75th Chart:招待状



 戴冠記念観艦式は滞りなく進行し、やがて《皇国》派遣艦隊旗艦の『吾妻』に後続する『綾風』の出番が訪れる。

 この日の為に念入りに清掃が施された新品同然の艦上に、手の空いている乗員が隙間なく整列し、前方から接近する御召艦へ向けて登舷礼を執り行う。

 普段は賑やか――かつネタ塗れ――の船精霊達も、今ばかりは真面目そうな顔を張り付けて、外海の飛沫が跳ね上がってきそうな駆逐艦の縁に直立不動での姿勢を作る。右舷前方から接近してきた御召艦からは、羽を休めるワタリアブラガラスの様に並ぶ船精霊の姿を、舷側だけでは無く上部構造物にも見ることができるだろう。

 しかし、艦橋ウィングの一段下の手摺に列をなした『綾風』首脳部の一部に関しては、普段通りの会話を繰り広げていた。


「ようやく私たちの番ですか。いやー、待たされましたねぇ」

「ゲストとはいえ、我々は脇役もいい所ですからね」

「王立海軍ご自慢の総旗艦、『キング・エドワード』を間近で見られるのはレアですけど、そのために長い間立ちんぼってのは、割に合ってるんですかね?」

「これも給料分の内では?」

「――あのね……一応式典の最中なんだけど」


 隣から聞こえて来た苦言に、視線だけを横に向ければ黒髪の船精霊のジト目が突き刺さる。軍帽の庇の下から覗く避難がましい瞳は、すぐ隣のライと更に隣のハクを映し出していた。

 とはいえ、サキの視線にはどこか諦めも含まれている。それは隣に二人の態度が、この程度の注意で改まるわけがないという経験則から来るものだった。


「どーせこの距離じゃ、一人一人の顔なんぞ見えないからヨシ!」

「前さえ向いていれば、気づかれないのでは?」


 サキの懸念通り、工廠で働くダメな船精霊のお手本の様な雑に過ぎる持論を展開するハクと、端的ではあるが話の内容はハクと大差ないライ。

 ハクはともかく、ライは一見真面目そうでしばしばこの二人のツッコミに回ることもあるが、その実結構な面倒臭がりであり、手の抜き方に関しては他の追随を許さない部分があった。

 相変わらずな2人に溜息を吐きそうになるが、いつもの事かと思い直し精神の余計な消耗を防ぐ。一々かまっていれば、胃に穴が開きかねない。


「それはそうと、サキちゃんにライさん。お嬢様の機嫌治った?」


 興味津々と言うのが伝わってくるようようなハクの声色に、せっかく押し殺した溜息が、脱力感とともに3倍ぐらいになって放出される。自分と同じような感想を抱いているらしい隣のライからも、同様の音が漏れ聞こえて来た。


「いいえ、全く。朝からずっとあの調子よ」

「当たり散らすことはないですが、艦橋の中の空気は最悪でしたね……」


 砲雷長サキ航海長ライの言の通り、出航の為に艦橋に姿を現した永雫の機嫌は最悪と言ってよかった。

 皇国海軍の白色の夏季制服をきっちり着こなした彼女からは、冷え切った空気がたれ流されており、周囲1mは気温が2度は下がっているような錯覚を覚えるほどだ。

 レンズの奥には、この海の底に広がる高圧相氷の様な、ある種のエネルギーを蓄えた瑠璃がある一点――触らぬ神に祟りなしとばかりに、普段以上に普段通り振る舞う有瀬一春艦長を睨みつけていた。


 実際の所、絶対零度の視線にさらされた有瀬は昨日の永蔵零の言動を恨みつつ、『綾風』の運航に関する事以外の思考を意図的に無視するよう努めていた。そうでもしなければ、彼女の視線にいたたまれなくなり、掘らなくてもよい墓穴を掘りかねないと判断していたのだった。


 ハクの場合、永雫の負のオーラを敏感に察知し迅速に転進していたが、二人はその役職上艦橋から動くことができず、気まずい空気を吸う羽目になってしまい現在に至る。


「ほほーう、なるほど。艦長ってば、お嬢様の目の前で、どこぞの令嬢でも口説き落としたんですかね。ついでに、そのままお持ち帰りで朝帰りだったり」

「どっちもハズレ。でもまあ、零お嬢様に会ったって言ってたから、ね?」

「あの人が来るのは誤算でしたね……」

「あっ……ふーん」


 零お嬢様――永蔵零の名を聞いたハクが、何かを察したように遠い目をする。

 特務造船研究室に召集される前は永蔵家で使用人の一人として働いていたため、零の事も無論知っている。それどころか、一緒に悪ノリをしてサキからシバかれることも多々あった。


