17th Chart:物量の神話、巨神の手綱


 3分の1ほど残った不味い煙草を灰皿へ押し付けつつ言い放った言葉に、袖をつかむ力が微かに強くなり、自分の目をまっすぐに見ている源馬の目が細くなる。


「…ほう?なぜだい?君も、一航戦の完全試合を知らぬわけではないのだろう?」


 声色は其れまでとあまり変わっていないが、言葉の中に含まれた敵意は紛れもなく本物だった。


「ええ、先の海戦での手際は最精鋭たる近衛艦隊の面目躍如と呼べるでしょうが、相手の対空火器は薄弱であったと聞きます。海神も愚かではないですから、早晩に対抗手段を揃えるでしょう」


 海神は人類の技術を学習する。これは、海軍関係者の中でも通説となっている。人類の艦船技術は海神の模倣によって基礎が作られているが、時には人類から海神へ技術が”逆輸入される”事態も存在した。

 最たるものが水雷兵装だった。50年前、人類が開発した魚型水雷と設置式の機械水雷は満足な水中防御を持たなかった海神に多大な損害を与えた。しかし、時がたつにつれて海神の水中防御は人類側並みに強化され、僅か1年で眷属水雷と呼ばれる火器を身に着けるに至ったのだ。

 予想以上の海神の適応能力に、水中防御の対策が不十分なままだった人類は多くの犠牲と戦没艦を出すこととなる。

 海軍が戦況を一変させるほどの新技術導入に慎重なのは、下手な技術の投入により海神の性能が強化され、一応は保たれている彼我の性能バランスが崩れるのを恐れるからと言う側面もあった。

 今回も、その例に漏れない。事実、航空主兵論者に対する者たちの中で”海神が本格的な航空戦力を持つようになれば、皇国本土が爆撃にさらされる確率が跳ね上がる”と言う反論を立ち上げる者もいる。


「対抗手段か、それは我々も危惧してはいるが、高速で飛び回る航空騎に対する対空射撃の命中率などは高が知れている。向こうが眷雷の様に航空騎兵を繰り出してくるのならばしめたもの、一日の長がある我々の敵ではない。そのための努力も欠かしては居らん。魚雷の二の舞にはならない」


「見ろ」と源馬が顎をしゃくる。彼が示した先、待合室のガラスの向こう。滑走路の反対側に口を開けた格納庫の中に、白銀の龍が小さく見える。ここからではよく見えないが、それでも現状の九七式艦上戦闘騎よりも洗練された印象を受ける。あれと比べれば、九七式も鳩同然だ。


「十二試艦上戦闘騎、来年度を目途に正式化される最新鋭騎だ。今日は奴の視察に、ここまで来たようなものだよ。高度 4,000 mで最高速度 500 ㎞/h270 kt以上、航続距離は3000 ㎞1620 海里。肩部20 ㎜ 機銃二挺、頭部7.7㎜機銃二挺、脚部に九九式 90㎜ 対龍射突槍二基。これだけの重武装でも、徹底的な軽量化により空中での機動力は折り紙付きだ」


「つい先日、九七式の洗礼を浴びたばかりの今の海神に、十二試艦戦を超える眷属が作れる道理はない。君の懸念は的外れと言うわけだ」と勝ち誇ったように肩をすくめる。確かに話を聞く限りでは、格納庫の中へ入れられていく十二試艦戦の性能は圧倒的だろう。それこそ、史実での海戦初期の米軍か、中華民国航空隊の様に手もなく捻られるに違いない。

 けれど、問題はそこではなかった。


「すでに、対象となる品種改良された龍の”生産”は軌道に乗り始めている。如何に強力とはいえ、戦えば龍は傷つき稼働率は加速度的に減少する。それを支える後方の補充能力も重要だ。翼なき龍母は高価な射撃目標にすぎない」


航空戦と言うモノは、或る意味艦隊決戦よりも国力が問われる。航空騎の量産だけでなく、実戦に耐えうるパイロット、高品質な油、機材の稼働率。それらすべての歯車がかみ合うことで、初めて空から海を支配することができた。

