後編<りょう>1
美峰りょうが再び現れたとき、否応なしに時は動き出した。
「相変わらず竜之介は安樹ちゃんのことばかり見てるねぇ」
俺と安樹、竜之介とりょうの四人で飲みに行った日の夜、お手洗いに立った俺の後ろからりょうはついてきた。
「どこまで本気なんだ?」
「何が?」
「竜之介の愛人になるっていう話」
「ふふ、りょうの好みは年上なんだよぉ」
りょうは伯父の家の者で、伯父の命令で竜之介を監督する役目を負っている。
中学生くらいの外見だが、実際は俺より七つ年上の二十六歳だ。
「子どもの扱いは難しいもん。ちょっと力を入れ過ぎると、くちゃってつぶれちゃうの」
小動物系のかわいらしい雰囲気とは全く裏腹の性格を持っている。
りょうとは本名ではなく、伯父に与えられた名前だ。竜馬の妻から取ったそうだ。
――あれは小さくとも竜だからな。
伯父にそう言わしめたほど、伯父はりょうを高く買っているらしい。
お手洗いから出て、俺は席に戻る。
「寝ちゃったのか。しょうがないな、安樹は」
時間も遅くなってお酒が入ったからか、安樹はすやすやと気持ちよさそうに眠っていた。
「なんでこんなにかわいいんだろ」
俺はそんな片割れが愛おしくて頬を綻ばせた。
けれど横を見て、竜之介もテーブルに突っ伏していることに気付く。
「こいつが酒で眠るなんて珍しいな」
「……そうだね」
背後からりょうの声が聞こえて、俺は反射的に体を緊張させる。
「子どもはおやすみの時間だもの」
後頭部に鈍い痛みを感じた。
視界が暗くなっていく。その中で、りょうの声が聞こえた。
「みんなかわいいなぁ。かわいくて、りょう、踏みつぶしたくなっちゃうよ」
きゃはっという笑い声を聞いたのを最後に、俺の意識が途切れた。
目覚めた時、俺は伯父の家の客間に寝かされていた。
ガンガンする頭を押さえながら体を起こす。どうやら睡眠薬の類を使われたようで、全身がだるかった。
りょうに嵌められたと気づいて舌打ちをする。
あいつが手段を選ばない奴であることは熟知していたはずなのに油断した。幼い日に出会ったとき、あいつは今と違っていたから。
でもそんな昔のことなんてあてにならない。十年もしたら人間など簡単に変わってしまう。
「あ、起きた」
ふいにふすまを開けてりょうが顔を覗かせた。
「ごはんにする? お風呂にする? それともぉ……」
外は白い光が差し込む早朝だというのに、りょうはきっちりメイクして身支度を整えている。エプロンまで着込んで、新妻ごっこまでしている。
「人を気絶させておいて言うことがそれか」
「だって、美晴が起きてると面倒くさかったんだもん」
かわいく肩を竦めて、りょうは悪びれずに言う。
「安樹をどうした?」
「訊くと思ったから、りょう用意しておきましたー」
剣呑な調子で俺が問いかけると、りょうはエプロンの前ポケットからいそいそと写真を取りだす。
「……な」
そこには全裸で竜之介とベッドに寝ている安樹の姿があった。
「それねー、いっぱい焼き増ししたから美晴にあげるよ」
りょうはくりくりの黒い瞳を瞬かせる。
俺が胸倉をつかんで壁に押し付けると、りょうは目だけで笑った。
「竜之介は龍二さんの思い通りに動いてくれたよ。関係を持ったからには、結婚して責任を取るって」
腹の底が熱くなるくらい苛立ちはこみあげたが、冷静な頭ではわかっている。
竜之介が本当に安樹と寝るわけがない。婚前交渉など竜之介にはもってのほかだ。
俺は渋々手を離してりょうに言う。
「で、それはお前の思い通りなのか?」
「うん? それはもう、りょうの企画したイベントなんだから」
「お前は伯父のために動いてるわけじゃないだろう」
りょうの言葉は嘘だらけだ。しかし本音を吐かせるには、俺は経験も立場もこいつに及ばない。
「とにかく、俺は帰るぞ。安樹と竜之介を結婚させるわけにはいかない」
「ねーえ、美晴?」
りょうは頬に手を当ててのんびりと言う。
「別にいいんじゃないかな。竜之介と安樹ちゃんが結婚したら、龍二さんはそこそこ満足して手を引くでしょ。竜之介はどうせ安樹ちゃんに手が出せないでしょ。安樹ちゃんはこの家で大事大事される。何か問題ある?」
「安樹はそれを望んでない」
「でもそれが一番安樹ちゃんにとって幸せなんじゃないかな」
黒い瞳を面白そうに細めて、りょうは俺に言う。
「美晴が安樹ちゃんにくっついてるのは、美晴のわがままで安樹ちゃんの幸せを取り上げてるような気がしない?」
「俺は安樹のことを想って」
「ううん。美晴は怖いだけだよ」
俺の心の柔らかいところを突いて、りょうは意地悪く断言する。
「安樹ちゃんがいなくなったらどうしていいかわからないの。……龍二さんと同じだね」
きゃっと、りょうは高い笑い声を立てた。
りょうはこうやって俺を怒らせる。だがそれに乗ったらりょうの思うつぼだ。
りょうが伯父の腰巾着であるなら、もっと効果的に俺を嵌めるだろう。
試されている。りょうと接している時にいつも感じる。
「りょう。お前は知ってるだろ」
笑いながら、りょうは俺の目の奥を見ている。
「俺と安樹の母さんの死の真相を」
「変なこと訊くね。安樹ちゃんが結婚っていう時になんでそんな話をするの?」
「すべてはそこから狂ってるんだ」
部屋はまだ薄暗く、りょうの輪郭も曖昧だった。
「母さんを襲った事故が俺たちにも及ぶと思って、父さんは俺たちをここに移した。伯父の威を借りてまで俺たちを守った」
「りょうが余所の国のことなんて知るわけないよ?」
「余所の国じゃなかったら?」
俺は問い返す。
「日本のヤクザが絡んでたらどうだ?」
俺はりょうが何を考えているかは知らない。
だがりょうの正体に想像はついている。それをりょうも気づいている。
「俺はお前と敵対するつもりはない。ただ、俺は母さんの死の真相を知りたい」
りょうを見据えながら、俺は告げる。
「安樹を自由にするために」
「そこに美晴はいなくても?」
りょうは言葉を被せて立ち上がる。
「なんて、美晴が思いきれるわけないか。じゃ、りょう行くね」
「おい。まだ話が終わってない」
「ご飯取りに行ってあげるんだよー」
後を追おうとして、俺は足に違和感を受ける。
「……これ」
俺の片足に足枷がはまっていて、壁の柱につながっていた。
「お好みで交換も可能だよ。りょうのおすすめはこれ!」
どこから取りだしたのか、りょうは首輪を持って首を傾けて見せた。
ぷつっと俺の中で何か切れる。
「出てけ、変態!」
俺は自由な方の足でりょうを蹴りだした。
頭痛がひどくなった気がして、りょうが出て行った後も俺は頭を押さえていた。
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