22th Chart:修正あ号計画





「お前、自分が何やったんかわかっとんのか?」

「………………」

「解っとんのかぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 バタン、とドアが閉まり周囲は再び不気味な吸気口の唸り声に支配される。恐る恐ると言った風に柘榴石と瑠璃の視線が鋼鉄製のドアから、その隣にかかった表札へと移った。


《特務造船研究室》


 目を閉じて自分を落ち着かせようと一つ深呼吸。同時に、隣の少女も同じように磯臭さと黴臭さの混じった空気を肺に送り込み、さざ波だって精神を落ち着け、ゆっくりと目を開ける。


《特務造船研究室》


 うん、そうだ、残念ながら部屋を間違えたとかではない。

 冷静に思い出してみれば、この世全ての混沌カオスとか、とびっきりのクソ漫画的展開とか、予定外の来客とか、机に置いてあるかつ丼とかを除けば、ここ最近ですっかり馴染んだ仕事場だ。

 隣を見れば、頬を引きつらせた永雫の姿。恐らく、自分の顔も似た様な状態だろう。今度は、彼女の白い手がドアノブに伸び、ゆっくりと回される。ほんの少し開けられたドアの隙間から二人して中の様子を伺えば、そこにあったのは。



「かつ丼食えよ」

「…………」

「かつ丼食えよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


 バタン!

 理解不能な惨状に耐えきれなくなった少女が全身で体当たりをするように扉を閉じる。そして、二度とあけまいという意思表示でもあるのか、閉じたドアに背を預けて深淵よりも深い溜息を吐き、眉間を揉んだ。


「………有瀬、場所を変えることを提案する」

「そうするのがいいだろう。てか、何やってんだアイツ」


 ドアの隙間から見えた、ハクに大量のかつ丼を突きつけられながら黙秘を貫く、噂好き情報屋気取りの後輩中尉の顔を思い出し、頭痛を覚える。はっちゃける時はとことんヤル男だが、やはりハクをはじめとする船精霊とは致命的に相性が良い悪い

 此処の近くに密談に適した場所はあったかと記憶を巡らしたとき、ドアの向こうから今は聞きたくないくぐもった船精霊と後輩の声が微かに響いた。


『むっ!先輩!あなた!見ているなッ!』

『ラブコメの波動を逃がすハクさんではありませんよ!桃色の波紋疾走ラッキースケベ・オーバードライブッッッ!』


 ガゴン、と嫌な音が鳴り響くと同時、ドアの蝶番部分からホコリが弾け、古びたドアの支えが失われる。そこに体重を任せていた永雫は、当然の様にバランスを崩してドアとともに後ろへと倒れこみ始めた。

 事態の急変についていけない彼女は目を白黒させ、受け身が取れるような体制ではない。自分たちは”夢”の世界の住人たちよりも体が頑丈だからと言って、後頭部を鉄板に強打して無傷であるはずがない。


 これは拙いと思ったときには、体は既に動いていた。


 しかし腕組みをした瞬間に支えを失った彼女の身体は既に手が届かないほど遠くにあり、永雫が後頭部を強かに鋼鉄製のドアに打ち付ける未来を回避する手は、あまり残されていない。

 さらに不味いことに、自分自身の運動能力はお世辞にもいい方ではなかったため、我ながら最も鈍くさい方法しか選択の余地はなかった。


「あ」


 騒々しい音とともにドアが部屋の内側へと倒れ、体の支えにした左腕からは鉄の冷たい感触と倒れこむ青年男性の質量を全て受け止めた結果の痛みが脳天へと突き抜け、それとほぼ同時に右腕にもそれなりに重い衝撃を受ける。

 ビリビリと衝撃を感じる左手と両ひざの痛みを歯を食いしばってやり過ごし、何とか瞼を開ければ、鼻先が触れ合いそうなほど近くに造船大尉の顔があった。レンズ越しの瑠璃は、動揺が文字通り目に見えてわかるほどに彼方此方へと視線を走らせていた。


「だ、大丈夫か?」

「あ、あぁああ。だだだ、大丈夫だ。なにも問題はない。うん」


 痛みで若干どもる有瀬に対し、仕方がなかったとはいえ殆ど押し倒されるような格好で頭を庇われた永雫の方は、羞恥のせいか普段では考えられないほど余裕がなかった。

 具体的には、思わず前に突き出した結果、彼の胸にあてられた両手から色々と感じ取って混乱を助長する程度には。


 今まで永雫・マトリクスにとって、異性に対する感情は基本的に「どうでもいい」の一言に尽きる。むしろ、こちらの提案を悉く没にされたこともあり良い感情を抱くことなどあり得ないと考えてすらいた。

