第19話 咎負い VS 咎負い


突然の侵入者の声は、令達の背筋も凍らせた。


電話越しに聞こえた、一乃以外の声。それが意味することが、良い予感など生むはずもない。


電話の向こうから、騒がしい物音がした。


「おい! 一乃っ! おい!」


返事はない。激しい物音の中、ブツリと通話は途切れた。


二人の顔から血の気が引いた。


令が口を開く。


「おい、これって――」


息つく暇無く爆発じみた轟音とともに、すぐ近くの倉庫の鉄扉が弾け飛んだ。


対面の倉庫へと激突する鉄扉。その重く響く音は、強まってきた雨音で少しも覆えていない。


扉が吹き飛ばされた倉庫はE-3。


舞い上がった土煙の中から、一人の少女が現れる。


小柄な矮躯に肩口で切りそろえられたショートへア。その少女の瞳が、二人を捉えた。


思わず一歩後ずさる。明らかに今まで相手取ってきたゴーレムと雰囲気が違う。


「藍子。お前は一乃のとこに行け。ここは任せろ」


「けど・・・・・・!」


「いいから行け! あいつは戦えねぇんだぞ!」


なおも藍子は、視線を令と少女の間を往復させたが、やがて彼女は踵を返した。


「ごめん・・・・・・!」


走り出す藍子。


だが、敵がそれを見逃すはずもない。


藍子が背を向けたのとほぼ同時に、ショートカットの少女は地を蹴った。


矢のように飛んでくる少女に、令もまた地を蹴って飛び出した。空間から削れた雨粒の軌跡が、両者の背後に長く尾を引く。


敵の懐まで後一歩という距離に近づいたところで、爆音と共に見えない壁が令を弾き飛ばした。


「!?」


対応できずにまともに食らう。打ち返された球のように逆方向へ飛ばされた。そのまま背後にあった倉庫の壁に叩きつけられる。


壁は大きく砕け、破砕面から歪んだ鉄骨が飛び出した。


「令っ」


「いいから行け!」


足を止めかけた藍子を声で制し、即座に立ち上がる。


「ぐ・・・・・・っ」


高所から水面に落ちたように、体の前面に隈無く痛みが走っている。


打ち付けられた痺れが残る体に鞭を打ち、藍子を追おうとする少女へ飛びかかった。


近づいたところで、少女が足を止め、令へと顔を向ける。


そして次の瞬間、再び轟音が鳴り響いた。


爆風がごとく少女を中心に発生したのは衝撃波。音速で広がる空気の壁。


少女の足下の地面は砕け、雨粒は半球状に押しのけられた。


瞬時に迫り来る空気の壁に、対応する術も間もなく、またも令は弾き飛ばされた。体は、何度も地面をバウンドし、また別の倉庫の壁に激突した。


少女は視線を戻した。しかし、もう藍子の姿は雨に紛れて見えなくなっていた。


「へっ・・・・・・」


してやったりな笑みを浮かべる令。


少女は無表情なままに、令へと振り返る。


雨はもう、土砂降りとなっていた。雨音がうるさい。遠くの景色は、もはや見えず。空と雨のカーテンの境が見えない。


ゆっくりと立ち上がりながら令は口を開く。


「にしても、ここに来てまたすげぇゴーレムが来たもんだな。他のゴーレムのこんなのばっかなのか?」


返事を期待しての言葉ではなかった。


だが、


「ゴーレムはこないわ。私の戦いに邪魔だもの」


雨音に紛れて、歌うような澄んだ声が耳に届いた。


驚いて目を見張る。


聞き間違いだろうか。いいや、確かに少女の方から声が聞こえた。


ここにきて、令は少女の姿をまじまじと見つめた。


令達の同い年くらいに見える黒髪の少女は、青と白を基調にしたワンピースに身を包んでいた。土砂降りの雨のせいで、服からタイツに包まれた足までずぶ濡れとなってしまっているが、それでも着ているもののから、ほのかな高級感が漂っていた。


「・・・・・・!」


少女を観察する目が、彼女の首下で止まった。


彼女の首下には、銀のネックレスがかけられていた。しかし、令の目が見たていのは、それではない。その下。彼女の首下の肌にあるものだ。


それは、黒い文字のような印。他でもない。咎負いの烙印だ。


「なんで、咎負いが・・・・・・」


敵の魔法使いは咎負いを狙っていたのではなかったのか? どうしてその敵側に咎負いの仲間がいる?


