59th Chart:駐在員 河西啓一


 あちこちで盃が酌み交わされ、多種多様な武勇伝の断片が転がり、混ざり合っていく。

 あちらのカウンターでは派遣艦隊司令の住田近衛少将が、在連合王国大使と数人の駐在武官に取り囲まれ昔話に花を咲かせ、また向こうの丸テーブルでは『吾妻』の将校連中と大使館職員がトランプに興じている。

大敗したらしく頭を抱える機関科大尉から視線をそらし、何と無しに逆側へと向ければ、皇国派らしき将校団が犇く別のテーブルで自分へと勝ち誇ったような視線を向ける佐伯近衛少佐の姿があった。

一方自分は、皇国御一行による貸し切り状態となったパブの、壁際に設けられた二人掛けの小さなテーブルで、スモークチーズを齧り煙草を燻らせつつトマトジュースを傾けている。宴が始まってからかれこれ2時間ほど経過するが、最初の乾杯以来自分に話しかける人間は存在しなかった。


有り体に言ってしまえば、ハブられていると表現するのが適当だろう。


どうやら、佐伯少佐は自分が彼女へ助け舟を出したことが随分とトサカに来たらしい。

わざわざ目立たない席を指示し、『吾妻』の連中に自分と話さないよう命令を下したようだ。『吾妻』の将校団は司令を除いて全て皇道派で占められているばかりか、大使館の連中も大多数が皇道派。彼らからしてみれば、彼女への勧誘を邪魔する自分は敵以外の何物でもないだろう。

意趣返しとしては随分子供じみたものだと苦笑すら浮かびそうになるが、そもそもほぼ初対面な上に自分の派閥に対抗するような人物と好き好んで付き合おうとする人間は稀だ。案外、この状況は自然発生的なものだという可能性も考えられる。


もっとも、じゃあ自分は統制派なのかと問われれば首を傾げねばならない。


確かに、立憲君主への原点回帰を掲げる統制派の方が、【夢】の世界で民主主義国家の軍人をやっていた自分にとって受け入れやすい思想ではある。軍人が政治に関わるべきではないというのは常とう句だが、逆に完全に無関心であるのも論外だ。

しかしだからと言って積極的に関与したいとは思わない。派閥抗争に明け暮れた先、敗北してしまえば今後への影響は計り知れないのだ。結局のところつかず離れず、少なくとも自分の周りの知人の一助になる程度の行動で十分だと考える。


残り少なくなったスモークチーズを一口。会費は先に払ってあるし、適当に理由を付けて立ち去るべきだろうかと、バカ騒ぎの合間から聞こえてくる、故郷を思うラジオの歌に耳を傾けつつ思案する。

こんなところで、待てど暮らせど運ばれてこないタンドリーチキンを待ち続けるのも馬鹿らしい。そういえば、筋肉達磨オリバーから旨いパブを何件か教わっている。そちらに行ってみるのも手だろう。

教わったパブの内、現在位置から一番近い店を選びルートを頭に思い描く。同時に適当な理由をでっちあげ、席を立とうとした時だった。


「やあ、しばらくぶりだね。有瀬君」


後ろからかけられた柔和な声に振り返ると、見知った人物が赤い液体の入ったグラスを、挨拶代わりに軽く掲げて歩み寄ってくるのが見えた。

長身であり、虚弱さを感じさせる線の細い30代ぐらいの黒縁眼鏡の男。皇国海軍の純白の第2種軍装に身を包んでいるが、どうにも軍服に着られている感が拭えない。軍人と言うよりも、私塾の講師として教壇に立っている方がよっぽど似合う風貌だった。

そういえば遅れると連絡があったっけと忘れていた事実を掘り返し、危うく数少ない頼れる先人にして、友人の顔も見ずに出ていくところだったと自分の浅慮さに呆れが沸いた。


「お久しぶりです。河西カサイ少佐」

「早いものだね、君ももう大尉か。これは私も来年あたりには抜かされているかな」


アハハと軽く笑いながら対面へと腰を下ろす。ついでに、カウンターで受け取ったらしいブラッディ・サムとトマトジュースが注がれたグラスを寂しくなりつつあった有瀬のテーブルへと乗せた。どうやら、自分のテーブルに中々料理が運ばれてこないのを目敏く見つけていたらしい。ぬるくなってしまった残りを流し込み、結露が浮き始めたグラスをありがたく受け取る。


