24th Chart:災厄の揺り籠

「おおっと!剣呑テリブル剣呑テリブル。まさか、書類の山脈から軍刀そんなものが出てくるとは!と言うか、少し片づけたらどうだい?整理整頓のできない女はモテないぜ?」


 目にも止まらぬ速さで突きつけられた軍刀の切っ先に臆することもなく、突如出現したとしか言いようのない女性はむしろ薄く笑みを浮かべた。

 獲物を引き抜く際に巻き散らされた書類がバサバサと舞い落ちる中で、瑠璃を鋭く引き絞った少女が口を開く。紡がれた言葉は冷たく、周囲の気温が数度は下がったように錯覚させた。


「黙れ。こちらの質問のみに答えろ」

「ふむ…まあ、いいだろう。あまり猶予は無いがなんでも聞いてくれたまえ。ボクが答えられぬものなど、あんまりない」


 永雫の眉がピクリと振動し、口の端が微かに歪む。

 そうさせたのは、こちらを揶揄うような言動に対する怒りではない。今まさに生殺与奪を握っているというのに、主導権を取り戻せない現状に対する困惑と、薄い笑みを浮かべ続ける謎の女性に対する微かな恐怖だ。


「貴様の所属と名は?」


 がさつく精神を落ち着けるために口にした定型文に近い詰問。しかし、その安易な問いかけは、自分たちの常識が如何にもろいものであるかを証明することとなる。


「名前、うーんん名前かぁ。そうだなぁ…謎のお姉さん、ではおさまりが悪いしね。トム…は男の名前だし…うん、ミラと呼んでほしい。なんならミラお姉ちゃんでも、ミラ姉さんでも構わない。いや、むしろそちらの方が好みだね。所属については、君に言ったところで意味は無いかな」

「っ!」


 胡散臭い笑みをますます深くする女性に対し、白刃を突きつけた少女の手がブレて風切り音が微かに空気を震わせた。直後、目の前の理不尽に彼女自身が絶句することになる。


「どうしたんだい?」

「なん…だと?」


 目を疑う、とはこの事だろう。

 ミラと名乗った女性将校に対し、その馬鹿にするような態度を正して生殺与奪を握っている事を再確認させるため、永雫は少々強硬策に打って出た。

 白磁の様な喉元へ突きつけていた切っ先を引き戻し、これもまた尋常では無い速度で右肩へと突き立てたのだ。防刃繊維でも何でもない淡い色の軍服は切り裂かれ、皮膚を割き肉を断った傷口から鮮血が噴き出すはずだった。


 それがどうだ。


 確かに、よく手入れされた刃の切っ先は軍衣を切り裂いた。しかし、その皮膚へと突き立った刃は、薄皮一枚すら突き破れずに進撃を停止してしまっている。

 彼女自身が止めたわけではない、永雫は本気でミラの肩を抉るつもりであった。

 だからこそ、横で見ている有瀬や倉内よりも自身への衝撃は大きい。突然子猫がじゃれついてきた時の様に、少し困ったようなミラの顔を真正面から受け止めてしまったのだからなおさらだろう。


「君はつくづく交渉ごとに向いていないね。ま、そんなところも可愛いのだけれど」


 苦笑しながら、ミラは白い手袋を脱ぎ、左手で抜身の刀身を握りこむ。とっさに柄に両手を添え、「何を」と永雫が困惑の声を発っした直後。無造作に左手が振られ、しっかり握りこんでいた永雫の手から力づくで奪われてしまう。

 同時に無理やり獲物を奪われた結果、永雫はミラへと向かって倒れそうになる。

 流石に、武器を奪った相手に近づくのは不味いと判断した有瀬が腕を伸ばし、半ば後ろへ放り投げるように思い切りひっぱる。反動で自身が前に出てしまうが、盾ぐらいにはなれるだろうとそのまま場所を入れ替えた。

 せめてもの保険としてホルスターに収めている拳銃を突きつけるが、正直なところ威嚇になっているのかすら怪しい。

 現に銃口を眉間に突きつけられているはずの女性の余裕は崩れず、むしろ感心したかのような表情さえ浮かべている始末なのだから。


「へぇ?なかなか胆の据わったニンゲンもいるじゃないか」

「誉め言葉と受け取っておく。…非礼は詫びるが、コレを下ろす気はない」

「ああ、それでいいとも。そうでもしなければ、話が進まないようだ」


 言葉の中に含まれた僅かなトゲを無視しつつ、肩越しに背後の永雫を伺う。無理な姿勢で引っ張ったせいか、顔を顰めて肩を押さえているが、その視線は相変わらずミラを睨みつけていた。


