した王立海軍とは異なり、敵は先頭を進む『インヴィンシブル』と僚艦『インフレキシブル』、続く『インドミタブル』には1番艦から順に1隻ずつ割り当て、最後尾の『インディファティガブル』には4隻もの戦力を振り分けた。

 結果的に、『インヴィンシブル』と『インフレキシブル』の2隻は最も恵まれていた。

 それぞれに対峙する海神は2隻の味方艦からの砲撃を受け続けるため、自分の担当する目標への砲撃に支障をきたすこととなる。その証拠に、2隻は悠然と割り当てた敵へ容赦ない砲撃を叩きこむことができた。

『インドミタブル』もまだいい。

 自らに向けられた砲に対し反撃する事を許されてはいなかったが、前の2艦が1番艦を仕留めればすぐに援護が回ってくる。情勢不利となっても、援護射撃が間に合う確率が高い。

 これ等の3隻とは対照的に、『インディファティガブル』には戦う前から暗雲が垂れ込めていた。

 1隻の巡洋戦艦に向けられたのは4隻合計40門の45口径13.5インチ34.3㎝砲。対して、彼女は4基搭載した12インチ連装砲を反撃の為に使用することはできず、援護の手も期待できない。まさしく孤立無援の状況下で戦闘を余儀なくされた。


 戦闘が始まった当初は、まだ海神の射撃精度が甘かったため、何とか割り当てられた目標に『インドミタブル』と砲撃を加えることができたが、それも長くは続かなかった。

 まず、敵6番艦の放った斉射が彼女を捉えた。

 艦の後部に集中して落下した砲弾の内、1発が後部艦橋を捉え端艇と共に後部にそびえていた三脚式のマストの基部を吹き飛ばした。傾斜し始めたマストトップの後部射撃指揮所から人影が放り出され、海面から屹立した至近弾の水柱の中へ悲鳴と共に飲み込まれる。支えを失った後部艦橋はボルトやリベットを弾き飛ばしながら倒壊し、舷側に飛沫を上げた。

 続いて、敵5番艦の斉射がまたも艦の後部を襲う。

 4番砲塔の側面に大穴が穿たれたかと思うと、数百トンを優に超える重厚な主砲塔が閃光とともに浮き上がり、菓子箱の様に拉げたかと思えば長大な砲身がうなだれ、黒煙の中に沈む。

 応急個所へ修理班を向かわせる間もなく4番艦、8番艦の斉射が同時に振り下ろされた。

 2艦合計20発の13.5インチ砲弾が19900トンの艦体を揺さぶり、4発がまんべんなく艦の各所に命中し、燃え尽きた板材と焼け焦げた鉄くずが舞い上がる。

 この被弾で左舷側の2番砲塔が正面防盾を真正面から叩き割られ、根元からへし折られた砲身が吹き飛び艦中央の番煙突に突き刺さり半壊させた。また、3番砲塔も至近への被弾委より電路を引き裂かれ旋回不能に陥る。

 4回の斉射で戦闘能力の4分の3を失った『インディファティガブル』だったが、唯一残った1番砲塔は未だに敵2番艦を睨み、なおも砲火を解き放った。

 例えどれほど我が身を引き裂かれようとも、砲が1門でも残っている限り踏みとどまり戦い続ける。その先に待っているのが死と引き換えに賜るものだとしても、関係ないとばかりに、海面に海油の帯を引きながら、血を吐くような砲撃を続行する。


 しかし、捨て身の奮闘が常に結果を残すわけではない。


 敵7番艦が吐き出した斉射弾が、『インディファティガブル』を包み込む。9発は艦の周囲にその姿を覆いつくす白いヴェールを噴き上げるにとどまったが、遅れて飛来した最後の1発が、【頑健Indefatigable】と名付けられた艦に、引導を渡した。

 足掻く様に砲撃を続けていた最前部の1番砲塔に、大きな落角を付けて突入した砲弾は、最も薄い天板を容易く貫通する。長大な砲身を支える砲架の間を抜け、揚弾機をねじ切りながら突き進み主砲弾薬庫で炸裂した。

