25th Chart:蜃気楼の警告



 黒い海面には海油の膜が張り、そこかしこで紅蓮の猛火が立ち上がって暗い夜空を赤黒く照らす。火炎の林の隙間からは破壊された艦が、傾きながら海中へと没していくのが辛うじて見え、傾斜した艦腹をフジツボに全身を切り刻まれながら乗員が滑り落ち、絶叫とともに海へと消えていく。

 水死体の揺れるうねりを切り裂いて現れた満身創痍の戦艦が、最後の主砲弾を放った直後。主砲弾薬庫に直撃弾を受けて自らの図体ほどもある火球を噴き上げ、乗員だったものを火花の様に吹き飛ばしながら3つに分かれて轟沈。

 火炎がほとばしる海を走り回り生存者を救助する駆逐艦が、直ぐ傍で大爆発を起こした防護巡洋艦の業火に飲み込まれ、甲板に並べられていた負傷者と乗員ごと火だるまになる。

 浸水により天高く艦尾を上げた装甲巡洋艦が、逃げ惑う漂流者たちをあざ笑うかのように巨大な渦潮を形作りながら、彼らと火炎を道連れに赤黒い海へと飲み込まれていく。

 そんな地獄と形容するほかない海域を、艦の残骸を押しのけ、生物の残骸を飲み込みながら進む1隻の巨大な影。

 1㎞に達するかと言う巨躯に、1基で並の巡洋艦以上の存在感を放つ主砲を揃える異形の怪物。

 突如出現した理不尽に、漂流する生存者が錯乱し笑い声をあげた。狂ったように笑う生存者を艦首波で押しつぶし目の前を悠々と通り過ぎた巨神は、摩天楼のごとく備えられた主砲を炎上する皇都へ向ける。水平に構えられた巨龍の咢が轟炎に包まれ、自分たちが守護しようとする大地は跡形もなく… 








「やめろ!」


 耳に届いた少女の絶叫により、バチリと頭の中で何かがはじけて意識が現実へと引き戻される。いつしか、額にはじっとりと汗をかき、ミラに向けていた銃口は小刻みに震えていた。

 妄想と言うには、想像と言うには余りにも鮮明な映像の余韻が、いまだに頭の中に残っている。息をすれば、あの情景の焼けた空気が肺に流れ込んでくるような錯覚すらも覚えていた。

 自分はここまで想像力豊かだったかと言う疑問は、死線をかいくぐった直後の様な、動機と息切れに押し流されていった。


「おっと、要らぬおせっかいだったかな?ま、それが正夢になるかどうかは。君たちが決めることだ。ボクの知るところではないよ」


 大げさに肩を竦め、よっこらせ、と妙に人間臭い動きで立ち上がったミラが自分と永雫に歩み寄る。目線の高さはそう変わらず、思った通り女性にしては長身の部類だ。

先ほど、鮮明なイメージを自分へと植え付けた瑠璃色の視線を真正面から受け止める。永雫と良く似た瞳の色だが、彼女の眼よりも更に濃く深い。

 深海のさらに下、光も届かず土からなる海底も存在しない、高圧氷に覆われた艦と生命の墓場とも言われる領域。深淵アビスと自分たちが呼ぶ空間にそのまま繋がっているような不気味さがそこにはあった。

 警戒心を露にする有瀬に興味深そうに微笑みかけたミラは、続いて彼の腕を両手で握りしめ、自分を見上げる少女へと意識を向ける。


「最初に言ったように、君に残された時間はそう多くない。最後まで足掻くにせよ、すべてを諦め自滅するにせよ、深淵に行く時はせめて納得してから来るといい。何せ…」


 有瀬が静止する間もなくするりと永雫に近づいたミラは、彼女の首筋に指を這わせ、ゾッとするような笑みを浮かべて囁いた。








 ――海の底は、思っているよりずっと冷たいからね












 まるで、白昼夢だ。と、今日の出来事を思い出しながら、官舎の天井を見上げる。

 最後の言葉をつぶやいたミラと名乗った女性は、その後直ぐに文字通り姿を消してしまっていた。

 自分と倉内、そしてなにより永雫の目の前で、光を発するわけでもなく、霧散するわけでもない。素人の映像編集の様に、瞬きをして自分たちの脳が次の画像を認識した瞬間には、姿を消していたのだ。

 研究室に遺留品は無い。それどころか研究室の船精霊たちは、自分たち3人以外は誰もミラの姿を見ていないというのだ。

 彼女らの話では、倉内が重要そうな話をしているところまでは自分たちの記憶と一致しているが、ミラが現れる直前から他愛もない四方山話に代わっていたらしい。そのような人物が押し入った形跡も、話題に上ったこともないとのことだ。