「質問の続きだ。どうやってここまで入ってきた?ここは一応皇国海軍の施設の一つだ。ここに来るには一度艦政本部の中を通らねばならないし、第一アンタがこの部屋に入って、そこに座るのを見た物は居ない」

「目に見えるものだけが真実ではない、と言っておこうか。まあ、ぶっちゃけお世辞にも厳重な警備体制とは言えないなぁ。警備の連中、白昼夢でも見てたんじゃないのかな」


 答えになってない回答で露骨に煙に巻き、チェシャ猫の様な笑みでこちらの警備体制に苦言を呈する。確かに、鎮守府に比べればザルだろうが。それでもこんな怪しさ満点の存在を易々と通すはずはない。

 とりあえず分かったことは、この人物は自分がしゃべりたいと思ったことだけを話すつもりでここにきていると言うことだけだった。


「警備員は随分と寝不足なようだな。なら、次だ。アンタは、我々の敵か?」

「ううむ、難しいところだね。敵対する気は毛頭ないが、かといって味方、と言うほど肩入れをするつもりでもない」


 そういって、片手で弄んでいた軍刀を後ろへと放り投げる。壁に当たった短刀は、騒々しい音を立てながら彼女の背後に転がった。後ろで一瞬怒気が膨れ上がるのを感じたが、無視するほかないだろう。


「その回答をそのまま受け取れば。アンタはちょっとした助言をしに、態々こんなところまで乗り込んだことになるな。で、その助言がさっきの3年では困るという言葉か?」

「おっと、いきなり核心へ踏みこむんだね。こんな美人との会話をもっと楽しみたくは無いのかい?」

「軍刀ぶっさそうが、銃口突きつけようが表情一つ変えないような奴では無ければ、紅茶の一杯でも誘っていたさ。…で、どうなんだ?」


 結論を迫る自分に対し、囁きの様な笑い声が漏れた。


「フフ、その認識で間違いないとも。君らの言うところの”修正あ号作戦”、3年後にやるのでは遅すぎる。いいや、実質不可能と言えるか。なにせ…」


 ますます笑みが深くなり、三日月の様に湾曲した口に刻まれていたのは、まぎれもない嘲笑だった。


「その前に、この国は存在していないだろうからねぇ」









 君たちは不思議に思ったことは無いかい?


 君らが方舟と呼ぶ、このでっかいでっかい海神の死体。その中に埋め込まれた無数の生体工廠は、それこそ数えるのも馬鹿らしいほどの数と規模で舟の中に広がっている。

 喫水線に近い工廠はそのまま艦船の整備に、最上甲板に近い位置の工廠群は日用品に、喫水線下の工廠は…まあ、ほとんどが潰れて使い物にならない。

 常識的に考えるならば、この海神が生きていたころは、これらの生体工廠は全て稼働しているはずだ。それこそ、2万トン級戦艦ですら1週間で竣工させる規模の工廠がゴロゴロあるに違いない。

 けれど、あ号目標や他の拠点級海神から、戦列級海神が生まれたなんて話は聞いたことがあるかい?





 ないだろう?報告は殆どが護衛級海神、ごくごくまれに巡航級が確認される程度だ。





 さて、ここで疑問が一つ。なんだって、拠点級海神はその広大な体に広がる生体工廠を十全に使わないんだろうね?周りの護衛艦隊に分け与えられるほどの生体金属や海油を生産しているはずなのに、艦隊の増強は微々たるものだ。


 そして、疑問はもう一つある。現在確認されている方舟は、みんな、みぃんな巨大な内部の港をもっている。長径は最低でも1㎞以上、横幅も大型船舶の往来に支障がないし、多くの大型生体工廠に直結している。軍港としては申し分ない、最高の立地条件だ。

 でもさ、拠点級を思い出してごらんよ。彼らって、腹の中に港をもっているかい?補給を受ける海神は、わざわざもう一度拠点級の子宮の中に戻っているかい?

 そうじゃないだろう?彼らは皆、拠点級の特定の外壁に食いつくことでそれらを補給している。生まれる時も、拠点級の横腹を食い破って出現し、彼らが飛び出た破孔は数日駆けて修復され元通りとなる。港の様な出入口なんて存在しない。



 じゃあさ、方舟に必ず一つは存在する巨大屋内軍港。




 これって、生きていた頃って、なんのための器官だったんだろうね?




 あ、何言ってるのって顔してるね二人とも。エナは理解しはじめてるけど、信じたくないってとこかな?





