後編<アレクセイ>2
翌日、父の誘いでゲームセンターで遊んでいたら、安樹が三人の男を前に喧嘩を買おうとしているところに居合わせた。
止めに入ろうとした俺を、アレクが肩に手を置いて止めた。いつもながら気配をまったく感じなかった。
「同業者だったらどうするんです。下がっていなさい」
彼は無造作に俺を自分の後ろに押しやる。何気ない動作なのに、俺には抵抗できないほどの力だった。
アレクは男たちを隅々まで注視して、音もなく歩み寄っていく。
後を追おうとした俺に、ひたりと冷たいものが当てられた。
「だーめ」
唐突に頬に冷たいものを感じて鳥肌が立つ。
飛び上がった心臓を落ち着かせて横目で見ると、俺の頬に冷えた缶ジュースをくっつけて父が立っていた。
父はそんな俺の口を手で塞いで微笑む。
父にがっちり手を掴まれているので動けないが、俺は視線だけ安樹たちの方に向ける。
アレクは男たちに声をかけて、易々とゲーム機の裏に連れて行く。
たぶん安樹からすれば、男たちがアレクに何かたしなめられて、大人しく後を追っているように見えただろう。
「何の薬使ったんだ、あれ」
「さあ?」
父は素知らぬふりをしながらゲーム機の横に胡坐をかいて、プルトップを開けている。
「ミハイルも飲みなよ。喉乾いたでしょ」
仕方なく俺も床に腰を下ろすと父から受け取ったコーラを開けた。
アレクは男たちをゲーム機にたてかけて何かを話しかけている。ここからだとよく聞こえないが、想像はついている。
アレクは俺に喧嘩を避けるための技術として、「説得」を教えてくれた。平たく言えば脅しだ。
嘘みたいな話だが、アレクは言葉だけで相手の意識を落とすことができる。洗脳に近いことを仕事でしていたから。
「それにしても、エンジェルの正義感の強さはハルカ譲りだね。悪いことを見逃すことできない子なんだから、困った困った」
「母さん、強かったんだ」
「そうでもない。ハルカが手を下したことはほとんどないよ。ハルカが喧嘩しそうになると、リュウジが決まって止めに入ったから」
悪戯っぽい目で、父は俺を見やる。
「ちょうどミハイルみたいにね。自分はそんなに強くないふりをして、ハルカを逃がした。……それで、後で殴りに行く」
俺は父のからかうような視線を受け流しながらしらばっくれる。
「その大事に守ってた妹に、父さんはよくちょっかいかける気になったね」
父はくすっと笑って自分のこめかみの辺りを指先でつつく。
「その頃の僕に怖いものなんてなかったからね。この辺がイカレてたんじゃないかな」
「日本に留学した頃一人だったのも、父さんが荒んだ空気ばらまいてたからなんだろ」
父の若い頃のことをアレクに聞いて少しは知っているが、目の前にいる子供っぽい父からは想像もつかない人物像だった。
何にも興味を持たず、バイオリンを弾くように銃を撃てる少年だったという。
「だからユキは天使なんだよ。誰も声をかけられなかった僕に微笑んでくれた人なんだから」
「わからないな」
「うん? 何が?」
俺はコーラを飲みきってから顔を上げる。
「そのユキさんだって父さんは何十年も会わなかったのに、母さんを故郷までさらうようにして連れていったのは変だ。そんな熱、当時の父さんにはなかったはずだろ」
「ん……」
父は目を閉じた。瞼を持ち上げて、眠たそうに呟く。
「……ハルカが僕に惚れてたからだよ」
時々父は、目の前のものが見えていないような顔をすることがある。今がまさにそうだった。
「好きというなら、僕はユキの方がよほど好きだった。ハルカを連れて行ったのは純粋な興味さ」
俺はその言葉にカチンと来た。
父がゲイでも、今いくら恋人がいても構わないと思ってきた。けれど俺と安樹のルーツとなった母を、「興味」の一言で片づけてしまうのは気に入らなかった。
「父さん。訊きたいことがある」
ここ数年ため込んだ焦りにも着火して、俺の中でにわかに膨れ上がる。
「ファミリーについての質問はなしだよ。お前たちにこれ以上関わらせるわけにはいかない」
「違う。母さんの死因についてだ」
見た目にはっきりとわかるほど、父は目の光を凍りつかせて俺を見る。
一瞬俺が息を止めてしまったほど完全に感情を封じ込めた顔を向けて、父はゆっくりと言った。
「事故だよ」
「だったらどうして葬式にも参加させずに俺たちを日本に連れてきた?」
「お前たちは日本で育てた方がいいと思ったから」
父の答えは淀みない。けれどそれが逆に俺の中の不審を確かなものにして、俺は言葉を重ねる。
「アレクに俺たちを見張らせて、伯父の力まで借りたのはどうしてだ?」
「答えは同じだよ。日本で育てた方がいいと判断してのことだ」
「父さん。俺は心に決めてることがあるんだ」
がやがやとうるさいゲームセンターの中で、こんな話を父に持ちかけるとは思ってもいなかった。
「安樹を自由にするって」
父は母を故郷に連れて行ってからも結婚せず、俺たちを認知しただけだったから、俺たちの姓は春日のままだ。まるで俺たちと関わりを持ちたがっていないように見せている。
父が安樹をかわいがっていることは知っているし、俺のことも想ってくれているのはわかっている。だけどファミリーのために安樹を竜之介と結婚させてしまえるのなら、父に心を許すことはできない。
「アレクに聞いたことがある。父さんのファミリーではナイフが使えれば一人前に認められるって。……俺がアレクにナイフで勝ったら、安樹をここから自由にさせてくれ」
ちょうどアレクの目の前で男たちが意識を失って、ずるりと地面に倒れ伏した。
アレクは慣れた手つきでビールを一本開けると、男たちの襟元からビールを注ぐ。酔って眠ったことにでもしようとしているのだろう。
ちらりとアレクは俺を見た。この喧騒のゲームセンターの中でも、俺たちの話は全部耳に届いているらしかった。
彼は軽く手を後ろで組むふりをして、父に目配せをした。
「ミハイル。行こっか。エンジェルにみつかる」
父は俺の手を取って立たせる。父の口調はいつもの軽い調子に戻っていた。
「またはぐらかす気なのか。俺は本気で」
「受けるってさ、アレク」
唐突に父は言う。真意の読めない薄っぺらな笑みを浮かべていた。
「だけどミハイルが怪我するといけないから、アレクは後ろで手を縛って相手するって。……まあ、アレクが勝つだろうね」
完全になめられてると、俺は奥歯を噛みしめる。
「僕は午後からエンジェルと出かけるから、その間に相手してもらいなさい。ミハイル」
俺がきつく睨みつけても、父は俺の額にキスしてくすっと笑うだけだ。
この人を乗り越えなければ、俺は安樹と一緒に生きていくことができない。
俺はそれを確信して、絶対に負けるものかとアレクを見やった。
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