後編<安樹>1
深い海の底からきらめく水面を眺めているように、私は濁らない気持ちでそこにいた。
ここで私は守られている。幸せでいる。お母さんの胎内にいたときみたいに、平穏でいられる。
外はいろいろ難しくて、悲しいことも多い。私は単純な人間だから、時々小さい頃に帰りたいと思うこともある。
そんなとき、ぷかりと体が舞い上がった。私の中にある命の息吹みたいなものが、そうじゃないでしょとささやく。
うん、そうだね。難しいことも悲しいこともあるけど、もっと嬉しいこともあるよね。
……たとえば彼をぎゅっと抱きしめるとき、そう思ったんじゃなかったっけ。
そう思うと体はぐんぐん浮上していって、なんだか沈んでいたのが馬鹿らしくなった。
不意に意識を取り戻した時、私の視界に真っ先にミハルが映った。
そうだった、彼に会いたかったんだ。私は前後のことをさっぱり思い出せなかったけど、ただそれが幸せだった。
「あすちゃん、痛いよね……!」
ミハルは涙をぽろぽろこぼして泣きだした。
私は病院のベッドの上にいるらしい。包帯でぐるぐる巻きにされていて、コードやら点滴やら色々なものが私につながっていて、何だかいっぺんにミイラとタコになった気分だ。
ミハルの他に部屋には誰もいなかった。私は何気なく問いかける。
「私死ぬの?」
「馬鹿言わないの!」
叩きつけるようにミハルが言い返したことに、私は笑う。
「よかったぁ。それなら別にいいや」
麻酔がかかっているのか今はそれほど痛くないし、とりあえず両手両足と頭が体につながっているのが見える。
私は夢の中でもずっと思い浮かべていた彼をみつめながら、ぽつりと口を開く。
「ミハル。私ね、竜之介に教えてもらった」
銀髪碧眼の片割れは、少し見ない内にまた背が伸びたようだった。顔立ちも、男っぽくなった気がする。
「ミハルは男の子だって。それで、今までいっぱい私のこと、守ってきてくれたんだって。でも」
私はちょっと首を傾げようとしたけど、肩が凝ってやめた。
「実感、わかないんだ。ミハルの口から聞くまでは、「美晴」が何者なのかわからない」
「あすちゃん……」
「それとね。うんと、私、ミハルを傷つけたんだよね。それでこんなこと言っちゃだめだって、わかってるけど」
私はベッドの上で頭を悩ませながら、言葉を続ける。
「ミハルが側にいなくて、寂しかった」
充血した碧色の瞳を見返しながら、私は告げる。
「ごめんね。謝る。ミハルにいてほしいもん」
手が動かないから、ミハルの手を取れない。それがもどかしいと思っていたら、ミハルが私の手を握ってくれた。
「それで、それで……」
「あすちゃん、今は休んで。いつでも聞くから」
「ううん。今聞いてほしいんだ。ミハル、あのね」
心にあふれてくる思いを、今はただ伝えたい。
「私、ミハルが男の子だって気づいてびっくりした。正直、今でも男の子のミハルは怖いし、嫌だなって思う気持ちがある」
「……うん」
「でもミハルが大好きな気持ちの方が、ずっとずっと大きい」
私はミハルに届くように、精一杯言葉を紡ぐ。
「私ね、ミハルがいっぱい甘やかしてくれたからすごくわがままになっちゃったみたいだ。もっともっとって、欲しくなる」
私は顔を上げてミハルに言う。
「ミハル。自分の好きな「美晴」でいて。どんな美晴でもいい。そうしたら私、好きになるから。もっともっと、大好きになるから」
目を見張ったミハルに、私はお願いをする。
「私のわがまま聞いて」
ぽろりとまた涙を零して、ミハルは首を横に振る。
「もっとわがまま言って」
「いいの?」
「うん」
「じゃあね、いつも私の側にいて」
私が心のままに望みを告げると、ミハルは頷く。
「うん。側にいる」
「私と喧嘩しても、離れないで」
「離れない」
「絶対だからね」
私がむくれながら言うと、ミハルは笑いかけた。
「……絶対」
そうしてミハルは私と額を合わせてうなずいた。
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