69th Chart:集う者達


 煌びやか、と言う形容詞がこれほどまでに当てはまる光景もそうそうないだろう。


 日も暮れて久しい【グレーター・ロンドン】ではあるが、戴冠式の直後と言う事もあり、大通りには光が氾濫し、人の波であふれかえっていた。街灯につるされた《連合王国》の国旗がその隆盛を誇示するが如くはためき、パブの軒先に並べられたテーブルの彼方此方からは乾杯の音頭が聞こえてくる。王立海軍に所属する船精霊の一団が肩を組み、大声で国家を歌い上げる横では、久方ぶりに顔を合わせた友人同士が肩を叩き再開を祝う。また通りの反対側では、赤ら顔の退役将校が空になったジョッキを振り上げ、敵海神の絶滅こそ王立海軍の絶対的義務であると、まだあどけなさの残る士官候補生へ向けて声高に主張している。

 正しく、飲めや歌えやの大騒ぎ。その例にもれず、首都の中心に聳える巨大な白亜の宮殿――ヴィクトリア宮殿では戴冠記念祝賀会の真っ最中であった。

 戴冠式に出席した新国王を始めとする連合王国王室関係者を始め、《連合王国》の政府要人に、各国の元首や大使、武官。政財界の有力者やその子息、子女。さらには、観艦式に出席予定の海軍士官の一部も招待され、貴重な時間をそれぞれの目的のために消費していく。


 右を向けば毛足の長い真っ赤な絨毯の上を行き交い、上等なワインを片手に陰謀と打算に満ち溢れた歓談を進める《帝国》の高級将校。純白のクロスが掛けられたテーブルには、一口大のクラッカーを土台に料理人の手によって想像された極小の世界が並んでおり、その一つがひょいと摘まみ上げられて、無色透明のグラスを片手にした長髪の《連邦》海軍将校に持ち去られる。

 左を向けば、美しく着飾った貴族令嬢と思しき娘たちにさりげなくアプローチをかける《連合王国》の青年士官の一団に、巨大なホールの中央では首尾よく相手を見つけたらしい《王国》の士官がどこぞの令嬢とダンスに興じている。


 そんな華やかなホールの中で有瀬一春自分が何をしているのかと言うと。

 顔が映るかと思うほど磨き上げられた大理石の壁際に立ち、シャンパングラスに注がれたジンジャーエールを一人寂しく舐めている。

 一応、《皇国》海軍軍人としての体裁を保つため新品の第二種礼装に身を包んではいるが、他の軍属の参加者の様に胸に勲章やら記章やらはぶら下げていない。


 艇長としての初陣となった南部方面海域遭遇戦、綾風の海上公試に見せかけた公開処刑、新型海神との遭遇戦闘。たかだか半年にも満たない期間に都合3度の戦闘行動をとり、護衛級を1隻撃沈、1隻大破。1万トン級の巡航級を2隻撃沈という戦果を上げてはいるものの、叙勲特にそういった話は舞い込んでこない。


 ――まあ、出鼻に水雷艇を失った挙句『綾風』の件では随分と無茶苦茶な事をやった。降格の上予備役編入や軍法会議送りにならなかっただけ良しとしよう。逆に、こういった場でまっさらな軍服と言うのはありがたいかもしれない。時間は誰にとっても平等且つ有限であるから、こんな何処の馬の骨とも知れない軍人にかかずらう暇などないのだろう。その分、こちらは面倒な策謀に身を割かず、悠々と上等な食事にありつける。


 さて、次はあのテーブルを狙おうか。などと品定めをしていたからだろうか。意識を向けていた方とは全く逆の方から、酷く懐かしい声が聞こえて初めて、自分に声をかける可能性がある人物の事をようやく思い出した。


