56th Chart:軋轢


 翌日、皇国海軍派遣艦隊一行は、彼らと同じように観艦式へ招待された各国海軍関係者たちと共に《連合王国》王立艦隊ネルソン基地の一角にある大会議室へと招かれていた。

 どことなく《皇国》の軍施設を思わせるレンガ造りの建造物に設けられていたのは、これもまた見慣れた形式のすり鉢状の議場。こういった部分を見ると、皇国海軍があらゆる部分から王立海軍の影響を受けているのだと実感することができる。


 皇国派遣艦隊からの参加者は以下の4名だ。


 派遣艦隊指揮官兼装甲巡洋艦『吾妻』艦長、住田覚スミダ サトル近衛少将

 同副長、佐伯俊成サエキ トシナリ近衛少佐

 駆逐艦『綾風』艦長、有瀬一春アリセ カズトキ海軍大尉

 同副長兼技術顧問、永雫エナ・マトリクス造船大尉


『吾妻』には砲術長や航海長など人間の将兵も幾らかは――それでも、戦艦に比べれば少ないが――乗艦しているが、『綾風』の場合、人間の乗員はこの二人だけだ。


 これは近衛艦隊の方が潤沢に人間を使えるという事実が大きい。


 船精霊クラバウター自体、ある艦が建造されたときに共に”発生”した個体は慣熟訓練を必要としないという絶大なアドバンテージを持つが、実の所、実戦における練度の最大値と言う点で見れば、人間に劣るという欠点を持っていた。

 戦闘に耐えられる練度を50、最精鋭を100として大雑把かつ強引に数値化してしまうと、新兵教育を終えた人間の下士官兵の練度は精々10程度に対し、発生したばかりの船精霊では60に達するとみられる。しかし、船精霊の練度は大凡80から90で頭打ちになってしまうのに比べ、人間の場合は訓練と実戦での経験次第では100を越す場合があった。

 そのため、ただ単に艦の戦闘ユニットとしての性能のみを追求するのであれば、苛烈な訓練と実戦を経験した人間の乗員で全てを賄うのが理想とされている。


 もっとも、人員不足や海神との戦力差、費用対効果を比べれば、机上の空論以外の何物でもない。


 連合艦隊に比して保有する戦力に対する予算が大きい近衛艦隊でも、人間の将兵は精々が士官クラスであり、艦の大多数を占める下士官兵は船精霊ばかりだ。とはいえ、司令部要員を除けば艦長や副長クラス――つまり、1艦につき1人か2人――までしか人員を配置できない連合艦隊よりはマシと言えた。


 練度の近衛、規模の連合。と言えば聞こえはいいが、実際の所、艦さえあれば近衛艦隊は連合艦隊並みの艦隊を整備できるし、予算と人さえ許せば連合艦隊も近衛艦隊並みの練度を持つことが理論上では可能だった。




 会議場に足を踏み入れると、既に半分程度の席が埋まりつつあった。会議場の前半は王立海軍の士官で占められており、招待艦艇の士官は後ろ半分に席を設けられている。

 多種多様な人種に、様々な意匠の軍服。会議場の後方は各国海軍士官の見本市と言いたいところだが、どれもこれも夏季用の白が基調の軍服が多く、どちらかと言えば間違い探しのような気がしてくる。

 ただ何事にも例外はあるようで、皇国海軍向けに割り当てられた椅子の左横の集団の様に、カーキ色の軍服に袖を通している軍人たち――合衆国海軍――もいた。ついでに言えば、皇国一行で最も端の席に割り当てられた有瀬の左隣に陣取っていたのは、見覚えの有りすぎる筋肉マッスルだった。


「よぅ、昨日ぶりだな。マッドドッグ・アリセ」


 十年来の友人の様に、逞しい片腕を上げて白い歯を見せる合衆国士官。対する有瀬は、思いきり顔を引きつらせ、永雫に責付かれながら腰を下ろした。

 あの筋肉達磨が合衆国海軍大尉だったのか、とか。なんで自分の名前を知っているのだ、とか。妙に気やすいなこのアメリカン、とか言いたいことは山ほどあったが、痙攣する口から飛び出ていったのは、密かに何とか払拭できないかと悩んでいる渾名についてだった。


