88th Chart:徒花の黒神
艦首喫水線下に衝角を装備し、艦体の質量そのものを敵に叩き付ける衝角戦術は、まだ艦砲に敵を撃沈する能力が無かった時代に多用された代物だった。
敵に激突した衝角は舷側を叩き割り、貧弱な艦砲では不可能な大浸水を引き起こす。とはいえ、死に物狂いで反撃をする敵に対し突撃するこの戦術は犠牲が大きく、また艦艇の高機動化、艦砲の高性能化に伴って、リッサ海戦などの例外もあるものの【夢】の世界では急速に廃れていった。
ただ、技術発展が停滞しているこの世界においては、少し事情が異なる。
無論、衝角戦も流石に時代遅れの烙印を押されつつはあったが『アヴローラ』や他の装甲巡洋艦以上の主力艦には、保守的な人類組織の思想もあって装備され続けていたのだ。
これは、この世界の戦闘艦の想定敵があくまでも海神であることに由来するものだった。
戦闘艦を形作る生体金属を新規に獲得する方法は撃破した海神の骸を回収することだ。しかしそのために、海神を轟沈させてしまうような大口径砲の開発は遅れ、上部構造物を破壊して経戦能力を喪失させる中間砲や速射砲が幅を利かせている。
また、経済界が必要とする生体金属を確保するため、「狩り」を行う戦闘艦艇は頭数を要求された。
そのような背景もあり、少数精鋭で近代化を推し進めるわけにはいかず、性能に代わり映えは無いが「必要十分」な艦艇の量産に天秤が傾き、技術の停滞に拍車をかけてしまっていた。
中でも海軍関係者が頭を悩ませているのは何時の時代も海神の鹵獲問題だ。
艦砲で上部構造物を叩きはしたものの、航行能力に問題は無く、取り逃がす場合がある。海神の推進力を生み出す両舷水面下の鰭を破壊すれば、手っ取り早く航行能力を喪失させられるが、水面下の構造物を攻撃する手段は限られていた。
そこで登場するのが主力艦の衝角だ。
速射砲などで念入りに上部構造物を破壊した後、衝角を備えた主力艦の1隻が逃走を図る海神の横腹に突入し足を止める。その直後、別の1隻が敵艦と軸線を合わせ反対舷側を擦るように突撃すれば、海神の鰭を根こそぎ破壊できた。海神は攻撃能力を完全に、かつ推力の8割を失えば機能停止に陥るため、後は沈黙した海神を曳航してやればいい。
そのため水線下を攻撃する魚雷が生み出されるまでは、多くの艦艇に衝角が装備されていた。
水雷衝角はその過渡期である、まだ魚雷の性能が低かった時代の装備だった。本来は強固に装甲化された小型艇に装備することで、大規模な戦力を持てない方舟が安価に沿岸防衛を達成する代物だったが――――何事にも例外と言うのは存在した。
《連邦》の技術士官たちは、何をトチ狂ったのか――あるいはヴォトカ片手に議論していたのか――この7000トンに満たない防護巡洋艦に、如何なる海神でも轟沈させうる火力を持たせようと試みたのだ。そうして構築された水雷衝角は、もともとあった衝角を改装する形で取り付けられることとなる。ただしその用法は水雷衝角の出発点――外装水雷の極致とも言うべき鈍器だった。
彼らの悪乗りとしか思えない所業の産物こそ、ヴァシリーサが舵輪を握る彼女――正式名称、超重水雷衝角防護巡洋艦『アヴローラ』だ。
「水雷衝角戦、用意!」
「調停深度5m!射針角ゼロ!」
「艦首発射管、注水!」
「後部バラスト注水します!」
副長の復唱と共に、俄かに『アヴローラ』艦内が慌ただしくなっていく。それまで応急修理に回っていた船精霊の1班が通路を駆け抜け、艦首喫水線下に配置された水雷衝角室へと転がり込み、各種のバルブへと取り付いた。
いくつかの配管が艦首の発射管に海水を導けば、正面に吹き上がる弾着の水柱を突き崩しながら疾走する防護巡洋艦の艦首が僅かに沈み込む。前方の白い飛沫が俄かに大きくなるのを認めた瑠璃が細くなり、伝声管に向けて怒声を叩き付けた。
