55th Chart:緋色の鴎

 音の発生源を振り返れば、無表情で硝煙をたなびかせるリボルバー式拳銃を構える巨漢の姿があった。

 続いて、男が走り去った路地の方で何かが倒れる音。半ば確信めいて再び振り返った彼の目には、背中と後頭部を打ち抜かれ血だまりに倒れ伏す、解放された男の姿があった。

 今まさに目の前で起こった殺人事件に、口をパクパクさせながら彷徨った視線は自然と白の少女の方へと向かう。俄かには信じがたいが、この惨劇を指示しただろう張本人は、命を散らせた男にもはや興味はないという風に銀糸の毛先を弄んでいた。


「殴り倒し、調子に乗って何発も銃弾を撃ち込んだはいいものの、立ち去ろうとした瞬間に、まだ息の有った片方が最後の力で反撃。1発が背中に、もう1発が運悪く後頭部に当たって即死。反撃した方も貴方達が来た時には既に事切れていた。凶器は既になかったけど、大方騒ぎを聞きつけたストリートチルドレンあたりが持ち去ったのでしょう」


朗々と語られるのは、この状況に一応の説明を付けるカバーストーリー。当然の様に、その物語にはイリーシャも3人の男も、有瀬と永雫も存在しない。酷い力業ではあるが、事実上の隠蔽工作だった。

とはいえ自らの罪を隠すために、素性は怪しくてもロンディニウム市民の一人をその手に掛けた事実は残り、それはまだまだ理想に燃える警官の正義感に火をともしていた。


「なっ……あっ……そ、そんな出まかせが通じるとでもっ!」

「それが通じちゃうのよねぇ。と言うか、貴方達はそうするのが賢明だわ」


 最早我慢できぬと激高し、掴み掛かろうとしたアレックスだったが、ふと少女の格好に違和感を感じる。そして一瞬の後にその原因を理解し、思考と喉が凍り付いた。

 白いシャツの上に羽織られているのは、カーキ色の上着。肩章は赤と金で装飾され、胸の位置は幾つかの略綬で彩られている。

 それだけならば、まだ良かった。国際問題に発展するだろうが、少なくとも自分のみの安全は国家機関によって保障されることを確信できる。 

 問題は、彼女の銀糸の上に乗っかっている制帽。目の覚めるほど毒々しい赤と青の配色、そして帽章に輝く金色の槌と鋤。そんな意匠を持った服装など、世界中を探しても一つしかない。



「え、NKVDエヌ・ケー・ヴィー・ディーっ!?」



「おい有瀬。なんで《連邦》の秘密警察チェキストが《連合王国》のど真ん中に居るんだ?」

「僕が聞きたいね、それは」


 目の前で生じた理不尽に、たまらずといった風に永雫の小さなボヤキにこちらも同じような言葉を返す。

 まったく、どうして気が付かなかったのか。紺色に側面に一筋の赤線が入ったスカートと暗い色のネクタイ。今になって思えば形式は違えどNKVDの制服の配色そのままだ。と言うか、彼女の格好は正規の服装から帽子と上着を取り去っただけと言う方が適当かもしれない。

 NKVD、正式名称を《連邦》内務人民委員部Narodnyi Komissariat Vnutrennikh Del。活動内容は【夢】の世界の同名の組織とほぼ同じ。要するに、反革命分子に代用される共産党の敵対者をを用いても排除する秘密警察だ。

 しかも、これまでのやり取りを見るに、自分がイリーシャと呼んでいた少女は少なくとも中隊規模の部隊を指揮する立場にあるらしい。頭の中の資料を引っ張り出し、肩章や襟章と見比べれば、それが少佐のものであると断定できた。ともすると、彼女の部隊は大隊規模である可能性も出てくる。


「これで理解できた?貴方がこの後も市民の味方、正義の味方の御巡りさんで居たいのなら、まだ表に居たいのなら、大人しく下がってほしいな」


 クスクスと笑みを浮かべ上目を使いながら、逆にアレックスに詰め寄る白の少女。対する警官は、その額に脂汗を浮かべながらも足を動かすことはない。栄えある首都警察の一員としての矜持が、国民を不当な手段と目的で粛正した共産主義者コミュニストを前に、震えそうになる足を地面に縫い付けているらしい。