「プロレスラー染みた渾名は止してくれないかな?そもそも、貴官に名乗った覚えは無いんだが……」


 右隣で「マッドドッグ……ぶふッ!」と盛大に噴出している副長殿には後でじっくり話を聞くことにしておく。ともかく、自分の苦言に合衆国海軍の勤務服の一つであるサービス・カーキよりも、ブーメランパンツの方が似合いそうな男は豪快に笑い飛ばした。顔の造形は強面ではあるが、笑うと覗く白い歯のせいか、妙に朗らかな印象を受けた。


「ハハハハハ!そう怖い顔するなよ、ロックだと思うぜ?それに、名前なんて顔写真付きで名簿に載っているだろうが」

「名簿があるなんて初耳なんだが……」


「Oh……なら、誰かに一杯食わされたな」やれやれと大げさに肩を竦める巨漢。様になっているのが、妙に腹が立つ。

  有瀬が名簿の存在を知っていない事を知り一瞬難しい顔をした巨漢だが、それも直ぐに消し、「まあ、だったら名乗らせてもらおう」と言う言葉とともに鋼の様な手が差し出された。

 しかし改めて見ると、座っているというのにやたらデカい。身長は180cm以上、体重は優に100㎏を超すだろう。だというのに、骨太な骨格に纏うのは軍服の上からでもわかる異常に発達した筋肉。防護巡洋艦ぐらいならば、一人で制圧できそうだ。


「オリバー・G・グリッドレイだ。階級は大尉、防護巡洋艦USS『オリンピア』副長」

「有瀬一春海軍大尉、駆逐艦『綾風』艦長。こっちが永雫・マトリクス、造船大尉だがウチの副長だ」

「よろしく、グリッドレイ大尉」

「昨日、隣にいたキモノ美人だな。こちらこそよろしく」


 美女と野獣、なんて言葉が浮かびそうな光景だが、グリッドレイは飽く迄紳士的に振る舞う。昨日の事と言い、単に豪快な大男と言うわけではないらしい。

「昨日?」と永雫が首をかしげているのを見ると、彼女は遊覧船での一件に気が付いていないと見える。無理もないだろう、何だかんだと批評はしていたが、遊覧船に乗っている間は王立艦隊に釘付けだったのだから。しかしそのことを説明する前に、グリッドレイの低い声が有瀬の言葉を遮った。


「これでも記憶力には自信があるのさ。昨日、ネルソン基地のツアーで遊覧船に乗ったろう?その時に俺も居たんだが、オリエンタルな美人と皇国海軍インペリアル・ネイビーの組み合わせは珍しかったから覚えていたのさ。どっちも名簿に載っていたからなおさらな」


「そう言う事か」と何度か頷く永雫が気づかない様に、グリッドレイが有瀬へウィンクを送る。つまりは、そういうことにしておけと言う事らしい。


「それはいいんだが、グリッドレイ大尉」

「どうせ同じ階級なんだ、オリバーでいい。で、何だ?カズ」


 ファーストネーム呼びに全くためらいが無いのも、《合衆国》人が【夢】の世界における、或る超大国の典型的な人間らしく思えてしまう要因でもあった。出鼻を若干挫かれた感を横に放り投げつつ、有瀬は言葉を続ける。


「その、こっぱずかしい渾名はどこで聞いてきたんだ?正直、あまり気に行ってないんだが……」

「そうかぁ?少なくとも合衆国海軍ウチじゃ結構有名だぞ。同期のアルなんか、一度会ってみたいとか言ってたしな。出所は知らねぇが、あの戦闘詳報読んだ連中なら思いついて可笑しくない渾名だと思うぜ?」


 今になって、あの時古井中将の言葉に素直に従わず。顰蹙覚悟で自分の戦闘詳報を出しておくべきだったかと、遅すぎる後悔が頭をもたげる。何が悲しくて、狂った犬などと言う看板を背負わなければならないのか。自分はそこまで危険人物ではない。

こういう時は自分に共感してくれる味方が一人でも居てくれれば大分心は楽になるのだが、そう簡単にいくはずもないのが現実だ。


「オリバーの言うとおりだな。少なくとも艦政本部では狂犬艦長とか、狂犬殿とかで通っているんだから、いい加減観念したらどうだ?マッドドッグ・有瀬」


 よりによって、にやにやと愉悦全開の笑みでまったく慰めにもならない言葉を吐きながら肩をポンと叩かれる。むしろ、全力で煽って揶揄いにかかっているというべきだろう。

 そういう彼女にも、”特造研の魔女”や”宵月司令専用全自動胃痛製造機”などとと言う謎な渾名を付けられているが、本人自身がそういった突飛な渾名を逆に楽しむ性質であるため全く被害はない。