「じゃあまあ。とりあえず乾杯だ。”比類なき知勇と絶海の騎士に”」


《連合王国》では決まり文句になっているらしい音頭とともに赤い液体が注がれた2つのグラスが小さく音を立てた。


「相変わらず、酒はダメなんだね」

「こればかりはどうにも、まあ酒代は浮くので利点ではありますよ」


ブラッディ・サムで口を湿らせた河西が揶揄いと懐かしさを混ぜた問いを投げかけ、自嘲気味に笑った有瀬はトマトジュースに少しソースを追加し、味を調整していく。


「噂の副長殿は不在かい?」

「ええ、まあ。今頃は戦乙女と一緒に居ますよ。彼女にとっては、派閥どうこうよりも珍しく意気投合した数少ない友人の方が大切なようなので」


チラリ、と河西の背後に居る一団に微かに視線を向ける。目の前の人物にはそれで十分だった。


「ははぁ、なるほどね。ま、あの艦を造った才女だ。彼らが放っておく道理もないか。…………つかぬことを聞くけど、この状況ってそのことに関係が在ったり?」

「いやいや。ただ、個人的な軋轢と解釈していただければ。ほら、あそこで睨んでるおっかない副長殿とのね」


振り返るなどと言う愚は冒さず、有瀬の背後にあった窓ガラスに反射した後方の様子を盗み見、納得したように苦笑いを漏らした。どうやら、自分は佐伯近衛少佐の意にそぐえなかったらしいと、河西が小声でつぶやく。


「今ならばまだ間に合うのでは?ここに居ても、碌に料理は運ばれてきませんよ」

「何処に行っても歓迎されない身だとは自覚しているからね。逸れ者同士、寂しく飲もうじゃないか」


何処か諦めた様な笑みを浮かべる河西は、近くを通りがかったボーイに、数枚の紙幣とともに幾つかの肴を注文した。


河西啓一カサイ ケイイチ海軍少佐、《連合王国》の駐在員の一人であり、現状唯一の連合艦隊に在籍する駐在員でもある。以前は教育や演習を担当する軍令部第二課や、皇海兵で実際に航海術の教鞭をとる等、最前線で戦う軍人と言うよりも教育者としての側面が強い経歴の持ち主であり、本人も戦闘艦の指揮を執るよりも後方勤務の方が性に合っていると公言する人物だった。

しかし、彼は同時に優秀な航海士でもあった。

これまでに立てた航海計画は大きく狂っためしがなく、その正確無比な予想と指示から「舵とペラさえ動けば目的地に着ける」「呼吸する航路図」「海上に汽車を走らせる男」などと愉快な渾名に事欠かない。

これだけの才能を持つのであれば、早々に近衛艦隊へ配属されても良い様なものだが、自身を皇国国民の盾と規定しており皇主親政に否定的なため、皇道派やその巣窟である近衛からは距離を置かれているのが現状だった。もっとも、本人も皇道派に協力するぐらいなら潔く軍から退き、私塾でも開く気ではいたが。

基本的には統制派の米山中将閥の人間とみられることが多いが、実の所米山中将と河西少佐の間にコレと言ってつながりはなかったりする。


「こうして飲むのも3年ぶりかな、私が最後に教えた生徒がすでに大尉になっているのは実に感慨深いよ。それも、狂犬なんて二つ名がつくくらいだものね」

「狂犬はやめてくださいよ。河西教官殿」

「おっと、失礼。そうか、あまりお気に召さないか」


残念そうに肩を竦める河西に「自分が危険人物だと思いたくないので」と頭を振った。教官と呼ばれることを好まないこの男には、この程度の意思表示で大体の真意が伝わった。とはいえ、皇海兵で教鞭を振るっていた時も、その温和な言動と風貌から自主的に教官とよぶ生徒は少なかったが。


