74th Chart:金剛石の定礎



 手帳に描かれていたのは、スケッチ程度の代物ではあるが確かに1隻の戦闘艦の側面図と上面図だった。

 全長222m、全幅31.02m、排水量32000トン。主砲として四五口径14インチ35.6㎝連装砲を前後に二基ずつ、合計四基八門。副砲として五〇口径15,2㎝単装砲をケースメイト式に片舷七基、両舷合わせて十四基搭載する。主砲の大口径化に伴い、艦橋は大幅に拡大。仏塔パゴダの様な重厚な姿とする。

 12インチクラスが主流の時代において一足飛びに14インチの巨砲を搭載し、それでいて最高速力は30ktを目指すという案――史実における第二次改装後の金剛型戦艦を、いきなり誕生させる計画だった。

 実現すれば『ドレッドノート』すら足元にも及ばない画期的な戦闘艦となることは明白だった。

 ヴィルカース社との太いパイプを有している王立海軍の皇族軍人は、遥か未来を見透かしたかのような計画に、「なるほど、意欲的な艦だ」と余裕の微笑を浮かべつつ僅かに口調を崩して肩を寄せる海の向こうの友人に口を開いた。


「しかし、何故私に?知っての通り、インフレキシブル級の設計と建造はヴィルカースでは無くエイムストリーグ社だ。巡洋戦艦の相談であるのならば、そこを当たるのが筋ではないかな?」

「緋色の鴎、とまではいかないが我々の耳もそれなりに優秀でね。次期大型戦闘艦の競争試作で、件の二社がやり合ったことは掴んでいるのさ」

「ほう?」


 意外そうに、ギルフォードの片眉が上がる。

《皇国》の諜報組織は列強と比べてしまえば【御粗末】の烙印を押されてしまうが、それでも海域大国として一定以上の水準には達していた。特に、敷島宮が裏で手を引く統制派は情報戦を重視しているため、そのような諜報機関への勢力拡大には殊更に熱心だったのも功を奏していた。


「新時代を切り開く巡洋戦艦の始祖を名乗り損ねた損失は大きい。重ねて、エイムストリーグは君の兄君であるグレゴリー5世の影響力が非常に強いことは周知の事実。今回の競争試作でエイムストリーグに敗北した王弟派のヴィルカースは、危機感を覚えているはずだ」

「さて、それはどうだろう?エイムストリーグもヴィルカースも、我が国の重要な兵器メーカーに違いはない。ないがしろにする積りは無いのだがね」

「あぁ、そう。でもね、君の様に思わない人々もいるんじゃないかな?例えば、グレーター・ロンドン証券取引所G-LSEや、ウォール街ウォール・ストリートの住人なんかは――――今頃阿鼻叫喚の坩堝なんじゃないかい?」

「フ、ククッ。なるほど、それは盲点だったな」


 端正な顔を面白そうに歪ませ、微かに苦笑を零すが目は笑っていない。自分の知人の中でも屈指の切れ者が、この程度の動きを予想できていない事はあり得ず、偽装を行っていることは容易に見て取れた。


 一応は立憲君主主義を掲げている《連合王国》ではあるが、国王は依然として議会の意思決定を覆すほどの国王大権を憲法によって保障されている。海神との終わりのない戦いの中で、議会が衆愚政治となり果てた場合に残された、国を護持するための最終安全装置――――。

 実際に、過去数度の大権が発動され王国の窮地を救ったこともあったが、故に民主主義にとっては劇薬に等しい機構が、大衆の意思によって残されている現状を形作っていた。


 だからこそ、王族の力関係は社会においても大きな影響を及ぼし、民衆にとってわかりやすい国力の象徴である軍事を司る企業においては尚更顕著だ。事実、敷島宮の言葉通り、世界中の証券取引所ではエイムストリーグとヴィルカースの株価が、綺麗な反比例関係となりつつあり、王弟派の議員や投資家は蒼い顔をしているのだった。


「エイムストリーグが躍進し、ヴィルカースに大きく水をあける。彼の会社の者は、盟友であるはずの次席管理官殿に助けを求めているんじゃないかな?」


《連合王国》において、第三海軍卿兼海軍管理官は航空騎以外の艦艇や装備品の開発・調達・維持管理を司る。海軍本部でも特に巨大な軍政機構であり、管理官の元には複数の次席管理官が置かれていた。

 敷島宮の隣で、面白そうに事の成り行きの中に身を置いている皇族軍人も、その次席管理官の一人だ。


「つまり、君はこう言いたいんだな?”ヴィルカースを挽回させてやるから、計画に乗れ”、と」

「そんなところだ。私にとって、こうして砕けて話せる相手は貴重でね。世話になっている相手の友人にも、出来る限り手を差し伸べたいのさ」

「【情ケハ人ノ為ナラズ】ってやつか。――それにしては、少々打算に過ぎるんじゃないか?ええ?」


 笑みを消した灰色の瞳が細められ、自分より10センチ以上は背の低い皇族軍人を射抜く。対する丸眼鏡の青年は、いつもの様に人好きのする不思議な笑みを崩さない。ポーカーフェイスはお手の物、と言ったところだ。


