13th Chart:航路の守護者



 翌日、魔女の釜の主人と新参者が足を向けたのは入り組んだ地下の研究室ではなく、鋼鉄の海獣達の寝床だった。


 ”皇都”を中心に、時計回りに”扶桑”、”敷島”、”秋津洲”、”葦原”の順で輪形陣を構築する《皇国》の中で、もっとも左端に位置する方舟が”葦原”だった。大型艦を建造できる生体工廠は無いが、中小艦の製造能力と、最大級の規模を持つ商業港が存在する方舟であり、関係者からは皇国の玄関口とも呼ばれている。

 この世界の港は、方舟の舷側に空いた大和型戦艦でも余裕をもって通行できる短いトンネル状の運河を通った先に形作られている。運河の先に開けた空間は広大な港湾施設となっており、高い天井に据えられた照明と排煙機構により、外部の港と遜色ない機能を有していた。


 周囲を見渡せば、岸壁から離れようとしている13000トン級輸送船に群がる曳船タグボートの群れや、今まさに運河を抜けて入港しようとしている2000トン級の小型油槽船タンカーの姿もあった。それらの船の上や港湾のクレーン、岸壁には大勢の船精霊の姿が見え、それぞれが己の仕事を全うすることで艦内港湾という巨大組織を運営していた。


「で、殴り込む前に説明を願おうか?」


 岸壁から釣り糸を垂らしている船精霊が、魚に餌を持ち逃げされ盛大に溜息を吐いているのを眺めていると隣から怪訝そうな声がかけられる。

 視線だけ動かして隣を見れば、こちらを見上げる瑠璃が目に映った。どうやら、目の前に見えてきた建物を見て遂に我慢できなくなってしまったらしい。


「説明って、今更か?」

「今更でも何でもいい。貴様、ここがどこか解ってるのか?」


 ”葦原”の艦内港湾が海上交通網の起点ともなる関係上、当然それらを警備する軍施設も存在する。

 近衛艦隊が錨泊する皇都鎮守府や、連合艦隊の根拠地となる扶桑鎮守府には流石に劣るが、葦原港には海上護衛総隊を擁する葦原鎮守府が開設されていた。

 皇都港からの連絡船に乗って葦原港に到着した有瀬は、港に併設された葦原鎮守府の正面玄関前で、永雫の怪訝な視線を飄々とした顔で受け止めたのだった。


「葦原鎮守府。海上護衛総隊司令部って言った方が通りがいいか?」

「そうだ、主任務は海上輸送路シーレーンの維持で、所属戦力は防巡1隻、水雷艇35隻からなる四個護衛隊群。私の言いたいことが解るか?」


 何処か呆れたような、可哀想な人間を見る目が突き刺さる。彼女の言いたいことは用意に想像がつく、常識的に考えて右手の書類鞄の中身のことだろう。正確には、此を此処に持ち込もうとする自分の頭か。


「『綾風』には不釣り合いだと?」

「行き先を間違えたのなら、正直に言え。怒りはしない。バカにはするがな」

「生憎、君にバカにされて喜ぶような性癖は無いし、行き先はここであってる」


 当然の様に言う有瀬に、瑠璃が疑惑の意志を深めた。

 『綾風』と彼女等が名付けた駆逐艦は既存の駆逐艦どころか、防護巡洋艦すら凌駕しかねない艦だ。

 ガスタービン機関による高速性、15射線に及ぶ酸素魚雷と127 mm 三連装砲による火力、艦体の大型化による航洋性を獲得し、数さえ揃えれば海神帝にも――想定されうる限りの脆弱な個体であれば――一矢を報いることことさえ可能な艦。


「だったら」と言葉を続けようとした彼女だったが、それよりも早く、葦原鎮守府からこちらに歩み寄る青年将校の声が二人の間に響き渡る。


「先輩!お待ちしておりました!」

「悪いな倉内、無理を言って」

「なんの、これぐらいならば何時でも仰ってください。っと、貴女がマトリクス室長ですね?皇国海軍海上護衛総隊司令部付、倉内真中尉です」

「特務造船研究室室長、永雫・マトリクス造船大尉だ」


 突然現れて出鼻をくじいた青年将校に思うところが無いわけではなかったが、彼自身の能天気な雰囲気に毒気を抜かれてしまう。場にいると空気が緩むとは、このような人間の事を言うのだろうか?

