後編<楓>1
ある休日の昼下がり、安樹と俺が二人でいつものように駅前で買い物をしていたときのことだった。
安樹がふいにショーウインドーの前で立ち止まったので、俺も数歩歩いてから戻ってくる。
「いいものあった?」
そこは珍しい輸入品を扱う店で、安樹なら普段は通り過ぎてしまうところだった。
「何でもない。行こ、ミハル」
安樹は俺の袖を引いて先に歩き出したけど、俺はさっきまで安樹の視線の先にあったものを見ていた。
それは琥珀と碧玉の宝石のついた、アンティークの時計だった。
男女どちらでも付けられそうな作りで、戻ってきて横目で安樹を窺うと、彼女は眉根を寄せて難しい顔をしていた。
「あすちゃん。あれ欲しいの?」
アンティークを買うのは、大学生の財布ではきつい。
「ち、違うよ。私に似合うわけないだろ」
「そんなことないと思うけど」
「今日はミハルのリボンを見に来たんだから。ほら、忘れて」
俺の肩をぽんと叩いて、安樹は俺の袖を引っ張った。
「わかった。行こっか」
俺はさりげなくその手をつなぎ直した。照れたように安樹は口元をむずむずさせながら、ぎゅっと握り返す。
今はデートだから忘れるけど、また思い出す。
来るイベントに贈るプレゼントの決まった瞬間だった。
イベントが近いので、俺は割りのいいバイトを始めることにした。
「これ五番テーブルね。レオ」
銀座にあるホストクラブ、「Avalon」で、俺は父親の名前を借りて「レオ」として働いている。
夜の仕事だから時給が高いし、最近部活で遅い安樹に隠れてバイトするにはもってこいだ。
給仕を終えて戻ってくると、仕事仲間のホストが待っていた。
「レオ、やけに馴染んでるけど経験者?」
「三日もすれば慣れますよ」
先輩たちが言うことには、入ったばかりだとお客様の肩書だとか店の備品の高さに緊張してしまうらしい。
俺はあんまりそういうことは気にしない。普通にしていれば大丈夫だと思う。
「レオ。オーナーが指名だ」
けど俺も緊張しないわけじゃない。その一つが、指名だ。
苦笑して俺は控え室を出る。向かう場所はいつも同じの、一番奥の席だ。
ノックをして席に入る。一礼して顔を上げると、そこにいる女性が妖艶に微笑むのがわかった。
「
胸の谷間が気になる黒いタイトドレス、着る者を限定する服も、最初から彼女に作ったように似合っていた。
「遅いわよ、ミハル」
長い髪をかきあげて、楓さんは手招きした。
「バイト中なんですが」
「オーナーの言うことが聞けない?」
彼女は俺の顎を取って長い爪の先でなぞる。俺はその隣に座りながら目を細めた。
「まさか。楓さんにはもうずっとお世話になってますからね。バイトも紹介して頂きましたし」
「ホストになればいいのに。あなたなら売れるわよ」
「安樹以外に甘い言葉を囁くのは面倒くさいんです」
あっさりと答えると、楓さんは愉快そうに笑う。
「安樹ちゃんにばらしちゃおうかしら。絶対止めるわよ。「かわいい」ミハルにこんな世界でバイトさせるくらいなら自分がやるって」
「それは勘弁してください。安樹に関わらせる気なんてないんですから」
かわいい安樹が男にでも目をつけられたらと、考えただけでぞっとする。
「それなんだけど、安樹ちゃんについて面白いことがわかったのよ」
楓さんは唇を引き上げて挑戦するように俺を見る。
「聞きたい?」
俺が目だけで同意を告げると、楓さんは続けて問う。
「まあとりあえず、場所を移動しましょ。何か希望はある?」
「米が食べられればどこでも」
俺が即答したら、楓さんは一瞬変な顔をした。
「米?」
「安樹がとにかくライスが好きなので、俺もライス無しには生きられないんです」
おいしそうにご飯を頬張る安樹を思い出して、俺は自然と頬を緩ませる。
楓さんはくすりと笑って俺の頭を撫でる。
「わかったわ。ライスにしましょ」
その顔には母親のような優しさが浮かんでいて、俺も笑い返した。
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