貧弱な国力しか持たぬ国がやれば、その死期を早めかねない諸刃の剣であった。


「いいかね、大尉。これからこの海を支配するのは、大をもって大を制する大艦巨砲などと言う巨神達の神話ではない。我々人類が織りなしていくべきなのは、多数をもって大を滅ぼす物量の神話なのだ」


 熱弁する彼の言葉を、冷ややかに見つめる”夢”の世界の自分が居た。

 源馬の言葉は、ある意味では真実だ。他の動物に比べ貧弱な肉体しか持たない我々人類は、知恵を出し合い、力を貸し合い、国家と言う群体を構築することで厳しい自然を息抜き、万物の霊長と自称するまでに至った。

 数は力。なるほど確かにそうだ、だがしかしそれも圧倒的な”力”の前には無力だ。

 嘗て”夢”の世界では、科学の発展により物量の神話を崩壊させる悪魔が産み落とされた。決して使われない、使われてはならない原子核物理学の忌み子。

 一時は人類に牙を剥くかに思われた魔獣の牙を寸でのところで制しつづけるのは、同じく産み落とされた魔獣の牙だった。


「お言葉ですが、少将。物量の神話は、より強力な力の前には無力でしょう。海神帝を屠るには、千騎の航空騎ではなく、一隻の巨神が必要です」


此処で海神レヴィアタンではなく海神帝エノシガイオスを引き合いに出すのはどうかとも思う反面。自分も彼女永雫にだいぶ感化されているなと苦笑が漏れそうになった。

「ふむ、では君も永雫から海神帝の事を聞き、あまつさえ信じていると?」


 遂に、源馬の視線の中に蔑みが含まれ2人の大尉に降りかかる。永雫は反論したくともできない自分の無能さと不甲斐なさに奥歯を噛締める一方、その視線から彼女を庇うかの様に、一歩踏み出した有瀬の赤い視線が黒曜石を射抜いた。


。軍人と言うのは、そういう職業であると皇海兵で叩き込まれましたので」


 嘗て、水雷技術の講義を受け持っていた小柄な中尉の言葉だ。なかなか複雑な人物であり、好悪がはっきりと分かれる人柄だった。残念なことに、自分たちが卒業する前に南方への輸送船団護衛の任に付き、そのまま帰らぬ人となったが。


「確かに、海神帝の再出現に関する決定的な証拠はありませんが、悲劇や災害の予兆を感じ取れずに大惨事に至る事例は山の様にあります。それが、国家存亡レベルの惨事であるならば、どれほど低い確率であっても検討する余地はあると愚考いたします」


 海神帝の再侵攻に真に危機感を持っているのは永雫だけだが、自分自身”ひょっとすると”と思わないことが皆無とは言えない。頭ごなしに否定する気にはなれず、そういう態度をとる人間に対して容赦する気もまたなかった。


「ノアでも気取るつもりか?」

「とすると、婚約者の言葉を信じない源馬少将人間は海に飲まれることになりますね」


 言葉の中に込められた自分の意思を余すことなくくみ取った源馬の視線に、敵意がちらつく。連合艦隊ですらない、事実上の閑職に回されている一介の大尉が、最精鋭と名高い近衛艦隊の青年少将に皮肉をぶつける。