 刹那、『インディファティガブル』の艦体が大きく膨れ上がり、次いで1番砲塔が直下から吹き上がった火柱によって空中に打ち上げられる。隣接していた艦橋が劫火に飲まれ、前部マスト最上部の射撃指揮所が弾け飛んだ主砲の残骸に押し潰された直後、基準排水量19900トンの艦体は艦橋直前で2つに両断された。

 推力を失った前半部に、後半部が27.5ktの全速で突っ込む。金属的な叫喚が海を渡りもつれ合う形で、巡洋戦艦と呼称されていた残骸は転覆し、赤い腹を割いて盛り上がった黒煙の中に沈んでいった。





「っち。まあ、そうなるか」


 後方で膨れ上がる爆炎を思い描きつつ、巡洋戦艦『インドミタブル』艦長――クラーク・ガーフィールド大佐は煤のついた頬を歪ませ思わず舌打ちをした。

 王立海軍の軍装に恰幅の良い体形を無理やりに押し込めた壮年の軍人であり、血と硝煙に塗れた艦橋よりも宮殿に居る方がイメージにそぐう人物であった。二重顎を備えた丸顔には汗と微かな焦燥に彩られた不機嫌そうな表情が浮かび、眉間には皺を寄せている。同僚と比較し矮躯であることから、【ドワーフ】や【短気なブルドック】と渾名されていた。

 不機嫌そうだった黒目から殺意すら籠っていそうな光が漏れた時、後部艦橋の副長から連絡が入る。


『艦長、味方の救助は……』

「副長、もし行きたいのであれば貴様だけが行け。甲板に転がっている端艇の破片ならば好きに使うがいい。――――バカなことを考える前に、本艦を救う事にベストを尽くさんか大馬鹿者!」


 ガーフィールドの一喝に『も、申し訳ございません』と消え入るような言葉が伝声管から漏れる。王立海軍兵学校を優秀な成績で卒業したエリート様らしいが、理想と現実の区別がついていない。所詮は卵の殻がケツに着いたままの若造だと言う事だろう。


「艦長、若いモノをあまり虐めるのはいかがなものかと」

「リージェント・ストリートのオフィスならもう少しは気を遣う。残念ながら、ヤツには否でも俺と貴様らの命を預けにゃならん。生き延びたらフォローの一つも居れてやるとも」


 航海長の全くと言っていい程諫めるつもりのない諫言に鼻をならす。彼の本音としては副長だけでなく、この芝居がかった言い回しを好む航海長も頭痛の種だったが、上の意向に沿うのが軍隊と言う組織だった。


『機関区より艦橋!艦底部より浸水発生!』


 この期に及んで余り聞きたくなかった報告に「クソッたれFuck」と悪態が口を突くが、それよりも早く至近弾の衝撃が『インドミタブル』を揉みしだいた。連続する水中衝撃波は10を超えたあたりから連なって判別不能になる。何が起きているのか、考えるまでもない。


「艦長!5、6、7番艦も本艦への砲撃を開始しました!集中砲火です!」


 見張り員の絶叫のとおり、状況は目まぐるしく変わり続けている。

『インディファティガブル』を失った『インドミタブル』はこれで5隻、50門の主砲に狙われることとなった。これまで『インドミタブル』を砲撃していた3番艦以外の4隻は主砲の照準からやり直しになるが、確率の神を突破する最善手である数の優位は揺るがない。

 早々に手を打たねば、新鋭戦艦がもう一隻漁礁に変わることとなる。


「敵2番艦に命中弾!2ないし3を確認!」

「4番砲塔より伝令!火災鎮火の見込み!」


 状況が最悪へ向かって転げ落ちようとしている中でも、幸いなことに明るいニュースは幾らかあった。

 4番砲塔に直撃弾を受けて火災を引き起こしてはいたものの、弾薬庫誘爆と言う最悪の事態には至らず、乗員の必死のダメージコントロールにより火勢を収めることに成功しつつあるようだ。

 また砲術長は主砲火力の4分の1を失ったとしても、斉射6発の内、半数近くを命中させる神業も見せてくれた。残念ながら、装甲板に弾き返されたのか目立った損傷は無いが、長砲身12インチ砲から放たれる徹甲弾を何発も喰らえば、いくら重装甲の戦艦とはいえただでは済まない。