「おい、後部バラストどうした!」
「被弾によりポンプ損傷!後部弾薬庫注水の許可を!」
「許可する!」と即答。どのみち、後部弾薬庫を利用する10番から14番砲は大半が破壊されて使い物にならない。それよりも、
ややあって、沈み込んでいた『アヴローラ』の艦首が持ち上がりほぼ水平に戻る。彼我距離は既に1000を切った。
「全砲門、敵艦の主砲を狙え!」
生き残っていた5門の15.2㎝砲が僅かに旋回し、立て続けに敵海神の10インチ主砲めがけて牙を剥く。被弾による火花と爆炎が甲板の前後に集中した。代わりに、制圧砲撃から逃れた海神の各種中小口径砲が息を吹き返し、『アヴローラ』に襲い掛かった。
艦首甲板に着弾した1発が板張りの甲板を抉り、錨を錨鎖ごと天高く放り投げる。残り少なくなった吸気塔が音を立てて砕け、艦中央部に直撃した砲弾は端艇の残骸を一掃する。1発が艦橋の端を掠めたかと思うと、右舷ウィングが轟音を立ててもぎ取られた。
力任せに上部構造物を引き千切られた箱型の艦橋が戦慄き、ヴァシリーサと副長以外の数人がよろめく。
それでも『アヴローラ』は止まらない。
敵艦から見て、左舷側5度方向から最大戦速で突入を続ける艦内では、彼女らが慣れ親しんだ軍歌の合唱すら聞こえてくる。むしろ特に大声で歌っているのは、必要な指示を全て出し終えたヴァシリーサ本人だった。
「祖国への愛の炎は燃えて、死線を進むは連邦の名誉の為」
裂帛の声に釣られるように、副長の涼やかな声が続き、艦橋に詰める船精霊の声も合流する。
「海が煙に包まれ朱く燃え」
「白き絶海より厳しき軍神が咆ゆる」
必殺の槍を解き放つ時を稼ぐため、矢面に立ち続け砲声を轟かせる15.2㎝速射砲の防盾の裏でも。砲弾を抱えた乗員は自らが担当する砲の鬨の声と、己の内に巣くう恐怖を掻き消さんと猛ける。
「艦隊よ、同志の命令は正確だ!」
「艦隊よ、連邦は君の武勲を望む!」
「幾千の
「我が祖国の為に 撃てよ、撃て!」
長く歌われ続けてきた軍歌の効果のせいか、心持ち『アヴローラ』の甲板上に瞬く赤が激しくなったように感じられる。また、手で触れそうなほど近くに迫った海神の主砲塔に上がる火花も、釣られるように大きく激しくなり始めた。
距離が近づき、ほとんど減衰せずに主砲弾が到達しているせいもあるが、全弾命中に近い驚異的な命中精度を発揮している証左だった。
これまで集中的に攻撃を受けた前部砲塔に至っては、本来は円筒形だった姿が見る影もなく。炎天下に放置されたチーズの様にそこかしこが拉げ、砲身はこちらを向いているが射線は合っていない。
遂に、敵も焦りを見せたのか前部砲塔の筒先から閃光と黒褐色の砲煙が吹き伸びる。黒と白のヴェールを切り裂いて飛来した砲弾は、鉄橋上を走り抜ける特急列車の様な轟音を引いて『アヴローラ』へ殺到する。
「無駄ァッ!」
目の前で迸った主砲発射の閃光に副長を含め誰もが首を竦めそうになるが、ヴァシリーサだけは仁王立ちした姿勢を崩さず一笑に付した。
まず1発が前艦橋の後方に聳えるマストの右舷側ヤードをねじ切り、吹き飛ばす。艦橋を貫くマストの基部が衝撃に苦悶し、リベットの幾つかが跳ね飛んでガラスをたたき割る。
次の1発は艦首の直前に命中し艦橋を優に超える水柱を噴き上げるが、『アヴローラ』の行く手を阻むことは能わない。
艦長の読みが的中したのか、はたまた彼女の断行に鬼神のついでに死神もドン引きしたのか、『アヴローラ』は立ちふさがった障壁をその練度でもってして全て穿ち通したのだ。
艦長の意思が乗り移った防護巡洋艦は、直立した水柱を衝角で貫き強引に突破する。砕けた海水が雪崩を打って前甲板や艦橋に叩き付けられ、暫し視界を奪う。
「水雷衝角室!損害は!」
「軽微な浸水発生!なれど戦闘能力に問題なし!行けます!」