「ああ、やっと見つけた。探しましたよ、アリセ」


 振り返った先に飛び込んできたのは、《連合王国》王立海軍の礼装に身を包んだ。長身の青年士官だ。

 顔立ちはどこか女性らしさを感じ、一見長身の美女にも見えるが、柔らかくも低い声と、しなやかに鍛え上げられた身体をもつ紛れもない男性。身長は170㎝程度の自分よりも15㎝は高い。長い年月をかけて清流で磨かれた翡翠の様な瞳は、呆れと懐かしさの間を揺れ動き、肩口程度まで伸ばされたダークブロンドの頭髪はうなじの辺りで簡単にまとめている。

 たとえ相手がだれであっても丁寧な対応をする姿は、栄えある海上帝国の防人と言うよりも、主人から全幅の信頼を置かれる瀟洒な家令と言ってしまった方が違和感がない。

 その肩に縫い付けられた階級章を目にした有瀬は、自分の優雅なひと時を結果的に邪魔してしまった友人を、少しばかり揶揄ってやることにした。


「これはこれは、少佐に置かれましてはご機嫌麗しく」

「第一声がそれですか……」


 思いきり顔を引きつらせる友人に「悪い悪い」と全く悪びれた様子もなく手をひらひらさせ、好意的な笑みを浮かべて効き手を差し出した。


「久し振りだな。正真おめでとう、サー・アンドリュー少佐」

「サーは要らないと言っているでしょう?とにかく、お元気そうで何よりです。アリセ大尉」


 固く握手を交わす青年士官こそ、有瀬の数少ない国外の友人の一人。《連合王国》準男爵家の嫡男にして王立海軍士官、サー・アンドリュー・パッカー少佐だった。

 そして、彼の後ろからヌッと――体格等の問題で全く持って隠れていなかったが――顔を出したのは、今回の《連合王国》への派遣において、何かと縁のある筋肉マッスルだった。


「よぉ、また会ったなマッドドッグ!」

「またアンタか」

「おいおい、なんだそのげんなりした顔は?流石の俺でも凹むぜ?」

「アンタを凹ませるなら、最低でも40.6㎝16インチ砲が欲しい所だ」

「バカ言え、45.7㎝18インチ砲ぐらい持ってこい」


 アンドリューの背後から現れた筋肉質の合衆国海軍士官――オリバー・G・グリッドレイは、軍人と言うよりもマフィアの用心棒と言った茶褐色の顔に真っ白い歯を見せてHAHAHAと豪放に笑いとばした。この分だと、超大和型の主砲斉射を喰らってもピンピンしてそうだ、などと、馬鹿な考えが意識の片隅をかすっていく。


「お二人は既に知己だったのですね」

「ああ、もうベストフレンドマブダチさ!」

「ぐぇあっ!?」


 丸太の様な腕を肩に回され、力任せに引き寄せられる。それなりに鍛えているはずなのに、こうまで簡単に振り回されるのは彼の馬鹿力を言葉よりも雄弁に語っている。


「オリバー、締まってます。締まってますよ?」

「Oh!、悪い悪い。しかし、随分軽いな?ちゃんと食ってるか?」

「つつつ……。毎日三食欠かさずな。――ったく、この筋肉バカ」

「何か言ったか?」

「いいや。合衆国海兵隊は有能な戦士を逃したなって思っただけさ」


 いけしゃあしゃあとすっ呆ける有瀬に「軍人でなく格闘家にでもなっていりゃ良かったかな?」などと大笑するオリバー。事実、その通りなのだから苦笑いを浮かべるほかなかった。


「そういや有瀬。お前の御姫様。エナはどこ行ったんだ?」

「エナ?……ああ、永雫・マトリクス造船大尉ですか。そういえば名簿にもありましたね。できれば、私も一度ご挨拶をしたいのですが」


 何処か面白がっているような黒人男性と純粋に面会を望む白人男性。2人の視線を受けた有瀬は、苦笑いを浮かべながら顎をしゃくった。彼の指示した方向に目をやった2人の海軍士官の内、片方は目を丸くし、もう一方は小さく口笛を吹くという、彼ららしい反応を返す。逆に、一瞬遅れて何か色々と悟った――同情するような視線を有瀬へ送ったのはほぼ同時だった。