 この時までは。

 不可抗力とはいえ腕枕――上腕ではなく前腕だが――の格好になり、異性の顔が目の前にあるだけだというのに、心臓が痛いほど跳ね、頭蓋骨に心音が響き、顔から火が出そうになる。心配そうにこちらを見てくる柘榴石を直視できず、焦点は彼方此方へ移動するが、気を抜けば有瀬の顔に視線を合わせ、また恥ずかしくなって視線を逸らすの繰り返し。彼から見れば、挙動不審もいい所だろう。

 

 これまでの生涯で1番の大混乱に叩き込まれていた永雫の頭を冷やしたのは、カメラのシャッターを切るような音だった。

 メルトダウン寸前だった頭が即座に何時もの絶対零度にまで冷やされ、目の前の困ったような視線を向ける柘榴石から、視線を上に向ける。

 そこには予想通り、カメラの黒いレンズとファインダーをにやにやしながら覗き込んでいるハクバカが一人。下手人が状況の変化を感じ取って逃げの体制に入る前に、しがみついていた彼の上着から両手を離し、むんずと赤髪の頭を掴んで引き寄せる。知らず知らずのうちに、彼女の顔には冷笑飛び切りの笑顔が浮かんでいた。


「あ、あははははは。や、役得でしょ?」


 震えながら悲しい命乞いをするハクの頬をモニモニと弄びながら、目を細めた少女は、ある種厳かに船精霊の運命を告げる。その間に、永雫の拘束から逃れた青年は自分に飛び火しないうちにそそくさと彼女の上から退散していた。


「言いたいことはそれだけか?」

「お嬢様 実はポンコツ カワイイヤッター」

「ポエット!」

「誰がポンコツかっ!?」

「サ・ヨ・ナ・ラーッ!」


 寝転がったままサッカーのスローインのごとく両手で投擲されたハクは、どこかで聞いた様なシャウトとともに破壊されたドアから通路の向こうの暗闇へ吹っ飛んでいく。

 船精霊の身体は人間よりも数段頑丈だが、闇の中から聞こえてきた”どんがらがっしゃん”と言う騒音からして、戻ってくるのにしばらく時間はかかるだろう。


「おおゴウランガ!哀れハク=サンはマトリクス=サンの逆鱗に触れ爆発四散!ここまでされる謂れはない!」

「お前は何を言っているんだ」

「いや、ここは合わせるべきかな。と」

「アレに合わせられるお前の適応力がジッサイ怖い」


 いかん、言い回しが若干感染した。

 なぜかクソ漫画風尋問を食らっていた倉内が、ケロッとした表情で合いの手を入れる様に思わず突っ込んだが、一体全体なんだってこの二人がヘッズ化しているんだろうか。この世界に忍殺はないはずだろうに。

 主砲撃つごとに「イヤーッ」とか「ハイクを詠め」とか「百発のスリケン砲弾で倒せぬ相手だからといって、一発の力に頼ってはならぬ。一千発のスリケン砲弾を撃つのだ!」とか言い出す艦長とか絶対嫌だ。

 まあ、とりあえずは…


「あ、茶番終わった?」

「片づけといてくださいね、ソレ」

「絶望した!ハクあのバカとひとくくりにされて絶望した!」


 我関せずという風に仕事を続けていたサキとライに、止めを刺された室長殿のフォローが先だろう、当事者兼被害者的に。手伝わなければ後で何をされるか分かったものじゃない。


「貴様も手伝え倉内。イイネ?」

「アッハイ」






「で、どうして部外者がここにいる?」


 約20分後、破壊された扉を廊下に立てかけ、開口部となった出入り口に倉庫から引っ張り出してきたブルーシートを張り付け。”私はダメな船精霊です”という張り紙を顔に貼り付けて簀巻きにしたハクを、ミノムシ宜しく吊るして応急修理は終了した。

 現在は応接セットで珍しい客人と対面している。倉内の真正面に自分と永雫が据わる格好だった。3人の前のテーブルには湯気の立つコーヒーと砂糖、ミルク、塩の瓶が置かれていた。


「まあまあ、そうカッカなさらないでください。先輩に愛想突かされますよ」

「なぜそこで有瀬が出てくる!」


 フシャァ!と声を荒げる様子は、どういうわけか警戒心の強い猫に似ていた。その鋭い眼光を真正面からとらえた倉内だったが、どこ吹く風と言う風にコーヒーに塩を一振り振り入れる。