 有瀬の話では皇国海軍兵学校の一期後輩にあたる男らしい。軽薄さと気安さのちょうど中間と言った雰囲気だ。不快には思わないが、今までの自分の人生であまり見られなかった人種に眉が微かに上がった。

 お互いに敬礼を交わし、倉内に先導される形で鎮守府の門をくぐる。玄関前で警備にあたっていた船精霊が向ける興味深そうな目を無視しながら、葦原鎮守府に足を踏み入れた。





「しかし、驚きました。まさか、先輩が本当に特務造船研究室に行っていたとは」


 赤い絨毯が敷かれた通路を並んで――永雫は彼らの後ろを――歩きながら、倉内は本当に意外そうに口を開いた。


「なんだ、信じてなかったのか?」

「信じられるわけないでしょう?造船畑なんて畑違いにもほどがありますって。それも、あの特造研なんですから」


「そんなに有名なのか?」と反射的に問いかけると、倉内は一瞬肩越しに永雫の方を伺う。ある意味話の中心である彼女は、我関せずという風に窓から見える葦原軍港を興味深そうに眺めている。いや、正確には係留された海上護衛総隊仕様の奄美型水雷艇か。

 件の人物の注意がそれていることを確認した倉内は、彼女に聞こえないように有瀬の耳に口を寄せ、小声で言葉をつづけた。


「通称、魔女の窯。身内びいきがすさまじい近衛艦隊の設計に好き好んで口を出したがる、怖いもの知らずの女傑の城ですよ。配属された技術士官のほぼ全員が即日配置換えを申請し、1週間持った人間はいないとか。業を煮やした近衛艦隊が暗殺しようとして、見事に返り討ちに合わせたって噂もありますよ?」

「なんだそれは…。配置換えはともかく、暗殺はさすがにデマだろ?」

「ところがどっこい。彼女、聞くところによると剣の達人らしいです。幼いころから祖父に稽古をつけてもらって、剣道の全国大会優勝者を一方的に叩きのめして引退を決意させたとか。業を煮やして近衛艦隊司令部に抜刀突撃しそうになって、慌てて宵月部長が羽交い絞めにしたとか。それで愛用の軍刀を没収されて、特造研のデスクの裏には仕込み刀が備え付けられてる、なんて噂も」

「なんなら、確かめてみるか?」


 眉唾物の噂に耳を傾けているとゾワリ、と背筋に悪寒が走る。二人そろって恐る恐る後ろを確認すれば、肩越しに見えたのは頬を引きつらせ鋭い目つきでこちらを睨む一人の剣姫。なぜか、彼女の後ろに抜身の日本刀を空目した。


「き、聞こえてたんですか?」

「耳はいい方だ。どうやら、私は随分と貴様に恐れられているようだな?倉内中尉」

「恐れるだなんてとんでもない。称賛しているのですよ」


 蛇に睨まれた蛙。なんて”夢”の世界の諺を思い出す程度には、目の前の光景はイメージ通りに過ぎた。ダラダラと冷や汗を流す後輩と、酷薄な笑みを浮かべる上司。情報に精通する反面、噂好きな倉内はミスキャストだったかと、現実逃避気味の頭がそんなどうでもいい感想を出力する。


「ほほう、称賛…ねぇ。モノは言いようだな?中尉」

「は、ははは……あっ!こ、ここが目的地です!あの方は執務中ですので中にいるはずですよ!私はこれにて失礼します!では!」


 触れれば切れそうな雰囲気のまま一歩踏み出した永雫だったが、ちょうど目的地に到着してしまう。苦笑いで何とか時間を稼いでいた倉内はこれ幸いとまくし立て、脱兎のごとく転進していった。永雫ですら口を挟めず撤退を許してしまうあたり、その鮮やかな逃走っぷりから、”退きの倉内”とあだ名された学生時代の実力はまだまだ健在らしい。

 しかし、倉内本人は逃げられたとしても、これから目の前の部屋の主に用の有る自分は残らなければいけないわけで、必然的に永雫の矛先を受け止めることになってしまう。


「…ったく、後輩の教育が成ってないな」

「悪い奴じゃないから、膾切りは勘弁してやってほしい」

「貴様もあんな噂を信じる質か?」


 眉をひそめて睨む彼女に首を振る。が、その迫力はつい先ほど横から見ていたソレの比ではない。不採用通知を食らって荒れている時とは、また違った部類の威圧だった。

 目を泳がせてしまう自分をしばらく睨みつけていた彼女だったが、その行為の不毛さに気が付くと盛大に溜息を吐き出し視線をずらした。


「まあいい。噂は尾鰭が付くものだ」

「噂ってのはそんな物……いや待て、尾鰭ってことは」

「噂は、噂だ。いいな?」

「アッハイ」


 「他言無用」と魔界の軍団長みたいな笑みを横顔に浮かべる美少女の強弁に、抗える男なんているのだろうか、いや、居ない。居てたまるか。


 永雫の視線から逃げるように重厚な木の扉をノックすると、直ぐに「入れ」とくぐもった声が聞こえ、2人が部屋の中へと消えていく。

 ややあって開かれたドアが再び閉まり、目線の高さに据え付けられたプレートが照明の光を鈍く反射して、”海上護衛総隊司令長官執務室”と印字された文字を浮かび上がらせた。









