あなたに贈る愛の詩

野久保 好乃

第1話 あなたに贈る愛の詩



 庭の鈴蘭が咲きました。

 小さい頃から少しずつ、あなたが増やしていた鈴蘭です。

 庭の片隅で小さく咲いていた鈴蘭は、今や庭を覆うほどに増えました。

 思わずあなたの姿を探しました。

 沢山咲いたよ、と伝えようと思いました。

 そうして、思い知りました。

 あなたはもういないのだと。


 探しました。探しました。探しました。探しました。

 家の軒先でのんびりと座っていたあなたを。

 毎朝庭の草引きをしていたあなたを。

 畑で野菜を作っていたあなたを。

 部屋で本を読んでいたあなたを。

 今も目にはあなたの姿があるのに、どこを探してもあなたが見つかりません。

 名前を呼んでもあなたの声はかえってきません。

 触れたくてもそこに何もありません。

 記憶の中のあなたはいつだってそこにいるのに、もう目にも耳にもあなたをとらえることが出来ません。

 あなたの声すら、日々薄くなっていくのです。


 いつまでも同じ時が続くと思っていたわけではありません。

 いつかは別れの時がくると知っていました。

 倒れて病院に運ばれた時から。病院での診断を受けた時から。 

 それでもまだ先だと思っていました。長くて十年。そう、あと十年は一緒にいられると思っていました。一緒に生きられると思っていました。

 一緒にいられると思っていたのに!!

 どうしてあの日、私は仕事をしていたのでしょう?

 どうしてあの日、私はあなたを真っ先に探さなかったのでしょう?

 家に帰って、異変を知らされて、唐突にあなたを喪いました。

 どうしてこんなに突然だったのでしょう。何故こんなに早く奪われることになったのでしょう。あと十年はあるはずだったじゃないですか。一緒にいられるはずじゃなかったのですか。どうしてあの日だったのですか。もっと一緒にいられると思ったのに! どうしてあなたを奪われないといけなかったのですか!? 

 また沢山伝えたかったことがあったのに!!


 最初に作ったおにぎりを覚えていますか?

 握りこぶしのような歪なおにぎりをあなたは美味しいと食べてくれました。

 一緒に買い物に行った時のことを覚えていますか?

 服屋で少し目を離した先に財布を盗られて落ち込んでいたあなたを今も覚えています。

 歯医者に出かける日のことを覚えていますか?

 遠出をする日があまりないから、外食をしたくてそれを心待ちにしていたあなたを私はずっと覚えています。

 仕事が落ち着いたら、もっと時間がとれるようになったら、いろんな所に行きたかった。いろんな所へ連れて行ってあげたかった。

 沢山美味しい物を食べて、沢山思い出を作りたかった。

 もう少し、あと少しで時間がとれるようになったのです。あとほんの数ヵ月だったのです。

 待っていてほしかった。そこにいてほしかった。

 違います。そうじゃない。


 生きていてほしかった。ただ、生きていてほしかったのです。


 何も特別なことなんてなくていい。

 大金なんていらない。贅沢もいらない。

 慎ましい生活でかまわない。家と、庭と、あなたと、私と、生きていくに必要な最低限のものさえあればそれで幸せでした。

 幸せだったのです。

 ずっとずっと幸せだったのです。


 そこにいてくれるだけで幸せでした。

 名前を呼んで答えがあるだけで幸せでした。

 手を伸ばせば触れられるだけで幸せでした。

 生きていてくれるだけで幸せだったのです。


 あなたを喪ってから、体に大きな穴が空きました。

 あなたの形に空いた穴は、あなたでしか埋められません。他の何かで埋めようにも、形が違いすぎて埋まりません。


 覚えていますか?

 学校でうまく人とつきあえずに泣いていた私を慰めてくれた日のことを。

 覚えていますか?

 体育祭で食べたお弁当の味を。

 覚えていますか?

 友達の家に行く時に、もたせてくれたおにぎりのことを。


 どんな豪華な料理より、あなたの作ったおにぎりが好きでした。

 どんな美味しい料理より、あなたのおにぎりが一番好きでした。

 今もずっと同じ味を求めて、繰り返し繰り返しおにぎりを作っています。

 けれど違うのです。あなたの味にならないのです。


 贈りたかったものが沢山あります。

 渡したかったものが沢山あります。

 伝えたかったものが沢山あります。

 共有したかったものが沢山沢山――今も溢れるほどにあるのです。


 泣いても叫んでも暴れても何をしても神様はあなたを返してくれませんでした。

 棺に入ったあなたの頬は冷たかった。キスをした額は冷たかった。匂いをかげばいつものあなたがそこにいるのに、あなたの体温はずっと冷たいままだった。

 目を開いてほしかった。

 口を開いてほしかった。

 嘘だよと言ってほしかった。

 生きていてほしかった。

 ただ、生きていてほしかった。


 こんな思いをするぐらいなら、あなたに会えなかったほうがよかったのでしょうか?

 こんなに辛い思いをするぐらいなら、いっそ愛さなければよかったのでしょうか?


 けれど何度思い返しても、臓腑が抉られるような痛みを覚えても、最初からあなたのいない世界なんて選べないのです。


 あなたを喪ったあの日から、息をするのも辛かった。

 生きているのが辛かった。

 けれどあなたを愛した日々のことを無ければ良いとは思えなかった。


 愛していました。

 ずっと愛していました。


 もうあなたにそれを伝える術はありません。二度と伝えることは出来ません。

 それが死ぬということなのでしょう。

 永遠に喪うということなのでしょう。


 それでも、あなたを愛した日々は私の生きた全てです。この痛みすらも愛おしいほどに。

 愛しすぎるほどに愛しています。

 声を届けられなくても、思いを届けられなくても、伝える術を失った今も、ずっとずっと愛しています。


 今日も鈴蘭の花が咲いています。

 あなたが植えた鈴蘭の花が。

 いつかあなたの所に行く時に、花と一緒に手紙を携えていきましょう。

 生きている間にあなたに送れなかった、あなたに贈る愛の詩を。





 

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あなたに贈る愛の詩 野久保 好乃 @yosino9318

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