前編<竜之介>4

 そして現在に至る。

「うわぁぁ!」

「落ち着け、安樹」

「やっぱり駄目だ。さっぱりわからない!」

 由衣のありがたいお言葉にならってここ数日のことを大急ぎで復習してみたけど、やはり何の因果関係も見出すことができなかった。

 何がどうなって、竜之介と全裸でベッドに寝ている?

「とりあえずこれを着ろ」

 竜之介から差し出された白いカッターシャツに、私は涙目で首を傾げる。

「なんだこれ……?」

「床に落ちてた。俺のシャツだ。お前の服が見当たらないからこれで我慢しろ」

 背に腹は代えられぬと竜之介のシャツに袖を通す。悔しいが竜之介の方がだいぶサイズが大きいので、何とか上半身とももの辺りくらいまではそれで隠せた。

 その間に竜之介は自分のパンツを履いたらしく、それで一応視線を向けることもできない事態は解消される。

 竜之介はベッドランプをつけて、机に乗った冊子や時計を見やる。

「ここは俺たちが食事したホテルの客室らしい。今は午前一時五分前」

「な、なんでお前はそんなに冷静なんだ、竜之介」

「まず落ち着かないことには何もできんだろうが」

「私は駄目だ……うう」

 天敵の前だとわかっていながら、私はぽろりと涙を零す。

「家に電話かける。アレクに迎えにきてもらう……!」

 えぐえぐと泣きながら言うと、竜之介が電話の横に屈みこみながら呟く。

「無理だ。電話線が切られてる。携帯もない」

 私が混乱した頭のままふらりと戸口に向かうと、何かかさりとしたものを踏んだ。

「待て、うかつに出るな。……安樹?」

「これ」

 床に一枚落ちていたのは写真だった。

 そこに映っていたのは、ベッドに全裸で寝ている私と竜之介の姿だった。

 私は後ろ向きに卒倒しかけて、竜之介がそれを受け止めた。

「しっかりしろ」

「うわーん、アレク!」

 戦場で兵士が死ぬ時に一番よく叫ぶのは母親の名前らしい。私も今その気分だった。

「古典的な嫌がらせだ。いくらでも対処できる。そう自暴自棄になるな」

「竜之介……」

「な、何だ?」

 涙で目をにじませながら見上げると、竜之介は少し動揺した様子で聞き返した。

「これは夢だよな? 私がお前とどうにかなるはずないよな? 答えてくれ」

 思考が一巡した私に、竜之介が答えようとした時だった。

「こちらが当ホテルのスイートルームで……」

 扉が外から開いて、三、四人のスーツ姿の男の人たちが入って来た。

 とっさにといった様子で、竜之介は私を自分の後ろに隠す。

「ぼ、坊ちゃん。あの、これはどういったことで?」

 彼らは竜之介のことを知っているらしかった。困惑気味にたずねた男たちの声に、竜之介が言い淀む気配がした。

「もしやそこの女が坊っちゃんを嵌めようと何かしたのですか?」

 竜之介が目の色を変えて奥歯を噛みしめる。

「こいつは遊び女の類じゃない」

「さて、それなら何だ?」

 男たちの中から、地を這うような低い声が聞こえた。

 その背筋に寒気が走る声に聞き覚えがあった気がして、私は恐る恐る顔をのぞかせようとしたが、竜之介の背中が大きくて見えない。

「先ほど、私のところに一枚写真が届いたが」

 何かを取り出す音が聞こえて、竜之介の肩が動く。

「遊びじゃないというならその娘はお前の何なんだ、竜之介。答えろ」

 ぐっと喉が鳴る竜之介の近くに、男たちが近付いてくる。

「触るな。俺は遊びでこいつと寝たんじゃない」

 竜之介は腹から出すような怒声で叫んだ。

「……俺の女だ。誰も手を出すな!」

 しんと一瞬の沈黙が訪れる。

 私は何とか竜之介の脇から顔を出して、周りの様子をうかがう。

 男たちの中心にいた背の高い男性に、私は目を見開く。

 くっくっと低く笑いだした壮年の男性の姿には、見覚えがあった。

 去年クラブでバイトした時に客としてやって来た、やたら迫力のある艶ボイスの人……確か龍二さんといった。

「そういうことなら父は何も言わない。お前の好きなようにするといい」

 父という言葉に、私は思わず竜之介と龍二さんを見比べた。確かに目つきとか鼻筋の辺りとかが、二人は似ていた。

 この人が伯父さんなのかと思うのと同時に、首を傾げる。

 何かもっと考えなければいけないことがある気がしたが、頭が混乱しすぎてまとまらない。

「誰が俺のオンナだ? ふざけんな浅井!」

 ふいに掴みかかるような声が割って入って来る。

「勝手に人のオンナにするんじゃない! 女の側にも選ぶ権利はある!」

 扉を蹴飛ばして現れたのは、金髪に眼鏡に青ピアスが眩しい女の子だった。

「坊っちゃんの言葉にケチつける気か、女!」

「あ? なんだとオッサン、やんのか?」

 パキと手を鳴らして由衣が仁王立ちする。

「ゆ、由衣」

 まずい。由衣は怒ると手がつけられないのだ。一度火がつくと目に映る人間が全員倒れるまで止まらないことから、「走る赤信号」というよくわからない異名を誇る。

 慌てて止めに入ろうとした私の耳に、今度は別の方から声が届く。

「女としては、由衣ちゃんの言葉もわかるわぁ」

 由衣の肩を掴みながら、後ろに楓さんがにっこりと笑いながら立っていた。

「ひっ」

 男たちが一瞬悲鳴のような声を上げる。龍二さんだけは、楓さんに負けないくらいの麗しい笑顔だった。

 龍二さんは数歩歩いて、私の前までやって来る。

「では相手の娘の意見を聞こう」

 私の肩を叩いて、猛獣が子ウサギを見るような目で私を見据えて言う。

「竜之介と結婚してくれるね?」

 すさまじい迫力に押しつぶされそうになりながら、がたがたと私は震える。

 怖くて何も言葉が出て来ない。竜之介と結婚なんて死んでも嫌だと普段なら思ったに違いないのに、龍二さんのまとう空気が怖くてそれすら言わせてもらえない。

 意識が途切れそうな緊張の中、そんなに太くない私の神経はぷつんと途切れる。

「お母さんがいいって言ったら、いいです……」

 助けてアレクと心で叫びながら、私はがくりと首を垂れた。

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