「前からやってるが、うまいのか?ソレ」

「モカでやるのが一番ですがね。先輩もどうです?」

「いや、僕はこのままでいい」


「それは残念」と肩を竦める彼とほぼ同時にコーヒーに口を突ける。何時もの味が舌の上を転がり、芳醇な香りが鼻を楽しませる。隣では砂糖とミルクを容赦なく叩き込む上司の姿。何度か自分を真似てブラックのままで飲もうとし、そのたびに根負けしていたが、とうとう諦めたらしい。


「それで、お前が来たってことは。またなんかわかったってことだよな?」

「ええ、ご名答。実は、さるルートからこんなものを入手しましてね」


 若干もったいぶって書類カバンから引き抜いたのは一冊の冊子。表紙に印刷された文字を2人が認識した瞬間、2色の視線が薄い笑みを張り付ける海軍中尉を貫いた。


「おい、これって」

「いやぁ、苦労しましたよ。何せ、近衛の極秘資料ですからね。海上護衛総隊EF司令部で会った時は、まだ確保できるか怪しかったので、ヤバげな作戦があるらしい程度の、碌でもない情報しか渡せませんでしたが。ま、裏取りが予想以上に上手く行ったってところです」


 EF司令部の話が出た時、隣から彼女の視線を感じ軽く頷く。つい先ほど目の前に掲げて見せた紙片、それこそ倉内が言っている”碌じゃない情報”だった。もっとも、あの時の自分にとって博打を決心するきっかけになったのだが。


「この後連合艦隊司令部までもっていかなきゃならないので、差し上げることはできません。無論、口外も厳禁。正真正銘、極秘文書アイズ・オンリーってやつです」


 自分が手を伸ばす前に、少女の華奢な手が表紙をめくった。中に記されていたのは現在実施されているあ号作戦の概況と問題点、そして。


「修正あ号計画、だと?」

「ええ、そうです。近衛艦隊司令長官、高本光三元帥近衛大将肝いりの、大博打ですよ。近衛艦隊の航空主兵化を推し進めた新八八艦隊計画も、新型艦上戦闘騎も、全てこの作戦の為に構築されたものです」

「おい、おいおいおいおい!あんのロクデナシ共、本当にこんなバカげた作戦をやらかすつもりか!?あ号目標の”鹵獲”だと!?」


 永雫が狼狽えつつ口走った内容に、考えうる限り最悪の予想が当たってしまったと思わず有瀬は天井を見上げる。あまり手入れの行き届いていない鋼製の天井にはところどころで塗装が剥げ、赤茶色の錆が滲んでいた。

 八八艦隊計画の存在も、修正あ号計画の存在もつい先ほど知った代物だが、ここまで見事に点と点が線で結ばれるとは思いもしなかった。逆主人公補正と言うべきか一級フラグ建築士(乙種)と言うべきか、どのみちろくでもない事には変わりない。


「作戦の第一段階として、近海警備艦隊、海上護衛総隊の総力を挙げあ号目標群の護衛艦隊を挑発、誘引を行います。皇国の保有するすべての水雷艇をぶつけ、最低でも二個、可能ならば三個護衛艦隊を吊り上げ、後方で待機していた連合艦隊隷下の集成第一艦隊に叩かせる。若干の時を置いて、今度は集成第二艦隊があ号目標群に突入します」

「第一段階で四個の護衛艦隊が残っていたとしても、あ号目標は新たに表れた第二艦隊を無視はできない」


この作戦においては、皇国海軍の保有する全戦艦を集成第1艦隊へ、全装甲巡洋艦を集成第2艦隊へ集中し、一括運用を行うこととなっていた。


 「この要項によれば、集成第二艦隊は現状海軍が保有する全ての装甲巡洋艦を集中させて運用するとある。日進型、磐手型は20.3㎝砲連装2基4門、改日進型は25.4㎝連装2基4門、装甲は不足しているがその分足はある」


「だが」と有瀬が反論を口にした。

 確かに、護衛戦力を追撃に向かわせ手薄になったあ号目標に、別動隊を叩きこむのは理に適っているように思える。しかし、だからと言って敵がそうやすやすと再び護衛艦隊を差し向けるだろうか?

 あ号目標の主砲の射程は詳しくは解っていないが30㎞はあるだろう。対して、改日進型の25.4㎝連装砲の”最大”射程は18㎞前後。いくら的が大きいからと言って、最大射程で有効打が与えられるかと問われれば首を横に振るほかない。対して、敵は余裕をもって大口径砲弾を叩きこんでくる。ただでさえ装甲を削って無理やり火力と速力を底上げしている――と言うよりも、防護巡洋艦の火力と速力を無理やり伸ばしたという方が正確か――装甲巡洋艦はひとたまりもない。

 自分があ号目標ならば、護衛艦隊に深追いはさせず、主砲の射程圏内で戦うように指示を出すだろう。主砲塔の配置状、片舷には20基80門を指向できる。すべてが全て使えるかどうかは状況によるだろうが、単純計算で長門型戦艦10隻分だ。第1次大戦レベルの装甲巡洋艦6隻の火力では歯が立たない。


「無論、集成第二艦隊で何とかできるとは考えていませんよ。せいぜいが、残った護衛艦隊の多くを片舷側へ集中させる程度でしょう。第二艦隊は遠距離での砲戦を開始し、護衛艦隊を可能な限りくぎ付けにします。陽動につられた敵護衛艦隊を殲滅した集成第一艦隊も可及的速やかに合流すれば、体制は盤石でしょう。そして、ここまでが全部”陽動”。いよいよ、本命を投入します」

「龍母機動部隊の大規模空襲か」


 忌々し気に吐き捨てる少女に「ええ、その通り」と口角を吊り上げる。


「この時までに戦力化した4万トン級大型正規龍母8隻と、2万トン級中型正規龍母8隻で構成された2個機動艦隊。1個機動艦隊は2個航空戦隊で編成され、1個航空戦隊は4万トン級2隻、2万トン級2隻で構成されます」


 作戦に投入される龍母の要目をざっと眺める。4万トン級の艦載騎は常用100騎+α、2万トン級は常用64騎+αを予定。機種の内訳は艦戦:艦攻:艦爆が1:2:2を予定しているらしい。いや、あ号目標に現状で艦載騎が確認されていない以上、艦戦も爆弾を抱いて作戦に参加する可能性は十分にあり得る。


「まずは、集成第二艦隊の陽動により手薄になった方向から第1次攻撃隊約600騎が突入。これは小型爆弾、中型爆弾を装備した艦爆隊が主力で、急降下爆撃によるあ号目標の対空火器の破壊と護衛部隊の殲滅を主任務としています。護衛艦隊の対空砲火は拠点級の体躯に対してはあまりにも貧弱な上、標的の回避機動は殆ど不可能。据え物斬りにも等しいでしょう」


 600騎にも及ぶ敵防空網制圧ワイルド・ウィーズルが過ぎ去った直後、大型爆弾を装備した艦攻中心の第2次攻撃隊600騎が殺到する。

 第2次攻撃隊の目標は30基にも及ぶ主砲塔の完全破壊。空に対する盾を失ったあ号目標の甲板を水平爆撃により耕し、鹵獲部隊が上陸する際に邪魔になる最後の剣をへし折る。

 場合によっては第3次、第4次攻撃隊を繰り出し、目標の攻撃能力を完全に奪い去ったのち、後方から進出してきた陸戦部隊を集成第二艦隊が護衛しつつ強硬接舷、さらに、軍用龍船を用いた龍輸挺身ドラボーンも同時並行で実施し拠点級を手中に収める。

 参加予定兵力は戦艦6隻、装甲巡洋艦6隻、大型龍母8隻、中型龍母8隻を主軸とする、国海軍の総力を挙げての文字通り総攻撃となるだろう。

 一息に言い切られたともすれば誇大とも取れかねない作戦案を前に、微かな頭痛を覚えたらしい永雫が軽く頭を振りながら疑問を零す。


「軍事上の要点はとりあえず理解した、が、大きな問題を忘れてないか?そもそも、拠点級を海神の方舟に作り替える方法なんて絶えて久しいだろうが。確かに、莫大な量の鋼材は手に入るだろうが…」


 そうだ。拠点級海神を海神の方舟に作り替える。言い換えるならば、人類側の制御下に置く技術は絶えて久しい。現状、もっとも強大な国力を持つとされる《合衆国ステイツ》も、科学力では並ぶものが居ないとされる技術大国である《帝国ライヒ》も、その技術の獲得にまでは至っていない。

 修正あ号作戦の目的である、資源の恒常的な安定供給を達成するには必要不可欠なものだ。


「ええ、無論完全な方舟に作り替えるのは不可能です。ですが、別に我々は国土が欲しいわけではないですよね?」

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