31th Chart:海上公試


 皇歴2599年6月6日、方舟”秋津洲”南方30海里海域



 全長133mに達する暗い色の軍艦色で塗装された艦体は、研がれた刃物の様に鋭い艦首で蒼く染まった海面を切り裂きながら、薄絹のような航跡を残して海を駆けていく。

 滑らかなカーブを描くクリッパー・バウとして始まる前甲板には、同世代の五六式10.5㎝連装砲が華奢に見えてしまうほどの威圧感を放つ、55口径127㎜三連装速射砲が前方を睨む。多様な電探設備を施された大柄な箱型艦橋の前には40㎜連装対空機関砲を備える雛壇が設置され、艦橋の左右には4基の25㎜単装機銃が睨みを利かせる。

 船首楼が終わり、一段下がった甲板には集合式の煙突と探照灯をそれぞれ間に挟む形で61㎝5連装酸素魚雷発射管が3基15門、6基の連装40㎜機銃の槍衾に守護されその時を待つ。

 前艦橋に比べれば少々小ぶりな後艦橋を過ぎれば、前半部の砲力を補うように2基の12.7㎝3連装速射砲が背負い式の配置となされていた。

 満載排水量3455トンと、現行の防護巡洋艦よりは小型だが、常識的な駆逐艦と呼ぶには余りに巨大な最新鋭駆逐艦。


 それが、『綾風』だった。


 鈍色の艦橋には緊張した御面持ちの船精霊の乗員と数人の人間が詰めていた。その中の一人である『綾風』技術顧問、永雫・マトリクス造船大尉は、今まさに目の前で繰り広げられている会話に、頭を抱えたくなるのを必死にこらえていた。恐らく、自分の背後。艦橋後端部の壁に整列した2名の護衛も似た様な心境だろう。


 ――………どうしてこうなった!?


 心中に何度目かわからない絶叫が響く中。彼女の眼前では茶飲み話でもするかのように、先ほどの試験について意見を交換している艦長と高級将校の姿があった。


「全速航行試験も速力試験も楽々パスとはな、正直感動を通り越して呆れの方が出てきそうだ」

「少なくとも、速力の面においてはこの先しばらくは最速の艦の名を欲しいままにするでしょう」

「旋回性能に関しても、やや現行の艦に後れを取るが、速力と艦体の大きさを考えれば驚異的と言える。それに、クラッシュ・ストップ・アスターン試験でも不具合一つ起こさぬとは。プロペラの羽自体を可変式にし、機関の回転方向を変えずに加減速を行うと聞いたときは耳を疑ったが、実際に目にすれば納得せざるを得んな」


 会話をしている片方、『綾風』艦長、有瀬一春海軍大尉はまだいい。

 彼との付き合いはようやく1月に成ろうかと言うところだが、既に信頼を置くに足る人物だと確信している。

 そもそも彼の尽力が無ければ、自分は未だにあの研究室で不平不満をぶちまけて居たであろうことは想像に難くない。少々――と言うには身勝手が過ぎるが――強引な手を使ってまで、『綾風』の建造をもぎ取ってくれた事自体には、感謝している。

 問題は、もう一方の人物だ。


「さて、そろそろ目標が見えてくるはずだが…そこな船精霊、どうだ?」

「は、はいっ!2時の方向にを確認しました!」


 双眼鏡を覗きこんでいた船精霊の上ずった報告の声に満足げに頷く青年将官。

 何処か中性的な印象を思わせる美形の顔には、妖しさすら感じさせる切れ長の眼が開き、瑠璃の様に深い青の色を称えた瞳がぬらりと見張り員を射抜く。金糸で縁取られた近衛艦隊の制服には中将の階級章が縫い付けられており、胸元には色とりどりの略綬が散りばめられていた。

 そこだけ見れば、近衛艦隊の歴戦の一中将であるのだが、問題はそれを着込んでいる人物だ。


「ははは、そう緊張せずともよい。先も言ったろう?私は今は唯の近衛中将だとな?敬意も行き過ぎれば不敬となるぞ?」

「し、失礼しました!で、いえ、葦原宮中将!」


 葦原宮アシハラノミヤ靖仁ヤスヒト親王。皇位継承順位第二位、今上皇主の次男であらせられる、正真正銘の皇族だ。宮城から姿を現すことが少ない病弱な実仁殿下や、軍令部に籍を置く三男の敷島宮國仁親王とは異なり、積極的に実戦部隊と交流を持とうとする奇特な御仁だ。