「敵1番艦炎上中!」

「『インフレキシブル』より発光信号!【我、援護ス】!」

「了解したと伝えろ」


 軍帽の庇の下から覗く鋭い眼光が、黒煙を棚引かせる敵2番艦を見やる。10発以上の命中弾を送り込んだはずだが、その黒々とした背の発砲煙が途絶えることはない。奴を仕留めるまで、王立海軍は派手に動くことはできない。


「本音を言えば、直ぐにでも回避行動に移りたいとこですねぇ」


 航海長のボヤキに、同意したい気持ちを奥歯を食いしばり噛み砕く。そんなことは自分が一番思っていることだと、皺だらけの渋面を作る顔が雄弁に語っていた。


「――味方は全速で航行中だ。砲撃を避けるため転舵を繰り返せばたちまちおいて行かれる。『インディファティガブル』無き今、孤立は死を意味する」

「機関区に浸水はしてますが、まだ足は衰えちゃいません。――――逃げ出すんなら、今の内ですよ。命あっての物種では?」


 タールの様なべたつきを感じる思いもよらぬ提案に、黒真珠の様なガーフィールドの視線が肩越しに振り返る長身の航海長の目に突き刺さる。彼とはこの艦の艤装員長に就任した時からの付き合いだ。

 長身痩躯で面長の四角い顔に無精ひげを蓄え、スマートさの対極にいるかのような印象を与える。軍服も決戦だというのに着古した代物を着まわしており、王族臨席の観艦式などやむにやまれぬ事情が無い限り、新品を身に着けることはない。

 私生活も奔放の一言に尽き、上陸ごとに場末のパブで朝まで飲み明かし、付き従った「同胞」を悉く撃沈して何食わぬ顔で集合したかと思えば。些細な行き違いで発生した他艦の乗員との乱闘騒ぎで、後から参加したにもかかわらず最前線で殴り合い、真っ先に営巣にぶち込まれた逸話すらあった。

【始末書でバリケードが作れる不良軍人】、【永年中佐】、【プライベティア】などなど、不名誉な渾名を勲章変わりに身に纏う男。栄えある王立海軍の海軍士官と言うよりも、渾名の通りギルド艦や海賊船の船長を務めている方がしっくり来てしまう。

 ガーフィールドはこの男は好きではなかったが、その腕だけは一応信用していた。この敗北主義的発言に思うところが無いわけではないが、営巣にぶち込むには状況は悪くなりすぎている。


「胸を張って外を出歩けぬ命など、コチラから願い下げだ」

「なるほど、艦長は実に模範的な王立海軍将校ですな。――我が友人曰く、ある国では『断じて行えば鬼神もこれを避く』と言う言葉があるようで。そのご立派なジョン・ブル魂で、ついでに敵の主砲弾も逸らしてくれやしませんかね」


 必死に憤りを抑え込んだ蓋を事も無げに蹴飛ばされ、「貴様」とガーフィールドが声を荒げようとした瞬間、再び弾着の水柱が『インドミタブル』を襲う。

 182mに達する艦体が暫し海の檻にとらわれ、ややあって艦首が絶壁を押し割って外界へと滑り出る。

 命中弾は2発。艦の最後部の甲板と、後部艦橋が有った位置から黒煙がたなびいている。後部艦橋の真上に立ち上がっていたマストは後方に向けて倒れ、板材や鋼片を巻き上げながら4番砲塔の跡地を踏みつぶした。

 周囲に居た将兵がどうなったのか、困惑気味の見張り員の絶叫が全てを物語っていた。


「こ、後部艦橋大破!いえ、崩壊しました!」

「クソ、やってくれる」


 全艦を走り抜けた衝撃を打倒され、頭を振りながら立ち上がるガーフィールドとは対照的に、航海長は「なんとも不運でしたな、あの若造は」と他人事のようなセリフを皮肉気な微笑と共に吐き出す余裕があった。