「ったく、どうしてこうなった」とボヤキ、天を仰ぎそうになった時、「おい」と低く鋭い声が永雫の向こうから飛んできた。そちらを見れば、顔立ちは整っているがどこか神経質そうな海軍士官――自分にこんな渾名が付けられる原因となった報告書を作成した男。佐伯近衛少佐の双眸が自分を睨んでいた。


「相変わらず落ち着きが無いな、貴様は。その良く回る舌、切り落とされん内にリードでもつけるべきだろう。始まるぞ、口を噤んで前を向け」


 流れるような罵倒に「失礼しました」と事務的な謝罪を送り、オリバーと永雫に目配せを送って前を向いた。


 第5警備戦隊の時から有瀬と佐伯の軋轢は、今になっても残っているどころか悪化し続けているというべきだろう。

 佐伯は彼が味方を見捨てて功に逸ったと見ており、その思い込みは往路で2隻の新型海神を単艦で撃破したことで確信へと変わっていた。もともとが愚直に過ぎる性質であるため、協調を度々無視し皇主尊崇の念が欠片も感じられない――と睨んでいる――人間と肩を並べて戦うなど虫唾が走る思いであった。

 対する有瀬も、佐伯の海軍士官としての力量はある程度認めてはいるものの、頭が固く思い込みの激しい人間が、自分への嫌悪を隠そうともしていない時点で関係を改善するという思考を放棄している。労力と利益を天秤に掛け、労力が勝ると判断した故の判断であった。


 ピリピリとした両者の間に挟まれた永雫――『吾妻』での一件やこれまでの関わりから、有瀬に対しては一定の同情を抱いてはいた――が面倒臭そうにため息を吐いた。自分もけして人の事は言えないが、少なくとも自分を挟んでギスギスされるのは愉快な気分ではない。

 議場の後方で、異質な造船士官が頭痛がしそうになる額に手をやった時、壇上に登った老獪な宿将と言った雰囲気の王立海軍海軍大将が、会議の開始を宣言した。


「紳士淑女諸君、ごきげんよう。私は王立海軍本国艦隊司令長官、ジェイコブ・ジェリコー海軍大将だ。これより、グレゴリー5世陛下載冠記念観艦式における、諸般の説明を始める」












「ったく、司令部の横暴にも困ったものですね」


 艦橋の波除に寄りかかりながらパイプを燻らせている時、隣から半ばあきらめた様なボヤキが聞こえてきた。タラップを伝って甲板上へ運ばれてきた錆の浮いた缶詰を、艦首側の配管の隙間に詰め込むように指示を出す先任の顔には、いつもの冷淡さに加えて眉間へ深い皺が刻まれていた。


「珍しいな、クレッチマー。今日は一段と不機嫌そうじゃないか」


 ヴェディゲンの言葉は揶揄いが多分に含まれたものではあったが、元来”教本が階級章をぶら下げてる”と称されるほどの堅物先任士官はそう捉えなかったらしい。

 バツが悪そうに「あ、いや、失礼しました」と表面を取り繕う。もっとも、ヴェディゲンもこうなることは解っているので「構わんさ」と紫煙を噴き出すにとどめるが。


「まあ、確かに貴様の言いたいことも解る。休養一日で油と食い物と部品を積んで即出港だからな。艦も乗員も休息不足なのは否めまい」

「ですが、仕方のない部分もあるでしょう。もともと、此処への寄港は予定外な上、一応は仮想敵国の港ですからね。……それは3番吸気バルブの下に突っ込んでおけ、それとそれもだ。固定は忘れるな」


 淡々と《帝国》の海軍士官としてはまっとうな意見を述べるクレッチマー先任の顔からは、既に慌てた様な表情は無くなっている。そんな会話の中でも、積み込まれた干し肉や乾燥野菜の格納場所の指示も的確で無駄がない。相変わらず器用な奴だと内心感心してしまう。


「仮想敵国か、それを言ってしまえば。我らが《帝国カイザーライヒ》に友好国などあるのかな?」

「ありませんね。我々に居るのは敵と、いずれ敵対する敵と、今は敵対していない敵だけです。ペテンまがいの鉄血演説で《盟約》をまとめ、五大国にのし上がったツケでしょう。……周りの五大国もあまり変わりませんが」