「確かに、壮大な計画ではあるが。この要目は酷く具体的だ。まるで、出来ている装備のデータをそのまま引っ張ってきたように」


 パシン、と細い指が紙面を叩く。記された計画値は彼の言葉通り、この時代の艦としては規格外もいいところの数字だ。しかし、ギルフォードの技術者の端くれとしての――と言うよりも、好機を目敏く見つける権力者としての――勘が、この数値が単なる妄想によって築きあげられたデタラメでは無いことを、自分自身に確信させていた。

 同時に、この話が口にされた瞬間から予定されていたゴールも、不愉快なほど明瞭にギルフォードの前に立ち上がった。


「私が断ったところで、君はコイツをエイムストリーグに持ち込む気だろう?大量受注で潤った奴らなら、ヴィルカースの息の根を止めるために少々無謀な計画でも飛びつく。デカいのと派手なのが好きな兄も同様だ。インフレキシブルの成功で、自信を付けた今ならばなおさらだ」


 エイムストリーグでは既に『ドレッドノート』を超える13から14インチ級の主砲を持つ戦艦が既に概念記述中であり、早晩建造に着手するだろう。むしろ、それを加味すれば、一見壮大なこの計画の実現可能性はそこまで低くはない。

 なにより重要なことは、現状すすめられている超ド級戦艦建造計画からヴィルカースは省かれている点だ。エイムストリーグはこれを機にヴィルカースから大型軍艦のシェアを奪い取り、名実ともに世界に冠たる造船企業へと躍進する動きを見せており、兄もそれを容認する構え。

 当然、ヴィルカースはこれらの動きに抵抗するつもりではあるが、最大の顧客である王立海軍――と言うより新王――が商売敵に入れ込んでいるため状況は最悪と言っていい。

 ヴィルカースは此処で輸出戦艦なりなんなりで実績を作らない事には、リングにすら上がれず敗者の坂を転がり落ちていく一方だ。

 そんな中で齎された敷島宮の提案は、渡りに船と言えるだろう。


「逆にヴィルカースが相手でも、後がない彼らは君の話に残された全てのチップを投入する可能性が高い。いや、違うな。この話を受け入れた時点で、私も一蓮托生。全力で支援するほかないと言う事か」

「我が国の艦政本部には、君らの海軍本部にも負けない優秀な技術者が多くいる。最近ではめっきり冷え込んでしまったが、ここで一つ、皇連友好を再び温めてみるのはどうだろうか?」


 かつて、《皇国》と《連合王国》は友好関係にあった。主力艦の購入も頻繁に行われ現役の磐手型装甲巡洋艦もその一つだ。皇国海軍の師は王立海軍と言われるほどであり、官民問わない交流は活発で半同盟関係にあったと言える。


 しかし、皇国海軍の躍進を見た他の4ヶ国は、この連携を面白く思わなかった。


 皇国海軍の戦力は自らに対しては未だ弱体であるが、これらがただでさえ強力な王立海軍と連携すれば列強のパワーバランスが崩れる。この不都合な現実は《連合王国》を除く4ヶ国を水面下で団結させ、二国の協力体制の切り崩しに舵を切らせた。

 とはいえ、当の二国にしても、他の列強を敵に回してでも協力体制を堅持する利は有らず。話が拗れる前に、協力体制を解消。独自の道を進むこととなる。


 技術の発展による海神に対する僅かな優勢の確保は、自国の利益を追求する外交を選択させるだけの余裕を、各国へと与える影響を示していた。



「ふむ。では、幾つか質問を。――《皇国》は我が国のヴィルカース社に、新型の巡洋戦艦建造に協力を要請すると言っていたが、具体的にはどのような協力だ?」

「主に、概念記述の方面だ。図面はある程度用意できるが、それを工廠に理解させるコードの作成は、やはり一度同種の艦を造った貴国の技術者に一日の長がある。まさか、コードも無しに競争試作の優劣をつけたわけでは無いだろう?」

「概念記述を行うのであれば、貴国の新型艦の図面が《連合王国》へ渡ることになるが?」

「対価の一つだ。無論、料金は払うし、望むのであれば格安で貴国の分を建造してもいい」

「剛毅だな。――次の質問だが、この提案は皇国海軍の総意か?」

「でなければ、取引を持ち掛けてはいない」


 無論、ハッタリだ。現状では、皇族とはいえ一軍人の暴走に他ならない。


 だが、少なくとも米山中将による艦政本部への根回しは実を結び始めているし、マトリクス造船大尉については、有瀬大尉が居る。

 いきなりガスタービン艦なんぞを建造した才女に理解を示すほどの人物、かつ砲術畑出身の鉄砲屋ならば、この計画に彼女が協力するよう説得ができると踏んでいる。何より、は彼女だ。篭絡はたやすいだろう。

 後は海軍省だが、近衛の機動艦隊が戦果を上げつつある中でも、未だ大艦巨砲主義は衰えていない。今回のサプライズを受けて、”河内型では…”と今更頭を抱えている彼らに、この計画を承認させるのは不可能ではない。