「だ、だめだ!わ、私はこの街を」

「だぁ、かぁ、らぁ……聞こえなかったのかしら?」


 チキ、と微かな音が彼の耳に届いた瞬間。喉の下に熱いもの押し当てられたのを感じる。まだかすかに熱の残る異形の銃の咢。それを下から突き上げる様に構える少女の目には、憐憫も愉悦も慈悲もない。

 もはやガラス玉の様に、何も意志を浮かべぬ琥珀が、若い警官の精神を蝕んでいく。

彼だって、一人前の警官であり捕縛術の心得もある。しかし、目の前にいる自分の胸程度の身長しかない少女の纏う雰囲気は、これまで培ってきた技術が児戯にも等しいものだったと確信させる圧が存在していた。


「この件はにしてあげるって言ってるのよ、民警ミリツィア。それとも何?名誉の殉職でも体験してみる?」


 ほっそりとした指がトリガーに掛けられ、ゆっくりと力が込められていく。成す術もない己の命の終わりが目前に迫っていることを、精神で理解してしまう。反撃する気力すらも恐怖によって縛られ、隙間風のような悲鳴を最期に漏らし、そして。


「そこまでだ。お嬢ちゃん」


 孫娘をたしなめるような、のんびりとした警官の声が響いた。

 あとコンマ1ミリ引けば撃鉄が振り下ろされる状態で、何も映さぬ琥珀色の瞳が自分の細腕を掴む太い腕とその主へと向けられる。


「此処は、儂らが退こう。だから、あまり若いのを虐めんでくれ。言いたいことはあるが、儂も”緋色の鴎”に手を出すほど命知らずじゃないさ。敬意はどうあれ路地裏でNKVDの連中の作戦を許した、表沙汰になって割を食うのはこちらだ」

「へぇ、物知りなのね。年の功って言うヤツかしら?」


 ほんの少し感心したような顔を浮かべた少女は、銃を離し一歩後ろへと下がる。その頃になると既に、木箱に投げ出された男は出血多量により事切れており、残りの2人は彼女の部下らしい3人によって持ち去られていた。

 残っているのは難しい顔をしたベテラン警官と、股に染みを作ってへたり込んだ若手の警官。用済みになった拳銃をクルクルと回して弄ぶ白の少女と、一部始終を特等席で見物してしまった皇国軍一行。路地の向こうから、聞きなれたサイレンと微かな足音が響く中、この茶番劇を作り上げた少女は舞台女優のような仕草で、2人の官吏に最後通牒を送った。


「では、後はお任せいたします。ご存じのようですが、軽挙は厳に慎まれますようよろしくお願い申し上げます。さもなくば、は必ずや、貴方の世界を啄むでしょう」













「そこの前衛芸術と同じになりたくなければついてきなさい」と言う、もはや命令以外の何物でもない言葉に従い歩くこと数分。惨劇の十字路を後にし、大通りがすぐ目の前に見えるところまで有瀬と永雫を伴って進んだ彼女は。先ほどまでの冷酷無比な体に、再び年相応の雰囲気を纏って振り返る。


「うーん、すっきりした。じゃあ、カズトキ。次はどこに行きましょうか?」

「うっそだろ、おい」

「ええ、もちろん嘘よ」


 うんざりとしたような有瀬の言葉に、ケラケラ笑う白の少女。これだけを見れば、つい先ほど2人の人間を蹂躙し、首都警察を恫喝した人物と同一だとはとても思えなかった。


「最近よくあるんだよね。大通りを歩いていたら、いつの間にか反動主義者に尾行されてて、そのまま捕縛作戦になっちゃうの。手間が省けるのは良いんだけど、気楽にショッピングもできないわ」


 やれやれといった風に大げさに肩を竦める。それはもしかしなくても自業自得なんじゃないのかというツッコミをかろうじて飲み下した。

「にしても」と有瀬の葛藤を欠片もくみ取らず、琥珀は呆れた様な半目を形作る。


「貴方達、本当に全っ然駄目ね。カズトキは、まあ度胸はあるけど技量が新兵並みだし。エナの勘は鋭いけど、他がまるっきりだめで戦争処女アマチュア同然だし。貴方達本当に軍人?」

「なにぃっ?!」

「まあ待て。言いたいことは色々あるが、おおむね事実だろうが」


 瞬間的に噛みつきそうになる永雫だったが、有瀬の言葉に反論が見つからず「ぐぬぬ」と言葉に詰まる。

 実の所、惨劇が始まってから、今の今まで有瀬の背中に隠れていたも同然であったことは理解しており、内心で自分の不甲斐なさに殺意すら覚えていたりする。

 その上で有瀬に諫められながらも感情的に反論を続けるなど、彼女の矜持が許さなかった。


「まあ、しょうがないわよね。不適な職に不適な人を付けても、生産性なんて欠片もないんだし。もしそんなことになったのなら、真に粛清されるべきはその人にその職をあてがった人間と、そうさしむけた社会よ。好き好んでやってる無能は省くけど」