 暗に《帝国》は外交下手だと公言するような言い草に、「ちがいない」と艦長が低い笑い声をあげる。


《帝国》と呼ばれる国家は、元をただせば北方の海域の中小国家群において結ばれていた《ザーノルデン盟約》と呼ばれる軍事同盟の主要加盟国の一つ、《ノルト王国》を事実上の母体としていた。

《ザーノルデン盟約》――通称、《盟約》は《共和国》や《連合王国》、《連邦》の前身国家など、列強による加盟国の切り取りを予防する同盟である。この同盟が成立した以後、列強による干渉が鳴りを潜めた事実を見るに、一応の抑止力足りえていたと評価することができるだろう。とはいえ、平時では加盟国間における小競り合いが絶えない程度には不安定な同盟であったのも事実だが。


 それが、約50年前までの状況だ。


《ノルト王国》が艦艇の喫水線下への攻撃を意図した新兵器。自走式の魚雷や設置式の機雷を発明したが、これらの新兵器は他国どころか《盟約》の加盟国にすらその詳細が秘匿され、独占された。

 しかし秘匿されたとは言っても、実際はそう徹底されたモノでは無く《ノルト王国》が新兵器を保有しているという情報だけは奇妙なほどスムーズに各国上層部へともたらされた。

 これに慌てたのは他の《盟約》加盟国だ。

 元来、《盟約》の防衛は加盟国の中でも軍事技術に秀でた《ノルト王国》や《アリストン二重帝国》が主力を担っている状況であり、他の加盟国の軍事力はこの2国に比べれば細やかな物だった。

 仮に、《ノルト王国》が各個撃破を敢行すれば満足な抵抗もできず敗北することは目に見えており、さらにそこに新兵器すらも投入されるのであればどうなるかを議論する意味もない。

 本来ならば、加盟国全体に技術を公開し《盟約》の防衛能力を底上げするべき案件であるのに、《ノルト王国》は《アリストン二重帝国》にすら技術を隠している。彼の国が他の加盟国を武力によって併合する気ではないかと、《盟約》の指導者たちが疑念を抱き始めるのも当然だった。

 しかし当時は、《盟約》が最後に協力した時から長く時が開いた時期であり、《ノルト王国》に匹敵する国力を持つ《アリストン二重帝国》も、戦争による自国の消耗と、それに付け込んだ他国の伸長を恐れ日和見主義的な対応に終始し、《ノルト王国》の出方次第では電撃的な併合もありうるという危機感が諸外国の間に募っていった。


 無論、周辺の諸外国も《ザーノルデン盟約》が統一国家になる事を良しとはしない。《連合王国》や《共和国》、《連邦》の前身国家は武力介入を内々に決定し、中でも《共和国》は《ザーノルデン盟約》の軍事支援をいち早く表明し、艦隊の動員を決定した。流石に《ノルト王国》とはいえ、まだまだ《共和国》の大艦隊を押しとどめる力は無く、勝利は誰の目にも明らかなように見えた。

 事実、この知らせを聞いた《アリストン二重帝国》はこれ幸いと歓迎の意思を表明し、強力な後ろ盾が得られたことで、本格的に反ノルトへと舵を切るほどだ。


 こうして、列強の介入姿勢と《アリストン二重帝国》の路線変更によって窮地に陥ったかに見えた《ノルト王国》ではあったが、事態は意外な方向へと転がり落ちていく。


 本来ならば、《共和国》と残りの《ザーノルデン連盟》の挟撃に会い、亡国への道をたどる筈であった《ノルト王国》は、列強の介入を利用して《盟約》全体に、意図的に歪ませたナショナリズムを広めて大いに煽ったのだ。


 ――《共和国》の動きを見れば、列強が《ザーノルデン盟約》の切り取りを開始したことにもはや疑いはない。そして嘆かわしいことに、加盟国の一つである《アリストン二重帝国》は列強の軍事介入に有ろうことか歓迎の意を示してしまった。これまで外敵の存在時のみに効力を発揮していた《盟約》は、もはや有名無実化していると言えるだろう。


 ――《アリストン二重帝国》の様に列強の軍事介入を受け入れることは、彼らの支配を容認することに他ならない。では、我らは遂に列強に膝を屈する時が来たのだろうか?


 ――答えは否だ。断じて否である!


