後編<アレクセイ>3

 午後になって、アレクは俺を都内のジムらしき場所に連れて行った。

 地下にあって、日中だというのに中は奇妙に薄暗い。何語かわからない言葉が飛び交う中で、無数の外国人が互いに組み合ったり殴り合ったりしている。

「こっちへ」

 俺の方に倒れこんできた男から守るようにして、アレクは俺を引きよせて避けさせる。

 倒れている男は完全に意識がないようだった。時折体を痙攣させていて、口からはだらだらと血を流している。

 アレクが俺にはわからない言葉で近くの男に指示を出すと、手早く担架が用意されて男は連れて行かれた。

「アレク、ここは?」

「私の職場です」

 アレクは俺を側から離さないように肩を掴みながら、中をすり抜けるようにして歩いていく。

「あなたたちが学校に行ってる間、ここで護身術を教えています」

「護身術?」

 そんな紳士的なものだろうかと俺が眉をひそめると、アレクは俺の心の内を読んだように続ける。

「資質によっては本国に送って使ってます」

 アレクの素性は詳しく知らない。ただSP経験と従軍経験があり、早くからカルナコフファミリーの養子に入ったと聞いている。

「あれっ、アレク?」

 ふいにこの空間では珍しい日本語が聞こえて、俺はそちらを振り向く。

「あ、やっぱりアレクじゃん。いつ来たの?」

 くしゃりとした茶髪と紅茶色の瞳の、年齢のよくわからない外国人だった。人懐っこい猫を思わせる笑みを浮かべて、軽くアレクの肩を叩く。

 ひょいと彼はアレクの肩ごしに俺を見て、吹き出すように笑った。

「レオが若返ったのかと思った。息子のミハル君だね」

「父が失礼なことしてませんか?」

 イタリア系の容姿から見当をつけて問いかけると、彼はあははと笑いながら頷く。

「よく知ってるね。今でも会うたびすごーい目で睨んでくる」

「うわ……」

「よく言われるんだ。「お前なんて蜂の巣にしたい」って」

 父の気にいらない相手の言い方だ。結構な頻度で、「蜂に刺されろ」と間違えている。

 彼はふいにアレクの方を見て言う。

「それで、今日は大事な坊ちゃんをこんな小汚いところに連れてきて何する気なの?」

 アレクが口を開く前に、俺から答えた。

「アレクとナイフで勝負をしたいんです。たぶんここなら多少荒っぽいことをしても警察沙汰にはならないんでしょう?」

「アレクとナイフで?」

 彼は途端に眉根を寄せて首を横に振る。

「やめた方がいいよ。ボクはアレクが素手でも勝つ自信ない」

「私は手を縛って勝負しますよ」

「だめだって。怪我でもさせたら後でレオに撃たれるよ」

「俺もナイフくらい使えますから」

 顔に不愉快を出さないように気をつけながら告げると、彼はきょとんとして問う。

「あれ、悪ガキの領域はみ出しちゃってる子なんだね。家業継ぐ気なの?」

「そうしてもいいんですけど、今は父の仕事と関係ありません」

 彼は困ったという顔をして、ひょいとアレクに振り返った。

「ねえ、ナイフファイトのことだけど、ボクが審判やってもいい?」

「構いませんが、ミハルの肩を持たないように」

「了解。ボクもレオは怖いし」

 あっさりとうなずいて、彼は俺を見た。

「先にナイフを離した方が負け。ルールはそれにしよ」

 強引に話を進めて、彼は独り言のようにぼやいた。

「……やめた方がいいと思うけどなぁ」

 第三者にも負けると思われているのが気に入らなかったが、俺はじろりとにらんでうなずいた。

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