「まっとうな意見だな。それで、君自身はこういった仕事に向いていると?」

「ええ、もちろん。こんな身体でも、考え方によっては相手を騙す武器になるしね。それはともかく、貴女、そういう意味では不適な職。いえ、立場に就いているんじゃない?」


 ニコリ、と微笑を向けるイリーシャに寒気を覚えた永雫は「…………何の話だ?」と探りを入れる。


「永雫・マトリクス、17歳。皇国海軍艦政本部第四部、特務造船研究室室長。数々の設計案、技術案を出すもそのどれもが不採用。理由は余りに独創的、革命的過ぎて、保守的な軍上層部にとっては机上の空論も同然だから。けれど、最近になって副長補佐として着任した有瀬一春大尉の協力により、ほとんど横紙破りに近い手を打って革命的新型駆逐艦『アヤカゼ』を建造。其の後、海上護衛総隊からの依頼で一〇〇〇トン級護衛艦の設計にも着手。ちなみに、スリーサイズは上から8じゅ」

「ちょっと待て!最後のは関係なくないか!?」


 危うくとんでもない個人情報まで暴露されかかった永雫が、顔を真っ赤にして言葉を遮る。もっとも、この反応はイリーシャが求めていたものだったのか、にやにや笑いながら彼女と有瀬を交互に見やった。


「えー?カズトキを誘惑するチャンスじゃないの?」

「アホか貴様ァッ!」


 これは酷い。色んな意味で。個人的にイリーシャが口走ろうとした情報には男として興味をそそられるものがあるのは事実だが。


「おい、貴様も何か不埒なことを考えてないか?」


 顔を赤くしたままジト目になり、身体を抱え込むように後ずさりする羽織の少女。前々から思っていたが、彼女ならそう遠くない未来に時の流れでも見えるんじゃないだろうか。


「いや、まったく、全然」

「ハッ……どうだか。……それで、私の経歴をあげつらって何のつもりだ?ヘッドハンティングでもするつもりか?」


 最早叩き付けるような口調だったが、意外なことに銀糸の頭は縦に揺れる。


「ええ、そうよ。我が《連邦》は貴方の亡命を望み、歓迎するわ。ともに、前時代的な帝国主義者を打倒さない?」

「断る!」

「えぇー……即答ぉー?」


 断固とした拒絶に、初めてイリーシャの顔が引きつった。まあ、ここまで揶揄れれば無理もないだろう。と言うか、これだけやって簡単に靡くとでも思ったのだろうか。

 その後も何度か口を開閉させ、説得の糸口をつかもうとしているらしいが、それも数秒の事で長い溜息を吐いて思考を止めた。彼女自身も、ハナからこのヘッドハンティングが成功するとは思っていないらしい。


「まあ、こうなるよね。でも、しょうがないか。お父様も”できればでいいから”って言ってたし。お友達になれただけでも良しとしましょう」

「おい待て、誰が貴様と友達だって!?」

「あら!まさかもうそんな関係に?!だ、だめよ!女同士なんて生産性が無いじゃない!それに私にはカズトキと言う人が」

「ちっがぁぁぁぁぁぁぁぁうっ!ってなんで有瀬が出てくるんだ!?」





同時刻、駆逐艦『綾風』1番魚雷発射管付近。


「はっ!?」

「どうしました?水雷長」

「どこかでキマシタワーな百合展開が繰り広げられてる気がする!」

「砲雷長より水雷士、その馬鹿は空いた魚雷発射管にでも詰めといて、どうぞ」

「かしこまっ!」

「百合豚はしまっちゃいましょうねぇ~」

「ヤメロォ!ナイスゥ!」

「3人の水雷士に勝てるわけないだろ大人しくしてください!」

「バカ野郎お前私は勝つぞお前!」


閑話休題茶番終了






「イリーシャ、あまり揶揄わないでやってくれないか?」

「むー、楽しかったのに」


 それから約数分間、散々幼女に弄り回された永雫が、若干ハイライトを落として「泣かす、いつか必ず泣かす…………」と呟き始めたので事態の収拾にかかる。若干涙目になっているような気がしたが、追及すると後が怖いので触れないでおくことにした。