次々に疑問が湧いてきた。しかし答えなど出るはずもない。


「お前、ホントに咎負いなのか?」


「ええ。そうよ」


またもあっさりと答える少女。その軽い感じにどうも調子が狂わされる。


「・・・・・・なんか、やけに素直だな。名前でも聞いたら教えてくれるのか?」


たちばな 羽月はづきよ」


「マジで答えるのかよ・・・・・・。・・・・・・じゃあ、素直ついでに、俺たちのこと見逃してくれませんかね?」


「それは・・・・・・」


感情入り乱れ、歪んだ笑みを見せる令に対し、少女は無表情のままに口を開いた。


「断る」


言葉と同時に衝撃波が放たれた。


雨水とともに迫り来るそれに対し、今度こそ令の防御は間に合った。しかし、それはまるで意味をなさない。交差した腕ごと全身に空気の壁が叩きつけられ、またも令は吹っ飛ばされる。今度は、壁にぶつかるだけでは勢いは死なず、令の体は壁を砕いて倉庫の中に転がった。


「ゲホッゲホッ。どうしようもねぇぞこれ・・・・・・!」


胸を強打し咳き込む令。その間にも、羽月と名乗った少女は、壁の穴から中に入ってくる。


立ち上がるのも待たず、容赦なく次の衝撃波が令を襲う。


衝撃波は、令に激突するに飽き足らず、倉庫内の棚を破壊し、置いてあった段ボールをも吹き飛ばした。


連鎖的に崩れていく棚。段ボールの中身に入っていた金属部品はぶちまけられ、崩落の音が倉庫内に木霊する。


「やっべぇ・・・・・・!」


 このままでは下敷きになる。


 痛みを堪えつつ、令は足をもつれさせながらも、何とか倉庫の端まで逃げ切る。


 背後で崩れ落ちる棚。一瞬にして倉庫内に瓦礫の山ができた。


崩落が止み、倉庫の中にその木霊と舞い上がった埃が余韻として残った。それもやがて時と共に雨音に溶けていく。


しばらくは倉庫内に雨音だけが響いた。


瓦礫に舞い上がった埃を羽月はじっと見ていた。すると、埃の幕を切り裂いて、鋭い鉄片が羽月へと高速で飛来した。


「・・・・・・!」


反応が間に合わず、反射的に掲げた右腕に、鉄片がぶち当たる。ガイィン! と、甲高い音を立てて鉄片は弾かれ、背後の壁に刺さった。


「オオッラァ!」


令の咆哮と共に、埃の向こうから次々とガラクタが投げ込まれる。空気を引き裂きながら飛来するそれらは、壁に当たれば刺さり、地に当たれば砕く。


凄まじい速度の投擲物をなんとか躱し続けていると、彼女の視界を巨大な鉄の塊が覆った。高速で投げ込まれたそれは、なんと荷物を出し入れする際に使うリフトカー。目の前に迫り来るそれを、彼女は衝撃波で拒絶する。リフトは粉々に砕け散った。