水雷科員の報告にヴァシリーサが笑みを深め右手を高く挙げ、前面の防弾ガラスを海水が流れ落ちた時、待ちに待ったその瞬間が到来する。ストップウォッチを握りしめた副長の叫びが、豪雨に叩かれる艦橋を貫く。
「同志艦長!」
「《連邦》万歳!――――
掲げられた右手が力任せに振り下ろされた瞬間、鈍い衝撃が艦首から艦尾へ走り抜け。それまで海中を進んでいた衝角が、大量の泡で白く染まった海にカチあげられたかのように一瞬海面に踊る。
波間から顔を出した艦首にそれまであった鋭い衝角は見当たらず。代わりに人一人が潜れ込めそうなほどの滑らかな大穴が口を開けていた。
大穴の本来の主、『アヴローラ』の艦首水面下に秘匿された最終兵器――対海神用800㎜超重特火魚雷『チェルノボグ』は、後部の二重反転スクリュープロペラを駆動させながら海中を突き進む。
航行能力は30ktで僅か2000mと、常識的な魚雷にあるまじき低速さと短射程。また、特に高性能な誘導装置は持っておらず、直進させるだけでも職人芸と呼ばれるほどの気難しい性質を持っている。しかし、その破壊力は絶大の一言。
滑らかに成形された弾頭部には、過剰ともとれる3トンの高性能炸薬が内蔵されており、現状存在する――無論、これから出現する――如何なる海神であっても1撃で轟沈せしめる火力を秘めている。
実際、この魚雷の試射を行った際。6000トンクラスの標的艦は文字通り消し飛び、別の実験の為に標的艦の近くに待機していた老朽艦も、激烈な水中衝撃波で浸水を引き起こされるという事件があった。
「やりすぎだ、バカ」
実験を終えた試験官の思いきり引きつった表情とその一言が、この超重魚雷の生末を端的に暗示していた。
こうして全てを捨てて完成した過剰火力魚雷は、当然の様に不採用となる。
あくまでも実験の意義が多分に含まれた計画であり、設計者自身もまさか実戦投入するとは露ほども思っていなかっただろう。
そんなシロモノを搭載した『アヴローラ』を、様々なコネを使って前線に引っ張り出した元凶が、海面下を突き進む白線に視線を集中させている若き女性軍人だった。
火力至上主義者と影に日向に言われ、時には自称する彼女にとって、自分が振り回せる最大の艦載兵器を指揮下に置くのは趣味と実益を兼ねていたりする。
「時間です!」
「括目せよ、同志諸君!火力戦とはこういうことだっ!」
「絶対違います」と言う副長の律儀なツッコミは、魚雷発射直後に取り舵を切って離脱に掛かった『アヴローラ』の、右舷後方から響く轟音にかき消された。
海面下を疾走した『チェルノボグ』は海神の左舷最前部に命中すると信管を作動させる。弾頭に収められていた総重量3トンに及ぶ炸薬が、その身に保存していた化学エネルギーを熱と衝撃波に変換し、周囲を構成するありとあらゆるものに襲い掛かった。
海神の表面を覆う装甲板は薄絹よりも容易く寸断され、内部を構成していた筋組織や循環器系は、原形をとどめぬほどに粉砕され細かな破片に分割。それでも止まらない衝撃波は海神の胴体を無理やり切断し、中枢防御装甲や中枢炉、中枢神経系も一様に塵芥へと変換、衝撃波に送れた爆炎に乗せて天高く吹き上げる。
炸裂により生じた衝撃波は海水を周囲の根こそぎ吹き飛ばし、刹那、椀の様に海面を抉り取る。そこに、後部を残してズタズタに切り裂かれた海神の残骸が落ち込み、物理法則に従い四方から押し寄せる海水に飲み込まれて滅茶苦茶に攪拌されていった。惨殺死体を穴に埋め、パワーショベルによってかき混ぜるかの如き光景だ。
大惨事と呼ぶべき破壊が終結するころには、サン・ジョルジョ級と呼ばれていた海神の姿は文字通り掻き消え。微かな浮遊物と油膜だけが、そこに何かが居たことを暗示させるのみだった。
「敵艦轟沈!轟沈です!」
「ハッ――――――――ハ、ハハ。フーーーーーハハハハハハハハッ!