「航海長。副長がやられた、予備応急指揮所に移り指揮を引き継げ」

「仰せのままに」


 暗に「失せろ」と言う艦長に振り返り大げさに一礼した航海長は、近場に居た船精霊に羅針盤を任せ悠然と歩みを進める。あたかも、この艦の主は自分だとでも言う様に。


「では私は艦内で作業指揮を取ります。よろしいですな?」

「一任する。とっとと行け」


 30センチほどの高さを見下ろした航海長は、ラフに敬礼すると艦橋の外へと消えていく。どういうわけか、通路の奥に消えていく丈高い背中が薄汚れたドブネズミと重なった。

 ともかく、後に残ったのはガーフィールドと船精霊のみ、これでようやく指揮に集中できると一つ息を吐く。


 ――戦争、人生、浮浪者染みた部下に人を数字でしか見れぬ上官。どうしてこうも、世界と言うのは上手く行かない歯車で回っているんだ。畜勝め。


 碌に信じていない神を数瞬罵倒し、意識を戦争へと引き戻す。14000ヤードの彼方では、ちょうど本艦の斉射弾が降り注いだ瞬間だった。敵の艦上を滑り始めた砲煙を切り裂き、複数の水柱が吹き上がる。全身により敵の姿が現れれば、先ほどよりも黒煙の量が増えているような気がした。


「ただ今の斉射、命中弾およそ1」


 距離も偏差も適正ではあるが、如何せん砲門数が少ない。散布界内に敵を捕らえ、主砲弾を送り込む公算射撃では、実戦で有益な戦果を挙げるために最低でも6門の砲が必要だと考えられている。

 タダでさえ精度が低く散布界の広いインフレキシブル級の主砲が、その数さえ減じてしまえば、実質的な攻撃能力の低下は4分の1程度では済まないかもしれない。

 主砲の再装填を待つ間に、ガーフィールドは迫りくる轟音に思わず天を見上げる。20両編成の貨物列車が複数空を駆けるイメージが脳裏をよぎった瞬間、『インドミタブル』は海水の森に包み込まれていた。

 前部マストを掠めた1発が空中線を断ち切り反対舷側へ着水し、海を空へと打ち上げる。続いて1発が錨鎖孔に直撃し、錨と共に放り上げられた鎖が大蛇の様にのたうちながら宙を舞って海に引きずり込まれていく。手前に着水した後、艦底部に潜り込んだ砲弾が起爆すれば、水中衝撃波の槍が機関室を守る艦底を突きあげる。

 19900トンの艦体が木の葉のように揺れる中、後部甲板へ3発が直撃し4番砲塔と後部艦橋の残骸を完全に破砕し、再び火災を発生させた。

 艦の後半部に黒々とした巨大な火災煙を背負い、彼方此方から黒煙を噴き出しながらも、『インドミタブル』は何とか死神の手から逃れる。


「ええい!まだ2番艦は仕留められんか!」


 煙が流れ込み、息も視界も効かなくなり始めた艦橋で、ガーフィールドが咆えた瞬間だった。『インドミタブル』以上の損害を受けながらも、砲撃を続けていた敵2番艦が着水の水柱に包まれる。海面から白い柱が付きあがる直前、2番艦の艦上に閃光が走ったのが垣間見えた。

 艦橋の誰もが固唾を飲む中、崩れ落ちる水柱を突き崩して現れた敵の姿は明らかに変わっていた。

 インフレキシブル級よりもやや頼りなく思える単脚式のシンプルなマストは2本とも折れ飛び、艦首側に火災が発生したのか盛り上がった黒煙が後ろへと靡き艦のほぼ全体を覆いつくしている。そして何よりも。


「敵2番艦に火災発生!速度低下!行き脚止まります!」

「よし、これで――」


「助かった」という言葉が漏れる前に、『インドミタブル』はこの日何度目か分からない衝撃に揺さぶられた。







「航海長!現在の状況ですが―ぐっ!?」


 艦内の主要装甲区画内に降りた航海長に、慌てた様子で駆け寄った船精霊は出合頭に胸倉を掴まれ足が宙に浮く。強引に目線の高さを合わせられた視界に入ってきたのは、この最悪の状況を何処かで楽しむ狂気と不快感を綯交ぜにしたような男の顔だった。


「薬室にぶち込まれて砲弾と一緒に片道旅行したくなけりゃ、まずはクソ拙いコーヒーでも飲んで落ち着け、アラン君。伝令の貴様が慌てたところで我が艦が救われるわけではない」


 目の前に迫る灰色の瞳に、コクコクと反射的に何度も頷く。ただ吊り下げられただけだというのに、眉間に銃口を押し当てられているかの様なプレッシャーに息がつまりそうだった。

