後編<楓>4
翌日、同居人が留守にしている時、竜之介が俺たちのマンションにやって来た。
「お前の顔を見ると安樹の熱が上がるだろうが。帰れ」
玄関で俺が扉を閉めようとすると、竜之介はドアの隙間に足を挟んで食い下がる。
「様子を見てくるように言われてる。見舞い品もちゃんと持ってきた」
「見たことにして帰れ」
「あのな、俺だって……」
玄関で押し問答を繰り広げていた俺たちの元に、安樹の声が聞こえてくる。
「ミハル、どうした? セールスか?」
このままでは起きてやって来ると思ったので、俺は渋々竜之介を中に入れる。
「少しだけだ。興奮させるなよ。病人なんだから」
俺は竜之介に釘を刺すと、リビングに通して安樹に竜之介の来訪を告げに行った。
「寝てる所なんて見せたくない。起きる」
「はいはい」
安樹の熱は下がっていたがぶり返すといけないので、俺はたくさん着せて暖かくした上で、リビングのコタツまで一緒に出てきた。
リビングに来るなりむっつり顔で、安樹は竜之介を睨みつける。
「趣味悪いぞ。人が弱ってるところを見て何が楽しい」
「どうしてお前はそういう発想しかできないんだ。普通に見舞いに来ただけだ」
「竜之介が私をお見舞いなんてするもんか。馬鹿は風邪引かないとか思ってただろ」
「まあまあ」
俺は安樹を宥めるように肩を叩く。
「リュウちゃんがイチゴ持ってきてくれたから食べよう。熟れてて甘そうだよ」
俺はキッチンにイチゴを洗いに行った。リビングは隣で、竜之介と安樹の様子がそこからでも見える。
竜之介は安樹に負けないほどむっつり顔で問いかける。
「調子はどうだ?」
「ちょっと寝不足だっただけだ。熱も下がったし明日から大学に行く」
「下手に弱ったまま出歩いてインフルエンザでも拾ったらどうする。ゆっくり寝てたらどうだ」
「そんな柔な育ちじゃない」
「またお前は意地を張って。それで今まで何度」
「私が悪いっていうのか?」
「悪いとかでなく、お前は体調管理が雑だと言ってるんだ」
「何だと」
竜之介も素直に心配だと言えばいいのに、つっけんどんな言い方しかできないから安樹に誤解される。
「あすちゃん。ほら、イチゴ」
「……うん」
俺は安樹が興奮して竜之介の胸倉を掴む前に、コタツに入って安樹の隣に座った。安樹は俺とは目を合わせないまま、こくりと頷く。
竜之介はそんな俺と安樹を見比べて何か言いたそうにしていた。
しばらく無心でイチゴを食べていた俺たちだったが、ふいにインターホンが鳴る。
「出るよ」
俺が向かって玄関を開けると、そこに立っていたのは宅配業者だった。
制服を着込んだ男が持っていたのは、ピンクのバラの花束。
「……頼んでませんけど」
「贈り物です。春日安樹さん宛てに」
ちらと目を落とすと、予想通り龍二からだった。
送り返そうとも思ったが、そんなことをしたら直接家の者に持ってこさせないとも限らない。安樹にあの家の者とは関わらせたくなくて、俺は仕方なく受け取ることにした。
「ミハル、それどうしたんだ?」
リビングにバラを持って戻ってくると、安樹はきょとんとして、竜之介は怪訝な顔をした。俺が花束をコタツの横に置くと、二人はしげしげと華やかな贈り物をみつめる。
「龍二さんから?」
竜之介が何か言おうとしたので、俺はコタツの中で足をつねって黙らせる。
「きれい……」
ほんのりと頬を赤く染めて安樹は呟いた。
安樹は花が好きで、庭でも色々な種類の花を育てている。バラ、特にピンクが大好きで、花屋を通りかかるとつい買ってしまうくらい気に入っている。安樹はそういう女の子っぽい側面を隠しているが、龍二はたぶん調べて知っている。
あふれるばかりにバラは咲き誇っていた。少し白バラも添えられているのが気にかかった。俺たちの母は、写真で見る限り祝い事の際には必ず真っ白な留袖を着ていた覚えがあった。
「なんだ、安樹。花が好きなのか?」
意外そうに竜之介がつぶやいた途端、安樹の目から喜色が消えた。
「ち、違う。貰い物だからな、大事にしなきゃいけないと思っただけだ。あ、何か入ってる」
しかめ面になって、安樹はごまかすようにバラに添えられていた封筒を取る。
そこからメッセージカードらしいものを取り出して確かめるなり、安樹は一気に赤くなって、次いで青くなった。
「ミハル。私もう休む」
「あすちゃん。何が書いてあったの?」
「……私、砂糖を直に食べるの苦手なんだ」
安樹は立ち上がると、ふらふらと寝室に向かう。俺は慌てて安樹をベッドに寝かせるまでついていって、しっかりと布団を被せた。
リビングに戻ると、竜之介はバラを正面に難しい顔をしていた。安樹ならぴったりだが、ゴツイ男に華やかな花はほんと似合わない。
「さあ帰れ、リュウ」
「様子は見たからいいんだが」
竜之介は俺を見返して尋ねる。
「美晴、安樹と喧嘩でもしたのか?」
こういうことがあるので、幼馴染は嫌だ。
竜之介はいつでも俺たち兄妹の近くにいたので、俺たちの間に流れる空気の変化をいとも簡単に読み取る。
「親父が何かしたのか?」
「お前には関係ないことだ」
竜之介は俺と安樹がくっついていることに不満を持っているわりに、俺たちの仲がこじれると心配してくる。その意味で、ずるいことのできない損なタイプだと思う。
帰っていく竜之介を横目に、俺は自分のしでかした悪戯の収拾をどうつけようか考えに沈んでいた。
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