前編<龍二>4

 お店を出たら運転手付きの黒い高級車が待っていて、私は緊張しながら隅っこに座っていた。

 時間にして数十分、まだ銀座から出ていないうちに車は止まって、そこは女性服のお店だった。ママが洋装に着替えるんだと思って後ろをついて行ったら、なぜか私が店員さんに取り囲まれた。

「え、ええっ? 食事に行くんじゃないんですか?」

「そうだ。はるかは腹が空いてる。急げ」

 何が何だかわからない私を試着室に導いて、店員さんたちは三人がかりで黒服を脱がせにかかった。

「ちょっ、あの! 制服で行けない場所なら私はやっぱり遠慮させてもらえませんか!」

「はるかが行かなくてどうする。鈴子、手伝ってやってくれ」

 龍二さんに言われて、ママがワンピースを手に入って来る。しかし広い試着室だった。私を含めて五人もいるのに狭く感じない。

「着てちょうだい。でないと私、浅井さんに怒られてしまうわ」

 ママはなんだか楽しそうに私の着せ替えに参加する。

 あてがわれたワンピースには値札がなかった。そもそも銀座の大通りという立地条件から考えて、庶民の私が手に出来るような商品じゃないことは確かだ。

 およそ五分で完成した私の姿を見て、龍二さんは満足げだった。

「やはりはるかは白が似合う」

 白いワンピースはシンプルだけど生地が羽みたいに軽い。パーティドレスとしてでもちょっとお洒落なレストランに行くのでも通用しそうなものだった。それに揃えてヒールも白、ネックレスはちょっと大人っぽく紫、整えられた髪に差し込んだ髪飾りも紫だ。

「なんだか……男の子が女装しているように見えませんか」

 制服以外のスカートなんて着たことがないし、アクセサリもヒールも初めましての状態だ。恥ずかしくてとても目を合わせられない。

「まさか。背が高いし色が白いからよく映える。外に出すのが心配だ」

「そうですよ。よくお似合いです」

 店員さんも同調する。うう、無理して褒めなくていいですよ。

「行こうか」

 結局その服装で決定されて、さらにコートまで羽織らされて食事処に連れて行かれた。

 郊外に佇む一軒屋に車が横付けされた。私は歩きなれないヒールに戸惑いながら二人についていく。

 席についたらすぐにお膳が運ばれてきた。

「わ……あ」

 湯気を立てているのは、つややかな黄金色の米が輝く釜飯だった。お腹をますます引っ込める香りが上って来て、私は目を丸くして硬直する。

「あ、あ、あの」

「ここでおあずけといったらどんな顔をするかな」

 たぶん私の目は子どものように潤んでいた。龍二さんは口の端を上げる。

「食べなさい」

「ありがとうございます!」

 私は箸をさっと構えると、震える手を押さえながらすくいあげてご飯を口にいれた。

 体の中心が痺れるような味わいに香ばしさ、まさに絶品だった。

 ぱくぱくとしばらく無心で箸を進めた。おいしいよう、ミハルにも食べさせてあげたいと切に願った。

「気に入ってくれたか」

「はい!」

 勢いよく頷いた私に、龍二さんは微笑んで手を伸ばして頭を撫でた。

 正面に座られたので、いつものように密着しないで済む。目の前にはおいしいご飯、すばらしいロケーションだった。そんなわけで、私は恥ずかしいスカート仕様でもそんなに緊張しないでいることができた。

「はるかは一人暮らしか?」

 だからうっかり、結構重要なことをぽろっと口にしていた。

「あ、いえ。弟と、父の恋人の三人暮らしです」

「大学生になったし、一人で暮らしてみたいとは思わないのか?」

「そうでもないですよ」

 私は一緒に暮らす二人を思い出して自然と微笑む。

「父の恋人はほとんど母親みたいな人ですし、弟は……いなければ私が寂しいですから」

 ミハルがいるからどんなことでも頑張れる。私にとってエネルギーの源だ。

「父親が再婚したら、それとも弟が一人暮らしをしたいと言い出したらどうする?」

 それは龍二さんにしては珍しく、突っ込んだ言葉だったと思う。私の恐れている未来を的確に貫いてきた。

「……そうなったら、私も一人暮らしになりますね」

 私は目を伏せて口元を歪ませる。二人がいなくなる、それは私にとって一番寂しい想像だったけど、考えていないわけじゃない。

「はるかは家族思いの優しい子だな」

 頬に触れられて顔を上げさせられる。私の内心をみつめるような鋭い瞳と視線がぶつかる。

「少しずつ準備するのはいいことかもしれないな」

 龍二さんは手の甲で頬を撫でた。また得体の知れない悪寒が来る。

「一人暮らしにいい物件を知ってる。はるかに安く貸そうか?」

「え」

 突然の降って湧いた話に私は瞠目する。

「い、いえ。そこまでして頂くわけにも」

「大学に近いし、セキュリティもしっかりしてるぞ。見晴らしもいい」

 龍二さんは扉の方に声をかけると、秘書らしい男の人がファイルを持ってきて差し出す。

 一目見て私にもわかった。これは半端でなく高い。

 今家族で住んでいるマンションより広いくらいで、地上三十階、立地も高級住宅街ど真ん中だ。

「すみません、私にはとても無理です!」

 ろくに素性も知らない小娘にするには、この提案はあまりに怖すぎる。危険を感じ取って私は腰を上げかけた。

「はるかに買わせようとは思ってない。ここは私のものなんだ」

 龍二さんはやんわりと私の手を握って座らせる。

「特別にはるかの言い値で貸すだけだ。いずれはるかのお金が貯まったらあげよう」

「いや、その」

「いきなりこんな話を持ちかけられたら困るだろうから、鈴子を連れてきた。私の身元と誠実さを保証してくれるようにな」

 私が横目でママを見ると、ママはおっとりと微笑む。

「浅井さんは冗談でこういう話をする方じゃないわよ」

「でも、私にこんな……」

 先ほどの食事の感動も吹き飛んで私が顔をしかめると、龍二さんはファイルを手元に戻す。

「これは私の好意の表れだと思ってほしい。気が向いたらいつでも言うといい」

 押し付けてきたら私も拒否してそれで終わりにできるのに、龍二さんはそれをさせてくれなかった。

「さて、デザートでも取るか。食べるだろう?」

 ……宇宙人みたいに、この人の考えていることが私にはまるでわからない。

 私はうろたえながら、もう運ばれてきたデザートを呆然と見ていた。

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