 関賢治中将と言う将校は30代で中将に任命され、《皇国》の生命線の守護者たる海上護衛総隊の司令長官に抜擢された傑物だった。血の様に赤い瞳に、色素の薄い茶髪の青年としか見えない若々しさを保つ美丈夫。的確にして明快な指揮と、必要が在れば上層部にすら噛みつき、必要がなくとも唯我独尊な言動で上層部の胃壁を破壊する問題児の一人だった。

 そんな特徴的に過ぎる軍人は現在、自らの執務室で。


「なんだこの設計は!?ふざけておるのか貴様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「あだだだだだだだだだだだだだだだだ!?」


 久しぶりに訪ねてきた元部下に、絶叫しながら見事な腕挫十字固を決めていた。


「貴様がどうしてもと言うから時間を割いてやったというに!よもやこのオレを謀ったか?」

「いやいやいや話をまず聞いてくれませんかででででででで!?」


 事の成り行きは単純だった。

 長官室に招き入れられた2人は自己紹介もそこそこに持参した『綾風』の資料を関中将に見せた直後。顔色を変えた関に有瀬が胸倉を掴まれ一本背負い、からの腕挫十字固を掛けられて現在に至る。


 なるほど、わからん。


 見もふたもない言葉だが、これがこの惨状を冷めた目で見つめる永雫の率直な感想だった。


「あまり、気になさらない方がよろしいですよ。あの方々は前々からですから」


 柔らかい雰囲気の声とともに、目の前に湯気が立つ茶が置かれた。ほっそりとした腕をたどると、人数分の茶をローテーブルに置き、盆を抱える妙齢の女性士官の姿があった。

 こげ茶色の髪を後頭部でシニョンの様にまとめ、タレ目気味のとび色の瞳は知性と母性を兼ね備えている。大人の女性と言う形容詞がピタリと当てはまる人物だった。

 軍人の端くれとしての性質から階級章に目が行き、ほとんど条件反射の様に敬礼を送る。対する彼女も、見事な答礼を返した。


「特務造船研究室室長、永雫・マトリクス造船大尉です」

「海上護衛総隊司令長官の副官を務めております、紫藤シドウマツリ海軍中佐です。本当はもう少し静かな、ああ、いえ、割と毎日こんな感じでした」


 そういって苦笑する紫藤中佐に、思わず「はぁ…」と生返事を返してしまう。将官と尉官が取っ組み合っているという異常事態だが、どうやら彼女にとっては日常茶飯事な出来事らしい。


「ところで、此度はどのようなご用件で?倉内中尉からは、緊急の事案があるとは聞いていたのですが」

「緊急って…単に新型駆逐艦に対する意見を伺いたかっただけなのですが…」


 永雫自身、有瀬から聞かされていたのは”話の分かる人物に会いに行く”と言うことだけだったので、なんとか現状から類推できる彼の意図を汲んでみた。しかし、考えれば考えるほど、緊急の事案と言う形で乗り込む用事ではない。事実、関長官の荒れようは相当なものだ。


「なるほど、『綾風』…重なり合って寄せる風と言った意味でしょうか。いい名前ですね」

「あ」


 こちらが面食らっている隙に、紫藤中佐は机の上に散乱した資料を手に取り目を通し始める。書類や図面の上を彼女の視線が滑るたびに、どんどん険しい表情になっていくのが解った。

 いや、言いたいことは痛いほどわかる。自分だって、何度有瀬の首根っこを引っ掴んで帰ろうと思ったことか。


「これは…」

「フン!貴様ならば判るであろう紫藤!」


 ようやく有瀬を解放した関が、ドカリとソファに腰を下ろし不機嫌そうに腕と足を組む。若干遅れて、ほとんどぼろ雑巾の様になって有瀬も、永雫の横にたどり着き倒れこむように腰を下ろした。


「ええ、何と言いますか。私共の舞台で運用するには、少々過剰な性能かと」

「然り!この様な艦、我らが使う必要などないわ!」


「やはり、コストですか」と苦い顔をする永雫に「無論、それもある」と顔をしかめる。

 次に発された言葉は、海上護衛を司るものとして至極まっとうな意見であった。


「我らが必要としておるのは艦隊に随伴し、敵海神に決戦を挑む艦隊型駆逐艦ではない!船団を防衛し、国家の血液を滞りなく循環させる護衛役にほかならぬ。”綾風”とか言ったか?こんなもの、使えるはずもなかろう!」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る