後編<安樹>2
幸い私の傷は銃弾が肩を貫通していて、手術の必要はなく、二週間ほど入院した後通院すればちゃんと治るということだった。
でも重傷ではあるし、むやみに動かないようにとアレクに叱られるので、私は大人しく病院のベッドの上で療養生活を送っていた。
朝起きてアレクに手伝ってもらいながら着替えを済ませたところで、病室に懐かしいリズムのノックが響く。
「あ、おじいちゃん!」
入ってきたのは大きくて優しい、田舎のおじいちゃんだった。
私は思わず飛び起きようとしたが、アレクに片手でベッドに押し戻された。
「会いたかったよ」
「じいちゃんもだ。心配したぞ。じいちゃんの寿命も十年縮まった」
おじいちゃんはしきりに私の怪我の心配をして、ぎゅっと私の手を握っていた。
アレクが椅子を勧めて、おじいちゃんはそれに掛けながら息をつく。
「じいちゃんは安樹のメールを楽しみにしてるのに、最近返信も遅いから」
「だっておじいちゃんのメール、顔文字しかないから解読に時間がかかるんだよ」
横で私たちの会話を聞いていたミハルは、変な顔をして振り返る。
「メール……してたんだ?」
言ってなかったっけと私が首を傾げると、ミハルは納得がいってないように頷いた。
「日本に来るってわかってたら、舞妓さん探しといたのに」
「自力で探す方が楽しいからいいよ。みつけたら写真撮って送るから、楽しみにしててくれ」
おじいちゃんはのほほんと笑って、ミハルも一緒に話に入ったりしていた。
アレクが花瓶の水を替えて戻って来ると、おじいちゃんはアレクに目をやって言う。
「話があるんだ。アレクも座りなさい」
「……は」
アレクは一気に緊張した面持ちになって、おじいちゃんに一言断ると、私たちとは少し離れたところのパイプ椅子に腰かける。
おじいちゃんはそれを見届けてから口を開いた。
「昨日昔の家に届いた。安樹と美晴あての手紙だ」
それは古びた封筒だった。あちこち変色して茶色がかっている。
「……お母さん、遥花からだよ」
はっと私は息を呑んでミハルを振り向く。
「一緒に読もう、ミハル」
「うん」
ベッドに腰掛けたミハルと一緒に、慎重に封を切って中身を取りだす。
それは亡くなった母が、私たちを産んで間もなく書いたと思われる手紙だった。
母は私たちに、兄弟の絆を守り続けてほしいと願っていた。それは私たちを内側から支えてくれるものになるのだと。
母は成人式の間近になったら、私たちに手紙を渡そうとしていたらしい。でももしかしたら叶わないかもしれないから、そのときはごめんなさいと。
愛してるわ。美晴、安樹。
そう締めくくった手紙を読み終えて、私はぽろりと涙を零す。
母は手紙に鍵を同封していて、もし自分が成人式の日にいなかったら、あなたたちが開けなさいと言伝ていた。
「これは貸金庫の鍵だね」
ミハルが横から覗き込んで告げる。
私はミハルと顔を見合わせる。
「あすちゃん。僕が取ってくるよ」
「うん。お願い」
私は大事に母の手紙を畳んで、鍵をミハルに渡した。
おじいちゃんとアレクは何も言わなかったけれど、二人目を合わせて、何か思案している気配があった。
「私たちって、知らないところでおじいちゃんたちにいっぱい心配かけてきたんだと思う。故郷の伯父さんたちにも、きっとそう」
私はふと思っていたことを口に出しておじいちゃんに伝えた。
おじいちゃんも、故郷の伯父さんたちも、離れていても今も私たちを見ていてくれているのを知っている。
「でもおじいちゃん、見守っていて。私とミハルはもうすぐ大人なんだ」
私がそう言ったら、おじいちゃんは私に両手を差し出した。
私が腕を回しておじいちゃんを抱きしめると、おじいちゃんは抱きしめ返す。
「ああ。いつも見守っているよ」
私は温かいおじいちゃんの腕の中で頷いた。
ずっとこの腕に守られてきた幸せ、それを抱いて、私は過去から届いたお母さんのお願いに応えてみせる。
昼過ぎにミハルは私の元に戻って来た。
ちょうどその頃には由衣が見舞いに来ていて、あんたはしょうもないだの何をやったんだこの野郎だの色々文句をつけていた。
私はミハルと金庫の中身をベッドの上に広げて考えた。
入っていたのは、二通の手紙と仕立屋の予約書、金貨のペンダント、それらを誰に届けるかがしたためられた言伝だった。
お母さんらしいやと、私はミハルと笑う。
お母さんは龍二さんと父さんが喧嘩することもわかっていた。それを収める方法も、ちゃんと用意しておいてくれた。
「ミハル」
「うん」
私とミハルは額を寄せて内緒話をする。幼い頃みたいに、二人で悪戯をする気分だった。
二人で悪戯を立てている最中、竜之介と楓さんもお見舞いに来てくれた。