 では、自分たちが3人とも幻覚を見ていたのかと問われれば、それもまた異なる。


 書類が山積みになっていたソファは人が据われる状態になっていたし、背後にはミラが無造作に投げ捨てた抜身の短刀が転がっていた。そして何より、背凭れには微かな熱が残っていた。

 結局、その場は何とか取り繕い、ミラと名乗る女性と会ったことも内容も当分は他言無用と言うことになった。こちらの警備を掻い潜る技術を向こうが持っていることは明白だが、証拠も何もなければ報告のしようもない。

 海軍の中枢部に侵入されて、何も盗まれず、眉唾物の茶飲み話をして帰っていった等、誰が信じるだろうか。狂人扱いされればまだいい方で、一歩間違えば特高にしょっ引かれる。この時ばかりは、沈黙は金だ。



「白昼夢、幻覚…………蜃気楼ミラージュ


 頭の中を整理しつつ、彼女の話が信用できるものかどうか、考えを転がしていく。


 ――敵対する気は毛頭ないが、かといって、味方と言うほど肩入れをするつもりでもない



 そう宣った彼女が、嘘をついているようには思えない。第一、皇国に敵対する者たちによる工作だとしても、影響力の欠片も無い様な窓際部署にヤル意味は微塵もない。艦政本部の警備を無効化して侵入し、記憶の改竄すらも可能とするかもしれないのに。それほどまでの装備を整えて行ったのが、日陰者への韜晦行動であるなどお粗末に過ぎる。

 海軍省中枢、各鎮守府、連合艦隊司令部、近衛艦隊司令部、海軍軍令部。敵の情報部隊ならば涎を垂らすであろう部署は、それこそあちこちにある。

 では、何故?


 やはり、大尉か?


 彼女の言動をもう一度反芻してみる。時折、彼女は永雫個人に対する問いかけをしていたように思える。と言うよりも妙に親し気だった。

 言動の節々に、以前から彼女を知っているようなニュアンスが滲んでいたように思える。だが、永雫の方は完全な初対面であることは明白だ。旧知の仲であるならば、彼女ももう少し落ち着いて対処していただろう。

 ただ、一日たって思い出すという場合もある。この点はまた明日問いかけてみよう。

 その問題を一時棚に上げ、次に個人的に気になっている事へと目を向ける。


 拠点級が海神帝の母体、か。確かに、すべての方舟に巨大な港と併設されている工廠群を考えると、頭から否定はできそうにない。が、確証はない…


 仮に、あ号目標に海神帝が眠っており、近いうちに覚醒する場合、皇国が取れる手はさほど多くはない。

 直ぐに思いつくのは、八八艦隊計画を繰り上げ新造艦で迎撃を行う案だが、3年と言う時間は現状で最短の期間。戦艦よりも構造が幾らか単純な龍母でこれだ、しかも4万トン級大型龍母を2,3週間で建造すると謳っているが、果たして本当にそれが可能なのか保証はない。

 それ以前に、それだけの大型艦の建造には相応の鋼材が必要だ。皇国海軍にそれだけの鋼材を入手するあてはあるのだろうか?《夢》の世界の祖国の様に、必要だからとコスト面を無視しているわけではないだろうに。


 そして何より、相手が海神帝であり全盛期の姿で再び降臨するのであれば、対空火器も尋常では無い量が装備されているはずだ。

 それどころか――――音速の龍は決して外れることの無い矢に貫かれた――――などと言う伝承を鑑みれば、対空ミサイルすら想定しなければならないだろう。現状の航空騎の速力は、最も優速な十二試艦戦でも精々が500 ㎞/h 270ktそこそこ。音速の誘導兵器を避けられる可能性は皆無だ。

 龍母で海神帝の相手をするのは、自殺行為に等しい。

 それ以前に、有効な対策を打ち立てるには、敵の目的を正しく理解する必要が在る。

 仮に、海神帝が《皇国》の方舟そのものであるのならば、輸送船を総動員して皇国人を避難させることが可能だ。少なく見積もっても数百万の難民が生まれることになるが、人が生きていれば国土を失っても《皇国》は存続する。

 だが、奴が皇国人。もとい、人類の殲滅を目的としているのであれば、運を天に任せ方々に散らばるほかないだろう。国家としての体裁を取り戻すには、長い時間と困難が伴う。そのまま、国家としての《皇国》が滅亡する方が自然ですらある。


 そんな中で、自分の思考がどうやれば犠牲を極限できるかの方に割かれている事をふと認識し、ほんの少し口角が歪むのを感じた。

 どの方策であっても、自分がその時まで生き残っている保証は微塵もない。

 そのころには『綾風』は戦力化され、うまくやれば姉妹艦も数隻は完成しているだろう。だからこそ、自分が向かうのは最前線に他ならない。妥協に妥協を重ねた故の産物だが、現状の艦に比べれば遥かに高性能な艦であり、海神帝との戦いを念頭に置いた設計であることに変わりはない。


 ――勝てぬと理解しながらも最終決戦を挑んで。皆仲良く深淵へ還る。悲劇としては上出来だろう、いや、喜劇の方かな?