見張り員の船精霊と共に、高笑いをしているヴァシリーサの横で副長は頭の痛い問題に立ち向かっていた。
「舵機室より報告!舵に軽微な損傷、復旧まで人力操舵に切り替えます!」
「後部機関区画に浸水!応援を願います!」
「左舷第6区画浸水確認!対処開始します!」
「機関区への浸水を最優先に、10番砲以下の後部砲塔の要員は全て補修班へ回ってください。同志艦長、畏れ乍ら馬鹿笑いは速力を落とした後で存分にどうぞ」
3トンもの高性能炸薬の炸裂による水中衝撃波は、取り舵を切って退避に移っていた『アヴローラ』の尾部を直撃し、少なからず損害を与えていた。また、海中を突き進んだ圧力波は、先ほどの砲撃戦で痛めつけられた舷側にも回り込み幾らかの損害を与える。
高笑いをしつつも副長の要請には即座に従ったのか、浸水により海水をのみこみつつある『アヴローラ』の速力は緩やかに減少しはじめた。
「で、損害は?」
「5、6、7番砲塔使用不可、10番砲塔以下全門使用不可。7.6㎝速射砲全滅。本艦使用可能火器、15.2㎝速射砲6門です。水雷衝角使用により、発揮可能最高速力は18kt。これ以上の戦闘行動は御自重為されるのがよろしいかと」
「なんだ、面白くない。だが、比較的新しいサン・ジョルジョ級を爆沈できたのは悪くない。これで、本艦は2隻の装甲巡洋艦を沈黙せしめたことになるか、十分大戦果と言える」
「でしたら」
「まさに戦果拡大の好機!」
「フカの餌とシベリア送り、どちらがお望みで?」
なおも修羅場に突っ込もうとするヴァシリーサを、少々過激に押しとどめる副長。きつい印象を与える目元の深紅は、全くと言っていい程笑っていない。そして、こうなった場合は『アヴローラ』の実質的な指揮権は速やかに移譲されるのが常だった。
ヴァシリーサの積極果断な指揮に船精霊たちが文句一つなく従うのは、本当に拙い時はブレーキの方がアクセルより強力になることを熟知しているからだろう。
「《連邦》ジョークだ、流せ。やはり、同志副長から見ても難しいか?」
「自衛ならばどうとでもなりますが、積極策は不可能でしょう。先ほどもおっしゃられましたように、協同撃破1、単独撃沈1であれば十分義理は果たしたと愚考いたします」
淡々と言葉を零す副長の深紅と、顎に手を当てて思案している艦長の瑠璃が交わる。
進むべきか、戻るべきか。
ヴァシリーサ個人としては、内心に欲が有ることを否定はできなかったが。之でも、コネもあったとはいえ若くして海軍大佐まで上り詰めた女傑。高級士官にとって必須事項である、「効率的な命の使い方」は弁えているつもりだった。
「我が軍の命は、あくまでも《連邦》人民を守護するための盾。同じ人類とはいえ、異国の為に盾を張り続ける必要もない。と?」
「一流のゲストは、ホストも立てるものです」
「どうかご決断を」と一礼する副長に、「ふーむ」と視線を宙に巡らせる。だが、それも一時のことで、合図をするように深く頷き、羅針盤に噛り付いている船精霊に顔を向ける。
「現針路は?」
「針路1-6-5です」
「面舵一杯、新針路2-7-0。速力14kt、前方及び左舷側警戒厳と為せ」
未だ晴れる気配のない霧の中を、『アヴローラ』はゆっくりと艦首を振って西へ向ける。運が悪ければ本隊が左舷側から突っ込んでくる形になるが、自分の腕が有れば回避可能だと彼女は踏んでいた。
「副長、どうせ伝わらんだろうが無電を打っておけ」
「文面はいかがいたしましょう?」
「任せる。とりあえず、1隻潰したのと損害大につき一旦離脱する事を伝えて置け。――同志諸君、此度の地獄は此処までだ。
薄く黒煙を棚引かせ、僅かに喫水を下げた防護巡洋艦は、ゆっくりとその姿を煙幕の中へと沈めていく。この時をもって、『アヴローラ』のユトランド海戦は集結したのだった。
しかし、煙幕の向こうに瞬く閃光は白を彩り。辺りにはまだ、砲声が遠雷の様に木霊していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます