21th Chart:《皇国》の欠点



 押し付けられた背中に食い込むドアノブの痛みに顔を顰めそうになりながら、怒りに染め上げられた少女の眼光を真正面から受け止めた。

 それなりに度の強いレンズの向こう。深く澄んだ瑠璃の中には激情が燃え盛る。自分の胸倉を掴んで文字通りくぎ付けにしている細腕は、ワナワナと微かに震えていた。


「言え、何を考えてあんな馬鹿な提案をしたんだ!?」

「馬鹿も何も、あれが現時点で最善だと思ったからだ」

「最善だと?」


 苦々しく口を歪め、先ほど自分が発した答えを反芻するようにつぶやく。彼女なりに理解しようと努力しているようだが、けなげな抵抗はそれ以上の感情に押し流されていく。


「何がっ…何が最善だ!?解っているのか、貴様の命はもはや連合艦隊GF上層部の胸先三寸なんだぞ?如何に綾風が高性能だからと言って、GFが認めないと声を発してしまえば、貴様はっ!」


「貴様…は…」消え入りそうな声で、その後に続く言葉を飲み込む。それを口にしてしまえば、実現してしまうような気がしたからか、はたまた、より根源的な部分でその言葉に忌避感を感じたからだろうか。


「君の懸念ももっともだ。だけど、何としてでもこの八八艦隊に君が生み出した艦を参加させないと、遠からず皇国は滅ぶ。違うか?」

「それはっ!…そうだが…」


 彼女の提唱する海神帝の再来襲。今のところでは眉唾な仮説どころか、個人の妄想にも等しい事柄だ。根拠も何もない、ただ言い知れない不安と恐怖に突き動かされた小娘の空想。

 それをある意味で誰よりも解っているからこそ、自分を尊重してくれる人物が文字通り生死を賭そうとしていることを、簡単に認めるわけにはいかなかった。

 理性と感情がせめぎ合い、彼のシャツを握りしめたまま思わず目を伏せてしまう。これ以上、目の前の柘榴石を見続けることに耐えきれないとでもいう風に。

 不意に、シャツごと上着を握りしめた手に温もりを感じて顔を上げる。見れば、間接が白くなるほど握りしめられた自分の手は、青年の片手に柔らかく包み込まれていた。

 振りほどくわけでも、握りしめるわけでもない、ただ添えられただけの手。故に、他人の手からゆっくりと流れてくる熱は、硬直した手と、精神を否応なく解していく。

 彼の行動の意図が解らず、自分を見下ろす柘榴石に目を向ければ、再び口を開いた青年の声が届いた。その声は緊迫した自分を落ち着かせるためか、いくらか――ある種場違いなほどに――明るかった。


「まあそもそも、僕がここまで強硬策に出たのは海神帝だけが理由じゃない。むしろ、もう一つの理由の方が大部分だ」


 そういって胸ポケットから小さな紙片を取り出し、彼女の目の前にかざす。煙草の銀紙にも見えるそれは、丁寧に折り目が付けられ親指の先ほどの大きさしかない。


廊下ここではなんだ。中で話そう」


 意味深な笑みを浮かべる青年将校に、何か不吉な物を感じながら力を抜いて両手を離す。ようやく解放されて苦笑する彼だったが、その眼に収まった柘榴石には暗い感情が沈殿しているようにも見えた。






「遅くなりました」

「いいや、構わんよ。もとより、時間前だ」


 皇国海軍省2階、第1会議室に足を踏み入れた源馬は、唯一空いた椅子に腰かけながら周囲をサッと伺った。

 会議室とはいっても、机の配置は学舎の大教室に似る。

 横長の机が正面の黒板が良く見えるように整然と並び、後方に行くにしたがって視線を遮らない様に椅子と机の段が上がっていく。壇上に立てば、ひな壇状に並んだ机と将校たちを一望できるだろう。