そこから先は有瀬の近況報告だった。

有瀬が初めて指揮を執った新型水雷艇を失ったことは河西も無論知っていたが、やはり本人の口から事の顛末を聞くに越したことはない。『綾風』の事についても、それを生み出した一人の才女についても、時折幾つかの質問を交えつつ話を聞いていく。聞き上手とは、この人物の為にある様な言葉だと、何度目か分からない感想が頭の中に浮かんでは消えていった。


「ふーむ。なるほどね、元気でやっているようで何よりだよ」

「河西先生の方ではどうなのですか?」


思わず昔の呼び名が口を突いて出てしまい反射的に謝罪するが、彼は「むしろ、そういってくれた方がしっくりくる」と事も無げに笑い飛ばした。


「こっちは『ドレッドノート』ができてからと言うモノてんてこ舞いさ。何せ、既存の戦艦2隻分の戦力、全ての戦艦を過去にする戦艦とまで言われているからね。あちこち駆けずり回って、得られた情報から艦政本部に送っているというところだよ」

「艦政本部はどうするのですかね?」

「おそらく、今検討されている河内型戦艦に大きな設計変更は無いだろう。先を越されただけで、その実力は『ドレッドノート』に匹敵すると思われるからね。少なくとも、これから先皇国海軍の艦は順次蒸気タービン推進に置き換えていく予定だ」


「『綾風』の機関は高性能だけど、何分大飯食いだからね」と残念そうに眉を歪めた。


彼の言うように、永雫の新たな頭痛の種が油の問題だった。


『綾風』に搭載された艦載用ガスタービンエンジンは、大雑把に言ってしまえば艦船用のジェットエンジンとも言うべき代物である。航空機用ジェットエンジンが、タービンからの高温高圧の噴気の反作用を利用して推進するのに対し、艦載用ガスタービンエンジンは、噴気を利用してタービンを回し回転力を取り出す装置だ。

故に、大量の吸排気が必要になるのは勿論、現状のボイラー艦で多く利用されている重質海油――重油は使えない。


使用されるのは軽質海油。それも、航空騎用の軽質海油を必要としていた。

ガスタービン機関は確かに小型・軽量・大出力であり、ボイラー艦よりも出力の増減が容易且つ迅速だ。この能力は艦の運動性能に直結する。しかし、欠点として運転には大量の油を必要とするのも事実だった。


もともと、拠点級海神の鹵獲を考える程度には油事情がひっ迫している《皇国》において、今後大規模運用が見込まれる航空騎とガスタービン艦を並列運用することなど無理を通り越して無謀である。さらに言えば、『ドレッドノート』の収益により、現状の蒸気復動式レシプロ機関よりも高効率な蒸気タービン機関の大型艦への搭載の実績ができてしまった。無論、この二種の機関は高圧蒸気から回転力を取り出す方法が異なるだけで、缶の部分は従来通りの重油専燃式ボイラーである。


つまり現状のガスタービン艦の正式採用と量産は絶望的と言える。このことを理解した永雫が、再びペンを叩き付けて「チキショーメッ!」とキレ散らかしたのは言うまでもない。



「《連合王国》はドレッドノート級を次世代艦の基準とする気ですかね?」

「基本的にはそう思いたいが――。妙なのがドレッドノート級は『ベレロフォン』、『シュパーブ』、『テメレーア』までで打ち止めになるらしい。どうやら、王立海軍はさらに巨大な戦艦を設計中、いや、既に概念記述中のようだ」


この世界において、永雫の手によって設計されたらしい『ドレッドノート』は【夢】の世界におけるベレロフォン級戦艦に相当していたため、設計変更なしで1個戦隊の姉妹艦が生み出されることとなるようだ。

だが、河西の話が真実であるとすると《連合王国》はセント・ヴィンセント級、ネプチューン、コロッサス級などの戦前から第1次世界大戦までを支えた弩級戦艦群を省略し、いきなりオライオン級へとその手をかけていることになる。


「『ドレッドノート』を超える戦艦。超弩級戦艦スーパードレッドノートってところですか」

「今でも、耳ざとい新聞社が既にそう言い始めているよ。恐らく、主砲口径は13インチから14インチクラスだろう。主砲配置はともかく、主砲は従来艦とそう変わらない河内型よりも強力になる」