 反対する周囲を説き伏せ、自ら艦隊を率いて海神を撃滅したびたび戦果を挙げるため、下士官兵からの信頼や忠心は莫大なものがあるが、将校以上の人間にとっては頭の痛いことこの上なかった。

 近衛艦隊は確かに名目上は皇主や皇族の為の軍隊ではあるが、守るべき皇族が矢面に立っては意味がない。しかし、葦原宮中将は”指揮官先頭の伝統”や”高貴なるものの義務ノブレス・オブリージュ”でゴリ押しして指揮権を合法的に分捕り、それで犠牲を少なくして戦果を挙げてくるのだから質が悪いことこの上なかった。

 現状、初瀬型戦艦を擁する近衛第一戦隊司令の地位を得ているが、この配置も基本的に温存される主力艦の指揮官にすることで、可能な限り前線に出す機会を減らすための苦肉の策でもあったりする。


 ――というか、なんで連合艦隊の新型駆逐艦の海上公試に近衛の、しかも皇族軍人が出張ってくるんだ?


 いくら、相手が近衛だろうが容赦なく噛みつく永雫であっても、この時期の《皇国》民として一般的な範囲での皇族に対する畏怖も敬意もあった。だからこそ、よりによって自分の娘の試験に無理やり乗り込んでこられたため、胃がキリキリとしているのだが。


「しかし、よかったのでしょうか?『綾風』の主砲公試に、退役済みとはいえ防護巡洋艦を使用するというのは」

「ふん、どうせ海上護衛総隊にも回せぬド旧式の老いぼれロートルよ。最後の奉公として、私が花道をくれてやったまでの事。『讃岐』も、次世代の礎になるのであれば浮かばれるであろうよ」

「そんなものですかね。…二五〇〇トン級の防護巡洋艦とはいえ、何処まで持つやら」

「ほう?自信満々だな」

「マトリクス大尉ほどではありませんが、之でも『綾風』の事ならばよく理解しておりますので。瞬きは厳禁ですよ、提督」


 色々な意味で雲の上の存在に軽口のような口調で返す有瀬。

 彼の場合、確かに皇族に対する畏怖や敬意はあるモノの、《夢》の中で皇族が現人神ではなく国家統合の象徴として存在する国家に生きた事と生来の気質から、そのような存在に対する認識に若干のズレが存在していたのだった。

 ある意味で葦原宮が上官直後に言い放った「只の近衛中将として、試験官として扱え」と言う命令を最も律儀に守っていると言えなくもなかった。


「方位角右三〇度!標的艦『讃岐』視認!距離、およそ一五〇〇〇!」

「両舷前進原速、取り舵、新針路2-2-5。標的との距離一五〇〇〇を維持」

「両舷前進原そぉーく!とぉりかぁじ!新針路2-2-5宜候ぉ!」


 号令とともに舵輪が旋回し、ややあって『綾風』艦首がうねりを切り裂いた。艦体を遠心力でわずかに左側に傾斜させながら、新鋭駆逐艦は針路を南西方位2-2-5へと向ける。これで、右舷側90度の位置に標的が位置することになる。

 首から下げた双眼鏡を覗きこめば、水平線上に今回の標的となる『讃岐』の姿が見て取れた。

『桐生』型防護巡洋艦5番艦、『讃岐』。艦形は《夢》の世界の千代田型防護巡洋艦に酷似している。

 全長92m、全幅13.2m、最大速力19kt。40口径120mm単装速射砲10基、43口径47㎜単装機砲14基、350㎜魚雷発射管3門。かつては姉妹艦の『稲庭』『水沢』『館林』『桐生』とともに皇国海軍の快速艦隊を率いていたが、数々の激戦を潜り抜け『讃岐』以外は全て戦没している。ペアを組む姉妹が消え去り、旧式化した『讃岐』は練習艦や測量艦として細々とした余生を送っていたが、遂に、その100年にわたる航海に終止符を打つことになる。