 じゃあ、もっと露骨に言ってみようか。




 その生産量に対して、作られる海神が小さいのは――――ほかに、もっと材料を使うべき存在があるから。





 方舟にある巨大な喫水線上の空間と、そこを取り巻くように存在する無数の生体工廠があるのは――巨大な物を組み上げるときは、パーツごとに作って組み合わせるのが手っ取り早いから。





 じゃあ、拠点級丸ごとを工廠としないと作れないものって。








 馬鹿でっかい海神をにして産まれるものって、なんだと思う?









「あり得ない!そんな、そんなことがあってたまるかっ!」


 ミラが発した言葉を理解し、背筋に戦慄が走ったのと同時に、背後から永雫の絶叫が降り注いだ。自分を押しのけようと肩に手をかけ、前に出ようとする小柄な少女を、背中で何とか押しとどめる。

 彼女の方も、つい先ほど武器を無理やり奪われた瞬間のことを遅れて思い出したのか、自分を突き飛ばしてまで無理やり前に出ようとはしなかったものの、感情に突き動かされた指は容赦なく肩に食い込んだ。


「海神帝が消え去ったのは千年も前の事だ!拠点級が海神帝の母体であるならば、何故今の今まで海神帝は現れていない!?………人類は終ぞ海神帝に勝つことはなかった。散々に討ち減らされ、かろうじて生き残ったのが我々の祖先だ!拠点級が奴らを生み出すのであれば、今頃この海は奴らのモノのはずだ!方舟どころか、小舟の一艘も残ってやしない!」

「うむ、実に論理的な回答だね。君の言うように、海神帝は凡そ千年前にこの海から姿を消した。しかし、姿を消したと言って滅びたわけでも、この海を去ったわけでも、まったく別の存在に変化したわけでもない」


 そうだ、海神帝に対し人類はなすすべもなく敗れ去った。一度は掌握しかけていた制海権を完全に喪失し、方舟に落ち延びた。だが、今この海で自分たちと制海権を争っているのは海神帝ではなく、単なる海神達だ。

 かつて、実力によりこの大洋を制した海の帝達。滅びでも、遠征でも、変化でも無いのであれば、残る理由はそう多いものでもない。


「再び戦う時が訪れるまで、長い長い休眠に入っただけだ。邪魔なモノを脱ぎ捨てて、必要最低限の卵の状態へと還って、その時を待ち続けていたのさ」

「その卵を、戦える状態にまで作り直すのが、拠点級海神と言うことか」

「そのとぉーり!理解が早くてお姉さんは嬉しいぞぉ。頭でも撫でてあげようか?それとも、ハグが良いかい?」


 にこやかにほほ笑んでこちらを迎え入れるように両手を広げる。ここだけ切り取ってみれば、隣人愛溢れる陽気な年上の女性としか見えない。いや、むしろ姉を名乗る不審者度合いが加速するだけか。


「どちらも結構だ。それで、3年では遅いということだったが。3年以内には、あ号目標の腹の中に居る化け物が目覚め、皇国を襲撃するという解釈でいいのか?」

「ああ、そう言ってきたつもりだよ。ついでに、3年以内と言うのは随分甘い見立てだね、私の予想ではもう猶予はいくばくもないと思う」

「具体的には?」

「2年も持てば、万歳三唱を唱えてもいいと思うよ。逆に悪い方へと予想すると、今この瞬間に産まれても何一つおかしくない。ぶっちゃけ、今の状況は積みにも等しいね」


 あっけらかんと皇国の死刑宣告を突きつけるミラに、流石の有瀬も閉口してしまう。彼女の言うことを全て狂言であると断定するのは簡単だ。

 だが、相手は厳重な警備体制を潜り抜け、誰一人に気づかれることもなく特造研に侵入を果たし、軍刀の刺突を意に介さず、抜身の刃を片手で握りしめて奪うほどの膂力を持っている異常存在。

 自分たちの常識や理屈を真正面から粉砕して見せた相手に、感情論無しで反論を組み立てるのは至難の業だ。何せ、相手は元々こちらの理論と言う土俵に上ってすらいないのだから。

 相手の言葉を否定する意味も、材料もありはしなかった。


「……………貴様は、あ号標的の腹の中に、どんな奴が潜んでいるのかを知っているのか?」


 絞り出すような永雫の言葉に、「さてね」と女性は肩を軽く竦める。


「もし知っていたとしても、君たちに教える必要性は感じないね。そいつが何物であろうと、高々2年で海神帝を屠れる艦を君たちが持てるとは思えない。ミジンコにとって、目の前の相手がヒゲクジラだろうがイワシだろうが、等しく絶望だろう?考えるべきはソコではないと思うなぁ」