 戦艦など龍母の盾程度にしか考えていない近衛艦隊にとっても、巡洋戦艦の様な水上打撃艦は護衛戦力として有益だ。一瞬の隙をついて巡洋艦などの快速艦艇で襲撃を掛けようにも、戦艦並みの打撃力を持つ護衛艦が居れば返り討ちにされる。高速の機動部隊に随伴可能な戦艦は、あって損はない。

 賭けてみる価値は、十分にある。


 黒曜石が、《連合王国》特有の鉛色の空を思わせる灰色へと注がれる。瞳の窓の奥に広がる曇天は、激しい雷雨に陥ることも雲の隙間から差し込む陽光の兆しもなく静かにこちらを見つめ返す。

 1分か、2分か、それとも高々数秒だったかもしれない。

 不意に、小さな苦笑とともに曇天に瞼の帳が下ろされた。


「いいだろう、話を付けてみよう。個人的にも、このままヴィルカースがエイムストリーグの傘下企業に入るのは、体制の硬直化を招きそうでよろしくないし、私も彼らの後ろ盾として、仕事をせねばなるまい。上手く行けば、我が国も強力な戦闘艦を手に入れられるし、失敗した所で現状既定路線のエイムストリーグへの吸収が早まるだけだ。何より――――」


 1つ言葉を切ったギルフォードの顔には、遥かな昔に浮かべていただろう腕白で突飛な若き王子の面影が垣間見えた


「起死回生の大博打は、ヴィルカースのトップが好む展開だ。――無論、私も」


 笑みを浮かべた友人に謝意を示しつつ、内心で大きくガッツポーズ。この戦果を持ち帰れば、後は統制派の友人たちが血反吐吐きつつも何とかしてくれる。


 ――よーし、言質はとった。問題は山積みだが、大胆な独断専行は【夢】でも【現】でも皇国軍人の真骨頂。見切り発車でも、望むモノが目的地にあるのなら飛び乗る人間も数多く、長いモノには巻かれろ精神で同調圧力もかけやすい。デカい流れさえ作ってしまえば右に習え、バスに乗り遅れるなで一心不乱に全力疾走だ。……なんだろう、無性に死にたくなってきた!


 喜ぶべきか悲しむべきかは判断しづらいが、何方の世界でも自分の所属する集団の基本性質は変わっていない。それを躊躇いなく利用する自分に思うところが無いでは無いが、聖人君子でもない凡人が国を動かすために、使える手を使わないのはもはや怠慢だ。


 ――やってることも考えてることも最低だが、金剛型までワープしないとジリープアーで詰むから兎に角ヨシ!金剛型は日本近代戦艦の礎だ。こいつをベースに扶桑型、伊勢型相当の艦を経由して長門型、天城型、紀伊型、十三号型巡戦。さらに大和型に、超大和型。――50万トン級は、流石に無理か。


 脳裏に浮かぶのは、【夢】の世界の歴史で武運拙く水底へと身を横たえ、幻想の彼方へと消えていった鋼の巨艦達。時代遅れと蔑まれ、世界三大無用の長物にも列挙された彼女たちを、この【現】において御国の盾として縋る他ないのは、何という浪漫皮肉だろうか。


 ――古井中将の前でイージス艦の概念まで示して見せた魔女殿の言によれば、龍母の隆盛は対空誘導兵器の登場によって終焉を迎える。ならば、戦艦技術の先行開発は推進すべきだ。


 ふと視線を外に投げれば、明灰色の艦船群のはるか向こうに、《皇国》でなじみ深い暗い鼠色の艦が2隻並んでいるのが見える。

 2隻の内、研ぎ澄まされた刀の様な印象を受ける小柄な方。ここからでは舷側に並ぶ乗員たちを区別することはかなわないが、この時代においては場違いな工芸品オーパーツに等しい艦の上に、この計画、否、今後の皇国海軍艦艇の要となる人物が乗り込んでいる。

 彼女の説得を済ませれば、詳細設計は軌道に乗ったも同然だ。しかし、先もさほど重要視しなかったように、それについての懸念はあまりない。


 ――そういえば、暫く釣りに行っていないな。


 ボンヤリと思い出すのは、この悪だくみの端緒となった出来事。

 統制派の会合がてら、【皇都】後方で舟釣りを楽しんでいた時に釣り上げた奇妙な筒。その中の図面に描かれていた、見覚えの有りすぎる戦艦の姿に眩暈を感じ、同乗していた米山中将や他の統制派のメンバーと釣りそっちのけで激論を交わしたことを昨日の様に思い出せる。


『ドレッドノート』の情報が耳に届き始めた時期には似つかわしくない、30年ばかり進んだ大型戦艦の詳細な図面と、この世界の技術体系にガスタービン機関と言う特異点を作り出した魔女。


 2つを結ぶ因果の糸は、自分たちの悪だくみや他者の思惑と絡まり、新たな未来を織っていく。そうして綴られつつある歴史が、《皇国》にとって地獄絵図なのか、伝説の序幕なのか。――――後世において勝者となった歴史家が判断するだろう。





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