 対して白い少女も、流石にこれ以上は面倒臭くなると思ったのか、それとも一通り満足したのか、どこかやり切った顔で矛先を収めた。


「それで、本当に目的は彼女のヘッドハンティングだけだったのか?」

「まあね。前段階のプロファイリングで”絶対無理”って出てたから、観光ついでのダメ元だったけど。でも、《連邦》がエナを欲しがってるのは事実よ?」


「誘拐って手もあるけど臍曲げられて欠陥兵器ばかり作られても困るしね。脅迫する材料も、今は未だ無さそうだし」と肩を竦める。


「今回は挨拶とパイプ作りってところかしら。もし《皇国》に居づらくなったら《連邦》の事を思い出してくれればいいわ。少なくとも、《連邦》の諜報・防諜能力は世界一なんだから。お早うからお休みまで、身の安全は保障するし、なにより《連邦》は大変革期の真っただ中、貴女のような革命的設計と相性が良いとは思わない?」


 それまで浮かべていた笑みを消し、真剣な眼差しを向けられて思わず永雫がたじろぐ。

 確かに、彼の国が大きな転換点を迎えていることも事実だし、現在の書記長は理があれば即座に実行に移す行動力を伴った傑物と噂されている。国土自体も方舟の問題で極海を遊弋しているが、数も大きさも膨大であり鋼材や工廠には苦労しない。

 少なくとも、駆逐艦1隻の為にあれこれ頭をひねり、身体を張って、あちこちに働きかけて大騒ぎする必要はなくなるだろう。

 だが、それでも首を縦に振ることはできなかった。


「貴様の言う事にも一理あるが、私は《皇国》を離れる気はない」

「それはどうして?愛国心ってやつ?」

「もっと単純な理由だ。《皇国》が私の故郷ホームだからだ。それ以上でも、それ以下でもない。国が亡ぶその時まで、私は《皇国》を離れない」


 それは、嘘偽りのない彼女の本心だった。琥珀と瑠璃の間にひと時の静寂が訪れ、数十秒程度たった後、フッと琥珀が緩み「仕方ないか」と小さく揺れた。


「そっか。じゃあ、今の私が出来ることは何も無いね」

「ああ、そうだな。だが、ちょっとした相談ぐらいならば乗ってやれる。私は《連邦》と敵対する意思はないのも事実だ。正当な対価があれば、《皇国》に不利益にならない範囲で協力はできる」

結構Хорошо、それが確認できただけでも大戦果よ。案外長居しちゃったし、もう行くね。じゃあまた会いましょう、お二人さん」


 踵を返して雑踏の中へと足を向ける少女に「あ、待て」と永雫の声がかかる。


「なに?」

「さっき、警官が行っていたって何かの部隊か?それと、貴様の本当の名は?マカロフは男性系だってことぐらい、私にもわかる」

「ふーん、突っ込まないから知らないのだと思ってたけど、知ってたんだ」


 投げかけられたのは、本来ならば彼女が所属する組織を考えれば、真面な返答が返ってくるはずもない問い。しかし幸か不幸か、彼女の”部隊”は一定の人間たちに知られる事に意義があった。

 ひとしきり感心した後、聖女の様にも見える微笑を浮かべた少女は、パブのテーブルで会った時の様に、つい先ほどの茶番を切り上げた時の様に、スカートの端を摘まんで礼を送った。


「では、改めて名乗らせていただこうかしら。私はイリーナ、NKVD少佐。《連邦》内務人民委員部、独立作戦任務師団隷下、第444NKVD特務大隊【Алая чайка緋色の鴎】大隊長」


 明かされた父性と性に、ぞくりと背筋に鳥肌が立つ。並べられた2つの名前、そして”お父様”。考えられる結論は、笑ってしまいそうになるほど戯画的だった。


「反動主義者の血で染めた空を舞う。私たちが居ると認識した者達に対する抑止力。貴方達も例外ではないわ。命が惜しければ、あまり深くは探らない事ね」


 そう言いつつ踵を返し、薄暗がりから大通りへと歩を進め、不意に肩越しに振り返る。


 ――身の程を知らず、知らなくていいことを知りすぎた愚か者。それが緋色の鴎わたしたちの好物ですもの


 白い少女の紅い口が嗤ったかと思えば、目の前にいたはずの少女は白昼夢の様に掻き消えていた。


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