「そうか。すまんな、有瀬。この後どうだ?奢ってやるぞ」

「有瀬、すみません。配慮が欠けていました」

「よーし、貴様らそこに並べ。皇国海軍式の再教育を施してやる」


 即座に二人の中で、この状況に対する解釈が望みうる中で最悪の方向へ突撃していることを見抜き、微かにこめかみを痙攣させてわざとらしく指を鳴らした。


 彼らの視線の先に居たのは、《連合王国》の貴族と歓談を楽しむ《皇国》の華族の一行。正確には、その輪の中心で浅黒い肌の好青年の隣で、何処かぎこちない笑みを浮かべているイブニングドレス姿の年若い女性だった。

 濃紺の生地はサテンによって織られているのか落ち着きつつも上品な光沢を呈し、上半身には花をあしらった複雑な紋様がつづられている。肩や背部が大胆に開けられたホルターネックとなっているため、どちらかと言えば童顔気味な彼女の雰囲気が数段大人びた様に感じ取れる。深淵を思わせる青黒い髪は普段の一つ結びではなく、結い上げられており、白いうなじを横断するネックレスのチェーンが、天井のシャンデリアの光を受けて細やかな自己主張を繰り替えしていた。

 正直、もはやトレードマークでもある赤いアンダーフレームの眼鏡が無ければ、彼女の事をよく知る者であればあるほど、特定は容易では無いだろう。

 自分でさえ、いつもは穴倉の奥底で没を食らった図面を叩き付け、艦政本部や海軍上層部に向けてキレ散らかしている残念な天才技術者と同一人物だとは、とても思えないのだ。

 普段は軍服の奥に押し込めている原石は、源馬家お抱えの使用人の手によって輝くばかりの宝石へと姿を変じていた。もっとも、その輝きの仕方は少々自分の好みからは外れるが、それは趣味嗜好の領域だろう。


「ふふふ、これは失敬」

「なんだ、面白くねぇな」

「僕と彼女はそんな関係じゃない。というか、それ以前にあの二人は適合婚約で定められた間柄だし、旦那は近衛の新進気鋭の若手将官かつ華族の嫡男。機雷原に客船で突っ込む趣味はない」

「とか言う割には、不満そうじゃねぇか?――しかも、お互いに」


 自分と永雫を見比べながらなおも食い下がるオリバーに、「あのなぁ……」と呆れとも苛立ちともとれる言葉が反射的に湧き上がる。しかし、それと同時に頷こうとする感情が精神の片隅で浮上してしまった。

 確かに、完全に不満を持っていないと言い切ると、妙なしこりが残っているような感覚に陥るのは事実だ。自分自身のこの感情の澱みを今まで積極的に無視してきたツケか、それとも塵が積もればなどと言う諺宜しく積みあがったせいか、先に口にした言葉に続けるべき二の句が喉の奥でつかえてしまった。


 ――拙いな、これでは僕が彼女に気があると自白しているようなものじゃないか


 無様なバグによって崩壊しかかった戦線を、何とか立て直そうと頭を巡らせた瞬間。意外な援護射撃が、意外な方向から撃ち込まれる。


「お・に・い・ちゃぁぁぁんッ!」

「ぐえぁっ!?」


 鈴を転がすような天真爛漫な少女の声が響いたかと思うと、横腹に強烈な衝撃を受けて妙な呻き声を上げ乍ら蹈鞴を踏んでしまった。どうやら、援護射撃は援護射撃でも、敵味方を一切合切吹き飛ばす類の面制圧砲撃のようだ。

 目を丸くするアンドリューと、面白くなってきたとばかりに凄みのある笑みを浮かべるオリバーをよそに、横腹に激突した純白の砲弾を何とか受け止める。ごくわずか、ほんの一瞬ではあるが背後から寒気がするほど鋭い殺気が飛んできたような気がした。