「現状で概念記述中となると、これは周回遅れになりますね」


当然のごとく行き着く結論にげんなりとしてしまい、唸り声が漏れた。

概念記述中と言う事はつまり、設計が終了し今まさに生体工廠へとその建造データが入力されていることを意味する。戦艦ほどの大型且つ複雑な艦ならば、全てを入力するまでにそれ相応の時間がかかるだろうが、オライオン級(仮)が海に浮かぶのは2年や3年も先の話ではない。

最悪の場合、観艦式に主砲を同じ口径に換装したドレッドノート級とともにサプライズ登場する可能性すらあるのだ。


「ああ。こうなると近衛艦隊の様に、ひとつ龍母機動部隊に掛けてみたくなる気持ちも解ってくるよ。少なくとも、龍母の就役も戦力化も我が国がトップだからね」

「河西先生も、航空主兵主義者に鞍替えですか」

「鞍替えとは人聞きが悪いなぁ。――私は単に臆病なだけさ。臆病だからこそ、何とか母国の強みを見つけたくなる。それが例え、一歩間違えば破滅の道だとしてもね」


そんな言葉とともに、軍人らしさの欠片もない優男は何処か陰のある笑みを浮かべた。

基本的には理知的、慎重な海軍将校だが、時としてこういった危うさを見せるのが欠点と言えば欠点だろう。そんな先人を見続けるのは忍びなく、有瀬は「破滅と言えば」と少々強引に話題を転換させた。


「あるツテからの情報なんですがね、なんでも今回の観艦式、海神の大規模な襲撃が予想されているようなのですが。ご存じですか?」


手元のグラスを何と無しに回し、粘性のある赤黒い水面が微かに揺れる。視線を前に戻せば、微かに目を細まった目が探る様な光を向けていた。


「ふむ、なるほど。それは何処、否、誰からの情報だい?」

「ご想像にお任せします。ですがその様子ですと、先生もどこかで耳にされた噂なんですかね?」


有瀬の問いに、数瞬の間をおいて周りに聞こえない程度の声量の回答が返ってきた。


「――近頃、《連合王国》の北東方向の海域で相次いで偵察騎が消息を絶っているらしい」

「偵察騎が、ですか」

「ああ。それも、大型の長距離偵察騎が重点的に潰されているようだ。偵察任務を帯びて出撃した戦闘騎は特に問題なく任務を完遂してくるようだが、大型の偵察騎の損耗率は日に日に高くなっているらしい。有瀬君、こんな話を持ってくるんだ、拠点級についての異変も知っているんだろう?」


確信とともに投げかけられた問いに軽く頷く。


「実は、王立海軍内でも僅かではあるが、これらが全て連動していると考える動きがある。拠点級を去った大型海神が集合し、生存を図るため記念観艦式を襲撃する。このときの集結地点が《連合王国》の北東方向の海域であり、消息を絶った長距離索敵騎はこの艦隊と遭遇してしまった。と言う見方だ」


「だが、この話には粗も多い」一つ休憩を入れる様に、グラスを傾ける。河西の手の中で揺れる赤いカクテルは、これまでに流れた犠牲者達の血を想起させた。


「まず第一に、戦闘騎でも飛行可能な距離で引き返す予定だった長距離偵察騎もやられているが、直ぐ後に同じ針路を飛んだ戦闘騎は何事も無く帰還している。二つ目に、これまでのデータ上、主力艦クラスの大型海神が10隻以上の群れを作ったという報告はない。三つ目に、業を煮やした王立海軍が何度か駆逐艦で編成された哨戒艦隊を繰り出しているが、敵らしき影を補足していない。彼らにとっては、哨戒艦隊は目の前に差し出された前菜に等しい。手を出さないというのは考えられないんだ」

「つまり、北東の海域に海神の大艦隊は存在しないと?」

「それが、王立海軍と私の結論だね」


何か質問はあるかい?――。そう肩を竦める姿は、昔から何一つ変わっていない。だが、優し気なとび色の瞳の中には、はじき出した結論に対してにじみ出る不安を押し殺すような色が浮かんでいる。


「一つ、仮定を追加してみてもいいでしょうか?」

「いいとも」

「彼の敵艦隊が航空兵力を、つまり龍母に相当する戦力を保持していた場合は、もう少し検討を続ける必要が在るかと」


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