 昔は仲が良かったが、今では永雫が一方的に嫌っている、正真正銘の鬼才。


 永雫から刺々しさと人間味を差っ引いて、全て好奇心と行動力に突っ込んだような性格の彼女が、有瀬と接触。結果は永雫の機嫌の急降下。そこから考えられる結論は。


「ああ、なるほど。お嬢様、ぐずぐずしてるから零お嬢様にNTR喰らっちゃいましたか。おいたわしや」

「ばっかじゃねーの」

「予想の斜め下をカッとんでいくのはやめましょう。突っ込むのもバカらしくなります」

「最近二人の当たりが強い!」


 およよ、と泣き崩れそうな雰囲気の涙声を、鼻で笑う音が二人分。

 抑えに回ったツッコミ役も、いつしか暴走する側に回っている。もはや話の本筋など大気圏外にまで吹っ飛んでいる、三人にとって日常の光景だった。


「冗談はともかく、実際の所どうなんですかね?」

「どうって、何が?」

「お嬢様に決まってるじゃないですか。誰がどう見てもフラグギンギンでしょうに、艦長の攻略に乗り出ださず、このまま大人しく源馬に嫁入りなんですかね?」


 具体的な入籍の日取りなどは決まっていないが、永蔵家に居る同族からそれらしい噂はポツポツと届き始めている。特にこれと言って障害などは無く、極めて順調と言う事らしい。


「適合婚約が成立すれば、そうそう破談にはならないものですからね。艦長も、憎からずは思っているようですけど、常識的な一定の線引きはしてますし」

「貴方は反対なの?ハク」

「反対と言いますか、何と言いますか――これでも、大昔から見守ってきましたからね。お嬢様には、心の底から幸せになって欲しいのが、使用人心と言うものです」


 サキの問いに対し、そんな本心を吐露する船精霊の言葉には、普段のエキセントリックさは鳴りを潜め。忠実な従者として長年つかえてきた存在だからこそ滲む、主人の先行きに対する不安が現れている。


「源馬様はお嬢様にベタ惚れですが、どうにも何かイヤな感じがするんですよね。ほら、あれですよ、上等な漆器をたくさん買ってきて、使いも飾りもせずに戸棚の奥底に仕舞っちゃう人間。届かぬものだからこそ美しいってのを、手に入れるまで分からないタイプの輩です。その点、艦長は物持ちが良いタイプでしょうし」

「なんですか、それ……」

「近所の婆さん占い師並みに良く当たる、ハクちゃん=アナライズです!」

「はいはいワロスワロス」


 これ以上はシリアスにできぬ。とばかりに、いつもの調子に戻った同僚の言葉を、ぞんざいな口調で叩き切ったサキだったが「でもまあ、そんな事も――無くも無いか」と、頭の中で言葉を続ける。