「来てるのなら、来てるって言ってくれればいいのに。レディのエスコートをすっぽかすなんて、粛清モノなんだから」


 思いきり有瀬に抱き着いタックルしてきた白い少女――何故かクラシカルな給餌服に身を包んだイリーシャは上目遣いのまま、口をとがらせて抗議の言葉を並べていく。しかし、気にいっている異性が自分の思惑通り抱き留めてくれた事には満足しているのか、琥珀の瞳を収めた目元は若干緩んでいた。


「おい、有瀬。この嬢ちゃんもお前の連れか?」

「――――――彼女は」

「はいストップ」


 反射的に彼女の名を明かそうとした有瀬を止め、痛烈な批判を含んだ琥珀の視線が巨漢を射抜く。


「名を聞きたければ、まず貴方が名乗りなさいな。いくら何でも、頭にまで筋肉を詰め込んでいるわけではないでしょう?」


 年端も行かない子供から礼儀知らずと罵られたに近い格好ではあるが、オリバーは、逆に「失敬」と笑みを浮かべてから姿勢を正し、名乗りを上げる。その陽気な性格に沿うように子供にやさしいのか、それともイリーシャの立ち居振る舞いに何か感じ取る者が有ったのかは判然としないが、少なくとも気分を害されたようには見えない。

 オリバーの真摯な対応に満足したイリーシャは、つい先日見た時と同じような芝居がかった動作で同じように自らの名偽名を口にした――イリーナ・ヨシフォヴナ・アリルーエワ、ある士官の同行者であると。


「同行者、ですか」

「ええ。まあ、やっていることは従卒の様なものなんだけどね。お姉様ったら人使いが荒くて」


 やれやれと大げさに肩を竦める少女に、3人の士官の顔に何とも言えない表情が浮かぶ。彼女の正体を知っている有瀬はともかく、他の二人の視点からしてみれば、イリーシャの存在は場違いも甚だしい。ありていに言ってしまえば浮いていると言える。

見ようによっては特に小柄な給餌と言う事で通るかもしれないが、周辺を忙しく行き交う本職に混ざって違和感が無いかと問われれば首をかしげざるを得ない。これで衛兵につまみ出されないところから、何かしら裏で手を回していると考えるのが妥当だろう。

緋色の鴎、戴冠記念祝賀会にいともたやすく潜り込む特務部隊。諜報組織としては世界最強と目されている《連邦》内務人民委員部の実働部隊の名は伊達ではないようだ。


「それで、彼方此方走り回ってようやく見つけたところよ」

「見つけたって、誰を」


 その先を有瀬が口にする前に、一人の人物答えが人の群れの中からこちらへと歩みを進めてきた。

 背は自分よりも高く、腰まで届きそうなほどの流れるような銀髪は月光を束ねた様に見える。大粒の瑠璃を思わせる瞳は、藪の中から獲物を狙う肉食獣の様に爛々と輝き、赤い紅を薄っすらと引いた口元は獰猛な笑みの形を作っている。《連邦》海軍指定の純白の上衣は胸部の眼福なバルジによって大きく歪み、同色のタイトスカートからはすらりとした足が伸びてブーツへと続いている。肩に掛けられた紺色のコートは颯爽と歩く風になびき、頭の上の制帽には、赤い五芒星に槌と鋤の意匠が施された帽章が縫い付けられている。

 そして肩章には、太い金線が3本に星が1つ――大佐を意味する装飾が施されていた。


「無論、をだ。会えて光栄だ、同志アリセ」


 まっすぐこちらへ歩いてきた《連邦》海軍将校の赤い口から紡がれた声は、その威風堂々とした姿に違わず、艶の滲んだややハスキーな女性の声だった。怪訝な顔を向けつつ、上位階級を持つ人物へ対する反射的な敬礼を送る《皇国》の青年士官に、「まずは、こちらから名乗らねばな」と少し揶揄うような口調で言葉を零し、3人に対し見事な答礼を送った。





「ヴァシリーサ・ウラジーミロヴナ・スターリナだ、階級は大佐。防護巡洋艦『アヴローラ』の指揮を執っている」

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