 航海長は目を白黒させる船精霊を吊り上げたまま、後部艦橋が吹き飛んだ際の予備の応急指揮所として指定されている食堂に大股で乗り込んでいく。

 この艦の中でも屈指の広さを備える食堂内は野戦病院の様相を成している。床やテーブルに、血を滲ませた包帯に包まれる乗員たちが転がされていた。

 同時に、反対側の通路から後部艦橋の沈黙を知ってこちらに移ってきた応急班が2班現れる。誰もが今まさに修羅場をくぐってきたらしく、血と汗と硝煙と海水に塗れ、つい数日前までピカピカの軍装と共に舷側に整列していた時とは似ても似つかない。

 その姿を見つけるや否や、航海長の指示が飛んだ。


「地獄へようこそ、諸君。C班はまず3番の消火ポンプを修理し、G3からH4へ配管をバイパスしろ。それで、水は足りるはずだ、後部指揮所の消火に迎え。D隊は下部機関区の応援に周れ、角材を忘れるな。資材が足りなきゃあるところから引っ張り出せ。質問は持ち場を直してから受け付ける、別ったら走れロクデナシ共!」


 乱暴ではあるが的確な指示に、命からがら逃げ延びてきた乗員は苦笑と共におざなりな敬礼を送って即座に駆け出していく。そこにみられる奇妙な信頼関係は、軍隊と言うよりも違法ギルドに近い。放り投げられるように解放された伝令の船精霊は、あの一団は以前航海長と共に乱闘騒ぎに加担した連中だったことを思い出す。

 最後の一人が食堂から姿を消す直前に、航海長は近場に会った椅子に駆けあがった。その痩躯は天井にまで届き、無数の瞳が薄汚れた軍装を身に纏う海軍士官とはとても思えないような航海長を見上げる。

 航海長は自分を見上げる無色の視線を前に、下卑たと形容すべき嘲笑を浮かべた。これが、栄えある王立海軍の精兵であることが可笑しくてたまらないという風に。もしくは、この死にぞこない共の指揮を嬉々として取ろうとしている自分自身を皮肉るように。


「宴は愉しんでいるか皆の衆!――涙すべきことに、我が艦はまさに絶体絶命の窮地に陥った!このままでは後30分もしないうちに、全員で海水浴が出来るだろう!」


 一息に言い切った航海長の言葉に、彼方此方で息を飲む音が聞こえる。ここにいる誰もが、激烈な戦闘により負傷した者達だ。頻度を増していく艦を揺るがす衝撃は、外がどうなっているのかを端的に示している。


「そこでだ。この中でまだ者は手を上げろ、手が無ければ足でも構わん、ケツでもいいぞ!クソみたいな人生を、後もう少し楽しみたい馬鹿共は俺の指揮下に入れ、死ぬまでコキ使ってやる!全部投げ出すナマコ野郎は食堂の隅で膝抱えて死んでろ!生者俺たちの邪魔だ!」


 滅茶苦茶な演説ではあるが、それでも絶体絶命の状況下に落とされた負傷者たちにとっては麻薬だった。船精霊として生まれ、愛着を持って務めを果たし続けていた者達。負傷し、意気消沈してはいても、心のどこかでは「まだ終わっていない」「まだ終わりたくない」と叫ぶ者達。

 傷を負いうずくまっていた一人が立ち上がると、一人、また一人と続く様に立ち上がる。本来ならば動けるような状況にない者も、内からの衝動に突き動かされ歯を食いしばって立ち上がる。

 直後、直撃弾の衝撃が艦を大きく揺さぶった。頼りない光を放っていた電灯が明滅し、塗りたての塗料片が剥離して降り注ぐ。辛うじて立ち上がった負傷者の多くが倒れ苦悶に顔を歪めるが、半数はそれでも立ち上がろうと足掻き続けて見せた。

 戦力どころか生存者として計上すべきかも怪しい者共、精神力のみで屈服を拒否する血みどろの軍勢を前に、艦を上下に揺さぶる衝撃を涼しい顔で乗り切った航海長――ヘンリー・ブロックルバンク中佐は肩に乗った塗料片を片手で払い、金歯を見せて満足げに嗤った。


「結構。ならば、もう少し地獄を楽しもうじゃないか、諸君」


 王立海軍第1巡洋戦艦戦隊は、正念場へと突き進みつつあった。

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