 存外にもハクの言葉を戯言と割り切れずにいる。自分でも知らぬうちに、心のどこかでは同僚と同じような結論を下していたようだ。


「まーどのみち、艦長が動かぬ限り確かな進展も、番狂わせもないでしょうね。何せ」


 やれやれと肩を竦めたハクは、一拍置いて断言する。

 今までの会話が、この艦の実権を握る者からすれば聞き耳を立てることは容易だという事実は、すっぱりと深淵の向こうに消えているらしかった。


「お嬢様、こと恋愛となると、ヘタレで鈍感な機械水雷系ヒロインですから」

「わかる」

「知ってた」








「フ、フフフ………ダレガキライケイダコンチクショウ」

「何か言ったか?」


 突然底冷えのする嗤い声を微かに上げた副長に、ぎょっとしながら視線をやる。身長差の関係上、軍帽の庇の下の目は見えなかったが、口元は三日月の様に吊り上がっていた。

 艦橋ウィングに吹き抜ける海風と機関音のせいで、薄笑いの後半はよく聞き取れなかった有瀬だが、「いいや、何もないさ」としらばっくれるあたり碌なことでは無いだろう。

 魔界の監獄長の様な笑みを浮かべる理由を問いただすほど、危険を冒すメリットは無いように見えた。


「ところで有瀬、《皇国》に帰る前に雷撃訓練でもしないか?3本ぐらい」

「嫌な予感しかしないから却下で」


「チッ」と露骨に舌打ちをする彼女に、乾いた笑いが漏れる。普段通りと言えば普段通りの言動に、一体何があったのかと内心で首をひねる余裕が出てきた。

 自分は現在進行形で、神経をすり減らしながら操艦を行っている最中だ。

 先行する『吾妻』が作り出す航跡波や、四方八方から打ち寄せるウネリに対し、油断すれば針路から外れようとする『綾風』を制御して一糸乱れぬ隊列を維持し続けている。


 と言うよりも、意図的に操艦関係に集中しようとしていると言った方が正しい。


 艦の指揮棒である軍刀を帯びている以上、暇つぶしついでに艦内の船精霊の立ち話をラジオの様に聞くこともできたが、それもしていない。3と言う数字に思い当たるのはいつもの三人組だが、また益体の無い与太話でも小耳にはさんでしまったのだろうか。

 けれど、そのせいか先ほどまで張りつめられていた空気が若干弛緩している。いつまでも彼女の不機嫌な空気に当てられていいはずもなく、話題を変えて話を繋ぎ、雰囲気を解きほぐすことにした。

 どうせこの距離では、前さえ向いていれば自分たちが会話していることなど気づかれやしないのだから、時間を有意義に活用してしまおう。


「話は変わるが、本当に来ると思うか?」

「あの女のバカげた予言か?――――さて、どうだかな」


 考えていたよりもすんなりと、彼女は話に食いついてきた。

 ひょっとしたら、自分でもこの空気を何とかしたいと思っていたのかもしれない。基本的には唯我独尊の直情型ではあるが、妙なところで一歩引く時――と言うよりも、突撃しすぎて引っ込みがつかなくなると、なし崩し的に強引な退却潰走に移る――が散見されるのも彼女の特徴だろう。


「王立艦隊が動員できる戦力は、主力艦だけでも戦艦28隻に巡洋戦艦4隻、装甲巡洋艦8隻だ。これに補助艦の防護巡洋艦や駆逐艦を合わせれば100隻は下るまい。空軍はどんなものだ?」

「河西少佐の話では王立空軍は戦闘騎が12個戦闘騎群、320騎。偵察騎が6個偵察騎群90騎。総勢410騎らしい。そこから予備を引いて、稼働率が7割とすると戦闘騎200騎に偵察騎50騎。全軍が使えるわけではないから、せいぜいその半分が良い所だろう」

「制空戦闘騎100騎に、偵察騎が25騎か。艦隊防空と偵察が限度だな」

「本格的な対艦攻撃飛行隊なんて、一航戦ぐらいだろう」


「まあ一航戦も、3個飛行中隊ていどだ」と肩を竦める有瀬に「解ってるさ」と呟く。知らず知らずのうちに自分の口の端が歪み、嘲笑を作っていることに気が付いた。同時に、今頃観客船の一つに乗り込んで、この観艦式を見物しているだろう自分の婚約者の顔が頭に浮かぶ。

 仮に敵の大艦隊が来たとしても、現状の王立空軍の兵力では航空主兵の優位性を裏付けることはできないだろう。

 航空騎によって、最近出没し始めた新型海神や、戦艦級の大型海神をも屠ることができるという実績は作られない。水上砲戦によって敵を撃滅するだろう王立海軍に、奴は賞賛を送りこそするが、内心では落胆を感じずにはいられぬはずだ。ざまあみろ。

 源馬の顔を思い出したせいか、いったんは鳴りを潜めた昨日の出来事が再び脳裏に浮上してくる。


 ――性に合わないこと甚だしい洋装を着せられ、源馬のエスコートを受けつつ彼方此方に挨拶回りをし、益体もない話で時間を浪費する。会う人間合う人間に、笑顔で握手を求められるたび、自分が源馬のモノになっているのだという認識を押し付けられているようで、不愉快極まりない。

 部外者から見れば往生際が悪い様にも思えるだろうが、自分は奴に対して1ミクロンも好意を抱いていないのだ。この、最後のモラトリアムぐらい、好きに生きたいと願って何が悪い。


 そんな惨憺たる思いによってか、厳重にカギを閉めて心の奥底に封印していたはずの映像が再生されてしまう。



 月明かりが照らすバルコニーで、彼の首に腕を回し若干背伸びをするように顔を近づける義姉の後ろ姿。



朧気となった映像が意識の端に掠るだけでも、胸の奥底に沸騰するタールの様な感情がわだかまる感覚を覚えた。


 自分は、別に彼――有瀬の恋人と言うわけでも、親友と言うわけでもない。


 ただ、自分の娘に対し始めて素直かつ、肯定的な私見や指摘を向けてくれた男であり、初めて自分の背中を押してくれた人物だ。自分に好意的に接してくれた男が、毛嫌いしている女と交流を持つことに不快感を感じているのだろう。