 百人規模の会議ができる部屋の中に集ったのは精々数十名にすぎないが、この百に満たない人員は、皇国最強の武力装置をけん引する、近衛艦隊の実戦部隊の長達でもあった。

 中でも黒板の横に唯一対面するように設けられた長机に座る3人は、末端の隊参謀ならばそうそうお目にかかることができない面子だ。

 皇国海軍近衛艦隊の2トップと作戦の長。軍令部総長、近衛艦隊総参謀長、そして近衛艦隊司令長官の3人だ。


「では、時間には少々早いが、始めようか。亀嶋君」

「はっ。では、皆様お手元の資料をご覧ください」


 初老の軍人軍令部総長の指示に従い、定刻より5分早く会議の幕が上がる。同時に赤字で”極秘”と記された書類の表紙が捲られる音が一斉に響き、あちこちで唸るような声が漏れた。

 自分も怪しまれない様に驚いたふりをしておくが、事前に知っていなければ自分も周りと同じような反応をしてしまっただろう。


「本日の議題たる修正あ号計画について説明を行う前に、現在実施されているあ号作戦の概略と概況をご説明いたします」


 変人総参謀と名高い亀島少将が立ち上がり、壁に設置された黒板の前に出て指示棒を手にした。黒板には皇国5州を示す図形と、そこから離れた地点に描かれた方舟にも見える図形が描かれている。その図形には”あ号目標”と記されていた。


「現在、皇国はこの”あ号目標”を追跡しております。彼我の距離は凡そ300海里約555㎞ほどで、あ号目標群の索敵範囲を考えれば安全と思われるギリギリの距離です」


 指示棒が黒板上の皇国から、あ号目標へと滑り、パシンと軽い音が響いた。周りには、それよりはるかに小さく描かれた6つの図形群が守護するように取り巻いている。


 あ号目標とは、俗にいう拠点級海神の事だ。全長9㎞、全幅5.4㎞の巨体を持ち、主砲として長砲身406 ㎜四連装を30基120門を装備する。主砲以外の中小口径砲はあまり見られず、近距離での防御は常に周囲を遊弋させている6つの海神の護衛艦隊に任せるという典型的な布陣だ。

 護衛艦隊の内訳は巡航級海神が4隻、護衛型海神が8隻。そのほかに、水雷艇よりもさらに小さい、全長40m程度の眷属も引き連れており、それらの小型海神は哨戒の最外縁を担いピケット艦として行動していた。

 この拠点級特有の点として、本体の武装が強力である故か本来ならば多数引き連れている戦列級海神は確認されていない。在る意味で【手薄】な目標であり、だからこそ方舟で追跡を行うと言う本来ならば危険極まる芸当が可能だった。


 この拠点級を”あ号目標”、拠点級とそれらを取り巻く海神の艦隊をまとめて”あ号目標群”と呼称していた。


「現在進行中のあ号作戦では、この拠点級が生産する海神の護衛艦隊を誘引、撃滅し経済活動に必要な鋼材を得ることを企図しております。手順としましてはギルド艦などの小規模水雷戦隊でピケット艦を撃沈し挑発行動を実施、釣られた1から2個の護衛艦隊に二水戦を基幹とする水雷戦闘部隊が夜襲し戦力を漸減。しかる後に、主力艦隊で撃滅。殲滅した海神の骸を曳航し資源としています」

「そして売っぱらった資源を元手に、海油を買う。買った海油を軍艦の腹に詰め、また戦う、か。自転車操業はつらいねぇ」

「背伸びしても貧乏国家ですからな、ウチは」


 背後から聞こえてくる声は、近衛第2水雷戦隊の戦隊参謀の面々だろう。フットワークの軽い駆逐艦と防巡を率いる彼らは、近衛艦隊の中でも比較的出撃頻度が高い何でも屋だ。必要とあらば撃破した海神の曳航から船団護衛も行う彼らは、近衛の中でも皇国の窮状をよく理解している集団の一つでもあった。


 実の所、皇国に所属する方舟には致命的な弱点がある。

 もとは拠点級だった海神が方舟へと改造を施される際、何らかの不手際があったのかどうかは解らないが、海洋のプランクトンから神血を生成する摂餌器官に大きな障害を抱えているのだ。

 具体的には、収集効率と神血への変換効率の最低化。方舟を駆動させるために必要な最低限の神血は生成できているが、その上で暮らす皇国人が利用できる余剰が全くと言って良いほどない。

 神血から精製される海油は現代社会においては無くてはならない存在だ。

 艦は勿論、自動車、発電機等、およそ動力となるモノは一様に海油を燃料として駆動している。唯一、電気だけは方舟の喫水線下に設けられたスクリュープロペラを利用することである程度は賄えているが、火力発電所を完全に代替するまでには至っていない。

 また、上質な海油は航空騎にも使用される。

 もともと、多様な食物を摂取しエネルギーに変えている龍だが、実の所彼らの身体を最も効率よく駆動させるのは海油だった。と言うのも彼らの場合、食事によってとりこんだ有機体を体内の変換器官で神血へ、そこからまた器官を経ることで海油まで変換し養分としている。

 回りくどいことをしているようにも見るが、人間だってデンプンからマルトース、グルコースにまで変換してようやくエネルギーとして使用できるのだから、そこまで突拍子もない生態と言うわけではない。

 航空騎の場合、軽量化の為にこれらの内臓器官は必要な物を除いて除去され、代わりに海油をためる燃料槽や航法装置、爆弾槽などが積載される。

 こうして航空騎に改造された龍たちは、自然界どころか、定期的な海油の補給なしには生きていけない生体兵器となり果てた。


「現状、我が国の海油事情は重工業化に伴い悪化の一途をたどっております。海油の消費は年々増え続けており、このままでは遠からず軍縮か経済規模の縮小を余儀なくされるでしょう」

「つまり、現状のあ号作戦で得られる鋼材を売って得た資金で調達する海油では、需要に追い付かないと?」


 苦々しい顔をして亀島参謀長の言いたいことを代弁するのは、近衛艦隊の装甲巡洋艦を指揮する近衛第2戦隊司令、住田少将だ。

 生粋の鉄砲屋ではあるが航空騎にもそれなりに理解のある人物だった。実戦では見敵必戦を旨とする闘将であり、近衛艦隊に声がかからなかったら第2艦隊の巡察戦隊――装甲巡洋艦を擁する部隊――を率いていたと噂されている。


「その通りです。ですが、経済は国家の生命線であり、ここを拡大することはあれ、縮小することはあり得ません。また、海軍の軍縮ですがあ号作戦の性質上、海軍の縮小は計画規模の縮小を意味します。ただでさえ海油の絶対量が不足する中では、この動きは負の連鎖を誘発するでしょう」

「それはそうだ。我が国が海油を得るには鋼材を売って儲けを出さねばならん。その鋼材を分捕ってくる海軍が衰退すれば、得られる鋼材の量は少なくなり、儲けも減り、輸入できる油はより少なくなる」

「悪戯に戦力を縮小すれば、国家の一大事に給料分の仕事をできなくなるかもしれませんしね」


 住田の言葉に同意するように、源馬も考えを口にした。2人の言葉に、会議室のあちこちで頷く人間が見える。尤も、その頷きが国を思ってなのか、陛下を思ってなのか、はたまた職を失うことに対してなのかは判断がつかないが。

 どのみち、手をこまねいていては皇国の国力が衰弱していくのは明白だ。少々のズルをすれば、一時的な資源の獲得も可能だが根本的な解決にはなりえず、死期を早めるだけにすぎない。

 だからこそ、近衛艦隊司令部は打開策を生み出した。それがたとえ、連合艦隊との権力争いの側面を持っているのだとしても、先ほどのズルを元手にするギャンブルだとしても、成功すれば皇国の資源事情は一気に好転し、8つ目の”大国”となる道も開けるだろう。


「そこで、近衛艦隊司令部といたしましては。より”積極的”な解決策として修正あ号計画を提出いたしました」


 簡単な前置きが終わり、修正あ号計画と銘打たれた”作戦”が亀島の口から語られていく。それはあくまでも皇国の窮状を打開するための積極策と言う名目ではあったが、実際の所、侵攻作戦以外の何物でもなかった。


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