楓さんは心配そうに駆け寄って私を覗き込んだ。
「ごめんなさいね、安樹ちゃん。辛い思いをさせて」
「いいんです。ミハルが無事だったんだから」
竜之介も顔をかげらせて私に言う。
「お前をあの場に連れていくべきじゃなかった。すまない」
ディナーに呼ばれて竜之介と一緒にレストランに入ったら、ミハルが危ないところを見たので飛び込んだだけだ。
「せっかく龍二さんに頂いたドレスに穴が空いただけだよ。怪我は治るし、それでオーライにしよ」
私にしてみれば突発的な事故に遭ったようなもので、誰を恨むつもりもない。
それよりも必要な人たちが揃って、私はミハルとうなずき合う。
おじいちゃん、アレク、由衣、楓さん、そして竜之介。
父がいてくれればもっと心強いのだろうけど、今の父はきっと母の言うことしか聞かないのだろう。
私はミハルの手を握って、そして皆に言った。
「聞いて。結婚式を挙げたいんだ。予定通り、成人式の日に」
皆に動揺が走るのを見て取りながら、私は続ける。
「その場には、必ず龍二さんもお父さんも来るから。そこでこの二通の手紙を渡したい」
「何を言うんです」
ぴしゃりと言い放ったのはアレクだった。
「あなたは重傷なんですよ。あと一週間しかないでしょう。そんな体で結婚式なんてできるわけがありません」
「一日くらいがんばるよ。お母さんの想いをみんなに知らせたいんだ」
「今更手紙の一つで収まると思いますか。レオと龍二の撃ち合いになってもおかしくないんですよ!」
珍しくアレクが声を荒げる。私たちの身を案じてくれているのはわかっていた。
私はアレクの青い目をじっと見返す。
「そうならないように、アレクがお父さんを止めて」
「私が?」
「うん。お願い、アレク。お父さんに龍二さんを殺させないで」
ずっとお母さんだったアレクが心配するのはわかっていて、けれど私はアレクだからこそ聞いてくれると信じていた。
私は子どもの頃からずっとそうしてきたようにアレクにお願いする。
「私のお願い聞いて、アレク」
私には全然説得力なんてないけど、数秒の沈黙の後、アレクは苦笑した。
「……しょうがない子ですね、あなたは」
少し薄くなった髪をなでつけながら、アレクはため息交じりに言う。
「私がそういう風に育ててしまった。甘やかしすぎました」
やれやれと肩をすくめてから、アレクは深くうなずいた。
「わかりました。レオは私が押さえましょう」
ぱっと顔を輝かせる現金な私の頭を、アレクはぽんと叩いた。
次に私が楓さんを見ると、彼女は言う前に言葉を察したようだった。
楓さんはわかっていたように頷く。
「龍二はあたしが止める。姐の力を見せてあげるわ」
頼もしい言葉に私は思わず笑って、由衣に振り向く。
「由衣、頼みが」
「あたしにも?」
由衣は意外そうに振り向いて首を傾げた。
「りょうちゃんを見つけて式場に連れて来て。たぶんこの近くにいるから。龍二さんとお父さんより先にみつけてほしい」
りょうちゃんほど手強い女の子を引っ張ってこられる子は、私の友達だと由衣しか思い当らない。
楓さんもそっと助言をくれる。
「あたしの情報網を貸すわ、由衣ちゃん。でもあたしたち一族の誰かだと、りょうちゃんは現れない」
由衣は赤い眼鏡の奥の目を鋭く細めて私を見る。
「あたしの力が必要なのね?」
私がうなずくと、由衣はにやっと笑った。
「……任せろ、相棒」
私の頭を叩いて、由衣は挑戦的に言った。
「一般人なめんなよ。引きずってでも連れて来てやる」
最後のお願いは、少しためらった。
ずっと黙って話を聞いていた竜之介を急に大きく感じた。
竜之介は五歳の頃から私とミハルの側にいた。アレクと同じくらい、私たちと一緒にいた時間が長い。
今になってみると、竜之介の優しさがわかる。
――安樹。自分から喧嘩を売るな。お前は女だぞ。
私に繰り返し女という言葉を使ったのさえ、私に文句をつけようとしていたのではなかった。
――お前は俺より小さいし、弱いし……かわいいんだから。
いつかミハルがいない時に喧嘩して負けた私を、竜之介がおぶって家に連れて帰ってくれた。
――泣くなよ、安樹。俺も悲しくなるだろ。
竜之介は私を守ろうとしてくれていた。怪我しないように、泣かないように。
これから先もずっとそうしようとしてくれたかもしれない。その彼を私は、裏切ることになる。
「……ごめん。お前とは結婚できない」
竜之介は彼にしては珍しく、困ったように笑った。
ベッドの脇まで来て、竜之介は私の前髪をくしゃりとおさえた。
「お前が泣かずに済むなら、それでいい」
私は竜之介を見上げて、ありがとうと呟いた。
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