 古井中将が聞けば眉を顰め、関中将が聞けば爆笑するだろう。宵月造船少将ならば…胃を押さえながら頭を抱えるか。

 とはいえ、このままここに居続けるのは得策ではない。討論ならばまだしも、男同士の言い争いなど生産性の欠片もない。

 源馬が何かを言いかける前に、有瀬の意を組んだ永雫が先手を打って口を開いた。


「提督、我々が乗る便が到着したようなので失礼いたします。大型龍母の設計に関しては、保留と言うことで」

「っ…。いいだろう、色よい返事と設計案に期待しておく」


 互いに敬礼を交わし、踵を返して歩き始めるが、直後に「有瀬大尉」と後ろから声がかかり、足を止めて振り返る。


「何か?」

「海神帝を屠るには1隻の巨神が必要だといったな」

「ええ、言いました」

「ならば問おう、海神帝すら凌駕するそのの手綱はいったい誰が握るのだ?」

「無論、人類我々の手で」


 再び黒曜石と柘榴石が衝突し、重苦しい沈黙が一瞬場を支配する。しかし、それも本当に瞬きの間で、次の瞬間には諦めた様に小さく笑う源馬の姿があった。

 相互理解は不可能だったが、だからと言って憎むほど短絡的な思考回路を持っているわけではないらしかった。


「解った。残念ながら、私と君の思想は相容れないらしいな。今度の演習を楽しみにしておくよ」

「ええ、こちらこそ。そのころに艦を持っているかは微妙なところですが」

「持っているさ。貴官ならね」


 源馬が肩を竦めた直後、右手を誰かにつかまれる。とっさに顔を剥ければ、どこかむすっとした表情の永雫の顔がすぐ近くにあった。


「いつまで話している気だ?行くぞ」


 言うが早いが、握られた手に引きずられる形で待合室を後にする。引っ張られる最中に送った適当な敬礼にも、源馬は一部の隙も無い見事な答礼で返し、2人を見送った。






 2人の姿が見えなくなった後、椅子に腰を落とした源馬のもとに、席を外していた副官が戻ってくる。


「提督、いかがでした?」

「だめだな、新編の近衛三水戦に入れるような人間じゃない。躍起になって獲得に走らなくて正解だった」

「となると、有瀬大尉は第2艦隊が獲得することになりますね」

「ん、そうなるだろう。連合艦隊も、あれほどの逸材をいつまでも穴倉にぶち込んでおくはずがない。それに…」


 ”永雫の言葉を鵜呑みにするような男が、いつまでも隣にいていいはずがない。”と言う粘着いた言葉を飲み込む。

 彼女の思想に思うところはあるが、それはただ航空騎兵の威力を彼女が理解していないからだろう。誘導弾などと言う高価で得体のしれない代物を乗せるよりも、大口径砲弾などと言う撃つだけ無駄な代物を乗せるよりも、航空騎兵で至近距離から爆雷撃をぶつけた方が効率的だ。

 海神帝などと言う妄想と、大艦巨砲と言う幻想に取り付かれた彼女の目を、いずれは晴らしてやらねばならない。そのためには…


「三船、修正あ号計画と新八八艦隊計画案の討議は明日だったね?」

「はい、明日の10時から海軍省近衛艦隊司令部第2会議室にて」

「ありがとう。さて、うまくいくといいが…」


 ソファの背もたれに体重を預け、離陸していく龍船の明灰色の船体を見やった。




 海神帝すら屠る巨神、それすなわち海神帝すら凌駕する新たな脅威と言うことだ。そんなものが生まれれば、たとえ海神帝を倒したとしても行き着く先は……決まり切っている。










 上昇していく龍船の中で、すでに窓枠に肘をついて目を閉じている同僚の姿を盗み見る。

 あの時、自分はいつもの様に何も言わなかった。この愚か者には何を言っても無駄だと、大恩のある母が喜んでくれた婚約相手を無碍にするものではないと、言い訳を並べ立てて口をつぐんだのだ。

 あの男と会うたびに本心を殺し、信条に蓋をして適当にあしらう。今のところ、自分が必要無いと心の底から思うような艦を設計せずに済んでいるが、この自分の最後の矜持すら、いつかは捨て置かなければならないだろう。

 だから、今日の出来事は特別だった。一人ではないことが、ここまで心強いものだとは今まで思いもしなかった。

 彼自身、自分の言のすべてに賛同しているわけではないだろう。それでも「備える価値はある」と断言してくれたのだ。それが、どれほど自分にとっての救いになっているのか、彼には解るまい。

 視線を手元に戻すと、おもむろに自分の右手を左手で包み込む。頬が緩んでいるような気がするが、気のせいだろうしどうせ自分たちのほかに客はいない。







 ああ、そういえば…









 異性の手を自分から握ったのは、何年ぶりだろうか?


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