後編<りょう>4
安樹はそれから一時間も経たない内に俺を迎えにきてくれた。
俺は安樹に抱きつきたかった。いつものように、安樹のぬくもりを感じて、大好きな声を耳元で聞きたかった。
だが、あの写真だ。
俺が女と寝たと知ったら、俺が男だとわかったら……安樹はどうするのか。
俺の大好きな琥珀の目は、一瞬で色を変えてしまうんじゃないか。
それが恐ろしくて、俺は心配そうに色々と訊ねてくる安樹に満足に言葉も返せなかった。
家に帰ってきてからも、一睡もできずに朝になった。
「ミハル?」
洗面所に立っていたら、安樹から声をかけられた。
「触らないで!」
何気なく肩に置かれた手を、俺は音を立てて振り払う。
なんでりょうなどと寝たんだ。過去の情報を知るより、俺は現在の安樹を何より守りたいはずなのに、気安くりょうの提案に応じたのか。
「……今は話せない」
ろくに目を見ることもできずに、俺は安樹の横をすりぬけて洗面所を後にした。
りょうはいつ安樹にあの写真を見せるのか。安樹があのことを知るのはいつになるのか。
部屋の中で、膝を抱えて頭を押さえたときだった。
俺の耳に、何かが倒れる音が聞こえた。
まだ洗面所に安樹がいるはずだ。俺は慌てて部屋を飛び出した。
「何の音ですか」
尋常でない音に、アレクも起きだしてきたようだ。廊下で出くわした彼は、寝間着のまま早足で音の出所に向かう。
洗面所に入って、俺とアレクは同時に声を上げた。
安樹がそこに倒れていた。うつ伏せになって、髪で顔が隠れていた。
「安樹っ、しっかり……これは?」
アレクは安樹を助け起こして、そして彼女が手に握っている何かを取りだす。
それは一枚の写真のようだった。俺の体が震えだしていた。
「う……」
ふいに安樹が目を開ける。宙をさまようように視線を動かして、まずアレクを見る。
「どこか痛いところはありますか?」
「私、どうしたの……?」
「洗面所で倒れたんですよ」
安樹は不思議そうにアレクの顔を眺めていた。
彼女は何気なく目を動かす。
俺の大好きな、大きな琥珀の瞳が俺を映し出した。
……そして、その時は来た。
軽蔑と嫌悪と恐怖。彼女の瞳は、俺の片割れが決して俺に示すことのなかった負の感情で染まった。
安樹は洗面台に向かって吐いた。苦しそうに顔を歪めて、何度も。
「あすちゃん!」
俺はそれが見ていられなくて、何かしたくて、無意識に手を伸ばしていた。
「さわらないで!」
安樹は俺の手を払って、顔を覆った。
壊れたような声を上げて、安樹は泣きだした。
彼女の押さえた手の間から次々と雫が落ちて、床に滲んでいく。
俺の目からも雫が溢れては落ちて行く。次第に、安樹の涙なのか俺の涙なのかさえ、区別がつかなくなっていく。
一つ雫が落ちるたびに、俺の心もひびわれて欠けていく気がした。
……俺は、とんでもないことをしてしまった。
俺の片割れが俺のせいで泣いている。苦しんでいる。傷ついている。
「ごめんなさい……」
一言告げるのが精いっぱいだった。
俺は家を飛び出した。あてなどなく、ただ今いる所から逃げたかった。
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