 ギリ、と歯がこすれる音が微かに耳に届いた。

 悔しさから握りこまれた手がさらに肩に食い込み、ギリギリと神経を圧迫するが、それで暴走しそうになる感情を押さえつけられるのであれば安いものだ。


「逃げろ、と言うのか?あ号目標を放棄し、一刻も早くヤツから距離をとれ、と」

「この国に住む多くの命を救おうとするならば、最善策だろう。それができれば、の話だけどね」


 永雫のどこか縋るような問いに、他人事であるという姿勢を崩さぬまま、瑠璃の視線を倉内へと向ける。

 一体、彼女はどこまで知っているのだろうか。この3人の中で最も”上”に明るい人間を即座に選び取り、続きを促すとは。

 内心の戦慄を感じたのは自分だけではないらしい。見惚れるような美女に微笑を向けられた後輩は、撃鉄が落ちかかった銃口を向けられたかのように、小さく唾を飲み込んでから口を開く。


「大尉。残念ながら、逃走は不可能です。そもそも、前提が皇国中央技術院ですら論議もされていない新説。怪しげな女性が齎した情報を基に、現作戦の中止は不可能です。いえ、仮に信じたとしても、もはや《皇国》の経済はあ号目標の資源に頼る事で成立しています。どのような理由があろうとも、《皇国》があ号から離れることはあり得ません」


 せめてあと30年早ければ。と喘ぐような嘆きが口の端から漏れたのが聞こえた。倉内の言う通り、あ号計画を放棄した後に待っているのは国家経済の緩やかな破滅だ。食料の自給自足すら覚束ないこの国において、あ号計画による急速な重工業化は巨万の富をもたらし、国力の躍進を実現させた。連合王国海軍ロイヤルネイビーを範とした皇国海軍は急速に増強され、戦力だけならば5大国レベルと近隣から称され、同時に警戒されるほどにまでなった。

 しかし、その実態は自転車操業と言う他無い。

 あ号の護衛艦隊を殲滅すれば多くの鋼材を得られるが、戦えば艦は傷つき、熟練の船精霊と艦長を失い、訓練と戦闘により武器弾薬、燃料が消費される。それらを賄うために、さらに多くの海神を狩り、さらに多くの艦が傷つき、さらに多くの戦力が要求され、得られる利益は目減りしていく。

 いつしか、海軍戦力の拡充は周辺列強の警戒心を刺激していた。戦力だけならば5大国と言う表現は、国力に見合わない武器を持つ国と言う外からの評価も多分に紛れている。

 身の丈に合わない武器を振るうものがどうなるか。それは、この世界の歴史と”夢”の世界の歴史が証明している。


「君たちが取れる選択肢は3つだ」


 優雅に足を組んだ女性は、ある種、厳かに現実を突きつけた。


「一つ。今ある艦隊を全て鋼材に変え、新世代戦闘艦を揃えて決戦に挑む。だけど、いくら君の設計が優秀でも、海神帝が来るから、今ある艦はみんなスクラップにして、実績も何もない艦を造れ。なんて、皇国ごと逃げるより困難だとボクは思うけどね」


 それができれば苦労はしない。と叫びたいだろう少女は、うめき声にも唸り声にも聞こえる息を少しだけ吐き出す。


「一つ。自分だけでも、適当な理由を付けてとんずらする。個人的には、これが一番おすすめだね。そこの将校諸君はともかく、この国がどうなろうと君にとっては知ったこっちゃない。それに、君の能力を欲し、受け入れる度量のある国はいくらでもある。経験を信奉し、進歩を拒絶した古典派も、先の見えないお調子者共も幾らかは少なく、1㎏の鋼材を減らすために腐心する必要ももはやない」


 暗に”皇国を見捨てろ”と宣うミラに対し、怒りは無いし、むしろ自分自身ですら永雫にとっては其れが次善で、最も安全な方法だろうと思う。

 連合王国や合衆国、帝国あたりなら彼女の能力を十全に発揮する下地は整っているはずだ。自分や倉内の変わりはいくらでもいるが、こんな時代にいきなりミサイルの図面を書き起こす鬼才の彼女の変わりはない。


「………最後の、一つは?」

「戦力の拡充も、逃げることもできずに、タイムオーバー。あ号目標の腹の中から出てきた絶望に、勝てぬと理解しながらも最終決戦を挑んで。皆仲良く深淵へ還る。悲劇としては上出来だろう、いや、喜劇の方かな?」







 そういって嗤う女性と視線が合った瞬間、脳裏に鮮烈なイメージが浮かんだ。



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