だが、これでは埒があかない。


彼女自身も、近くの鉄骨を蹴り上げ、さらにそれを衝撃波の追撃で加速をつける。


目にも止まらぬ速度で、瓦礫に激突する鉄骨。水しぶきがごとく瓦礫が舞い上がり、四方に散った。


「ぐっ」


 令が一瞬ひるんだことで投擲の間が空く。その隙を見て、羽月は声がした方向へと飛び出した。そして、距離がつまった空中にて衝撃波を放つ。


「ぐあっ!」


叫び声とともに、再び令は壁に激突した。


間髪入れずに、羽月は距離を詰める。令が体勢を立て直そうとする前に、再度彼女は衝撃波を放った。


爆音と共に壁に大穴が穿たれる。


外に吹き飛ばされた令は、勢いのままに何度も地面を跳ね転がった。


地に伏せながらうめき声を上げる令。彼の姿もうボロボロであった。泥で汚れ、雨に濡れた服のあちこちは破れて、もはやボロ布同然であった。


何度も食らった衝撃波のダメージに、泥まみれの体が痺れている。


だが、令は立ち上がった。


「・・・・・・」


羽月の表情が、初めて変わった。立ち上がろうとする令の姿を見て、その顔に眉根を寄せている。


再び衝撃波が令を襲う。もはや防御の姿勢も取れていない令の体が風に翻弄される塵芥の如く宙を舞った。


ぐしゃりと地面に落ちる令。だが、彼はすぐに腕に力を込めて立とうとする。


豪雨の工業地帯に何度も轟音が響いた。何度も。何度も。


そのたびに令は吹き飛ばされ激突し、そして立ち上がる。


回を重ねるごとに、なぜか羽月のほうまで、その表情を悲愴なものへと変えていった。


何度も吹き飛ばされる令を追っているうちに、いつの間にか倉庫街から離れていた。


今二人がいる場所は、別の工業施設の中だった。むき出しの鉄骨とパイプで組まれた高い塔が、彼らの頭上にそびえ立っている。


既に日は沈み、雨を落とすだけの暗闇の中で、塔の高さを示す赤い光だけが幽鬼のようにぼんやりと輝いていた。


頼りない網目状の足場の上に、令は倒れ伏していた。


「ねぇ・・・・・・もう立ち上がらないで」


羽月を纏う雰囲気が変わっていた。まるで彼女の方が敗者であるかのように、その声は悲痛さに満ちていた。


「あなたは私に勝てない。分かるでしょう?」


「・・・・・・わかんねぇなあ」


そう言って立ち上がる令の目には、まだ炎が灯っていた。この雨の中でもその炎は少しも衰えることなく燃えさかっている。


彼は拳を固く握りしめた。痛む体で一歩踏み出し、立っているだけの羽月へ拳を放つ。


だが、その拳は彼女に届かなかった。彼女は何もしていない。彼女に触れる十数センチ手前で、令の拳は突然弾かれたのだ。


その様子を見ていた羽月は、静かに目を閉じた。


「それが、私の罰・・・・・・。『拒絶』の罰よ。私には、誰も触れることができない・・・・・・」


すぅ、と一筋の涙が、羽月の頬を伝った。


これが、彼女の罰。衝撃波を発生させる能力は、この罰の延長線上でしかないのだ。


(ああ、そうか・・・・・・)


なぜ彼女が衝撃波を放つたびに辛そうな顔をするのか、ようやく気がついた。


藍子と同じだったのだ。『無価値』の罰を能動的に使うために、自らの咎を重ねなければならない藍子と同じで、羽月もまた罰を使うには自らの傷口を抉らなければならなかったのだろう。


拒絶を悔いながら、その咎の重みを知りながら、拒絶をしなければならないとき、その心はどれほど痛むのだろう。令には想像もつかなかった。


敵意の炎に支配されていた令の心に、哀れみの雨が降った。


彼女もまた、心ある人なのだ。


「なん、でだ・・・・・・。おまえだって・・・・・・咎を負う苦しみは知ってるはずだろ。なのになんで、そのお前が咎追いを・・・・・・利用しようとするやつに荷担する。なんで、同じ境遇のやつをさらに苦しめようとするんだ・・・・・・!」


「・・・・・・それが、命令だからよ」


少女は顔を伏せてそう言った。


その理由にもなっていない理由に怒りの火が着く。


「んだよそれ・・・・・・。命令だったらなんでもやるってのか!?」


「・・・・・・そうよ」


強く噛んだ歯が軋みをあげた。体の痛みも忘れ、瞬く間に彼の体を火が覆う。


「咎を負ったせいで・・・・・・安易に物に触れねぇ、夜も満足に眠れねぇやつがいる。お前だって、同じはずだろ・・・・・・! 罰はもうそれで十分だろ!? どうしてそんなやつからまだ奪える!?」


「・・・・・・」


「命令だから、なんて理由になってねぇよ! お前の心はどこにある!? お前は、それを正しいと――」


「思うわけない!」


工場内に悲痛な叫びとともに衝撃波が轟いた。


音速の壁が令またしても令の全身を叩き、その体が宙を舞う。


 衝撃波という名の拒絶は、工場全体へと広がった。鉄骨は曲がり、あちこちのネジは弾け飛ぶ。巨大な塔が不吉な鳴き声を上げた。


「私だって! こんなことしたくない!」


拒絶。


「あなたたちが苦しんでいるのも! 私たちのほうが悪いのも! そんなの全部わかってる!」


拒絶。拒絶。


彼女に拒絶された鉄片があちこちに突き刺さる。そこら中から煙が吹き出し、鉄塔内に入っていた加工前の金属があふれ出す。


立て続けの衝撃波に、ついに建物が耐えられなくなった。鉄塔は断末魔をあげて倒れ、彼女の周囲に瓦礫の雨まで降り注ぐ。


「でも! こうするしかない! 私にあの人は止められない!」


拒絶。拒絶。拒絶。


頭を抱えて慟哭する少女に、すべてのものが弾かれる。


瓦礫も、雨も、人も・・・・・・そして自身の心さえも。


拒絶を重ねるたびに、彼女の心に罪悪の刃が突き刺さる。あふれた傷口からあふれるのは、過去の記憶。一人の男性の影だった。

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