 ――我らは仰ぐ旗は異なれど、同じザーノルデンに生きる同胞である。故に、我らは連帯し団結し、母なる鉄の大地の群れをパイの如く切り取ろうとする列強を排除する義務を負うのだ。《盟約》の破綻は、我らが祖先より受け継いできた崇高な義務をなげうつ事を意味しない!


 ――《盟約》はあくまでも軍事的な同盟に過ぎなかった。故に、ほころびを見せた。ならばどうするか?決まっている。同盟などという生易しいモノでは無く、さらに強固で、さらに強大で、全てが完全に統一された運命共同体たる、一つの《帝国》を作るのだ。


 ――《ノルト王国》は《ザーノルデン盟約》を解散し、別たれた民族を統合し、最新にして最強の《帝国ライヒ》へと発展させることをここに提案する。別たれた大地と広大な海、千年の栄光と万年の繁栄は、我らの鉄と血によってのみ築かれるであろう!



 当時有数の国力を持つ複数の国家による武力介入の動きを大きく誇張し、後世の歴史家からは「出来の悪いペテン」と酷評される演説ではあったが、タイミングはこれ以上ないほどの好機をとらえたものであった。

 ともに連盟加盟国として戦った《ノルト王国》と、常に敵として相まみえた諸外国。一応は時として肩を並べて戦った相手による併合か、それとも殺し合いを続けた敵による、戦後利権を盾にした事実上の占領か。迫られた2択に対し、複数の答えを持つ国はそう多くなかった。

《共和国》と《アリストン二重帝国》の艦隊が《ノルト王国》と彼の国への協力を表明した国家の連合艦隊――正確には、それらが配備した魚雷――によって大打撃をこうむり壊滅した直後、《ノルト王国》宰相の提案を受諾した国々は、彼の国の国王を皇帝として迎え、5つ目の巨大海洋国家――《帝国》の成立が宣言された。


 そうして形作られてから40年と少し。だいぶ緩和されてはきたが、元が”諸外国から身を守るため”に成立した国家であるからして、他の四大国とは潜在敵国としての状況が長く続いている。もし、この世に海神が居なければ、全面戦争の一つや二つは確実に起こっていただろう。

 もっとも、現実はそうはならず。《帝国》は世界屈指の技術力を持つ軍事国家として認知されている。他の四大国とも皇族同士の婚姻や通商条約などで融和政策を少しずつではあるが進めており。少なくとも表面上は、建国した瞬間の開戦5分前と言う雰囲気から、こうして軍艦に対する補給を融通しあったり、観艦式へ招待される程度には関係改善が進んでいた。

 ただ水面下がどうなっているかは推して知るべきだろう。良くある「テーブルの上で握手を交わしながら、足でお互いをけり合っている」と表現するのが適当だ。



「艦長だって、依頼の内容が『U-71』の捜索救難でもなければ、何かと理由を付けて突っぱねていたでしょう?」

「当たり前だ。何も聞かなかったことにして通信機の配線を数本引っこ抜いている」


「始末書ものですな」「無線機水兵の名誉の負傷だ。空き缶で作ったアイアンクロスをくれてやる」呆れた先任士官の目が、紫煙の向こうで細められる琥珀に受け流される。


「消息を絶ったのは、此処から東へ800海里行ったティンタジェル海山列ですか。あの辺りは確かに潮の流れが速く、比較的浅い海域ですが……『U-71』は座礁でもしてしまったんですかね?」

「『U-71』のトムセンにしちゃらしくないミスだが、戦場に絶対は存在せんからな。『U-110』のシェプケも応援に来るそうだが、どのみち明日は我が身だぞ、先任」


 そんな日が来るとは欠片も思っていないと言う風に不敵な笑みを作るヴェディゲンに、クレッチマーが困ったように頭を掻いた時だった。聞きなれぬ声が、岸壁と艦橋を繋ぐタラップの反対側から飛び込んできた。


「その明日も、猟犬殿の『U-109』には近寄りたがらないだろうね」


 振り向いて声の主の姿を確認し思いきり固まるクレッチマーと、興味深そうな不敵な笑みをを浮かべるヴェディゲン。

 何故か木箱の乗った台車を引きずってきたリュート中尉とともに現れた貴人。どこか不思議な印象を与える微笑を浮かべた丸眼鏡の青年は、対照的な表情を浮かべる2人の海狼に乗艦許可を求めるのだった。



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