 レンズの向こうの防護巡洋艦は標的艦として、戦果判定を容易にするための目立つ塗装が施されており、ある種の死化粧を施されているようにも見える。


 余談ではあるが、『讃岐』の来歴を反芻していると無性に饂飩が食いたくなってくるのはなぜだろうか?と言うか、命名者は絶対狙ってやっただろうし、もし自分がこの艦と同世代ならば、『桐生』級じゃなくて『饂飩』型と呼んでいたに違いない。


 バカな考えを横にどけ、双眼鏡から目を話して傍らで腕を組む試験官殿に向き直る。


「提督、砲熕兵装公試準備完了しました」

「うむ、始めよ」

「全艦に達する!これより砲熕兵装公試を開始する!右砲戦用意!全主砲旋回、艦首方位右90度!標的艦『讃岐』を照準!」

「右砲戦よぉーいっ!主砲右90度旋回っ!」


 砲雷長に就任したハクも、流石に皇族の前で普段の言動をするわけにもいかず、歴戦の船精霊らしいよく通る号令を発した。

 直後、『綾風』の艦首側に1基、艦尾側に2基搭載された55口径127㎜三連装速射砲が滑らかに旋回し、7m近い砲身を殆ど水平に構える。


「通常弾装填」


 自動化された砲塔内では、甲板下の即応弾薬ドラムに収納された127㎜通常弾が揚弾ホイストによって引き上げられ、薬室へと装填される。


「主砲統制射撃。連動回路良し」

砲自動照準装置ガン・スタビライザー、回路接続。1番、2番、3番回路正常!いつでもどうぞ!」


 艦橋後方のマストに設置された広域索適用対水上電探と火器管制用電探が『讃岐』を捉え、測距を開始。同時に、光学照準器による測距も行われ、多角的な測量が始まる。得られた情報は全て、艦内に搭載された電子射撃盤に送られ、最適な旋回角と仰角が弾き出された。

 有瀬は得られた情報をまずはそのまま各主砲に伝達し、射撃準備を完了させる。


「主砲、発射用意よろし!」

「主砲、撃ちー方始め」

「主砲、撃ちぃ方始め!観測射用意、テェッ!」


 号令とともに、僅かな仰角を付けられた砲身から紅と黒煙がほとばしり、三四〇〇トンの艦体がガクリと揺れる。十数秒の後、海面を這うように疾駆した砲弾は目標の極手前に2発、奥に1発着弾し、水柱を噴き上げた。


「ほう、これは」


 手元のストップウォッチを横目でチラリと見やった葦原宮中将が感嘆したような声を漏らした。初撃で目標を取り囲むような弾着――挟夾キョウサを叩きだしたのにも驚きだが、それよりも注目すべきは距離と弾着までの速度だ。

 現状、近衛第一戦隊に所属する『初瀬』型戦艦の主砲である八八式四〇口径305㎜連装砲は386㎏の砲弾を砲口初速836m/s、最大仰角15度で打ち出し、凡そ13,000mほど飛翔させる。無論、最大射程での命中率は格段に下がるため、実質的な交戦距離はより短い。

 対して、この艦の主砲は戦艦の射程外である15000mの距離から発砲し、弾着までの時間は非常に短く、仰角も低い。砲口初速は1000m/sを下るまい。もしも、これが白昼夢ではないのだとしたら、自分が乗っている艦は、《皇国》の戦艦のみならず、5大国の主力戦艦ですら、射程外からの一方的なアウトレンジ攻撃を可能とすることとなる。


「目標挟夾!1番遠、2番遠、3番近!」

「仰角修正、効力射に移る。射撃数各砲10発」

「了解!射撃数各砲10発、効力射!諸元修正完了!」

「用意、テェッ!」


 有瀬の号令の後、艦橋の防弾ガラスは朱と黒と轟音に染め上げられた。


「なん、だと…」


 口径127㎜もの砲が、あたかも機関砲の様に立て続けに発砲する中、微かに耳に届いた葦原宮中将の呟きに艦長は小さく笑みを噛み殺した。

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