第21話 夢は寝て見な
「もう・・・・・・誰も拒絶したくない・・・・・・」
彼女の顔を覆った手の隙間から、か細い声が漏れた。それは、涙とともに雨に溶け、地へと染み渡っていった。
いつの間にか崩壊の波は収束し、あたりには雨音だけがしとしとと響いていた。
周囲一帯が瓦礫に埋もれていた。瓦礫の山に埋もれていない場所はなかった。ただ一カ所、羽月の周りを除いて。彼女の周りだけは切り取られたかのように瓦礫がなかった。
雨はいつまでも彼女を叩き続けた。
遠くからサイレンの音が聞こえる。あと数十分もしないうちに、警察や消防が来るだろう。
彼女は右手で涙を拭った。その腕の一部は、陶器のように割れている。令の投げた鉄片が当たった箇所だった。
彼女の右腕は、ゴーレムと似た魔法で作られた義手であった。彼女を攫った魔法使い、阿久津 志磨に与えられたものだった。
あたりを見渡す。
令の姿などあるはずもない。この鉄骨ばかりの瓦礫の下敷きとなっているはずだ。死んではいないだろうが、もう動くこともできないだろう。
少女は真っ暗な夜空を見上げた。
涙を拭いた彼女の頬を、冷たい雨が再び流れた。
そのとき、ドォッという轟音とともに近くの瓦礫が四散した。
振り返る羽月。その瞳は、ボロボロの服を身に纏い、拳を振り上げている令の姿をとらえた。
雨を弾き、瓦礫を巻き上げ、鬼神のごとき形相で迫り来る令。
彼女の対応が遅れた。
驚きのせいもある。しかしそれだけではなかった。
「だったら・・・・・・俺らの邪魔すんじゃねぇ!」
咆哮のごとくそう叫ぶ令の目は、真っ直ぐに羽月を見ていた。
いや、羽月だけではない。その目はきっと、どんなことも真っ直ぐ見ることが出来るのだろう。つらい現実も、立ちはだかる逆境も、勝ち目のない敵も。きっと彼は目を逸らさないのだろう。
(ああ、そうか。だからこの人は、こんなに強いんだ・・・・・・)
恐れは自らの想像と思考の産物でしかない。それを自らが生み出したものだと気づかず、直視を恐れる人間がどれほどいるだろうか。
彼は考えがない。全ての事を見てから、知ってから決める。だから彼は恐れない。物事を直視することを恐れない。
それを愚直だと言う人間もいるだろう。だが、それがどうした。その愚直さが彼をここまで真っ直ぐに育てた。
愚直さは間違いではない。
「自分の心が見えてんなら、自分の心に従えやぁっ!」
そう叫ぶ令の真っ直ぐな目を見ていられず、羽月はその目を閉じてしまっていた。
負けを、彼の拳を受け入れるかのように。
負けても仕方が無い。彼女はそう思った。
だが・・・・・・。
(羽月)
彼女の脳裏に自身を呼ぶ声が響いた。
それは、父でもない。母でもない。まだこの世にいる、彼女を救い、彼女に腕を与えてくれたその人。
彼女の愛する人の姿がそこに・・・・・・。
「う・・・・・・あ、ああぁ!」
彼女は堅く目を閉じた。そして、悲鳴ともつかない声とともに、彼女は衝撃波を放った。
羽月まであと少しというところで、令の拳は彼女に届かなかった。彼の体は、至近距離で放たれた衝撃波をまともに受けた。
(終わった)
いや、終わってくれと彼女は思ったのかもしれない。
今のが令の最後の一発だ。これで、最初で最後の奇襲は終わり。もう反撃の可能性も、精魂も尽き果てただろう、と。
羽月だけがそう思っていた。
ぐい、と体が引っ張られる感覚を覚え、彼女は目を開け、そして疑った。
拒絶を食らったはずの令が、まだ目の前にいる。彼は大きくのけぞりながらも、衝撃波に耐えたのだ。
その左手には、羽月の右腕。彼女の体の中で、唯一触れられる、彼女の肉体ではない部分。
偶然か、それとも狙っていたのかは分からない。
だがそれでも彼は、しっかりと腕を掴み、衝撃波に耐えた。
「オオオォッ!」
振り下ろされる拳。
羽月の顔面を狙ったそれは、しかし最後の砦、彼女自身の罰が阻む。彼女の数センチ前で止まる拳。
だがしかし、
「邪魔だぁッ!」
止められたのは、ほんの一瞬。
不可視の拒絶は打ち破られ、人並み超えた重い一撃が、羽月の頬に炸裂した。
雷鳴のごとき音が轟く。少女の体は瓦礫の山を破壊し、なおも勢いよく地面を転がっていった。
雨を背に受けながら、地に伏す少女に令は近づいていく。その足取りはおぼつかない。
少女はわずかな身じろぎをするだけで、立ち上がることができないようであった。
彼女の前で足を止め、令は言葉を紡いだ。
「・・・・・・お前が、止められねぇって言うんなら・・・・・・俺が、俺が止めてきてやるよ」
その言葉が終わると同時に、少女は眠るように意識を失った。
咎負い同士の戦いが、ここに終わった。
ガクリと膝を付く令。全身を覆う痛みに体が震えていた。
だが、まだ終わっていない。
「一乃・・・・・・。藍子・・・・・・」
魔法使いと交戦しているであろう二人のことが心配だった。
痛みを耐えつつも、令は無理矢理足を動かした。
瓦礫を踏みつけながら、暗い雨夜の闇の中へ、少年は駆けていった。
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