頭を冷やして冷静に分析しようとすればするほど、理性を冷却するために生じた排熱が心の内側へと雪崩込み、グラグラと煮立つ粘着いた感情に拍車をかけていく。腸が煮えくり返るとはよく言ったものだ。いつしか、目の前を横切っていく白亜の戦艦の姿から焦点がズレていき、意識が外界から泡立つ内心へと焦点があっていく。

もはやその瑠璃も他の感覚器官も、ただ外の状況を受動的に取り入れる窓以上の役割を果たさなくなっていた。


「噂をすれば、影、か」


 だからだろう。

 隣で呟くような、ひきつる様な有瀬の声を聞いて初めて、『綾風』にある通信文が届いていることにようやく気が付いた。

 万一の際に艦の指揮を執る副長に支給される懐中時計。それを用いて繋がった意識を辿り、アンテナが捕獲した電文を解読する。10秒にも満たない時間で電文の内容を理解した瞬間、式典の最中だというのに思わず隣の艦長を見上げてしまっていた。


「有瀬、これは……」

「『U-109』からの、謝肉祭の招待状だな。いや、なんとも――」


 困ったような声とは裏腹に、見上げた先にあった青年の顔には獲物を見つけとびかかる算段を付けているような、生粋の捕食者に似た狂相嘲笑が浮かんでいる。


愉しい厳しい戦いになりそうだ」



 青空を背景にした有瀬の向こうに、展示飛行を行っていた偵察騎が翼を翻し、東の空へ駈けていくのが微かに見えた。







 一昨日、戴冠記念観艦式の打ち合わせに使用されたネルソン基地の大会議室は一種

 異様な雰囲気に包まれていた。部屋の中を支配するのは以前の様な一大イベントを前にした浮ついたものでは決してない。


 後ろに座った戦友と、来るべき時が来たと興奮気味に話す海軍大尉。


 隣に座った知己と、今回の召集の原因について語り合う戦隊参謀。


 机に肘を突き、手を口の前で組み合わせて静かにその時を待つ戦艦の艦長。


 部屋の端の方で、青ざめた顔を隠し、祈るように手を組み合わせる年若い少尉候補生。


 それぞれが思い描く感想や意見は千差万別ではあるが、原因となる事柄のみは統一されている。部屋中で発される密談によって生じた、空間に満ちる蟲のさざめきにも似た騒音は、一団の高級将校が入室する足音によって自然消滅してしまう。

 姿を現したのは、本国艦隊司令長官ジェイコブ・ジェリコー大将を始めとする本国艦隊の首脳。そして、第一海軍卿アルフレッド・ロジャース元帥率いる、海軍全体の指揮を統括する海軍本部の一団だった。

《連合王国》における軍令の最高機関と、最強の実戦部隊の指揮者の登場は、この会議室に集った国内外を問わない全将校を引き付けるに余りあった。

 形式的な敬礼と答礼もそこそこに、深く皺の刻まれた顔を更に険しくしたロジャース元帥が、一寸も惜しいとばかりに開会を宣言する。


「では、さっそく始めよう。まずは、状況の確認からだ」


 ジェリコーが合図をすると情報参謀らしい海軍中佐が、正面の大型黒板に張り出された近海の海図に歩み寄り、指示棒の先端で東部にあるティンタジェル海山列付近を叩いた。


「皆さんもご存じの通り本日正午ごろ、海洋ギルド【海狼】の旗艦『U-109』より、海神の巨大艦隊発見との方がもたらされました。艦隊の規模は、主力艦を少なくとも20含む、総勢50隻以上の大艦隊であり、新型らしい大型海神も確認されております。海軍本部はこの通報を受け取った直後、即座に王立空軍に偵察飛行を要請しました。結果」


 指示棒の先端が、ティンタジェル海山列よりも西側の海域へと移る。直前の位置とを結んだ直線の延長線上には、《連合王国》を示す図形が描かれていた。


「首都舟【グレーター・ロンドン】より東へ300海里地点において、西進する敵大艦隊を発見。戦艦30以上を含む、装甲巡洋艦以上の主力艦が50隻近く、総勢で100に迫るとの報告を打電し、現在も触接を継続中です」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る