 確かに、これは喜劇と言う他無い。

 海神帝から生き残るために必死になって実現させるがゆえに、矢面に立って真っ先に轟沈する危険を一身に受けるとは。とかく、人の業と言うのは度し難いというべきなのだろうか。

 奇妙な音が耳朶を叩いたことに気づき、数秒後、自嘲して嗤う自分の声だと認識する。光明を見出した直後に降りかかった特大の懸念、それが杞憂であることを願う自分もいるが、直感ではその懸念が真実だろうとすでに結論が出てしまっていた。

 後は、どう納得して深淵に還るべきか。そんな冗談が鎌首をもたげる程度には、覚悟を固める必要性があると確信してしまった。






 ただ、一つだけ幸いなことがある。







 仮に海神帝が皇国に襲来した時、自分は永雫・マトリクスと言う代わりのきかない少女を守らねばならない理由を知り、そうするべきだと心底から確信している。

 死守せねばならない対象が国家ではなく、個人であることには組織はいい顔をしないだろうが。それでも命を賭して戦う理由を、決戦の前に持てたのは僥倖だ。これで敢え無く戦死したとしても、深淵で先に逝った戦友に胸を張れるだろう。






 未来を守るために戦って死んだ、と。










 カツン、と艦橋に降り立つと、硬質な床に当たる軍靴の音が妙に耳に響いた。おや?と首をかしげながらログを確認すれば、5時間もたっていない。だというのに、長い間席を外していたような錯覚に陥るのは、その5時間が自分にとって久方ぶりの”濃い”時間であったからだろう。

 やはり、他者との会話は素晴らしい。その相手が、”彼女”ならば格別だ。2人ほどお邪魔虫もいたが、そこはそれ。期待は微塵もしていなかったが、予想以上に楽しめたのはラッキーに他ならない。

 上機嫌で自分が居なかった時のログを確認している中、ふと気になる”消費”を見つけた。


 127㎜指向性対空榴弾が1発消費されている。時刻はちょうど自分が彼女と話をしている時間だ。


 迎撃範囲に接近してきた”目標”に対し、念入りな偽装を施した上で発砲。約3㎞の距離を飛翔した砲弾は、近接信管を作動させる間もなく目標に直撃、爆散させていた。この戦闘行動の後、撃墜した目標の僚騎がさらに2つ接近したが、迎撃範囲外であったため攻撃はせず速やかに離脱し、行方をくらませた。

 30分後、2騎が撤退したのを確認してから所定位置に戻り、待機を再開したらしい。


「ふむ、ボクに気が付いたか?いや、まさか、偶然だろうね」


 顎に手を当てるが、現状の龍騎兵に自分の偽装を見破れる能力は無いと判断を下す。完璧に近いとは言っても、原理上どうしても露になってしまう不完全な部分はあるにはあるが、それを見つけるのは至難の業だ。

 よほどの能力と幸運が揃わない限り達成は不可能だし、もしそんな幸運な男がいたとしても、すでに対空榴弾の直撃で木っ端みじんになっている。自分の支障にはならない。

 だが、自動迎撃範囲に偶然でも龍騎兵が飛び込んだのは問題だ。用事は済んだし、もう少し距離をとるべきか。


「両舷前進原速、取り舵20。これより、本艦は《葦原》後方20海里に着く」


 据わりなれた椅子に腰かけ、足を組み、頬杖を突く。近代的な艦橋の防弾ガラスの向こうで、ゆっくりと皇都の影が右へと流れていく。その暗い影の遥か彼方には、最悪の魔王がその時を待っていることだろう。


「さて、お手並み拝見だ。せいぜい足掻いて藻掻いて苦しんで、歴史の輝きと言うモノを私に見せてくれたまえ」


 愉しい劇の幕がようやく上がろうとしていることを再確認し、知らず口の端に無邪気な笑みが浮かんだ。

 今ではすでに歌う者が居なくなった大昔の歌を、上機嫌で口ずさみつつ、肱置きのドリンクホルダーに収まったマグボトルを手に取り口を付ける。

 灰色のボトルの側面には、ひどく薄れてはいるが霧に包まれた塔をモチーフとしたエンブレムが描かれている。シンボルを丸く縁取る青いリボンには『HMS Tower of Mirage』と刻印されていた。

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